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マルケヴィッチ(Igor Markevitch) |リリ・ブーランジェ:詩篇第130篇「深き淵より」(Boulanger:Psaume 130, Du Fond De L'Abime)
リリ・ブーランジェ:詩篇第130篇「深き淵より」(Boulanger:Psaume 130, Du Fond De L'Abime)
イーゴリ・マルケヴィチ指揮:ラムルー管弦楽団 エリーザベト・ブラッスール合唱団 (T)ミシェル・セネシャル 1958年録音(Igor Markevitch:Orchestre Des Concerts Lamoureux Elisabeth Brasseur (T)Michel Senechal Recorded on 1958) Boulanger:Psaume 130, Du Fond De L'Abime
リリ自身の魂の悲鳴
リリ・ブーランジェ(Lili Boulanger, 1893年 - 1918年)は、20世紀初頭のフランスを代表する早逝の作曲家です。
パリの由緒ある音楽一家に生まれ、わずか2歳にして父親の友人であるフォーレにたぐい稀なる才能を見出されたと言われています。
しかし、生まれつき虚弱体質だったために生涯を通じて激しい腹痛や高熱に悩まされ、正規の学校に通うことが困難でした。
リリにとって姉ナディアの存在はかけがえのないものでした。
リリはわずか5歳頃から、姉ナディアの音楽院での授業に付き添い、横で静かに聴き入っていました。
体調が悪くて動けない時は教授を自宅に招き、さらにはナディアが学んできた内容をリリに教えました。
姉ナディアは後に「鉄の女」と呼ばれるほど厳格な教育者となります。
ナディアはリリの才能を誰よりも信じていたので、病弱な妹を気遣いつつも、音楽的な妥協を一切許さない姿勢でリリの成長を支えました。
そして、16歳になったリリは「作曲家になる」と宣言するに至ります。
そして、信じがたいことに、わずか数年で、姉ナディアですら果たせなかったローマ大賞を女性として初めて受賞するのです。
しかし、病はますます重くなり、1918年、わずか24歳にしてこの世を去ります。
絶筆となった「ピエ・イエズ(慈悲深き主イエスよ)」は、自らペンを持つ力が残っておらず、姉ナディアに口述筆記させて完成させました。
ナディアは妹の死を受けて「私の音楽には、リリのような真の独創性がない」と語り作曲活動をやめてしまいます。
そして、ナディアは92歳まで生き、20世紀最高の音楽教師としてアーロン・コープランド、ヴァージル・トンプソン、ロイ・ハリス、レナード・バーンスタイン、ミシェル・ルグラン、アストル・ピアソラ、フィリップ・グラス、クインシー・ジョーンズら(数え上げればきりがない)数多くの巨匠を育てました。
しかし、ナディアが真に情熱を注ぎ続けたのは妹リリの作品を世に広めることでした。
彼女の教え子たちにリリのスコアを分析させ、その才能を伝え続けました。
毎年3月のリリの命日には追悼ミサを行い、終生リリの写真を大切に飾っていました。
リリの繊細な音楽が今も高く評価されているのは姉ナディアの献身的な愛情と普及活動があったからこそと言えます
リリ・ブーランジェと姉ナディアは、音楽史上でも稀に見るほど深い絆で結ばれた姉妹だったと言えます。
リリ・ブーランジェ:詩篇第130篇「深き淵より」
旧約聖書の詩篇第130篇、ラテン語の冒頭句から「深き淵より)」として知られるテキストに基づいています。
詩篇第130篇は罪の深さに絶望しながらも、神の慈悲を待ち望むというプロセスを描いています。
テキストの内容を大まかに要約すると
嘆き「深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。私の声を聞き取ってください。」
告白「もしあなたが罪をすべて数え上げられるなら、誰が耐えられましょうか。」
希望「私の魂は主を待ち望みます。夜明けを待つ門番が朝を待つよりも切実に。」
救済「イスラエルよ、主を待ち望め。主には豊かな贖いがあるのだから。」
のようになります。
慢性的な病に苦しんでいたリリは、1914年から1917年にかけてこの曲を執筆しました。自身の死を間近に感じていた彼女にとって、この「深き淵からの叫び」は単なる聖書の引用ではなく、彼女自身の魂の悲鳴でもありました。
曲の冒頭、チェロやコントラバス、ファゴットなどの低音楽器が、文字通り「地の底」を這うような重苦しい旋律を奏でます。
そして、静寂に満ちた絶望から、神への救いを求める咆哮のような爆発的な盛り上がりまで、感情の振幅が非常に激しいのが特徴です。
印象派のような繊細な色彩感と、ストラヴィンスキーを彷彿とさせる荒々しい不協和音が同居しており、当時のフランス音楽の中でも極めて独創的です。
「彼女の音楽には、もはやこの世のものではないような、透き通った激しさと静寂がある」**としばしば評されます。
、リリ・ブーランジェの作品を世に知らしめる上で決定的な役割を果たした
マルケヴィッチは、若い頃は「作曲家」として活躍し期待もされていました。
13才の時にスイス来訪中のコルトーに自作(おそらくはピアノ組曲「結婚」)を演奏して認められ、パリ留学を勧められるのが音楽家としてのキャリアの始まりです。
そして、そのパリでナディア・ブーランジェに作曲を学ぶことになりました。
しかし、その頃から既に狷介な性格だったのか、ブーランジェの回想によると、最初の1時間が終わる頃には「生徒の半数は敬服の念を持って彼に仕え、残る半数は決して彼を許しはしなかった」そうです。
しかし、その才能は誰もが認めるところで、二十歳を迎える頃には「イーゴリ2世」とか「二人のイーゴリ」と呼ばれるようになりました。
もう一人の「イーゴリ」は「ストラヴィンスキー」のことでした。
そんなマルケヴィッチが作曲家から指揮者に転身したのは30才(1942年)の時に患った大病のためだと言われています。
果たしてそれだけが原因だったのかどうかは分かりませんが、それ以後、彼はきっぱりと作曲活動からは足を洗って指揮者稼業に専念します。
もちろん、それまでも指揮活動を行っていたのですが、そのほとんどは自作が取り上げられる演奏会においての事でした。
それでも20代前半にシェルヘンのもとでみっちりと指揮法を学び、戦後すぐの時期に「ザルツブルグ・モーツァルテウム音楽院」で指揮法の授業を受け持っていますから、それなりの自信もあったのでしょう。
マルケヴィッチは作品のテンポ設定を考えるための大前提として、その作品に含まれるもっとも短い音価の音符が明瞭に聞き取れることが必須条件だと語っていました。
つまり、作品を演奏するときには、どのような小さな音符であっても蔑ろにしてはいけないと言うことを宣言したわけです。そして、マルケヴィッチの凄いところは、その様な宣言を一つの理想論として掲げたのではなくて、まさに実際にの演奏においても徹底的に要求し続けた事です。
ですから、彼のリハーサルは過酷を極め、結果として一つのポストに長く座り続けることが出来ない人だったのです。
ところが、何処でどう間違ったのか、ラムルー管が1957年にマルケヴィチを首席指揮者にむかえたのです。ラムルー管といえば、隙あらば手を抜こうとするフランスのオケの中でも飛び切りの性悪オケでした。
彼らは何故か「猛獣使い」とも言うべきマルケヴィッチを自分たちのボスとしてむかえたのです。
そして、ラムルー管のメンバーにとって「地獄」とも言うべき日々が幕を開けることになります。
しかし、聞き手の側から見れば、「これがあのラムルー管なのか??!!!」と驚きを禁じ得ないほどの素晴らしい録音を残していくことになるのですから、ありがたい話です。
とりわけ、「マルケヴィッチ版」と呼ばれる楽譜を使って録音を開始したベートーベンの交響曲は実に素晴らしいもので、それは本来は「全集」として完結するはずでした。しかし、遂に、マルケヴィッチの厳しさに耐えきれなくなったオケのメンバー達は1961年にマルケヴィッチを追い出してしまいました。
未完に終わってしまったのは返す返すも残念なことでした。
もちろん、それ以外にも多くの録音を残してくれたのですが、リリ・ブーランジェの「誌編集」は注目に値します。
詩篇第130篇「深き淵より」
詩篇第24篇「地と、そこに満ちるものは、主のもの」
詩篇第129篇「彼らは、わたしの若い時から、たびたびわたしを苦しめた」
古い仏教の祈り
ピエ・イエズ
このアルバムはおそらくは世界初録音だと思われるのですが、リリ・ブーランジェの作品を世に知らしめる上で決定的な役割を果たしました。
リリ・ブーランジェはマルケヴィッチの師でもあったナディア・ブーランジェの妹でした。ナディアは20世紀を代表する偉大なる教育者でしたが、彼女が真に情熱を注ぎ続けたのは妹リリの作品を世に広めること」でした。
ですから、この録音にはナディアが監修者として深くかかわっています。
言葉を換えれば、マルケヴィッチはナディアの代弁者として、リリ・ブーランジェの真の姿を世に示したのです。
それまでリリの作品は、若くして亡くなった薄幸の女性による「繊細な小品」というイメージで語られがちでした。
しかし、マルケヴィッチはこの録音で、彼女の音楽が持つ凄まじいまでのダイナミズムと宗教的エナジーを爆発させました。マルケヴィッチは「リリ・ブーランジェの音楽に、時代に負けない強靭な生命力を吹き込んだ最大の功労者」となったのです。
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