不滅の名録音〜まずは、聞くべし!!
不滅の名録音~まずは、聞くべし!!・・・なんどと書くと随分と気負った雰囲気が漂います。
しかし、アップした録音が1000を超えるようになると、クラシック音楽を聴き始めたばかりの人にとっては「どこから手をつけていいのか分からない」という声も寄せられます。
そこで、このあたりの録音は一度くらいは聞いておいた方がいいんじゃないですか・・・というのをノミネートしたのがこのコーナーというわけです。
選択基準については管理人の独断ですので、「?」マークがつく方も多いかもしれませんが(^^;、ポチポチと追加していきたいと思います。
全集(選集)としての録音
- 今風のハイテクチェリストたちの演奏を聞き慣れた耳には、まるで象のダンスを見るようなたどたどしさを感じるかもしれませんが、じっくりと耳を傾けてもらえば、いまもってこれを上回る録音はないことに気づかされます。
- ワルターが現役として活躍した50年代前半のモノラル録音を聴くと、彼の特徴である低声部はしっかりと響かせながらも、決して「鈍重」なモーツァルトとは感じません。オケはモダン楽器の特性をいかした壮麗な響きを保持しながら、ワルターの棒に機敏に反応しているように聞こえます。結果として音楽は「鈍重」になることなく生き生きとした活力に満ちています。
これもた、一度は聞くべき歴史的名盤と呼んでいいでしょう。
- カラヤンとのコンビで録音された4曲の協奏曲で、ブレインはまるでクラリネットでも吹いてるかのように軽々とホルンを吹きこなしています。そして、それがいとも容易く実現しているがために聞き手に対して名人芸であることの匂いすらも漂ってきません。
そういえば、野球の名手というのはファインプレーをする人のことではなく、難しい打球をいとも易々と捌いて見せて、それをファインプレーだと思わせない人のことだと聞いたことがあります。
まさに、この録音に刻み込まれたブレインの演奏は、そういう意味における真の名人芸だと言えます。
- まず何と言っても、グリュミオーのヴァイオリンの音が美しい!!
そして、録音の方も申し分なしで、その美音を実に見事にすくい取っていて不満は全く感じません。もちろん、ただ音が美しいだけでなく、グリュミオーのヴァイオリンはモーツァルトの音楽にこめられた「歌心」を見事に描ききっています。
この録音から既に半世紀以上が経過したのですが、これよりも美しいモーツァルトのヴァイオリンソナタは未だに生まれていないように思います。
- ギーゼキングといえば即物主義の代表選手のように言われます。彼こそはモーツァルトをロマン主義的歪曲から救い出して、現在のモーツァルト演奏への道を切り開いた存在として、とりわけこのソナタの全曲録音は長くスタンダードな位置にありました。
それにしても、これは何という「音」でしょう。
それは同じように音色の魅力をふりまくホロヴィッツやミケランジェリたちの音色とも違います。とんでもなく透明感に満ちていながらガラスのようなもろさとは全く無縁の強靱と言っていいほどの硬質な響きです。そして、ピアノからこのような音色を紡ぎだした人は他には思い当たりません。
この「音」で、シンプルな上にもシンプルにモーツァルトが演奏されるとき、それは他に変えがたい魅力を21世紀になっても保持していることを否定できません。
今もってこれはモーツァルト演奏の一つのスタンダードとしてのポジションを失っていません。
- トスカニーニがその最晩年に手兵のNBC交響楽団を率いて完成させた全集です。
かつては楽譜に忠実な新即物主義を代表する演奏と言われたものですが、現在の目から見ればロマン的とも言えるほどの自由な解釈がなされています。ですから、この演奏の最大の価値はそのような「忠実」さにあるのではなく、みなぎるような生命力と「休止符まで歌え」といったカンタービレにこそ存在します。
そして、その意味において、この録音は80を超えた老人の手になるものであり、必ずしも最良のトスカニーニの姿が刻印されたものでないことも事実です。(30年代の録音を聞くべし!!)
しかし、録音の質の問題を考えて天秤にかければ、やはりこの50年代の録音を選ばざるを得ません。
- EMIが全集としてリリースした録音をまとめておきます。ただし、これらをまとめて「全集」とする意思はフルトヴェングラーには全くなかったことだけは確認しておきましょう。
そのことは、2番と8番が極めて残念な形でしか録音が残っていないことにも伺われます。しかし、それを割り引いても、これこそは不滅の歴史的録音といえるでしょう。
- 遅めのテンポで巨大な構築物のように仕上げられたベートーベンです。しかし、聞き終わったあとには「鈍重」な感じは一切残らず、遅いテンポであるにもかかわらず「驀進するベートーベン」が描き出されていて、聞くモノの心をアツくしてくれます。
疑いもなく、歴史的名盤として長く語り継がれる録音です。
- バックハウス、ハンス・シュミット=イッセルシュテット、ウィーンフィルという組み合わせならば、期待しない方がおかしいでしょう。
そして、実際に長くベートーベン演奏のスタンダードとしての地位を確保してきた録音です。
確かに、バックハウスは全盛期を過ぎて、よく言えば枯れてきている、有り体に言えば衰えてきている時期の録音であることも否定できません。それでも枯れてもバックハウスであり、バックを支えるウィーンフィルも実に素晴らしい響きでサポートをしています。
やはり、未だもって不滅の名録音の地位は失っていないでしょう。
- ブダペスト弦楽四重奏団は、戦前にほぼ全曲を、そして戦後にモノラルとステレオで2度全集を完成させています。その中でも50年代の初頭に完成されたこのモノラルによる全集は新即物主義によるベートーベン像を確立したという意味で録音史に残る金字塔です。
- 昨今のハイテクカルテットを聞き慣れた耳からすれば明らかに「緩い」演奏と感じるかもしれませんが、この時代のヨーロッパの響きは低声部をしっかりと鳴らした重心の低いものでした。
このバリリ四重奏団もチェロを軸として低声部がかなり分厚く鳴り響いています。そして、その歌い方は同じウィーンフィルのメンバーによるコンツェルトハウスSQのような灰汁の強い歌わせ方ではなくて、あくまでも自然体の上品さを失なわないことが魅力でしょう。
- ここで聴くことができるのは、「ムラヴィンスキーという男の信じたチャイコフスキーの姿」なのです。
「主観的解釈の客観的表現がみせる至芸の極致」
これこそが、ムラヴィンスキーを聴く喜びなのです。そして、彼が心の底から共感した音楽家の一人がチャイフスキーだったのです。
- 数ある「ローマ三部作」の中での最高の録音としての地位を未だに失っていない演奏です。
そして、その魅力は「アッピア街道の松」の圧倒的な迫力に集約されているのですが、聞き落としてほしくないのは弱音部おける緊張感に満ちた凄味です。
下手なオケと指揮者にかかるとこういう弱音部はただ単に音量を落としているだけで、音楽のテンションまで下がってしまっています。ところが、トスカニーニとNBC交響楽団のような凄腕にかかると、音量は小さくなっても緊張感は全く途切れることなく、逆にその静けさの背後から「凄味」のようなモノさえ浮かび上がってきます。
ですから、その弱音部が次第次第に盛り上がっていってオケが爆発してもそこには強い必然性が感じられます。おそらくは、この必然性がトータルとしてこの演奏にただようある種の上品さや気品のようなモノの下支えになっているのでしょう。
- 50年代のアメリカでは精神性などとは全く関係ない、まさに「音のサーカス」とも言うべき演奏がもてはやされました。その代表格がこのハイフェッツであり、もう片方の横綱がホロヴィッツであることは言うまでもありません。
そして、彼らが偉大なのは、「精神性」などというものを一切捨象しても、クラシック音楽は一流の芸術となることを鮮やかに証明してみせたことでした。
とりわけ、彼の絶頂期であった50年代初頭にまとめて録音された技巧的な小品は、そのような「音のサーカス」の凄さを堪能させてくれる不滅の名録音です。
モノラル録音
- フルトヴェングラー指揮 バイロイト祝祭管弦楽団 1951年7月29日 録音
- なんだかんだ言っても、ベートーベンの第9と言えば、この「バイロイトの第9」にとどめを刺します。
冒頭の極限とも言えるピアニシモの中から、切れ切れのフレーズが聞こえてきて、それがやがて一つの流れへと合流していって第1主題が姿をあらわしてくるのを聞くと、もう耳は釘付けです。
そして、これぞベートーベンと言いたくなるような驀進する第2楽章に続いて、この世のものとも思えないような美しさで第3楽章が演奏されると完全にノックダウンです。
ユング君は、この極限とも言えるスローテンポで演奏される第3楽章を聞くたびに、「これしかない!」と頷いてしまうのです。
そして問題が多いと言われる最終楽章も、例えばあの大見得を切るような長い休止!!
やはり第九と言えば、「バイロイトの第九」なのです。
- フルトヴェングラー指揮 ベルリンフィル 1951年12月録音
- 第1楽章はとんでもなく遅いテンポで始まりますが、緩みやダレとは全く無縁の演奏です。ある意味において単純きわまる音楽が執拗に繰り返される中で、その頂点においてかくも偉大な交響的構築物を築き上げるという芸はフルトヴェングラーにしかなしえないものです。
そして、続く第2楽章になるとさらにテンポは極限にまで遅くなります。微妙に揺れ動くテンポの中でシューベルトならではのロマンティシズムが纏綿と歌いつがれていきます。スケルツォにはいってもその足取りに変化はありません。
しかし、最終楽章になだれ込むと風景は一変します。シューマンが「天国的」と称した音楽ですが、フルトヴェングラーはすさまじいエネルギーをここで爆発させます。
晩年のシューベルトが求め続けたシンフォニックな音楽としての「ザ・グレート」の理想的な姿がここに提示されています。
- ワルター指揮 ウィーンフィル (A)キャスリーン・フェリア (T)ユーリウス・パツァーク 1952年5月15〜16日録音
- ワルター&ウィーンフィルという黄金の組み合わせに、キャスリーン・フェリアーが名前を連ねているのですから、今もって一つのスタンダードとなりうる録音です。
ワルターは言うまでもなくこの作品の初演者です。それだけに、この作品への思い入れは強かったようで、その生涯に3度録音しています。
戦前に一度(1936年)、戦後にモノラルで一度(ここで紹介している録音です)、そして、ステレオで一度録音(1960年)しています。
そして、この中で最も有名で、世間の評価が高いのがこの52年盤です。
- トスカニーニ指揮 NBC交響楽団 1954年2月26〜28日
- メンデルスゾーンの「イタリア」とレスピーギの「ローマの松」の録音だけあれば、それ以外の全ての業績が消えて無くなったとしてもトスカニーニの名前は歴史に刻み込まれるだろう。
誰の言葉かは失念しましたが、まさにその通りで、この歴史的金字塔とも言うべきこの録音を前にして今さらつけくわえる言葉はありません。
- Vn:ティボー P:コルトー 1929年5月28日録音
- あまりこういう言い方は好きではないのですが、これをこえるようなフランクのヴァイオリンソナタは思い浮かびません。
この演奏の特徴は何と言ってもステキなポルタメント奏法にあります。今では「時代遅れ」のレッテルを貼られてこんな弾き方をする人は絶滅に瀕しているようです。確かに、下手がやると「下品」そのものになってしまうポルタメント奏法ですが、ティボーの手に掛かると何と上品で粋に聞こえることでしょう。
なお、録音は1929年という事で、「超絶的」に古いのですが、SP盤による録音がいかにすぐれたものだったのかを再認識させてくれるだけの素晴らしさを持っています。
必聴の一枚です!!
- ブッシュ弦楽四重奏団:1936年録音
- 第1楽章から悲しみにあふれた演奏であり、とりわけ第2楽章では、未だかつて聞いたことがないほどの痛切な悲しみに彩られていて、完全な金縛り状態になってしまいます。
それにしても、これはなんという演奏でしょう。なんの気負いもてらいもなく、淡々と歌い上げているだけなのに言いようのない深い悲しみと絶望感が聞き手に迫ってきます。
冬蜂の死にどころなく歩きけり
唐突に村上鬼城のそんな句が頭に浮かんでくるような演奏でした。
- Cl:レオポルド・ウラッハ ウィーン・コンツェルトハウス弦楽四重奏団 1951年4月25日録音
- 何という情緒の濃い演奏、そして悠然たるテンポ。まさに時代遅れの象徴みたいな演奏です。モーツァルトの悲しみがヨーロッパの没落と二重写しになっているような演奏です。
やはりモーツァルトはこうでなくっちゃいけません。
- Cl:レオポルド・ウラッハ ウィーン・コンツェルトハウス弦楽四重奏団 1952年録音
- ウラッハは戦後間もない50年代に、ウェストミンスターレーベルでモーツァルトとブラームスのクラリネット作品を全て録音してくれました。そして、その全ての演奏が半世紀以上経過した今日でもその存在価値を失っていないと言うのは、考えてみればすごい話です。いや、存在価値を失っていないどころか、未だにこれをもってベスト盤と主張する人も少なくありません。
ウラッハの演奏の特徴は洗練されたテクニックや響きとは縁遠いものであり、そういうものとは対極にある典雅で暖かみのある鄙びた響きが特徴です。
- P:ディヌ・リパッティ 1950年7月録音
- これは疑いもなく20世紀におけるショパン演奏の一つの頂点をなすものだといえます。そして、若くしてこの世を去ったリパッティというピアニストの実力を改めて私たちに認識させてくれる演奏です。
リパッティはこの一連のワルツを順番に演奏するのではなく、彼なりの配列で、まさに全体で一つの作品であるかのように再構成をして私たちに提示してくれています。
ショパンのワルツの最大の特徴である叙情性がこれほどまでに見事に表現された演奏はそうあるものではありません。
- (P)グレン・グールド 1955年録音
- バッハ演奏の歴史はグールド以前とグールド以後に別れるという人もいます。そして、その分水嶺に佇んでいるのが、ここで紹介しているゴルドベルグ変奏曲の録音です。
グールドのデビュー盤となったこの録音が発売されたときは多くの人に衝撃を与えました。
- フルトヴェングラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団 コヴェントガーデン王立歌劇場合唱団 (S)キルステン・フラグスタート (T)ルートヴィヒ・ズートハウス他 1952年6月10〜21、23日録音
- 「録音」という行為にどうしても信頼感がもてなかったフルトヴェングラーも、このトリスタンの録音によってその可能性に確信を持ったとも言われています。実際、彼の録音の中ではこれを「ベスト」だと言い切っています。(後、何とか満足できるものとして、シューマンの4番とシューベルトのグレイトをあげていたような記憶があります)
昨今はこの大悲恋物語と濃厚なエロティシズムは「重すぎる」ようで、できる限り「軽く」演奏するのが一般的になっているようです。しかし、トリスタンとイゾルデと言う物語がそんな「軽い」ものであっては困るのです。そして、フルトヴェングラーによるこの録音を聞くと、やはり「トリスタンとイゾルデ」はこうでなくっちゃいかん!と思うのです。
おそらく、この録音の価値は永遠に残ることでしょう。
- S:マリア・カラス サバタ指揮 ミラノスカラ座管弦楽団 ステファノ・ゴッピ他 1953年録音
- カラスの生涯については様々な噂やゴシップなどが入り乱れて、どれが真実でどれが嘘なのかを見極めるのは大変です。もしかしたら、その様なゴシップにうんざりして、カラスの録音から距離を置いている人もまじめなクラシック愛好家には多いかもしれません。
しかし、彼女の生涯がどれほどのゴシップにまみれた毀誉褒貶の激しいものだったとしても、全盛期の彼女の歌は20世紀を代表する大ソプラノの名に恥じない素晴らしいものです。そして、この53年に録音されたトスカの演奏は、その様な偉大なカラスの芸術が刻み込まれています。
- トスカニーニ指揮 NBC交響楽団 ロバート・ショウ合唱団 S:Nelli MS:Barbieri T:Di Stefano B:Siepi 1951年1月27日ライブ録音
- ヴェルディのレクイエムと言えば、今もって一番目に指が折られるのがこの録音です。
まず、独唱陣が素晴らしく、それにロバート・ショウ率いる合唱団と手兵のNBC交響楽団を率いて、凄まじいまでのパワーにあふれた演奏を展開します。
おそらく、長きにわたって20世紀を代表する録音の一つとして長く聞きつがれていくことでしょう。
ステレオ録音
- ブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団 1958年1月13、151、7日録音
- いろいろと言われるコロンビア響との録音ですが、その特徴をひと言で言ってみれば、「サラサラ流れる」音楽だと言っていいでしょう。
このコンビによる録音の中でも名盤の誉れの高いこの「田園」もその例外ではありません。実に端正に気持ちよく横へ横へと音楽は流れていきます。そして、歌わせるべきところは品良く歌わせています。弦楽器群の美しさも特筆ものです。
しかし、私たちはこれ以後、様々な「田園」を持つようになりました。ですから、今もってこれを決定盤と主張する気はありませんが、それもこの作品の演奏史において決して忘れてはいけない録音であることは事実です。
- クレンペラー指揮 フィルハーモニア管 1960年1月22,25,27&28日録音
- 誰が何と言おうと、私は断言します。数あるクレンペラーの録音の中で、このメンデルスゾーンの「スコットランド」こそが最上のものです。敢えて、「最上のものの一つ」ではなくて、「最上のもの」と言い切ります。
疑いもなく、20世紀の演奏史に燦然と輝く金字塔だと言えます。
- フリッツ・ライナー指揮 シカゴ交響楽団 1955年10月22日録音
- これよりも精緻な演奏は今では珍しくありません。カラヤンとBPOやショルティとシカゴ響などのコンビは、おそらくこれが人間の限界かと思われるレベルにまで達しています。そして、この作品はそう言う演奏において「真価」が発揮されることも事実です。
しかし、このライナーとシカゴ響による演奏には、そのような精緻さだけでなく、細かい強弱や表情の付け方などが実にしっくりといっていて、これを一度聞いてしまうと、昨今のハイテクオケのハイテクだけの演奏が実に薄味に聞こえてしまって困ってしまいます。
もちろん、シカゴ響が誇る管楽器群も実に表情豊かに素敵なソロを披露してくれています。
- Vn:ヤッシャ・ハイフェッツ ライナー指揮 シカゴ交響楽団 1957年4月19日録音
- ライナーとハイフェッツというのは、端から見ていてもその目指すべきベクトルが同じように見えますから、かなり相性がよかったのではないかと思ってしまいます。しかし、調べてみると、この両者による協奏曲の録音は、今回紹介したブラースとチャイコフスキーの2曲だけなのです。不思議な話です。
演奏の方を聞いてみると、これは明らかにハイフェッツ主導です。好き勝手弾いているとは言いませんが、ハイフェッツのやりたいように弾かせておいて、それにライナーが実に素敵に伴奏をつけているという風情です。
いつもの聞き慣れた「チャイコン」とはずいぶん違う音が聞こえてくるような気がします。
でも、素晴らしい!!
- カラヤン指揮 フィルハーモニア管弦楽団&合唱団 元帥夫人:エリーザベト・シュヴァルツコップ オクタヴィアン:クリスタ・ルートヴィヒ オックス男爵:オットー・エーデルマン 1956年12月10~15日&17~22日録音
- どれほどにカラヤンが嫌いな人でも、この「ばらの騎士」の録音まで否定する人はほとんどいないでしょう。
シュヴァルツコップこそは、まさに理想のマルシャリン(元帥夫人)でした。そして、それをサポートするカラヤンの指揮も、後年のように重くなることもなく、この時代の彼に相応しい歯切れのよい軽やかさに満ちているのも魅力的です。
それ以外にも、オックス男爵を歌ったエーデルマンの歌い回しも素晴らしいものです。
- ショルティ指揮 ウィーンフィル ウィーン国立歌劇場合唱団 ジョージ・ロンドン(Br:ヴォータン) グスタフ・ナイトリンガー(Br:アルベリヒ) セット・スヴァンホルム(T:ローゲ) キルステン・フラグスタート(MS:フリッカ)他 1958年9月録音
- 私たちは、このカルショーとショルティのコンビによって、今まで誰も聞いたことがなかった新しいワーグナーの姿を提供されました。それは、偉大なマエストロたちが提供してくれたワーグナーとは全く次元の違う衝撃的なまでに新しいワーグナー像でした。
そして、時代はこの新しいワーグナー像をスタンダードなものとして採用するようになり、やがては現実の舞台もこれを模倣するようになっていくのです。
まさに、「20世紀の録音史に燦然と輝く金字塔」という名に恥じない歴史的録音です。
- リヒター指揮 ミュンヘン・バッハ管弦楽団 ミュンヘン・バッハ合唱団 ミュンヘン少年合唱団 (T)エルンスト・ヘフリガー (Bs)キート・エンゲン (S)イルムガルト・ゼーフリート (S)アントニー・ファーベルク (A)ヘルタ・テッパー (Bs)マックス・プレープストル (Bs)ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ他 1958年6月~8月録音
- 聖書には人間のドラマのすべてが詰まっていると言われます。その中でも、受難の場面での人間ドラマには実に多くのことを現在の私たちにも語りかけます。
このドラマの重みをしっかりと受け止めて表出している演奏は、リヒターの58年盤しかないように思います。これは勝手な思いこみかも知れませんが、遠藤の著作を通して受難物語の詳細を知るにつれて、その思いはいっそう深くなります。
まさにこの録音こそは、人類の音楽史において燦然と輝く金字塔です。