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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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- 当時20代半ばのヘルマン バウマンが、ナチュラルホルンで初のモーツァルト協奏曲集を出したのは、この5年程あとのこと。80代にして元気に吹いているらしいバウマンは、デニス ブレインがいくら上手くても、録音の良さはもちろん、レパートリーの広さ、音の魅力(高音の安定した美しさ、音を割って吹き鳴らす時の豪快さ)で別格の存在でした。このテレマン、再録ではYAMAHAの楽器でマリナー指揮でした。初録音のこちらは、2番吹きのアドリアン ヴァン ウッデンベルグの音色が優っています。バウマンもこちらの方がロマンチックで音色や吹きまわしが濃厚。第三楽章のゆっくりした掛け合いは、陶然もの。ホルンものでは、他にもソロ、3本のホルンの協奏曲、ホルン2重奏がありますが、ブリュッヘンと入れてますかね。
- 2023-03-30:yk
- バックハウスは10歳の時、師であったダルベールのピアノ、ブラームスの指揮!!!によるコノ協奏曲をライプツィヒで聴いています。演奏会の後、ブラームスに紹介されたバックハウスはサイン帳に、第2協奏曲最終楽章開始小節に”幸多き君の未来に”・・・と書き添えてたブラームス自筆のサインをもらって生涯大事に持っていたそうです。まあ、作曲家からサインをもらったからと言って演奏が素晴らしくなる訳ではありませんが、バックハウスのこの協奏曲に限り何だか演奏の後ろに後光がさしそうな逸話ではあります。
有名な67年の録音も発売当初FM放送で紹介した評論家が「ピアニストと指揮者の年齢を足すと150歳を超えるんです・・・・すごいですねぇ~~」と変な感心の仕方をしたのを覚えています。当時リヒテル(+ラインスドルフ)の演奏などに浸っていた私には最初”ゆるふん演奏”という少々下品な印象でしたが、何故か頭と耳には残って数年後には”後光の威力”に屈してLPも購入して聞き入る様になってしまいました・・・恐るべし、老人連の手練手管・・・という処でしょうか。
バックハウスの演奏には矍鑠たるこの39年の録音を初めライブ録音を含めて各年代の録音が幾つか残っていて、それぞれの年齢と時代に応じて独特の味わいのアル演奏になっています。著作権問題が許すようであれば他の演奏もご紹介ください。
- 2023-03-26:秋山憲一郎
- 50年以上も昔のこと、中学生の私が学校のレコードコンサートで聞いたのがこの演奏でした。いまだにその時の感激を超える演奏には出会えていません。
- 2023-03-25:大串富史
- 指揮者とオケの皆さん、また管理人様への感謝と共に。
パッヘルベルのこの曲はまああまりに有名なので、バックグラウンドミュージックとしてはよさげではあるものの、もし従来のピチカートな演奏であれば決して流さなかったであろうという中でこの演奏を聴き、指揮者とオケの皆さんに謝意を申し述べられればと思いました。
#曲そのものについて言えば、真ん中のジーグはなんだか違うような気がしつつも(とはいえ結局のところこのジーグのレベルのカノンなので曲としてまとまっているわけなのでしょうが)、また有名なカノンに戻って終わるので、まあいいのかなという感じです。一方でこちらで初めて聴かせていただいたシューマンのチェロ協奏曲などは、始まりがおっ?!なのに、終わりがなんだかなで、結局流さないことにしました申し訳ない…
#今日になって日本領事館から小学校3年生の教科書が届いたのですが(予想外の妊娠で授かった孫ぐらいの年の娘がいます)、さっそく音楽の教科書をチェックしたところ、まだ音楽鑑賞やらはなく、いやー座って聴いてられないよね分かる分かるみたいに思いつつも、もう既にブラスバンドからの入部のお誘いなどもあり(こちらでは国歌や少年共産党員団歌を演奏するという特需があるため)、日本の音楽の教科書にも金管楽器をためしに吹いてみよう!というくだりがあったりで、戦線は整いつつあるなーという認識を新たにさせられています(まて)。
何が言いたいのかというと、数十年前と同じく、音楽鑑賞でまたしてもパーセルの主題による青少年のための管弦楽入門とかが登場した日には、ブリテンではなくパーセルをそのまま聴けばそれでいいんだよ、と娘に話す(また原曲を聴かせる)つもりであるということです。青少年を馬鹿にしないでほしいということもありますが、こうした音楽教育次第で今後の世代のクラシック音楽への評価が左右されてしまうわけですから。というか、フィッツウィリアム・ヴァージナル・ブックあたりを演奏させたり聴かせたりということになぜならないのかと、いつも思ってしまいます…
管理人様には、お忙しい中での貴重な音源のアップにただただ頭が下がります。バッハ以前の作曲家の楽曲のアップに、深く感謝しつつ。
- 2023-03-21:クライバーファン
- モーツァルトの室内楽の後に聞きましたが、こちらのほうが、聞きやすかったです。音楽がより構築的、立体的にできているため、あまりなじみがなくても聞きごたえがあります。全体的に、ラズモフスキーほど力が入ってなく、それでもモーツァルトよりはずっと、構築的で頭で遂行した部分の多い曲ですね。
第3楽章の中間部が一番、耳に残りました。ベートーヴェンの弦楽四重奏はラズモフスキーが苦手で、これまで後期ばかり聞いていましたが、初期の6曲と中期の5曲ももう一度全部聞いてみようと思います。
- 2023-03-20:クライバーファン
- このような超有名ではない曲を聴く機会を与えていただきありがとうございます。ユング君さんの音楽に関する造詣の深さに敬服します。
わたしはこの曲をはじめてききましたが、正直、全部を理解できたわけではありません。でも第2楽章と第4楽章は部分的には楽しめました。第4楽章の冒頭のリズムは何とか脳裏に刻めたものです。第2楽章は聞いているうちは優美な曲と思いましたが、一聴しただけでは旋律までは覚えられませんでした。
もう一度、聞いてみたいと思います。
- 2023-03-20:コタロー
- この交響曲のすごいところは、「大太鼓、シンバル、トライアングル」の打楽器陣が第2楽章と第4楽章の二つの楽章に登場することです。
これは当時としては画期的なことではないでしょうか!
ちなみに、あのベートーヴェンの「第九」でも打楽器陣は第4楽章の後半しか登場しないですよね。
クレンペラーの演奏は、格調が高く立派なものだと思います。
- 2023-03-18:コタロー
- 以前も書いたと思うのですが、モントゥーは大の消防好きで、サンフランシスコ市の一日消防署長を務めた際は、ヘルメットに制服姿のモントゥーは大変ご満悦だったようです。
もちろん、モントゥーは指揮者として超一流の腕前を持っていました。しかし、決して偉ぶることなく、その人間的魅力によってオケを心服させるすべを心得ていました。
この演奏を聴いても、モントゥーのそんな素晴らしさが十分伝わってきます。
戦時中のモノラル録音ですが、十分観賞に耐えうる音質です。
- 2023-03-17:yk
- 私も初めて聴かせていただいた録音です。それにしても、この二人の”戦後”録音と言うのはある意味で貴重なものです。
ナチスと音楽・・・更にはドイツ文化との関係は一筋縄で談じられるものでも、談じられるべきものでもないと考えますが、この演奏を聴き私はトーマス・マンを思い起こしました。彼はドイツ文化の根底にある”ナチス的”なるものについて語り、戦後長編小説「ファウストス博士」を書きますが、その告発はナイの様なナチス党員はもとよりフルトヴェングラー等に代表されるような非党員であってもナチス政権下のドイツに残留し活動した”文化人”に対する最も自省的かつ厳しい告発でも有りました(それ故ドイツ国内でのマンに対する評価は微妙なものがありますが・・・・)。
マンがドイツ文化の何を告発したのか?・・・・ソノ理念的な側面は「ファウストス博士」にも描かれていますが、この演奏のyungさんの言う処の”安らぎ”はその実際の”音(楽)”による具体的な記録(の一例)とも聞く事が出来るように思います。
この”穏やかで、静かで、・・・透明感に溢れ”た音楽の内に矛盾なく共存する狂気は、確かにマンが深い自省の中から見出した”ドイツ文化”的なるものを教えてくれるように思いますが、21世紀になりなおウクライナに侵攻したロシアが存在する”今”となってみると、ソノ”狂気”は単に”ドイツ文化”にだけ潜むものであるかどうか改めて考えさせられるものでもあります。
- 2023-03-17:スペードのクラウス
- ヘンデルやバッハの大曲も、現在では古楽器演奏が当たり前というか、常識みたいになっていますが、私自身はこのメサイアとか、バッハの受難曲なんかはピリオドスタイルよりも、やはりモダン楽器でのある程度大きな編成で演奏した従来のスタイルのほうが好きです。
このボールト盤はもう遥か昔、若いころにLP盤で聴いたきりだったですが、ここにアップされておりましたので改めて聴き直してみたら、序曲こそこんな遅いテンポだったかなと思ったものの、すぐに惹き込まれて、ああいいなあと思いながら全曲を聴き通してしまい、感激さめやらずCDを探してすぐに購入しました。
今までリヒター、クレンペラー、シェルヘン、A・デイヴィス、マリナー、レッパードなどを一通り聴いてきて、それぞれに印象は残っていますが、自分にはこれが最高でCD3枚が短くさえ感じられます。どういうふうに表現していいかわからないのですが、ユング様が書かれている「どこまで行っても優しさにあふれていて・・・聴いていて何とも言えず心が優しくなってくる」、まさにこれですね。年をとってわかったものがあるのかもしれません。私は、マタイ受難曲ではヨッフムの演奏が非常に好きなんですが、同じようなものを感じさせてくれます。
- 2023-03-16:コタロー
- J.S.バッハという偉大な父親に持った息子たちはどんな心境だったのでしょうか。
とりわけ長男のフリーデマンには英才教育を施して期待が大きかったようです。しかし、そのことがかえってフリーデマンには重荷になって、性格的にいじけてしまったそうです。世襲というのは難しい問題をはらんでいますね。
- 2023-03-14:大串富史
- バッハとカークパトリックまたクラヴィコード制作者の某氏そして管理人様への感謝と共に。
バッハのこの一連の曲は、お恥ずかしながらまとめてきちんと聞いたことがなかったのですが、予想通り、やっぱりこれだなーこれだよなー感が満載ですね。裏切られないというか。それ以前や同時期の大家たちが残したものをこれほど見事に我田引水いや違った消化また昇華したうえで平均律という「かがり火」をクラシック音楽の正式な?始まりとして高く掲げたあたり、やはり他をそれなりしのいでいるんだなと納得せざるを得ません。
カークパトリックまたクラヴィコード制作者への感謝ですが、カークパトリックがクラヴィコードを選んでいなければこの演奏もないわけで、それ以前にクラヴィコードがきちんと制作されていなければ彼も選択しようがなく、ただただ幸いであったと感じざるを得ません。
#こんな比較はどうかと思う人もいるかもしれませんが、わたし自身は日本の琴の音色と中国の琴の音色を聴き比べる時に、古楽器いいじゃないですかという気持ちを誰もが共有できるのではと感じています。中国の琴の音色はびっくりするぐらい響きますが、日本人で日本の琴の、響かず渋く侘び寂びに満ちた音が嫌いという人はいないと思ったりするのです。まあ慣れということになるのかもしれませんが。ちなみにわたし自身は中国の琴の音色の方が好きだったりするあたり、自己矛盾を抱えてしまっています申し訳ない…
管理人様には、お忙しい中での全方向対応!な楽曲のアップに、いつもただただ感謝し敬服しています。こんな形でのエールで恐
- 2023-03-13:クライバーファン
- 昔、セルゲイ・ハチャトゥリアンさんが15歳ぐらいのときの初日本リサイタルで、単調のモーツァルトのヴァイオリン・ソナタを弾かれたのを聞きに行ったときに予習で聞いたっきり、ほとんどモーツァルトのヴァイオリン・ソナタを聞いたことがありませんでした。
今回、たまたまこの演奏が目に入ってみて聞いてみましたが、録音が割と良いですね。ヒストリカル録音の嫌なところは、音割れ、歪み、音揺れで、そういうのが頻発すると音楽を楽しむどころではなくなりますが、この録音だとあまりヴァイオリン、ピアノともに歪がなく、クラウスの柔らかいピアノの音(後年のステレオでのドギツイ硬質なトーンの演奏を聴いていたので意外でした)が聞けました。ヴァイオンリンも美音です。
ところで、思い出したのがベートーヴェンが回想したモーツァルトのクラヴィーアの演奏の特徴である「レガートではなかった」という話です。はたしてモーツァルト本人がクラウスの演奏を聞いたら、このようなレガートでつながる音を評価したでしょうか?または、もっとポツポツ音は区切るんじゃとおっしゃったでしょうか?
- 2023-03-12:クライバーファン
- この曲はネットで聞いていたので、2つめの演奏として聞きました。やはり、第1楽章の推進力がベートーヴェンって感じですね。第2楽章もきれいです。第4楽章は第1楽章にくらべると少し物足りない気がしました。
現代の耳からすると、ハイドンがよいと思うような音楽はもう古くて面白くないものという気がします。第1楽章の力強い推進力はやはりベートーヴェンならではの音楽だと感心しました。
- 2023-03-08:クライバーファン
- 第1楽章だけ聞きました。このページのベートーヴェンの室内楽を毎日、1楽章だけ聞いていこうと思います。私が持っているアルバンベルク四重奏団のライブほど推進力がなく、おっとりした演奏だと思いました。
あまり力んだ演奏も聞くのがつかれるので、このような演奏もよいと思います。このようにあまり力が入っていない演奏でも、時にヒステリックに響いていしまうところが、このラズモフスキー第1番の曲自体の力感を物語っていますね。
- 2023-03-08:コタロー
- 80年以上前の録音にもかかわらず、音が明快でノイズがほとんどないのに驚かされます。原盤(SP)の状態がよほど良いのでしょう。
さすがに、バックハウスのピアノ演奏は若いだけに颯爽として見事なものです。
ちなみに、バックハウスがコンチェルトを録音するときは原則としてウィーン・フィルが用いられているのですが、ここではシュターツカペレ・ドレスデンが起用されているのが興味深いですね。
- 2023-03-08:joshua
- 35番以降の6大交響曲に多少飽きが来ると、25,28,29番、そして31番のパリ交響曲以後が気になってしまいます。33番はセルの2種の名演、ヨッフムが最晩年来日公演で残してくれた名演で頭に残る曲となりました。
そんな中で、この34番は生演奏では出会うことがなく、格別好きにならなかったところへ、50年代後半カール・ベームがコンセルトヘボウを振った演奏を本サイトで聴くに至ってたちまち好きになりました。
ともかく、生きのいい音楽なのです。同じくコンセルトヘボウを振ったセルの演奏(1958年)も大好きに。ただしこの演奏はJungさんのサイトには見当たらないことに気づきました。
今日ふと、サイトの右端に目をやると、マルケヴィッチがアップされているではありませんか!
これは前2者とは異なる「抑制の美」が印象的で、第3楽章の補完が続く終楽章とぴったり(とわたしには感ぜられました)なので、楽しんで聴けました。
同じような理由で、38番をマルケヴィッチ・ベルリンで聴いたのが記憶に蘇ってきました。
- 2023-03-07:クライバーファン
- この演奏の第1楽章から第6楽章まで聞いた後に大フーガを聞いてみましたが、カヴァティーナの後の大フーガは刺激が強いです。
第5楽章もきれいな曲ですね。第6楽章のカヴァティーナはだんだん理解できるようになってきました。大フーガはやはり耳への刺激が強く、その意味だとピアノ4手版の方が聞きやすいです。
- 2023-03-07:笑枝
- 素晴らしい! 今の今まで、聴きのがしてました。
硬質なタッチのピアノ、表情豊かな弱音、大きな深い息づかいを感じさせる演奏ですね。
感動しました。ぴったり寄りそったオケもいいです。
K488、大好きな曲で、1991年のモーツァルトイヤー、カザルスホールで岩崎セツ子の演奏を聴きました。オケは室内編成のN響。
渾身の演奏でした。拍手が鳴り止まず、四度五度、何度も何度も呼び出され……。
アンコールを期待する友人に、
いや、アンコールはしないよ、と言ったこと、覚えてます。
岩崎さんの、ごめんなさい、というしぐさ、忘れられない。
精も根も尽きた、という表情でした。
モーツァルトの演奏、Yung さんの言われるように、ヴェールをかぶった熱情をいかに表出するかに懸かってますから、奏者の苦心はたいへんか、と。
ケンプの演奏、聴いてると、その辺りが、余裕を感じさせますね。スタジオ録音ですから、ライブとは違うでしょうけど。
- 2023-03-05:tks
- クラシック初心者の中1で初めて聴いた三大ソナタがこれでした(セラフィムの1300円シリーズのレコードです)。その後、FMでバックハウスかR.ゼルキンのを聴いてその違いに衝撃を受けた記憶があります。極めて個性的で、「初めに聴いてはいけない演奏」の類いですが、聴き比べの愉しさを教えてくれた懐かしい演奏です。
- 2023-03-05:yk
- この演奏をココで聴くことになった・・・というのは私にとっても感慨深いですね。
音楽愛好家というのは、大抵音楽を身近に聴くようになる過程で決定的な意味をもった演奏会経験・・・と言ったものがあるんじゃないかと思いますが、私の場合もう六〇年近く前聴いたフランソワの演奏会が、そう言った”決定的”な演奏会の一つでした。当時、レコードで聴いたフランソワのショパンに魅了されていた私は大いなる期待を抱いて聞きに行った演奏会でしたが、薄暗いステージで弾くフランソワには何か不健康な雰囲気があって・・・プログラムはよく覚えていません・・・演奏もレコードで聴くフランソワの切れ味の良い演奏とは違ったどこかぼやけた様な印象がしたものでした。しかし、メインのプログラムが終わった後、彼はアンコールに応えてショパンのワルツを弾き始めたのですが、ソコで、ものの1分ほども経たないうちに突然激しく咳き込んで演奏を中断するハップニングが起こりました。一瞬シーンとした会場の中で、彼は座ったまま黙ってハンカチを取り出し口を拭った後同じワルツを最初から弾き直したのですが、その演奏は私にとっては今も生々しく思い出されるものになりました。今から考えると、当時フランソワは体調に問題を抱えていたばかりか私生活の上でも色々と問題を抱えていたとも言われていて、当該の演奏会も最盛期のフランソワのものでは無かったのだと思われ、実際そのアンコールのショパンも目の覚める様な鮮やかな演奏・・・と言う訳でもありませんでしたが、彼が薄暗いステージの上でピアノを前にしてアンコールで示した孤独と気概と矜持・・・は私にとっては将にショパンに相応しいものでした。それは真摯な演奏家と言う”芸術家”が演奏と言う行為で一体何に対峙しているのかを今も私に考えさせてくれる原点の一つになっています。以前何かのドラマで「玄人は恥を忍んで恥をさらす・・・云々」というような台詞を聴いたことがありましたが、その意味でもフランソワは将に”プロの芸術家”でした。
そのフランソワの演奏の中でも、このベートーヴェンは音楽演奏という行為が人間にとって結局のところ如何なる意味を持っているのかを考えさせてくれる格好の題材とも言えるものだと思います。
音楽(特にクラシック)は、ほとんどが作曲家―演奏家―聴衆、と言う三者によって成立する芸術です。その中で”創造”と言う観点から”作曲家”への敬意は特別の意味を持って語られることが多く、演奏家は作曲家(楽譜)に忠実である”べき”であり、聴衆はソレを旨として鑑賞・受容する”べし”・・・という風潮が(特に近代以降)強い芸術分野でもあります。ソレはソレで一定の(妥当な)理由があり根拠がある議論ではありますが、私はソウいった議論には重大な前提がある・・・と考えています。それは”演奏家は作曲家に忠実である前に、何より自分に忠実であってほしい”と言うことであり、仮に優れた技術に裏打ちされた演奏でも”自分を偽った(或いは忠実であるべき”自己”の欠如した)”演奏は無意味で有り、そう言った演奏はある意味で作曲家への冒涜でさえある・・・と考えます。一時期、演奏家はソノ存在を感じさせない純粋透明な”伝達者”であることが理想だ・・・と言ったことを公言する人もいましたが、こう言った主張は少なくとも無条件では私には受け入れられません(・・・それが理想であれば、ピアノはYAMAHAの自動演奏で事足りる??・・・^_^;;)。過去の”作曲家”と現代に生きる”演奏家”と(無論”聴衆”と)がそれぞれ”自己に忠実”に音に対峙し葛藤することにこそ遠い過去の音楽を現代に演奏し聞く意味があるのであって、”恐るべき子供”とも評された(不遜の?)フランソワのベートーヴェンにも作曲家と演奏家の関わりの経緯が忠実に記録されていて、少なくとも私には単なる”わがまま”と言ったものとは異なった何物かではありました。
- 2023-02-28:コタロー
- 我々のバロック音楽の受容の歴史を考える上で、大変興味深い演奏だと思いました。
- 2023-02-22:koinu
- 記憶に間違いがなければ、今から40年前NHKFM放送をモノラルのラジカセでエアチェックでテープがすり切れるほど聴いた曲でした。懐かしく、こんな素晴らしい演奏だったと改めて認識しました。演奏がセルならと少し想像を豊かにしてしまいました。懐かしく素晴らしい演奏のアップに感謝です!!
- 2023-02-20:アドラー
- 今までこの曲を色々な人の演奏で聞いてきたのです(誰の演奏がどうだったとか、あまり憶えていません)が、それらに比べ、この演奏が最も私の耳には入りやすいと感じます。“普通にいい曲のいい演奏”というか。。ということは、今まで私が聞いてきたのはどれも名人芸披露みたいな派手な演奏だったのかも、と思います。その点、この演奏は、きれいな音で内省的なところは内省的で、でも余り疲れずに聞けて、そういう意味でいいなあ、と思います。
アルコール依存症になったんですね。完璧を求めて?“完璧な演奏”と言ってもジョージ・セルとグールドでは意味が違うだろうし、シェリングはどういうのを“完璧”と考えていたのかな? 私には、例えばこれなど、完璧な演奏に思えるので、そう思うと、むしろ、シェリングにとっては完璧ということが壁になってしまって、それを突き破れない苦慮を、アルコールに頼ってぼやかそうとしたのかな、などと思ってしまいます。ともかく、気分良く聞けました(ということをアルコールを飲んでいたシェリングさんにお伝えしたい気持ちです)。
- 2023-02-19:joshua
- 「70年代に来日した頃には完全にアルコール依存症に」といいますと、わたしが大阪フェスで聞いた演奏は、ちょうどその頃に当たります。集中して聞いたのは覚えていますが、格別感動したわけでもなく、さりとて演奏に破綻があったようにも思いませんでした。・・・依存症という事実が気になって英語版日本語版でWikiを読んでみましたが、そういう記述はみつけられませんでした。(よろしければ、この点に触れた出典をお知らせいただければ有難いです。)シェリングは、ポーランド特有のZを含むSzeryngと綴られます。(Szymon Goldbergも同様です。) 昔Szeryngのパイロットレコードが廉価版で出ていました。協奏曲がbachの2番、mozartのトルコ風、それにvitaliのシャコンヌが収められており、来日前に繰り返し聞いていました。何しろ、彼の演奏は清潔そのものであり、感情の発露といったものは求められません。その分、感動しにくいのかもしれませんが、心に残るものがあって、ふとした折にSzeryngで聞きたくなる、といった具合です。mozartの5番など、同時期聞いていた女流オークレールと大違い。どちらも好きですが、高貴さといいましょうか、その点で誰とも違う弾き方なのがSzeryngです。
このような楷書体風演奏が、また7か国語を操り、メキシコとポーランドの友好大使の役を務めてきた優等生的生き方が、Szeryngに過度の緊張を強いて、私生活でアルコールに頼ったにせよ、舞台上では立派でしたし、1988年69歳という若さでの脳出血死に至るまでに残してくれた録音は優れたものばかりでした。彼には妻や子、その他道楽という、芸術・政治以外に潤いを与えてくれるものが無かったのかもなあ、と凡人の私には気になってしまいます。
- 2023-02-17:大串富史
- スカルラッティは正直なところずっと取り上げないで済まそうぐらいに思っていたのですが、そういえば佳作もあったかと思い直し(まて)聴き直したところ、思いのほかバックグラウンドミュージック的な必要に適っていることに驚きを禁じ得ません…
少数ではありますがクラシックファンの中国人の学生から、あれ?先生この曲は何の曲ですか?ぐらいの反応が返ってくるのが一番理想かと思っているものですから。
#その逆にもしわたしが好きな曲ばかりかけていたら(北ドイツオルガン学派であるとか、ドビュッシーやラベルの弦楽四重奏曲とかヒンデミットの変容であるとか)、うけないばかりか正直教室から出て行ってしまう学生がいないかと心配です…
カークパトリックに感謝というのは、貴重なチェンバロ音源を残してくれているからです。録音の質も学生からのクレームがないレベルと判断しました(以前クレームがあったのです…)。これから順番に聴いてみようと思っています。
#もちろんモダンチェンバロは、わたしとてパスなのですが…
最後に管理人様に、時間を割いての楽曲選定のみならず、良質な解説をご提供いただいていますこと、再度感謝申し上げます。スカルラッティがそんな感じですので、カークパトリックはなおのこと知らず、このサイトがなければスカルラッティを流すどころか聴く機会もなかった(作らなかった)と正直思います。ただただ、ありがとうございます。
- 2023-02-17:小林正樹
- この有名な冒頭部分の演奏。生も含め色々聴いたがテンポ、リズム、歌い方の設定が若きカラヤンの気概とWPのやる気がマッチしたこの演奏は私のお気に入りなんです(BPとの演奏より聴く気力が出ますねぇ)、あとベームBPの2001年宇宙の旅に使われたものが壮麗感があって好きです。私の順位では両者は上位を占めています。もちろんその後に続く本題(?)部分も空前絶後のすばらしさです。
ウィーンフィル時代の頃、のカラヤンは実に素晴らしいですね(何やかやカラヤンが言われてしまうのは録音も含めて世間に出すぎたからですよきっと)フルベンさんだってつまらんものも結構ありますよ・・。
いずれにせよ、こういう凄みのある芸術家が多く居た時代に青春時代を過ごせたことは本当に幸せでした!(じゃあ今は?さぁ?さぁ?)
- 2023-02-15:コタロー
- マルティノンにはパリ音楽院管弦楽団を振った「フランス音楽コンサート」というアルバムがあります。ビゼーの「子どもの遊び」などスタンダードなフランス音楽があるかと思えば、イベールの「喜遊曲(ディヴェルティスマン)」が含まれているのが貴重です。ただこの曲、かなりおちゃらけているので、ユング様の好みには合わないかもしれませんね。気が向いたらご検討いただけたらと思います。「悲愴」とは真逆の音楽ですが、マルティノンという指揮者の多面性が伺えて興味深いですよ!
- 2023-02-14:大串富史
- 最初にご報告させていただきたいのは、この65年版の録音こそが、ジョージ・セル没後30年記念企画アルバム(ソニー)ということで、わたしが中学生の時分に聴いていた演奏でした。レコードのジャケットが瓜二つなので、最初は目を疑いましたが…
#レコード会社の企画がなければ聴く機会はなかったかもしれず、管理人様がこうしてアップしてくださらなかったなら、なおさら機会はありませんでした… ただただ感謝です…
ヤナーチェクを再び聴いて、これはバックグラウンドミュージックとしてなかなかよさげだと思い直しました。今晩、さっそくかけてみましょう。ふふふ…
#少なくともオケ協(また勝手に混乱させる略語を使っています)よりは刺激が少ないので、オケ協を流す前の様子見ということで(まて)。
とすると40年以上前に聴いていたあのセルとクリーブランドの他の諸々の演奏は、やはりそのさらに十数年前の演奏だったのかと思うと、非常に感慨深いものがあります。
何が感慨深いのかというと、なんだーだから廉価版だったのかーなどという話ではなく、そうでなかったらセルとクリーブランドの諸々の演奏は新たな演奏の下に埋もれてしまい聴く機会はなかったであろう、自分も含め2500円のグラモフォンではなく1500円のコロンビアを買って聴いていたクラシックファンは、実のところ廉価版ならではの歴史的な名演を聴いていたのだ、という感慨です。
それはつまり、これから目白押しのパブリックドメイン切れの録音は、もしかしてもしかすると自分があの頃に聴いていたまさにあの演奏?!なのではなかろうか、という期待感があるわけです。
管理人様へ:今後共ご自愛しつつ、どうぞアップを謹んで宜しくお願いいたします。
#最後に余談の余談:この曲を聴くとどうしても、EL&Pを思い出してしまうのはわたしだけでしょうか… 今ちょうど日本語レッスンで1Q84の紹介があり(中国で相応に有名)、正直あんまり紹介したくないな的な部分があったりするのですが、この曲の冒頭のフレーズ(特にティンパニー)もやっぱり相応に尋常でないのに、それでも刺激が足りないなどと感じてしまうのですから、現代人というのはなんとも摩訶不思議です…
- 2023-02-11:コタロー
- これでチャイコフスキーの「組曲」全4曲のアップが完了しましたね。
「モーツァルティアーナ」は「組曲」のなかでは最もまとまりのある作品だと思います。
チャイコフスキーの作品として、旋律の美しさの点でも不足はありません。とりわけ最後に置かれた変奏曲は優れたオーケストレーションで楽しませてくれます。
すでにアップされているケンペン指揮の豪快な演奏と比較すると、さすがにドラティの演奏は洗練されており、録音も優秀です。
最後に、大いなる感謝の意をドラティ氏とこの曲を取り上げてくださったユング様に捧げたいと思います。マイナー曲からの脱出を心から願っております。
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[2023-03-31]

シューマン:ヴァイオリン協奏曲 ニ短調, WoO 23(Schumann:Violin Concerto in D minor, WoO 23)
(Vn)ヘンリク・シェリング:アンタル・ドラティ指揮 ロンドン交響楽団 1964年7月録音(Henryk Szeryng:(Con)Antal Dorati London Symphony Orchestra Recorded on July, 1964)
[2023-03-30]

テレマン:ターフェルムジーク 第3集 協奏曲 変ホ長調(2つのホルン、弦楽と通奏低音のための)(Telemann:Concerto for 2 Trombe selvatiche and 2 Violins, TWV 54:Es1)
フランス・ブリュッヘン指揮 アムステルダム合奏団 (Harpsichord)グスタフ・レオンハルト (Horn)アドリアーン・ヴァン・ウォウデンベルク, ヘルマン・バウマン 1964年録音(8Frans Bruggen:Concerto Amsterdam (Harpsichord)Gustav Leonhardt (Horn)Adriaen van Woudenberg, Hermann Baumann Recorded on 1964)
[2023-03-29]

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番 ヘ短調, Op.57「情熱」(Beethoven: Piano Sonata No.23 In F Minor, Op.57 "Appassionata")
(P)サンソン・フランソワ:1963年2月19日,26日,3月8日&4月8日録音(Samson Francois: Recorded on February 19,26,March 8&April 8 1963)
[2023-03-28]

ワーグナー:「トリスタンとイゾルデ」より「前奏曲と愛の死」8Wagner:Tristan und Isolde Act1 Prelude und Liebestod)
ルドルフ・ケンペ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1958年2月10日~13日&17日録音(Rudolf Kempe:Vienna Philharmonic Orchestra Recorded on February 10-13&17, 1958)
[2023-03-27]

グリーグ:ピアノ協奏曲 イ短調, Op.16(Grieg:Piano Concerto in A Minor, Op.16)
(P)ジョルジ・シフラ:アンドレ・ヴァンデルノート チェコ・フィルハーモニア管弦楽団 1958年録音(Gyorgy Cziffra:(Con)Andre Vandernoot Philharmonia Orchestra Recorded on 1958)
[2023-03-26]

シューマン:3つのロマンス, Op.94(Schumann:Drei Romanzen. Op.94)
(Cello)モーリス・ジャンドロン (P)ジャン・フランセ 1952年8月18日録音(Maurice Gendron:(P)Jean Francaix Recorded on August 18, 1952)
[2023-03-25]

ブゾーニ:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調, Op. 35a(Busoni:Violin Concerto in D major, Op 35a)
(Vn)ジークフリート・ボリース:セルジュ・チェリビダッケ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1949年9月4日録音(Siegfried Borries:(Con)Sergiu Celibidache:the Berlin Philharmonic Orchestra Recorded on September 4, 1949)
[2023-03-24]

ファリャ:恋は魔術師(Falla:El amor brujo)
アタウルフォ・アルヘンタ指揮 スイス・ロマンド管弦楽団 1957年8月29日ライブ録音(Ataulfo Argenta:Orchestre de la Suisse Romande Recorded on August 29, 1957)
[2023-03-23]

スーク:交響詩「人生の実り」Op.34(Suk:The Ripening Op.34)
ヴァーツラフ・ターリヒ指揮:チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 1954年9月7日録音録音(Vaclav Talich:Czech Philharmonic Recorded on September 7, 1954)
[2023-03-22]

ヨハン・シュトラウス II:ワルツ「春の声」 Op.410(Johann Strauss II:Voices of Spring, Op.410)
ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1959年12月27日録音(Eugene Ormandy:Philadelphis Orchestra Recorded on December 27, 1959}