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シューベルト:交響曲第7(8)番 ロ短調 「未完成」 D759

ワルター指揮 ニューヨークフィル 1958年3月3日録音

Schubert:Symphony No.8 in B minor D.759 "Unfinished" [1st movement]

Schubert:Symphony No.8 in B minor D.759 "Unfinished" [2nd movement]


わが恋の終わらざるがごとく・・・

 この作品は1822年に作曲をされたと言われています。
 シューベルトは、自身も会員となっていたシュタインエルマルク音楽協会に前半の2楽章までの楽譜を提出しています。
 協会は残りの2楽章を待って演奏会を行う予定だったようですが、ご存知のようにそれは果たされることなく、そのうちに前半の2楽章もいつの間にか忘れ去られる運命をたどりました。

 この忘れ去られた2楽章が復活するのは、それから43年後の1965年で、ウィーンの指揮者ヨハン・ヘルベックによって歴史的な初演が行われました。

 その当時から、この作品が何故に未完成のままで放置されたのか、様々な説が展開されてきました。

 有名なのは映画「未完成交響楽」のキャッチコピー、「わが恋の終わらざるがごとく、この曲もまた終わらざるべし」という、シューベルトの失恋に結びつける説です。
 もちろんこれは全くの作り話ですが、こんな話を作り上げてみたくなるほどにロマンティックで謎に満ちた作品です。  

 前半の2楽章があまりにも素晴らしく、さすがのシューベルトも残りの2楽章を書き得なかった、と言うのが今日の一番有力な説のようです。しかし、シューベルトに匹敵する才能があって、それでこのように主張するなら分かるのですが、凡人がこんなことを勝手に言っていいのだろうか、と、ためらいを覚えてしまいます。

 そこで、ユング君ですが、おそらく「興味」を失ったんだろうという、それこそ色気も素っ気もない説が意外と真実に近いのではないかと思っています。
 この時期の交響曲は全て習作の域を出るものではありませんでした。
 彼にとっての第1番の交響曲は、現在第8番と呼ばれる「ザ・グレイト」であったことは事実です。
 その事を考えると、未完成と呼ばれるこの交響曲は、2楽章まで書いては見たものの、自分自身が考える交響曲のスタイルから言ってあまり上手くいったとは言えず、結果、続きを書いていく興味を失ったんだろうという説にはかなり納得がいきます。

 ただ、本人が興味を失った作品でも、後世の人間にとってはかけがえのない宝物となるあたりがシューベルトの凄さではあります。
 一般的には、本人は自信満々の作品であっても、そのほとんどが歴史の藻屑と消えていく過酷な現実と照らし合わせると、いつの時代も神は不公平なものだと再確認させてくれる事実ではあります。


カラヤンとワルター

出典は不確かなのですがカラヤンは「モーツァルトとシューベルトだけはどうにも苦手だ」みたいな事を語っていたそうです。それと比べると、モーツァルトやシューベルトを得意としたワルターは、そう言うカラヤン的な存在の対極にあるのかもしれません。
もちろん、それをもって、カラヤンは駄目でワルターは偉大だ、みたいなことを言いたいのではありません。そうではなくて、なんだかこれを一つのきっかけとしてワルターという指揮者の本質が見えてくるような気がするのです。

カラヤンという指揮者は「芸術を享楽的に消費する」タイプの音楽家でした。彼にとって重要なのは評論家ではなくて聴衆でした。
世の評論家からどれほどの酷評を向けられたとしても、実際のコンサートでブラボーを叫び、録音したレコードを常に購入してくれる聴衆が存在しているならば、そんなも酷評は何ほどのこともなかったのです。
そして、こういう系譜はパガニーニやリスト以来、クラシック音楽にはなくてはならない存在でした。いつもいつも、深い精神性に満ちた音楽ばかりをウンウン言いながら聞いていては疲れてしまいます。

そして、パガニーニやリストが聴衆からの絶大なブラボーを勝ち取った原動力が超絶的なテクニックであったのに対して、カラヤンの場合はベルリンフィルとと言う超絶的なテクニックを持ったオーケストラをフルに活用して生み出す「旋律と響き」が最大の武器でした。ある人はそれを「流線型の美学」と呼びました。
そして、その美学は多くの場で大きな成功を収めました。しかしながら、どうにもこうにも相性が悪かったのがモーツァルトとシューベルトでした。豊かな響きで描き出される美しい旋律線は、ともすれば、彼らの音楽には不可欠な光と影の交錯を光一色で塗りつぶしてしまいます。それはそれで開き直って聞いてみれば面白い部分もあるのですが、さすがにまずいかなという自覚はあったと言うことなのでしょう。

それと比べると、コンサートの前に霊界のモーツァルトと交信していたと噂されたワルターは、「芸術を享楽的に消費する」タイプとは正反対の位置にある音楽家でした。
こんな書き方をするとオカルトに過ぎるのですが、彼にとってのコンサートとは霊界のモーツァルトやシューベルトから託された音楽を現実のものとして提供する場であったはずです。そこで重要なことは聴衆からのブラボーでもなければレコードの売り上げでもなく、その託された音楽をどれほど実現できたかであったはずです。

一度は引退を決意したワルターが最晩年にステレオ録音に取り組んだ理由として、レコード会社が示した破格のギャラを挙げる人もいますが、それはほんの些細な事だったはずです。渋るワルターを口説き落としのは、「ステレオ録音という新しい技術が生まれたので、このままではモノラルでしか録音されていないあなたの音楽は消え去ってしまう」という脅し文句だったと言われています。
この脅し文句は、音楽以外には全く無知だったワルターには十分すぎるほどの効果があったのです。

幸いなことに、この最晩年のワルターのリハーサル風景が録音として残されています。その中でも、モーツァルトのリンツの練習風景は有名です。
それを聞けば、彼がいかにモーツァルトの音楽の形を伝えようと腐心しているかが分かります。しかし、細かいアンサンブルや全体の響きなどに関しては全く無頓着です。それは、どうでもいいような細部のニュアンスに対して執拗に繰り返しを求めるカラヤンのリハーサルとは対照的です。
なるほど、こんな風にリハーサルをすれば、ワルターのモーツァルトやシューベルトは細部の雑さはあっても、そこからは彼が求めたモーツァルトやシューベルトの形が明確に立ち現れるはずだと納得させられます。それに対して、カラヤンのモーツァルトやシューベルトは、細部の微細な傷さえも目に使いなほどに磨き上げられているのに、結果としての音楽はモーツァルトやシューベルトのスコアを借りたカラヤンの音楽になってしまう理由も納得できます。

モーツァルトやシューベルトは傷つきやすく、コントロールしようとするとスルリとその手から逃げてしまいます。しかし、ワルターはその手の中に彼らの音楽を大いなる尊敬の念をもってすくい上げました。

カラヤンは多くの聴衆から賞賛され、同業者からは恐れられました。しかし、本当の意味で尊敬されていたのかは疑問が残ります。いや、尊敬されていなかったが故に、最晩年になってベルリンフィルとの軋轢を引き起こしてしまったのでしょう。
それに比べると、ワルターの最晩年は幸せに満ちたものでした。

外山雄三氏がご自分のサイトで、ワルターにとっても最後となったウィーンでの最後の演奏会の様子を語っておられます。

「舞台上手から微かに足音が聞えたかと思うと客席は一人残らず立ち上がって拍手を始めた。・・・名声実力共に絶頂期だったエリーザベト・シュヴァルツコプフの独唱でマーラーの歌曲3曲。日常の習慣と違ってブルーノ・ワルター(男性)が先を歩き、その数歩後からシュヴァルツコプフが、まるで侍女のように付き従って舞台に現れたのは忘れがたい光景である。・・・休憩後はマーラーの「4番」(独唱・シュヴァルツコプフ)。何も言うことなし。ヴィーンで再びブルーノ・ワルターを聴くことは無いだろうとほとんどの人たちが感じている長い長い暖かい拍手が続いた。」

カラヤンがその生涯をかけて求め続けて結局は手に入れられなかったものが、そこにはあったと言うことです。

<追記>
どうでもいいことですが、交響曲第5番 変ロ長調(コロンビア響との60年録音)というのは目立たない作品ですが、58年録音の「未完成」(ニューヨークフィルとの58年録音)よりもワルターの良さが楽しめる演奏になっているように思います。おそらく、オケの違いが大きいと思います。
コロンビア響というのは世間で言われているほど悪いオケではありませんし、録音のクオリティも非常に高いです。

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