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イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第4番 ハ短調,Op.27-4(Eugene Ysaye:6 Sonatas for Solo Violin, Op.27-4)

(Vn)マイケル・レビン:1955年9月30日録音(Michael Rabin:Recorded on September 17, 1955)

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バッハから始まる壮大な旅

イザイの「6つの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ, Op.27」はシゲティがバッハを演奏するのを聴いて深いインスピレーションを受け、わずか24時間以内にこの曲集のスケッチを書き上げたと言われています。
全曲を通して聴くと、バッハへの回帰から始まり、徐々に近代的な色彩や異国の情緒へと移り変わっていく壮大な旅のような構成になっています。
この作品の面白いところは、第1番から第6番まで、当時の名だたるヴァイオリニストたちに捧げられている点です。
それぞれの曲は、献呈された奏者の演奏スタイルや個性を反映した音楽性を持っています。

  1. 第1番 ト短調(献呈:ジョゼフ・シゲティ
    バッハの「無伴奏ソナタ第1番」と同じト短調で書かれており、全4楽章構成もバッハを意識しています。非常に厳格で知的な構造と重音の扱いが極めて巧みです。
    とりわけ、第2楽章「フーガ」はヴァイオリン一本で複雑な声部を編み上げる、精神性の高い楽章です。

  2. 第2番 イ短調(献呈:ジャック・ティボー)
    全6曲の中で最もドラマチックな一曲です。バッハの無伴奏パルティータ第3番「プレリュード」の断片と、グレゴリオ聖歌の「怒りの日(Dies Irae)」の旋律が全編にわたって衝突・融合します。
    第1楽章「妄執(Obsession)」はバッハの美しい旋律を弾こうとしても、死の影(怒りの日)が執拗に追いかけてくるようなスリリングな展開です。

  3. 第3番 ニ短調「バラード」(献呈:ジョルジュ・エネスク)
    全曲の中で最も人気が高く、演奏頻度も圧倒的な単一楽章の傑作です。ルーマニアの名ヴァイオリニストで作曲家のエネスクに相応しく、即興的で情熱的、かつ幻想的な雰囲気を持っています。
    静かな導入部から、中間部の激しい重音の連打、そして圧倒的なフィナーレへと向かう感情の高ぶりが見事です。

  4. 第4番 ホ短調(献呈:フリッツ・クライスラー)
    ウィーンの巨匠クライスラーの優雅さと、古風な様式美を讃えた作品です。「アルマンド」「サラバンド」「リゴドン」というバロック時代の舞曲形式を採用しています。
    第2楽章「サラバンド」はピッツィカートとアルコが交互に現れる、クライスラーらしいチャーミングで気品ある響きが特徴的です。

  5. 第5番 ト長調(献呈:マチュー・クリックボーム)
    イザイの愛弟子に捧げられたこの曲は、他の曲に比べて非常に独創的で印象派的な響きがします。
    第1楽章「オーロラ」は、夜明けの光が少しずつ広がっていくような神秘的な響きです。第2楽章「田舎の踊り」は一転して、村の祭りを楽しむような素朴で力強いリズムが特徴的です。

  6. 第6番 ホ長調(献呈:マヌエル・キロガ
    スペインのヴィルトゥオーゾ、キロガのために書かれた、技巧の限界に挑む終曲です。スペイン風のリズム(ハバネラ)や、情熱的な旋律が随所に散りばめられています。
    息をもつかせぬ超絶技巧の連続であり、キロガ本人は事故で演奏活動を断念したため、この曲を公開演奏することはありませんでしたが、イザイが彼に求めた驚異的なテクニックが譜面に刻まれています。


第4番 ホ短調(全3楽章)


クライスラーの優雅なイメージを「古風な舞曲」に投影しています。

  1. Allemanda(アルマンド): 重厚な足取りの中に、ウィーン風の気品を感じさせる楽章。

  2. Sarabande(サラバンド): 前述の通り、ピッツィカートとアルコ(弓)の対比が魔法のように美しい、静かな聴きどころです。

  3. Finale; Presto ma non troppo(フィナーレ): 軽快で華やかな「リゴドン」風の終曲。クライスラーの小品を彷彿とさせます。




もがき続けた早熟の天才

レビンに関してはあまり評価していなかったようで、昔の文章を振り返ってみると「与えられた答案用紙に向かってひたすら正しい解答を書き続ける神童の姿しか浮かび上がってこない」などと書いていました。
そんなレビンをもう一度振り返ってみようと思えるコメントをいただき、あれこれともう一度聞きなしてみると、かつてとは少し違った思いにとらわれました。

確かに、彼の演奏には「完璧さ」にとらわれた呪縛は否定できません。それでも、そこから何とか抜け出そうともがく姿に言い知れぬ悲哀を感じるのです。
結論から言えば、彼はその呪縛からは抜け出せず破滅へと向かっていきます。

レビンは、鬼教師として知られるガラミアン(Ivan Galamian)によって、「瑕疵のない、生まれついての完璧なヴァイオリニスト」と認められたただひとりの門人でした。

ガラミアンは、ヴァイオリン演奏を徹底的にシステム化・分析した「現代ヴァイオリン演奏の技法」の著者として知られる超合理主義者でした。ガラミアンの口癖は「Cry now. Play later.(今泣いておけば後で弾けるようになる)」でした。
ガラミアンはレビンというすぐれた才能を見出し育てたことは確かであり、ガラミアンから見てもレビンは完璧な存在だったのです。、

しかし、「完璧であり続けなければならない」という重圧は少しずつレビンを蝕んでいきました。

演奏中に舞台から落ちるのではないか、あるいは床が抜けるのではないかという強迫観念(パニック障害に近い症状)に襲われる様になったと言われています。
その様な完璧主義と舞台恐怖症から、スタジオでも極度の緊張に陥るようになり、録音作業が円滑に進まなくなりました。
また、コンサートでも「ドタキャン」を繰り返すようになり「いつ穴をあけるかわからない危険なアーティスト」とみなされるようになりました。

そして、彼と多くの録音を行ってきたキャピトルも「プロとしての信頼性」に欠けるとして1960年に彼との契約を解除してしまいました。
キャピトルとの契約終了は、レビンにとって「音楽家としての存在意義を否定された」に等しい大きなショックでした。
それ以後、彼は一度もスタジオ録音を行うことはなく、本来であれば円熟期に向かうであろう30代に一枚のレコードも残せなかったのです。

この1960年から彼が亡くなる1972年までの12年間の空白は、何とかならなかったのかと思わずにはおれないのです。
誰か彼に救いの手を差し伸べる人はいなかったのでしょうか。
また、どこかでラミアンからの呪縛を振りほどくことはできなかったのでしょうか。

そういえば、ガラミアン門下から出たイツァーク・パールマンは、ガラミアンの厳格さと適度な距離を保ち、時には異を唱えるだけの精神的なタフさを身につけていきました。
二人の間の「指使い(フィンガリング)」をめぐる攻防はよく知られており、最後はガラミアンに「君が正しい」と言わしめたのです。

しかし、そういうタフさはレビンにはなかったのです。
彼が苦闘し続けた60年代になっても、ガラミアンの練習室だけがレビンにとって安らげる場所であり続け、ガラミアンもまた悩みながらも、そういうレビンに対してどうしようもなかったのでした。

レビンが崇拝していたヴァイオリニストはハイフェッツでした。そして、その後継者たらんと自ら望んだだけでなく、レビンの才能を認めた数々の巨匠からも、ハイフェッツの再来と見なされていました。
技術的には欠けるものはありませんでした。
しかし、ハイフェッツにあってレビンに欠けていたのは、何があっても「俺こそが正解だ」と開き直れる強さでした。
嗚呼、しかしその強さがなかったがゆえに挫折していった音楽家のなんと多いことか。

そのもがき続けた人生に言い知れぬ悲哀と苦さを感じ、程度の差はありすぎるのですが、ふと我が身を振りえるのです。
話が変なところに流れていくのですが、早死にせずに、命永らえて辱多いのも、愛おしいものです。「命長ければ辱多し」は、一般的に「長く生きて恥をさらすよりは、惜しまれながら亡くなるのが美しい」と解されるのですが、私はそれでもなお、生きて、ジタバタと辱をさらす人間にも愛しさを感じるのです。
生きてこそ…です。

この演奏を評価してください。

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  2. いまいちだね。( ̄ー ̄)ニヤリ>>>3~4
  3. まあ。こんなもんでしょう。ハイヨ ( ^ - ^")/>>>5~6
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  5. 最高、これぞ歴史的名演(ξ^∇^ξ) ホホホホホホホホホ>>>9~10



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