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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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- この演奏には思い出が有る。クラシック音楽を聴き始めての確か、高校生のときだった。当時はお小遣いも少なく、殆どが、廉価盤を購入していたが、その時の愛聴盤は、サバリッシュ指揮のウイーン交響楽団の演奏で、それを針が磨り減るまで聴いた。それはスタンダードな演奏で、メロディーを覚えるには丁度良い演奏だった。その後、カラヤン、ベーム盤とこの曲を聴くことを重ね、評論家の推薦盤とは、こう言う演奏スタイルを推薦するのかと、少しばかり、クラシック音楽の楽しみ方が判った様な気がした。そんな矢先に、このバーンスタインの演奏に出会い、この強烈な熱血漢丸出しの演奏に圧倒させられた。特に、最終楽章の熱気は、後のミュンシュ指揮パリ管の演奏に優るとも劣らないもので、指揮者の感性・個性・能力によって、こうも曲の印象が変わるのかと驚嘆したのを覚えている。クラシック音楽を聴いて感動したのが、この演奏が初めてだった。同時期に録音した、チャイコフスキーの交響曲No5と、マーラーの交響曲No2と共に、これは1960年当時のバーンスタインの演奏のベスト録音の一つ。・・・・・今思うと、 恥ずかしいけれども、若い時は、熱く、勢いのある演奏が全て名演奏と思っていた。
- 2014-11-07:菅野茂
- 演奏が極端ですよね。でもこの方法でないと他の指揮者よりも引き立たないのは確かです。凄くノリがいい演奏です。
- 2014-11-05:ヨシ様
- バーンスタインは当時CBSソニーのアーティストとして、セルとオーマンディの三大指揮者でしたね。このシューマンは、やはりセルの方が断然素晴らしい。
バーンスタインとしては、やはり後のウィーンフィルとの方が私的には良いと思います。
- 2014-11-04:ヨシ様
- バーンスタインのブラームスは後のウィーンフィルとの方が名演だと思いますが、
とにかくこの頃のニューヨークフィルとの録音は、レパートリーが広いですね。
バロックから現代音楽まで。録音の多さはカラヤンに匹敵しますね。
- 2014-11-01:ろば
- 清々しい演奏でした。
物足りないといえば物足りない気もしますが、カンテッリほどではないにしても鳴らすところはきちんとしていて、不満はありません。
やや残響過多な音質が時代を感じさせますが、いぶし銀のようなほどよい感触のように思います。
- 2014-11-01:HIRO
- 友人と話していて、ここに投稿した私の文章のことで「お前はチェリビダッケをバッタモンのように言うが、その証拠はどこにあるのだ」と言われました。
成る程と思い、このサイトで私の文章を読んでくれた人の中にも、同じ様に思った方もいらっしゃるのではないかと思い、一例をあげて、その説明をしようと思いました。
私は、チェリビダッケの良い聴衆ではないので、私の知っている彼の「新世界から」の演奏は、YouTubeで見ることのできる、ミュンヘン・フィルとのライブだけなのですが、その第2楽章で彼は大失敗をしています。
この楽章の鳥が鳴き、太陽が昇るシーンは、鳥の部分の音符にスタッカートやスラーなどのアーティキュレーションが付いていて、そのままインテンポで演奏すれば、ちゃんと鳥に聞こえるように、ドボルザークは書いています。しかし、その音型を、チェリビダッケはクライマックスがやってくる前の、アッチェレラアンドのための歯車的音型としか思わず、「いつもの癖?」でそこでテンポを落としてしまいました。そのため、鳥が全く鳥らしく聞こえなくなってしまいました。
これは、この曲の内容をチェリビダッケが知らなかったことの証で、彼は、私のいう「自分なりの楽譜を読む法則」通りに、いつもの様にしてしまったのでしょう。
おそらく、その後に出てくる、メロディーが途切れる場面や、弦が4ー2ーソロになる場面についても、どうしてそうなるのか分からなかったでしょうから、「ドボちゃん、洒落たことをしてるな」ぐらいにしか思わなかったのではないでしょうか。
これは独善的といわれる指揮者によくある特徴で、トスカニーニなどにも見られ、彼も同じ失敗をしています。
トスカニーニも同じ場所で、今度は、逆に早すぎて、まるで鳥には聞こえません。
彼も、この曲の内容を知らなかったのでしょう。
勿論、楽譜を自分勝手な解釈で演奏しても、上手く行った曲はたくさんあるのでしょう。(そんなこと、ほとんどの聴衆は分からないのですから…)
あるいは、トスカニーニのイタリアものの様に、当たり前に知っているものもあるでしょう。
しかし、いくら「楽譜に忠実」などと言っても、内容を知らないのであれば、ただの「棒読み」です。
それを、同じく内容を知らない評論家、聴衆が「オケが歌ってる」とか、「テンポが良い」とか、「アンサンブルが揃ってる」とか音響面だけで感心して、音楽を鑑賞したつもりでいます。
無能な指揮者は何もしないので、かえってバレないのですが、小賢しい指揮者が余計なことをして、馬脚を露してしまいます。
こういう失態は、この曲だけのことでしょうか。
いえいえ、こういう「大家」になってしまいますと、何でもかでも「解釈」という「自分の法則」で通してしまいます。それでは、いくら「哲学」を語っても、それは「自己流」という意味でしかありません。
あのロジンスキーでさえも、「裸の王様」状態のトスカニーニには忠告できなかったのでしょう。
以上が、私がチェリビダッケを(トスカニーニも)「バッタモン」呼ばわりする所以です。
- 2014-10-31:マオ
- クラシックギター大好きです。逆説のようですが、一度出した音がはかなく消えていくところが何ともいいです。ヴァイオリンやフルートと違って。でも音楽の心は続いているのですから。いわゆるセゴビア奏法で、必ずしも音楽的でないアクセントや独特の癖があるので時々抵抗感があります。イエペスはもっと即物的で冷たい感じがあり、その中間くらいが私の好みです。ギターはクラシック音楽の中では異色の分野になるかもしれませんが、個人的にはあらゆる楽器で一番すきです。自分で演奏できたらどんなに幸せでしょうか。
- 2014-10-31:ヨシ様
- この録音は1960年代初期の代表的な名演でしたね。
正に新世界=アメリカ。バーンスタインらしい爽快な演奏です。
- 2014-10-31:ろば
- カンテッリのものと比べるとかなり大味な演奏。
しかし、大味な中にも絶妙な隠し味が効いていて、立派な印象を受けました。
今どきはこういう巨匠風な演奏は笑われるだけでしょうが、学究的な押し付けがましさがないだけでもゆったり鑑賞できて充実できます。
- 2014-10-31:yk
- 懐かしいですね。私の最も好きな「新世界」でした。LPのジャケットには海から眺めた1960年代の(WTCビルもまだない)ニューヨークの遠景、裏面にはバーンスタインの大写しの写真が配されていて、まだ元気だったころの”アメリカ”を思わせるものでした。意図的かどうかは解りませんが、この交響曲に普通使われる"From the New World"のタイトルではなく、ただ"New World Symphony"のタイトルが表記されていました。
ある意味で、ドヴォルザークがアメリカ”から”ボヘミアに向けて書いた交響曲・・・と言うより、”アメリカー新世界”そのものを表現した音楽としてバーンスタインが書き換えた・・と言えるような演奏でした。ダイナミックで活動的な第一楽章、マーク・トゥウェインの世界を思わせるノスタルジックな第2楽章、インディアンが跋扈するオクラホマの草原を思わせる3楽章、ベトナム戦争もウォーターゲートも(勿論、9.11も)知らないアメリカがその(望むらくは輝かしい)未来に思いをはせた第4楽章。
私にとっては、今聞いても最も胸躍る「新世界」です。
- 2014-10-29:ろば
- 兎にも角にもバランスの良さが際立つ演奏に聴こえました。
それも平易平板なものとは一線を画し、鳴らすところはきちんと鳴らしていて、凄みを感じました。
カンテッリが35歳の時の演奏になろうかと思いますが、とても若年者のものとは思えないです。
ありきたりな言葉しか思いつきませんが、夭折されたことが返す返すも残念でなりません。
- 2014-10-29:ろば
- この歴史的名演を拝聴して考えたことは、メンデルスゾーンには曖昧な態度で接してはいけないのかな、ということでした。
超強引な態度でもって臨まないと、メンデルスゾーンの悩みのるつぼに引き込まれて平板な演奏になってしまうのかなあと、漠然と感じた次第です。
- 2014-10-29:ろば
- 颯爽としていて、すっきりとした演奏でした。
ただ、あとに残るものが何もなく、感慨も何も湧かない、というのが正直なところです。
どうしてなのか考えてみたのですが、バーンスタインの平易な解釈、メンデルスゾーンの奥深さへの無理解、が原因のように感じています。
特にメンデルスゾーンの奥深さはなかなか難しく、弦楽四重奏曲を聴いて挫折して以来、なかなか進むことができないでいます。
- 2014-10-27:ヨシ様
- バーンスタインのニューヨークフィル時代の録音、大好きです。
確かに指揮もオケのアンサンブルも荒いですが、バーンスタインらしい勢いや若さがあります。
思えばワルターの代役で指揮したのが原点ですね。
- 2014-10-25:ムラファン
- これがベートーヴェンの8番かと疑うほど堅固で大きな8番だと感じました。
この曲は本当にコンパクトに、洒落っ気のある風に演奏するべきなのか、というアンチテーゼのような演奏。かくあるべし、第8と思わせます。
ただ、基本的な解釈は同じなのですが、私は不思議なことに彼とケルン放送響とのコンビでのこの曲に心を動かされました。
- 2014-10-25:そらちゃん
- 確かにミスタッチは多いですね。私は気にしたことはありません。彼は音楽のもつ生命や魂を表現したいのだと感じます。この時期のシュナーベルの演奏はワクワクします。
- 2014-10-25:ムラファン
- あまりの不気味さ・気持ち悪さにサブイボがたってしまいました。
でも、これはこれで悪くはないです。
- 2014-10-25:ろば
- 10点をつけました。
聴き終えていろいろ言葉を探しましたが、どれもがこの演奏の前では陳腐になり、言葉が見当たりません。
スタインバーグもフィルスクニーもどちらも全く聞いたことがなかったのですが、クラシックの世界がまだまだ広く、深いものだと感じ入りました。
こういった素晴らしい演奏に出会えたことに感謝します。
- 2014-10-22:ろば
- とても荒々しく、デリカシーが無い、と言えなくもないですが、「七人の侍」での三船敏郎のような、どこか無邪気なところも感じられて、7点をつけました。
ドボルザークの8番はどうしてもセル&クリーヴランド管弦楽団の超絶的な演奏が頭にあり、比較してはいけないと思いつつも幾分かマイナスしてしまいました。
でも、第1楽章からドラティの唸り声が聞こえ、気迫もやる気も十分で、非常に満足しました。
音質も59年とは思えないほどみずみずしく、堪能しました。
- 2014-10-22:Joshua
- あらためて、FLACモノラルをWAVになおして聴かせていただきました。
以前イアフォンで聞く程度ならフルヴェンの中では聞きやすいほうだと思って、
mp3からCD化してみました。で、大スピーカーで聴いてみると、やはり画素数の低さに
がっくりしました。今回大スピーカーは試していないですが、理屈では、ロスレスなわけですから、音質は上がっているはずです。そのためではありませんが、これはすべての人にとって、ブルックナーの聴体験のピークとなるものだと確信します。
言葉を尽くすのが馬鹿らしくなる素晴らしさです。
- 2014-10-21:ヨシ様
- この録音と、ほぼ同時期にマルケヴィッチが同じロンドン響とチャイコフスキーの交響曲を録音しています。
私的には、マルケヴィッチの方が好きです。
ドラティの演奏としては、やはりハイドンの交響曲、バルトーク、コダーイ、後はコンセルトヘボウ管を指揮した録音が好きです。
- 2014-10-21:ろば
- 自分には5点でした。
ドラティのものは後年のロイヤル・フィルのものも聞いてみましたが、そちらもいまいち。
精緻な表現、と言えなくもないですが、私にはぶっきらぼうに聞こえました。
ハイドンの交響曲ではあれほど多彩な表現だったのに、ベートーヴェンでは魂が抜けたような印象。
私にはドラティのベートーヴェンは相性が悪いようです。
- 2014-10-20:ろば
- 自分には5点でした。
ドラティのものは後年のロイヤル・フィルのものも聞いてみましたが、そちらもいまいち。
精緻な表現、と言えなくもないですが、私にはぶっきらぼうに聞こえました。
ハイドンの交響曲ではあれほど多彩な表現だったのに、ベートーヴェンでは魂が抜けたような印象。
私にはドラティのベートーヴェンは相性が悪いようです。
- 2014-10-19:原 響平
- メンゲルベルクの面目躍如の演奏。先ずは音質だが、この演奏が録音されてたのは1929年と、とても高音質を望むべくもないが、非常にクリーアーな音質で、聴きやすい。特に金管(ホルン)の響きは、ゾクゾクする程のリアル感がある。演奏は、メンゲルベルク特有のリタルダントの多用と、甘美なポルタメントの連続で、とてもクラシック音楽の初心者には進められないが、メロディーを熟知した、中級者以上の人々に取っては、極上の演奏になるはずです。後年に、似たような演奏で、ストコフスキー指揮・アメリカ響の演奏も有るが、スケールが明らかに違います。私は、この演奏に出会ってからメンゲルベルクワールドにのめり込みました。今思えば、聴かなければ良かったと後悔してももう後戻りできない程のインパクトがあった演奏です。蚊の泣くようなSP音源と知りながら、どうしてもメンゲルベルクの演奏を聴きたくて、多くのCDを買い漁りました。これは、麻薬のようなものです。皆さんも、騙されたと思ってこの演奏を是非聴いて下さい。
- 2014-10-14:benetianfish
- 待ってました!と、思わず叫んでしまいました。yung 君のサイトのおかげでドラティの演奏に出会えて以来、彼のチャイコフスキーがたいそう気に入っております。ただ、この交響曲集の CD はなかなか入手困難で、Universal Music が配信する FLAC で我慢していたのですが(しかし、そのうち第3番第1楽章は途中で切れるという代物!)、とうとう yung 君のサイトでも出てまいりましたね。特に第4番は、個人的には「one of the best」だと思います(ムラヴィンスキーの演奏をまだ聴いてないので、「The best」とは言い切りませんが...)。
ドラティの演奏は、この4?6番ももちろんすばらしいと思いましたが、'65年に録音された1?3番の方が、精巧さとスペクタクル度がより高い次元で両立されているように感じられ、これら前期の交響曲を見直す良い機会を与えてくれました。と、ここまで書いて気づいたのですが、「スペクタクル度」がアップしたように感じるのは、1965年にはもうコザートが現場から去ってしまって録音方法が変わったから...?どちらにしても、この交響曲全集は忘却の彼方に追いやってしまうにはあまりにも惜しいと思います。
あと2、3年で1?3番の方もパブリック・ドメインになると思いますが、そのときは是非よろしくお願いします!
- 2014-10-13:フラヴィウス
- ドラティって、ガタピシで録音の機会などなかった、デトロイトのオーケストラの常任に就任したことを思い出します。
本当に晩年でしたが、ストラヴィンスキーを三大バレエを、録音しました。
ご本人が、やりたいと言っても思っても、実現する物ではありませんよ。
同時期に発売された、コリン・デービスのコンセルトヘボウのレコードは、世評の高い物ものでしたが、ドラティのも中々だったと思います。
人事に口を出すわけでもなく、トレーニングでオケを立て直すのは、大変なお仕事だと思います。
指揮者の姿のある一面である、教育者的な面だと感じます。
解釈は、特に面白い物ではありませんが、音楽家としての実力を示しています。
チェリビダッケみたいに、ご本人が居なくなれば、立ち所に元も黙阿弥だった、ミュンヘンフィルとは異なり、オケの実力をアップするのです。
ビッグなスター性はありませんが、音楽が面白いわけでは無いですが、実力を感じます。
きっちりと縦の線を合わせ、音程を正しく直し、音色を整え、表情に統一感を与え、常識的な解釈をして、平凡にならず、そしてオーケストラ自体の基礎的な実力を向上させる。
客演指揮者たちの演奏すら、少しずつレベルアップを施していく。
こういう人をプロと言わずして、オケの性能を落としながら、自分の名前を売っていくのとは、異なり、実際にバレエで使える素材を作る。
自分的には、ストラヴィンスキーの三大バレエは、ブーレーズがクリーブランドを振った古い方の春の祭典に、魅了されているのですが・・・。
未だにそうです。
マーキュリーは、録音が良くて、ヘッドフォーンで聴くと、各楽器の表情が明確に出ていますね。
アンサンブルが悪い訳ではありませんが、ちょっとした揃わなかった部分にも、音色上のズレを感じさせます。
生々しいです。
BGM的に聴くのと、大きな違いがあり、フレージングなども余りに明確です。
直接音と間接音を上手に混ぜて、何となく上手に聞こえるのとは、異なっていて逃げも隠れもしません。
「悲愴」の演奏としてどうか?
よく分かりませんが、生を聞くのと感覚的に似ていて、繰り返して何となく聴くのが、怖い世界です。
ちっとも格好良くないですが、潔良いので、ミスが誰にでもばれます。
でも、クラシック音楽って、そんなもので、ウイーンフィルだってベルリンフィルだって、ライブではミスしてます。
- 2014-10-12:Joshua
- この時期のロンドン交響楽団というのはただ者ではありません。>>
その通りだと思います。ホルンは、若き頃オーストラリア・メルボルンから渡ってきた名奏者Barry Tuckwellがいましたしね。Peter Markが伴奏したホルン協奏曲はすでにアップロードしていただいていますね。他の管や弦もいいですけど。ケルテスもこのドボ8を聴いたのか、3?4年後に同じ顔合わせで、ドヴォルザーク全集を作っています。ウィーンの新世界交響曲の演奏がやたら有名ですが、LSOともケルテスはドヴォルザークを再録してるんです。同じごろ、ハレにいくとバルビローリがドヴォルザークやってますね。ドラティは肩を並べる名演です。
さて、ドラティDiscographyがこの数週間でたいそう充実して、ありがたく感じています。(長らく1812年、一本だった)ドラティは伴奏指揮でよく見かけていたのですが、JUNGさん上述のチャイコの4番など高校生の折聴いたときは「ひょっとしてこの人は・・・」と思ったものです。職人技、だけではない名匠ですね。文字通りの「強面(顔がコワイ)」で、N響に法外なギャラを請求した噂もありますが、さておき。世界初のハイドン交響曲全集(フィルハーモニア・フンガリカ)も近いうちにPDに入るわけでしょう。アップロードが大変かと察します。小生は、CDを手に入れて長々と愛聴してきました。オケはメジャーではないですが、文句なく上手いですよ。ピリオド楽器登場前の貴重な遺産ですよ。
このドボ8、理屈なく、とても楽しく聞かせていただきました。
私とこのサイトの出会いである、セル・コンセルトヘボウの1951年ドボ8を思い出す
名演です。
- 2014-10-07:石川幸雄
- 何度聞いてもワルターの未完成は良いですね。最初に聞いたのが約50年前の中学生の時代で裏面がワルターの運命のレコードでした。この二曲がクラシックの入り口で色々と聞いてきましたが一番最初に聞いた演奏が脳裏に焼きついてます。最初に聞いたのがワルターだった為にワルターファンになりました。
- 2014-10-07:Sherlock
- この演奏は不思議ですね。
確かに技術的にうまいとは言えないですよね。一本のヴァイオリンで何ができるかを追い求めているような曲なので,もっと技術がないと聞こえてこない音なんかもあるでしょう。もっと滑らかに弾いてほしいところもあります。ですから,いくら名盤と言われてきたからといっても,シゲティしか聴かないなら,この曲の魅力をすべて理解したとは言えないでしょう。わたしもこれが一番好きな演奏とは言えません。
しかし一度聴き始めると耳が離せなくなってしまうんですよね。ぐいぐい心に入ってくるんですよね。他の演奏では絶対に味わえない迫力があります。すごい歌を感じます。バッハはすごいなと感じさせてくれます。
よく精神性が技術を凌駕した演奏の代表として語られることが多いと思うんですが,それだけでもないと思うんですよね。確かに技術的にはイマイチに思えるんですが,よく聴いてみると,構造を明らかにするための間の取り方とか,音色の変化とか,大切なところは決して落としていない。もっと「上手く」てもそこまでこだわっていない演奏はたくさんありますよね。
この演奏は,ただ一生懸命弾いてるからすごいんじゃないんですよ。シゲティは技術が衰えてもこの曲を伝える術を会得していて,それはこの曲を愛して,よほど突き詰めないと得られないものなんじゃないでしょうか。その成果が十全に発揮されているから心に迫るんじゃないですかね。
そういう意味でこの演奏は「上手い」んだと思うんです。芸術における「上手い」とは何か考えさせてくれる演奏だと思います。
- 2014-10-06:半世紀前の小学生
- 小学校の音楽の授業で「未完成」を聴いたのがきっかけで、生まれて初めて買ったレコードがこれでした。
<ジョージ・セル指揮/クリーヴランド管弦楽団>
コロムビア・ステレオ・セブン (17cmのステレオLPのことだと書いてあります)
黒田恭一氏の解説付きで、当時500円もしました。
親に買ってもらったポータブルのレコードプレーヤーでよく聴いたものです。
今回は、MP3 と FLAC 両方でダウンロードさせて頂きました。
あの頃簡素なプレーヤーで聴いていたこの曲を、今、こんなにいい音で聴くことができて、懐かしさと嬉しさで感激しています。
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[2025-09-14]

フランク:天使の糧(Franck:Panis Angelicus)
ルネ・レイボヴィッツ指揮 ロンドン新交響楽団 1961年録音(Rene Leibowitz:New Symphony Orchestra Of London Recorded 1961)
[2025-09-12]

ベートーベン:交響曲第3番 変ホ長調 作品55「英雄」(Beethoven:Symphony No.3 in E flat major , Op.55 "Eroica")
ジョルジュ・ジョルジェスク指揮 ブカレスト・ジョルジェ・エネスク・フィルハーモニー管弦楽団 1961年3月録音(George Georgescu:Bucharest George Enescu Philharmonic Orchestra Recorded on March, 1961)
[2025-09-10]

ブラームス:弦楽四重奏曲 第1番 ハ短調(Brahms:String Quartet No.1 in C minor, Op.51 No.1)
アマデウス弦楽四重奏団 1951年録音(Amadeus String Quartet:Recorde in 1951)
[2025-09-08]

フォーレ:夜想曲第2番 ロ長調 作品33-2(Faure:Nocturne No.2 in B major, Op.33 No.2)
(P)エリック・ハイドシェック:1960年10月21~22日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n October 21-22, 1960)
[2025-09-06]

バッハ:小フーガ ト短調 BWV.578(Bach:Fugue in G minor, BWV 578)
(Organ)マリー=クレール・アラン:1959年11月2日~4日録音(Marie-Claire Alain:Recorded November 2-4, 1959)
[2025-09-04]

レスピーギ:ローマの噴水(Respighi:Fontane Di Roma)
ジョン・バルビローリ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団 1939年1月21日録音(John Barbirolli:Philharmonic-Symphony Of New York Recorded on January 21, 1939)
[2025-09-01]

フォーレ:夜想曲第1番 変ホ短調 作品33-1(Faure:Nocturne No.1 in E-flat minor, Op.33 No.1)
(P)エリック・ハイドシェック:1960年10月21~22日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n October 21-22, 1960)
[2025-08-30]

ベートーベン:交響曲第2番 ニ長調 作品36(Beethoven:Symphony No.2 in D major ,Op.36)
ジョルジュ・ジョルジェスク指揮 ブカレスト・ジョルジェ・エネスク・フィルハーモニー管弦楽団 1961年4月20日録音(George Georgescu:Bucharest George Enescu Philharmonic Orchestra Recorded on April 20, 1961)
[2025-08-28]

ラヴェル:舞踏詩「ラ・ヴァルス」(Ravel:La valse)
ルネ・レイボヴィッツ指揮 パリ・コンセール・サンフォニーク協会管弦楽団 1960年録音(Rene Leibowitz:Orcheste de la Societe des Concerts du Conservatoire Recorded on 1960)
[2025-08-26]

フランク:交響詩「呪われた狩人」(Franck:Le Chasseur maudit)
アルトゥール・ロジンスキー指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団 1954年6月27~7月11日録音(Artur Rodzinski:Wiener Staatsoper Orchester Recorded on June 27-July 11, 1954)