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ユング君は全集マニアではありませんが、とりあえず数がまとまったモノは「全集」という形でまとめておいた方がユーザーの方にとっては便利がいいだろうと言うことでこういうコーナーを立ちあげました。
- 遅めのテンポで巨大な構築物のように仕上げられたベートーベンです。しかし、聞き終わったあとには「鈍重」な感じは一切残らず、遅いテンポであるにもかかわらず「驀進するベートーベン」が描き出されていて、聞くモノの心をアツくしてくれます。
疑いもなく、歴史的名盤として長く語り継がれる録音です。
- カラヤンとのコンビで録音された4曲の協奏曲で、ブレインはまるでクラリネットでも吹いてるかのように軽々とホルンを吹きこなしています。そして、それがいとも容易く実現しているがために聞き手に対して名人芸であることの匂いすらも漂ってきません。
そういえば、野球の名手というのはファインプレーをする人のことではなく、難しい打球をいとも易々と捌いて見せて、それをファインプレーだと思わせない人のことだと聞いたことがあります。
まさに、この録音に刻み込まれたブレインの演奏は、そういう意味における真の名人芸だと言えます。
- ここで聴くことができるのは、「ムラヴィンスキーという男の信じたチャイコフスキーの姿」なのです。
「主観的解釈の客観的表現がみせる至芸の極致」
これこそが、ムラヴィンスキーを聴く喜びなのです。そして、彼が心の底から共感した音楽家の一人がチャイフスキーだったのです。
- この録音は全て56年に一気にステレオで録音されています。おそらくは、シューマンの没後100年を記念して行われたプロジェクトでしょうが、未だに広く認知されているとは言い難かったこれらの交響曲を一気に世に知らしめたという功績を考えれば、これもまた後世へとすくい上げていくに値する演奏だと思います。
- 80歳を超えてから録音したデイヴィス盤と比べると、これはまるで別人です。音楽そのものに素晴らしく勢いがあり、アラウのピアノも冴え冴えとした響きで「気品」の高さを感じさせてくれます。そして、この演奏は確かにアラウのピアノが素晴らしいのですが、それと同じくらいにガリエラの指揮も秀逸です。
そう言う意味で、アラウにとってもガリエラにとっても、彼らの最良のパフォーマンスがふたたび日の目を見ることになったことは喜ばしいことです。
- 一部では非情に評価の高い録音です。
ザッハリヒカイトという言葉が裸足で逃げていきそうなくらいの割り切れた演奏です。そして、快速テンポから繰り出されるパンチを浴び続けているうちに次第次第に心理的な快感を覚えてくると言うとっても危険な演奏です。
- 俗耳に入りやすい「分かりやすさ」を犠牲にしてシューリヒトが獲得しようとしたのは明晰でクリアなベートーベン像でした。
ただし、そのベートーベンはトスカニーニやセルのような甲冑を身にまとったベートーベンではなくて、「透明感のある響き、まるでステンドグラスのようなベートーヴェン」像でした。
- 50年代のアメリカでは精神性などとは全く関係ない、まさに「音のサーカス」とも言うべき演奏がもてはやされました。その代表格がこのハイフェッツであり、もう片方の横綱がホロヴィッツであることは言うまでもありません。
そして、彼らが偉大なのは、「精神性」などというものを一切捨象しても、クラシック音楽は一流の芸術となることを鮮やかに証明してみせたことでした。
とりわけ、彼の絶頂期であった50年代初頭にまとめて録音された技巧的な小品は、そのような「音のサーカス」の凄さを堪能させてくれる不滅の名録音です。
- バックハウス、ハンス・シュミット=イッセルシュテット、ウィーンフィルという組み合わせならば、期待しない方がおかしいでしょう。
そして、実際に長くベートーベン演奏のスタンダードとしての地位を確保してきた録音です。
確かに、バックハウスは全盛期を過ぎて、よく言えば枯れてきている、有り体に言えば衰えてきている時期の録音であることも否定できません。それでも枯れてもバックハウスであり、バックを支えるウィーンフィルも実に素晴らしい響きでサポートをしています。
やはり、未だもって不滅の名録音の地位は失っていないでしょう。
- 一見すれば、何の変哲もない平凡な演奏に聞こえるかもしれません。しかし、そこには一切の現世的不純物が洗い流された中からしかあらわれない「愛」と「粋」があらわれてくるのがビーチャムのハイドン演奏の特徴です。
書物には「玩味熟読」という言葉がありますが、音楽ならば何と言えばいいのでしょうか?おそらく、小難しい理屈などは一切捨て去って、あるがままの自分でその音楽にひたれば、きっとパパ・ハイドンの温顔に接することができる演奏なのではないでしょうか。
何も語らず、ただ分かる人にだけ分かってもらえばいいと言う音楽です。
- ワルターが現役として活躍した50年代前半のモノラル録音を聴くと、彼の特徴である低声部はしっかりと響かせながらも、決して「鈍重」なモーツァルトとは感じません。オケはモダン楽器の特性をいかした壮麗な響きを保持しながら、ワルターの棒に機敏に反応しているように聞こえます。結果として音楽は「鈍重」になることなく生き生きとした活力に満ちています。
これもた、一度は聞くべき歴史的名盤と呼んでいいでしょう。
- 世界最初のモーツァルト交響曲全集です。モノラルからステレオへの移行期に録音されたので、22番以降の作品がモノラル録音です。
この後に録音されて、長くモーツァルト演奏のスタンダードとなったベームの全集と比べればずいぶんすっきりしたモーツァルトです。その意味で、50年代初頭のヨーロッパにおける即物主義によるモーツァルト演奏とはどういうものだったのかを知る上では実に貴重な録音です。
- 昨今のハイテクカルテットを聞き慣れた耳からすれば明らかに「緩い」演奏と感じるかもしれませんが、この時代のヨーロッパの響きは低声部をしっかりと鳴らした重心の低いものでした。
このバリリ四重奏団もチェロを軸として低声部がかなり分厚く鳴り響いています。そして、その歌い方は同じウィーンフィルのメンバーによるコンツェルトハウスSQのような灰汁の強い歌わせ方ではなくて、あくまでも自然体の上品さを失なわないことが魅力でしょう。
- 世界最初のシューベルトの弦楽四重奏曲全集です。ウィーンフィルにはコンサートマスターを中心に各パートの首席がカルテットを結成する習慣があるのですが、このコンツェルトハウス四重奏団はその様なエリート集団ではなくて、そういう首席奏者の後ろで演奏しているメンバーたちで結成されたものです。
そのためか、この四重奏団の演奏には芸術的に突き詰めたある種の緊張感ではなくて、どこか親密で寛いだ雰囲気がただようのが実に素敵です。
- まず何と言っても、グリュミオーのヴァイオリンの音が美しい!!
そして、録音の方も申し分なしで、その美音を実に見事にすくい取っていて不満は全く感じません。もちろん、ただ音が美しいだけでなく、グリュミオーのヴァイオリンはモーツァルトの音楽にこめられた「歌心」を見事に描ききっています。
この録音から既に半世紀以上が経過したのですが、これよりも美しいモーツァルトのヴァイオリンソナタは未だに生まれていないように思います。
- 超スローテンポになる前の、極めて真っ当でスタンダードな演奏をしていた頃のクレンペラーを代表する演奏です。
- 演奏の特徴はお聞きいただければ分かるように、昨今のハイテクカルテットとは対極にあるものです。ひと言で言えば鄙びた演奏ですが、その鄙びた素朴さの中にえもいわれぬロマンと気品が漂ってくるのが魅力なのでしょう。
- リリーの演奏はモーツァルトの書いた音符を正確にバランスよく響かせることに意を注ぐのではなくて、モーツァルトが音符を使って書いた「心のドラマ」を再現しようと言うものです。ですから、モーツァルトがこの音楽にこめた深い感情がリリーの演奏からはヒシヒシと伝わってきます。
- このコンビによるソナタと言えばモーツァルトがまず第一に思いかびますが、ベートーベンにおいても優れた業績を残しました。ハスキルのピアノはやや控えめで、グリュミュオーの豊かで溌剌としたヴァイオリンを引き立てているように聞こえます。
- 録音に関しては、モノラル最後の時期ですから、実に立派なものです。こういうヴァイオリン一挺の録音だと、ステレオでないと言うことはほとんどハンデになっていないように思えます。
- 伸びやかで自然体のベートーベンです。堅くなったり、重くなったり、ましてや力ずくで押し切るようなところが微塵もありません。とにかく耳にしたときの心地よさは他に例を見ません。
- なんという流麗なバッハでしょう。横への流れを至るところでぶつ切りにして、この上もなく厳しく、ゴツゴツしたバッハを造形したシゲティとは180度対極にあるバッハ演奏です。
- いつまでもシゲティでもないだろうと思います。しかし、この演奏は二つの大戦を経験した20世紀と言う時代の「声」であったことも事実であり、その事には 深い敬意を感じざるを得ません。おそらく、シゲティにとってバッハとはこのように厳しい音楽としてしか「歌う」事が出来なかったのであり、その「厳しさ」 と向き合うことは決して「苦行」ではないはずです。
- とにかく、フルニエのチェロはいつも伸びやかでよく歌います。そんなフルニエがこれまたよく歌うシュナーベルと組んだこの録音は、名曲喫茶ご用達の暗さよりは、よく歌う伸びやかさが前面に出ています。
- 幻の名盤と呼ばれ、中古市場で6枚セットのLP全集が100万円!!で取引されていた録音も、パブリックドメインになったおかげで広く世間に流通するようになりました。パブリックドメイン万歳です。
おかげで神秘のベールもはがれて、実態に見合った評価が定着することでしょう。
もちろん、悪くない演奏です。
- エールリンクに次ぐ世界で2番目のシベリウスの交響曲全集です。しかし、録音をジョン・カルショーとのコンビでデッカの黄金時代を築いたケネス・ウィルキンスンが担当と言うことで、モノラル録音ながら実に聞きやすい音質に仕上がっているのが大きなメリットです。
快速テンポと豪快なダイナミズムを基調とした男性的なシベリウスを描き出した演奏です。
- 世界最初のベートーベンの交響曲全集です。今では省みられることも少ない録音ですが、ベートーベンの演奏史を考える上では原点とも言うべき歴史的価値を持っています。
- 数ある「ローマ三部作」の中での最高の録音としての地位を未だに失っていない演奏です。
そして、その魅力は「アッピア街道の松」の圧倒的な迫力に集約されているのですが、聞き落としてほしくないのは弱音部おける緊張感に満ちた凄味です。
下手なオケと指揮者にかかるとこういう弱音部はただ単に音量を落としているだけで、音楽のテンションまで下がってしまっています。ところが、トスカニーニとNBC交響楽団のような凄腕にかかると、音量は小さくなっても緊張感は全く途切れることなく、逆にその静けさの背後から「凄味」のようなモノさえ浮かび上がってきます。
ですから、その弱音部が次第次第に盛り上がっていってオケが爆発してもそこには強い必然性が感じられます。おそらくは、この必然性がトータルとしてこの演奏にただようある種の上品さや気品のようなモノの下支えになっているのでしょう。
- カラヤン最初の交響曲全集ですが、この全集がもっとも正統的でスタンダードなベートーベン像を描き出しています。
- ジュリアード弦楽四重奏団は、「ベート−ベン以降最大の業績」と呼ばれるこの作品の全曲録音を3度も行っていますが、これはその一番最初のものです。後年の研ぎ澄まされた演奏もいいのですが、こういう「人肌のぬくもり」を残した演奏もまた魅力的です。
- 淡々とした演奏の中に繊細で微妙な感情が交錯していく様が手に取るように浮かび上がって来る、明晰きわまりないベートーベンです。
- ブダペスト弦楽四重奏団は、戦前にほぼ全曲を、そして戦後にモノラルとステレオで2度全集を完成させています。その中でも50年代の初頭に完成されたこのモノラルによる全集は新即物主義によるベートーベン像を確立したという意味で録音史に残る金字塔です。
- バックハウス全盛期の録音です。今もって、後年のステレオ録音よりもこちらのモノラル録音の方を高く評価する人が多いようです。
- ゴールドベルグとバルサムによる全集はマニアの間では幻の名盤とされてきたものです。演奏家が己というものを前面に押し出すことなく、それでいながら作品の本質はしっかりとつかまえて過不足なく表現しているという点で実にすぐれた演奏だと評価できます。
- どんなに難しいところでも、何事でもないかのように淡々と、しかし正確に弾ききっています。ところによっては勢いが余って弾きとばしているように感じられるところもありますが、それでも凄いものです。
- エネスコはここではもはやバッハを演奏していません。彼は、バッハのスコアを借りて、己の人生を演奏しています。その様に複雑に屈折した構造の中でバッハの凄さを描き出したというのならば、その意味では異形の演奏といえるのかもしれません。
- ケンプの最も脂ののりきった時期の演奏を聴くことが出来ます。音質もモノラルとしては良好な部類に属しますから、少しでもよい音で聴きたいという人にはおすすめです。
- 二人の演奏家の全盛期とも言うべき時期になんという幸運な出会いがあったことでしょう。神に感謝あるのみです。
- EMIが全集としてリリースした録音をまとめておきます。ただし、これらをまとめて「全集」とする意思はフルトヴェングラーには全くなかったことだけは確認しておきましょう。
そのことは、2番と8番が極めて残念な形でしか録音が残っていないことにも伺われます。しかし、それを割り引いても、これこそは不滅の歴史的録音といえるでしょう。
- トスカニーニがその最晩年に手兵のNBC交響楽団を率いて完成させた全集です。
かつては楽譜に忠実な新即物主義を代表する演奏と言われたものですが、現在の目から見ればロマン的とも言えるほどの自由な解釈がなされています。ですから、この演奏の最大の価値はそのような「忠実」さにあるのではなく、みなぎるような生命力と「休止符まで歌え」といったカンタービレにこそ存在します。
そして、その意味において、この録音は80を超えた老人の手になるものであり、必ずしも最良のトスカニーニの姿が刻印されたものでないことも事実です。(30年代の録音を聞くべし!!)
しかし、録音の質の問題を考えて天秤にかければ、やはりこの50年代の録音を選ばざるを得ません。
- とても80才をこえた老人の手になる演奏とは信じがたいほどに、一点の緩みもない、そしてしなやかさとみずみずしさを失わないブラームスです。
あらためてトスカニーニの偉大さを教えられる録音です。
- ナチス侵攻前に行われたベートーベン・チクルス。
1・2・7・9番はこの時代のものとして音質は良好。4番は冒頭の音質が不安定、5・6・8番はややこもり気味。3番は一部のマニアのみ意味のあるような音質(^^;
- ハイドン最晩年のザロモン交響曲の録音としてはこれが世界最初のものです。世間一般にはあまり知られていなかったこれらの作品の紹介としては実に端正でスタンダードとしての役割を十分に果たした演奏だと言えます。
- ギーゼキングといえば即物主義の代表選手のように言われます。彼こそはモーツァルトをロマン主義的歪曲から救い出して、現在のモーツァルト演奏への道を切り開いた存在として、とりわけこのソナタの全曲録音は長くスタンダードな位置にありました。
それにしても、これは何という「音」でしょう。
それは同じように音色の魅力をふりまくホロヴィッツやミケランジェリたちの音色とも違います。とんでもなく透明感に満ちていながらガラスのようなもろさとは全く無縁の強靱と言っていいほどの硬質な響きです。そして、ピアノからこのような音色を紡ぎだした人は他には思い当たりません。
この「音」で、シンプルな上にもシンプルにモーツァルトが演奏されるとき、それは他に変えがたい魅力を21世紀になっても保持していることを否定できません。
今もってこれはモーツァルト演奏の一つのスタンダードとしてのポジションを失っていません。
- 一部、原盤に起因すると思われるノイズはありますが音質的にはこの時代のものとしてが最上に属するものです。最晩年のワインガルトナーを知るには絶好の録音だといえます。
- 当然のことですが、これはフルトヴェングラー自身が全集としてまとめようとして録音したものではありません。あくまでも、結果としてまとまっただけのことですので誤解のないようにしてください。
- ベートーベンのヴァイオリンソナタから深い情念を宿した人間の声を聞き取ろうとする人にとっては、今もってかけがえのない演奏だと言えます。
- カザルスは50年代にゼルキンとのコンビでも録音を残しています。録音の問題もあるので、一般的にはそちらの方を推薦盤とする評論家が多いのですが、演奏だけを比べるなら文句なくこの30年代の録音の方が優れていると言う人が多いようです。
- シュナーベルによる歴史的な演奏です。音質は時代相応のものですが、ベートーベン演奏の原点の一つがここにあります。
- 「ベートーベンの発明者」・・・ホロヴィッツはシュナーベルのことをそう表現したそうです。昨今のハイテク演奏を聞き慣れた耳には物足りなさはあるかもしれませんが、現在のベートーベン演奏の源流がどこにあったかは確認しておいてもいいでしょう。
- 今風のハイテクチェリストたちの演奏を聞き慣れた耳には、まるで象のダンスを見るようなたどたどしさを感じるかもしれませんが、じっくりと耳を傾けてもらえば、いまもってこれを上回る録音はないことに気づかされます。