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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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次のページ- 2014-06-23:十返舎一六九
- 緊張感漲る演奏!それでいて呼吸は自然で無理が無い。これを聞いて24番の協奏曲が立体的でスケール感のある巨大な曲に感じられた。この曲はもやもやした鈍い演奏では良さが伝わらないと思う。同じコンビの50年代の演奏も一般受けはしないだろうが嵐のような激しさがあり衝撃的。カサドシュのカデンツァはまるでショパンかリストを思わせる。
- 2014-06-22:稲葉 尚子
- 最高! 2楽章をこれだけ情感豊かに、そして自然に歌える演奏家は現代にはいないのでは?チェンバロでは不可能な歌を現代のピアノで、その原点を全く損なうことなく歌える見事さ、素晴らしいです。全楽章を通して貫いている人間の鼓動ともつながる躍動感もみごとです。
- 2014-06-22:Sammy
- 私はこの演奏を聴いて、実に立派と感じました。特に両端楽章のスケールの大きい立派さはなかなかです。骨太にくっきり堂々とずっしり踏みしめるように演奏されていて新鮮ですし聞き応えがあります。確かにユングさんの仰るように一方で作品の「弱さ」のようなものが暴かれるような面もありますが、同時にそこにはクレンペラーの鋼のような音楽づくりと、フィルハーモニア管のそこに徹する真摯さのようなものが力強く迫ってきます。第2楽章のようなしみじみ美しい部分も潔く凛として胸を打ちます。また遅いインテンポでやりきってしまっている第3楽章の停滞しつつも緻密にとぼけたような、「ワルツだからって絶対にわくわくなんてさせない」と言いたいかのような真っ直ぐひねくれた音楽のいわく言い難い魔力は、簡単に出来そうで実はなかなか実現できないものではないかと思います。演奏芸術というもののもつ魅力(クレンペラー・フィルハーモニア管が演奏しているというだけで場がそもそもかなり成り立ってしまうというような力)を改めて思った次第です。
- 2014-06-22:フランツ
- ワルターの演奏はモーツァルトに限らず確かに「名演奏」なのでしょうが、私は聴いていて正直とても疲れるのです。面白く聴かせようとしている、もしかしたらモーツァルトらしく演奏しようとしているのでしょうが、もっとストレートでいいと思うのです。これはベームやカラヤンのモーツァルトにも言えるのですが、人の手が入り過ぎているように聴こえるのです。でもこういうのを一般にはワルターの「往年の名演奏」と呼ぶのでしょうね。
- 2014-06-15:Joshua
- 虚心坦懐に聴きました。面白かったです。録音の加減もあるんでしょうが、いろいろ聞いたことのない部分が聴こえてきます。テンポも「クレンペラー=遅い」ではありません。この人がほかのオケでこの曲をやったのも聞いてみたい。もちろんフィルハーモニア、上手いですけどね。バイエルン放送とか北ドイツ放送とかコンセルトヘボウとかを振ると、別の効果が出てくるはず。この曲に「真実味」とか「哲学」を聴くのをしなければ、楽しみは広がります。
近い演奏?ケンペン指揮コンセルトヘボウ、セル指揮クリーブランド、意外に近いんじゃないでしょうか?いずれもアップしていただいてますね。60年代前後のカラヤンベルリンもドイツ風という点で似てるのでは?と思って聴いてるうちに最後まで聴けました。
指揮の最中、「社会の窓」が開いているのを指摘されたクレンペラーが言いました。「それが音楽とどう関係があるというのかね?」
この人の一途なとこが、気に入ってます。
- 2014-06-13:ariaga
- カイルベルト盤は初めて知りました。
古きよき時代の演奏ですね。
全体的におっとりとした感じで聴いて降りましたが最後ノマニフイカトはとってもいきいきした唱わせ方をしているのに感心しました。
モーツアルティアンとしてカイルベルト盤を聴かせて頂き有難うございました。
- 2014-06-13:Joshua
- メンゲルベルグは、音が悪い、と決め込んでいた私ですので、演奏に言及があったもので「新世界」、チャイコの後期3曲、バッハのアリアぐらいに絞ってたのですが、この2番や1番は、なかなか聞けるなあ、と思った次第です。
そう思って聞くと、局によっては多少のハンディがあるようですが、表現の面白さも手伝って、5番、6番、7番もなかなか聞けてしまいました。
「しり込み」=shy from はいけないですね。ワインガルトナーなんかも相当いいものがあるのでは、と思う筋もあり、開拓していこうという気になってきました。
ちなみに、yung氏自身のメンゲ録音評は、次のとおりです。親切なご案内
ありがとうございます。>>>第3番に関しては、録音時に何らかの事故があった模様で、ノイズが盛大に入り込んでいます。また、4番も冒頭部分の音質が芳しくありません。(3分程度でしょうか)また、5番・6番・8番に関しても、ドア一枚隔てて聞いているようなこもった音質なのも残念です。ちなみに、最後の第9の演奏会がナチス侵攻前の最後の演奏会となっていますから、かなりの緊迫感の中で行われた演奏会であり録音だったことはうかがわれます。>>>エロイカのページより引用させていただきました。
- 2014-06-13:nakamoto
- 私は、ケージが好きです。20世紀前衛音楽作曲家の中で、唯一成功した大作曲家だと思っています。いつの世紀にも前衛は存在し、その殆どは敗れ去っていく運命にあります。しかし無意味ではありません。そういったものを踏み台に、芸術は進化していくものです。ユング君さんのこの文章を読んで、20世紀前衛のご先祖様は、サティであったのだなと、知らされました。ドビュッシーも六人組も、サティの影響なしに考えられない存在です。サティってもしかして、音楽史的にも偉大だったのではと、本日教えられました。因みに、サティのピアノ曲、大好きです。チッコリーニについては正直最近のチッコリーニを聴いていないので、なんとも比較できません。いい感じとしか、私には言えません。
- 2014-06-09:Dr335
- 素人の私ですが私見を述べさせていただきます.ハイフェッツの録音は,近接マイクのせいか,発音の際に左手の指が指板を押さえる音が「タンタン」と乗っかって聴こえてきます.全ての音にパーカッションがユニゾンで同期しているようなもので,これがあの異様な歯切れの良さ,切れ味の秘密ではないか,と思います.そしてそれがあの(音の)「凄み」になるのではないでしょうか.どなたか高名なヴァイオリニストの方が「ハイフェッツは一つ一つの音が凄く重いので,同じ速度でパッセージを弾いても他の人より速く聴こえる」とおっしゃっていましたが,同じことのように思えます.SP録音では,その「タンタン」があまり聴こえてきません.テープ録音になり(1950年前後!!!)それが聴こえるようになってきて,ようやく「全盛期」になったのではないでしょうか.
- 2014-06-08:Guinness
- かつて良く聴いていたフルトヴェングラーの演奏を久しぶり聴かせていただきましたが、やはりフルトヴェングラーというのは楽譜の読みが深いなーっと思わされました。
そういえばほかの曲を含め随分とフルトヴェングラーの演奏を聴いてないのに気づきます。この機会にまとめて聴いてみようかと思います。
- 2014-06-06:Dr335
- 少し前にSACDとハイレゾ音源で聴き直してみて,超個性的な生々しい演奏であることに気づき,びっくりしました.何年も聴いていなく,すっかり忘れていました,昨今ではこんなふうに指揮者の考えがはっきり伝わってくる演奏は聴くことが出来ません.シューリヒトに単刀直入に「ブルックナーとはこういう音楽なのだ」と説教されているような感じの演奏です.誰もかれもが生真面目に,スコアに忠実に,自己主張は控えめに,スケール雄大に演奏するようになったのは,ヴァントと(日本では)朝比奈のせいなのかな,とも思ってしまいます.昔はこんなに尖った演奏があったんだ,という意味で,永遠に存在意義があります.ブルックナーで自己主張してなにが悪い,そんな指揮者に出て来てほしいものです.
- 2014-06-06:Sammy
- 私はかつてこの演奏に感動し、この作品に強く魅かれるようになりました。今改めて聞き直して、明瞭な力強さと弾力性、ウィーンフィルの音色の思いつめたような艶めかしさがニュアンス豊かな表情づけによって醸し出す恍惚感、クライマックスにおける高い集中力による構築感と抉りは比類ないものと感じました。作品の持つ尋常ならざる深淵をいわく言い難い哀感を湛えつつ堂々と、時に戦慄するほどの激烈さで表出した類稀な古典的名演奏と、改めて感嘆した次第です。それらをくっきりととらえた録音も今なお色褪せぬものがあります。今なお深い感動をもたらす希代の名演奏と言えるのではないでしょうか。
- 2014-06-05:オオウミガラス
- シューベルトのこんな曲を残すなんてトスカニーニは案外シューベルト好きだったのかな?
- 2014-06-05:オオウミガラス
- 田園なんかより2番のほうがフルトヴェングラーとっては演奏しやすそうですけどね。3楽章のトリオで合奏の乱れるところがライブっぽくていいですね。
- 2014-06-05:オオウミガラス
- このフーベルマンの演奏には他のバイオリニストが束になってかかってもかないません。ハイフェッツも勝負になりません。セルVPOも満点。たとえばサラチャンは明らかにこのフーベルマンに心酔していてそっくりの演奏のCDを残しています。
- 2014-06-05:オオウミガラス
- ワルターの1949年のこの第九では確かフィナーレが不出来であったためフィナーレのみ1953年に再録音されたはずです。この演奏で聴くかぎりはフィナーレに特に難はありません。これはフィナーレだけ1953年の再録音なのでしょうか。それとも1949年のオリジナルなのでしょうか。どなたかお分かりの方がいらっしゃったらぜひお教えください。
- 2014-06-05:オオウミガラス
- アメリカのNYPをよくここまで手なずけたものですね。アメリカのオケからこのような響きがするとは驚きです。ワルターのこの曲ではVPOのライブが評判ですが私はこのNYPの方が上出来だとおもっています。
- 2014-06-04:オオウミガラス
- この曲では変化球のような味わいです。フランス調のモーツアルトもいいなあ。
- 2014-06-04:オオウミガラス
- シューベルトの演奏にしては堅苦しいですがそれでも聴けてしまうのはVPOの魅力です。この時代のVPOにはまだ往年の香りがのこっていましたね。
- 2014-06-04:Sherlock
- 今は大のブルックナー・ファンですが,聴き始めた頃は長いばかりで無表情な音楽というイメージしか持てませんでしたが,その魅力に気づかせてくれたのがこの演奏でした。これは名盤ですね。何せ音が生きてますもん。Yungさんがおっしゃる「怖い」というのはそういうところじゃないですかね。上手い下手ではなく,音が心に訴える力が強いんですよ。聴くたびに吸い込まれそうになります。少し粗い部分も含めて,当時のウィーン・フィルが持っている特性が十分生かされた演奏だと思いますね。楽団側も相当共感しているのが感じられます。本当にすごい。ブルックナーという作曲家の作品をもっと聴きたいと思わせるに十分でした。
ただ,いろいろな演奏を聴いた後に改めて聴いてみると,多くの方が指摘されているように,演奏解釈としてはどうなんでしょうかね。第3楽章なんかいくらなんでも速すぎますもんね。きっと本来曲が求めている速度じゃないですよね。他にも疑問に思うところはありますね。ですから,ブルックナーの9番を聴きたいというよりも,この演奏を聴きたいという時に聴くものかもしれませんね。好き嫌いが出るのはわかります。
名演とは何かを定義付けたときに,「楽譜を忠実に再現した演奏」というのであれば,ちょっと違うのかもしれません。しかし「心に何かを訴える演奏」というのであれば,これは間違いなく名演です。この演奏を愛する人は,某評論家に煽られてそうなったわけではないと思いますよ。実際に生きた力を感じているのです。そしてそういう力を持った演奏は少ないのです。偏見なしに聴かないともったいない,非常な価値を持った演奏だと思いますね。
ブルックナーの第9の標準的な演奏ではないかもしれませんが,演奏史に残る名盤として聴き継がれてほしいものです。
- 2014-06-03:オオウミガラス
- この曲ではこの演奏がベストです。みんなわからないのかな。ワルターではBBCのもこれに次いでいいです。NYPはワルターの時代が最もかがやいていたとおもいませんか。
- 2014-06-03:オオウミガラス
- ワインガルトナーは第九が有名ですが聴いてみるとVPOの録音は全ていい。この1番のような名演が忘れられてはもったいない。
- 2014-06-03:オオウミガラス
- ホッターはなかなかいいがちょっと張り切りすぎ。クレンペラーは大管弦楽をまとめるのがうまいですね。
- 2014-06-03:ムラファン
- フルトヴェングラーのブラームス1番といえば、私はベルリン・フィルとの1952年2月10日の演奏が真っ先に頭に浮かびます。激烈な感情で圧倒的な感動を聴き手に与えるその演奏はさすがフルヴェンという感じです。
対して、この北西ドイツ放送響との演奏は、録音のドライな感じ(盤の問題?)とも相俟って、少し不完全燃焼という感じがしないでもないです。何かフルトヴェングラーにしては堅いような…。
特に第4楽章は、先のベルリン・フィルとの演奏や大戦末期1945年の極限状態でのベルリン・フィルとの演奏(第4楽章しか残っていない!)を聴くと、贅沢ではありますが、物足りなさを覚えてしまいます。
彼の戦時中のブラームス1番の全曲録音が残っていたらというのは、やっぱり無い物ねだりですよね(^^;)
- 2014-06-01:ダボハゼ
- この曲の定番としてすぐに挙げられる演奏ですが、私はこの演奏の解釈には違和感を覚える向きです。なぜこの演奏が神格化されるのか?
それはある評論家の狂信的な推しが何十年にも渡って罷り通ってる風潮にあると思ってます。なんなんでしょうね、この宗教じみた気持ち悪い同調は・・・
某クラシック雑誌企画の『名盤うんたらかんたら』で必ず挙げられるわけですが、失笑しか出てきません。
演奏はあまりにもスッカスカな内容で重厚さには欠けるブルックナーらしからぬ解釈、シューリヒトはブルックナー指揮者としては二流と言わざるをえない人だと思います。
この指揮者はブラームスには滋味溢れる演奏を繰り広げますがブルックナーに関してはあまり体質には合ってないんじゃないでしょうか?
ユングさんがこの演奏を取り上げたのはまぁ”名盤”という括りで縛られたこの演奏を紹介せざるをえない環境もあったのかと思います。
でもこの演奏を支持する多数派もいるわけですから、あまりやいのやいの主張するのも下品かと思いますのでここでお終いにしようと思います。
ただ、この演奏を盲目的に支持するクラシック・ファンは現在そこまでいない事も現実として受け止めて頂きたくあえて悪者になってみました。
悪筆で申し訳ありません。
- 2014-06-01:原 響平
- カラヤンのシベリウスの4盤は、1953年の当録音と、1965年と1976年の3回録音をしているが、代表盤は、間違いなく1965年録音のベルリン・フィルとの演奏になる。物凄い緊張感と、熱気溢れた金管の響き、そして瑞瑞しくて透明感のある弦楽器の音色は、当時のベルリンフィルの技術力の高さを世に知らしめた演奏で、この演奏を凌ぐ録音は、多分、今後出てこない。1960年台後半のカラヤンの演奏スタイルは、フィルハーモニア管時代の演奏スタイル・解釈をより進化させた演奏が多く、この演奏もまさしくそれに当てはまる。カラヤンの演奏が好き、嫌いは別にしても、万人が認める名演とは、このような演奏を言う。私は、どうしても、緊張感の有る演奏スタイルを好み、それをオーケストラに常に求める最右翼の指揮者のセルやライナーを好んで聴くが、緊張感とは無縁の、聴くもの全てに気持ちのよい音色を与えることに徹していた当時のカラヤンが、それを結実させたとは少々驚きで、この演奏はカラヤンの名を永遠に残す録音となった。
- 2014-05-24:ポッキー
- いつも楽しく拝見させていただいております。今回も素敵な演奏をご紹介いただき、さっそく一聴し、しみじみと伝わってくるものを温めています。
指揮のテクニックや音の組立てに終わることなく、指揮者の曲への真摯な思いや楽団員との共感といったアナログな要素が微妙にそして人間臭さが洗い流されて伝わってきます。普段はカラヤンやマゼールなどを愛聴し、音の構造を主に楽しんでいますが、ケンペは違った脳の部分で聴くといいのだと、いま独り合点しています。指揮者として一流、二流といった評価など気に止めない限られた人びとにとって、ケンペという指揮者は掛け替えのないスペシャルな存在なのかもしれませんね。
あと、ケンペとベルリンフィルで56年モノラルのほかに60年録音もあったのですね。
- 2014-05-24:htam
- 1楽章から常ならない緊張感にあふれ、3楽章では聞くものを震え上がらせる。それでいて終楽章はあっさりと、しかし心に残る表現で。素晴らしい演奏だと思います。
ところで4,5番は既にパブリックドメインなのでしょうか?
是非そちらも聞いてみたいです。
- 2014-05-20:Dr335
- よくぞおっしゃって下さいました.もやもやがすっきりしました.ケンペやカイルベルト,ライトナーなど,際立った個性を感じさせないけれど,専門筋にはそれなりに評価されている,いわゆる正統派の指揮者たち...きっと,自分は日本というクラシックの「辺境」の素人リスナーだから,味付けの濃い演奏にしか反応できないのだろうな,と思っていました.そしてクラシックの需要の多い本場では,三ツ星レストランばかりではなくて,こういうふだん普通に美味しい,街の定食屋のような演奏も必要なんだろう,と勝手に思っていました.そして,それはそれなりに存在意義があると.しかし,ドイツでも他のヨーロッパ諸国でも,クラシック自体が「主食」ではなく「珍味」になってしまった今では,いったいどうなのでしょうか.
- 2014-05-20:Joshua
- まさに、SP盤とヴァイオリンの相性の良さです。SP初期から70年代に至るまでの長期間、ハイフェッツほど小品を録り続けたヴァイオリニストも珍しいんじゃないでしょうか。エルマンやミルシュタインやフランチェスカッティもよく聴きましたが、このユモレスクやBMGの小品集CDを聴いていると、録音史をたどりながら、1ヴァイオリニストの「ライフ」が感じられます。ウィルへルミ編曲のSchubertアヴェマリアなど、少年期のものと壮年期・熟年期のものがほぼ変わらない。感銘度も変わらない。けっしてその場しのぎの虚仮威しではない、完成品のあじわいがあります。現役では、パールマンや千住真理子がこんな感じに近いと思ってるんですが、セールスとは別枠で、小品録音が残っていってほしいものです。
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[2025-09-14]

フランク:天使の糧(Franck:Panis Angelicus)
ルネ・レイボヴィッツ指揮 ロンドン新交響楽団 1961年録音(Rene Leibowitz:New Symphony Orchestra Of London Recorded 1961)
[2025-09-12]

ベートーベン:交響曲第3番 変ホ長調 作品55「英雄」(Beethoven:Symphony No.3 in E flat major , Op.55 "Eroica")
ジョルジュ・ジョルジェスク指揮 ブカレスト・ジョルジェ・エネスク・フィルハーモニー管弦楽団 1961年3月録音(George Georgescu:Bucharest George Enescu Philharmonic Orchestra Recorded on March, 1961)
[2025-09-10]

ブラームス:弦楽四重奏曲 第1番 ハ短調(Brahms:String Quartet No.1 in C minor, Op.51 No.1)
アマデウス弦楽四重奏団 1951年録音(Amadeus String Quartet:Recorde in 1951)
[2025-09-08]

フォーレ:夜想曲第2番 ロ長調 作品33-2(Faure:Nocturne No.2 in B major, Op.33 No.2)
(P)エリック・ハイドシェック:1960年10月21~22日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n October 21-22, 1960)
[2025-09-06]

バッハ:小フーガ ト短調 BWV.578(Bach:Fugue in G minor, BWV 578)
(Organ)マリー=クレール・アラン:1959年11月2日~4日録音(Marie-Claire Alain:Recorded November 2-4, 1959)
[2025-09-04]

レスピーギ:ローマの噴水(Respighi:Fontane Di Roma)
ジョン・バルビローリ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団 1939年1月21日録音(John Barbirolli:Philharmonic-Symphony Of New York Recorded on January 21, 1939)
[2025-09-01]

フォーレ:夜想曲第1番 変ホ短調 作品33-1(Faure:Nocturne No.1 in E-flat minor, Op.33 No.1)
(P)エリック・ハイドシェック:1960年10月21~22日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n October 21-22, 1960)
[2025-08-30]

ベートーベン:交響曲第2番 ニ長調 作品36(Beethoven:Symphony No.2 in D major ,Op.36)
ジョルジュ・ジョルジェスク指揮 ブカレスト・ジョルジェ・エネスク・フィルハーモニー管弦楽団 1961年4月20日録音(George Georgescu:Bucharest George Enescu Philharmonic Orchestra Recorded on April 20, 1961)
[2025-08-28]

ラヴェル:舞踏詩「ラ・ヴァルス」(Ravel:La valse)
ルネ・レイボヴィッツ指揮 パリ・コンセール・サンフォニーク協会管弦楽団 1960年録音(Rene Leibowitz:Orcheste de la Societe des Concerts du Conservatoire Recorded on 1960)
[2025-08-26]

フランク:交響詩「呪われた狩人」(Franck:Le Chasseur maudit)
アルトゥール・ロジンスキー指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団 1954年6月27~7月11日録音(Artur Rodzinski:Wiener Staatsoper Orchester Recorded on June 27-July 11, 1954)