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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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次のページ- 2014-05-04:原 響平
- この演奏はカペルを聴くのではなく、ライナーのラフマニノフを聴く事になる。ライナーは、作曲者の心、感情を余すことなく表現し、しかも,細やかなオーケストラコントロールによりこの曲を演奏している。特に顕著なのがバイオリンの処理で、ラフマニノフ特有の甘美なバイオリンの音色を、過度にならない程度に制御して、この演奏を仕上げている。踏み込んで欲しい音色、そして音の強弱も、まさに神業に近いものがこの演奏にはある。聴く者の心のヒダを動かす演奏に出会うことが昨今非常に少ないが、これは本当に感動的な演奏である。尚、この演奏の後にライナーは、ルービンシュタインとの演奏を再録音しているが、こちらはステレオ録音、そして巨匠ルービンシュタインとの共演ということも有り、更に優れた演奏となっている。
- 2014-05-03:カンソウ人
- ユング様の感覚とカンソウ人は異なるのですが…
マウツジンスキ(マルクジンスキーと呼ばれていた頃もあったけれど)さんは、ショパンコンクールのかなりの上位入賞者だったのでは。
アカデミックな世界では成功者であっても、ポーランドでのショパンに飽き足らずフランスで学ぶのですね。
スラブ系だったけれど、フランス人の如く思われる、ペルルミュテールのように。
東欧の原色系の音色よりも、より西欧系に変身して、西側に染まり聴いて分かり易いピアニストになり音楽で勝負するタイプになる。
軽いと言うのは、ホロヴィッツやカペルと比べての話であって、同様にギレリスやベルマンやリヒテルなどの超絶技巧持ち主とは違う。
この5人は人の世に出るのに、そもそも消耗するコンクールなんかを必要としない。
ショパンコンクールの上位者でも、ヨッフェやシェバノワは柔軟で西側にも人生の早い段階で出れたのでモデルチェンジも出来ている。
アシュケナージもそう。
変わり身が早い。
ジメルマンは哲学者の様な男なので異なるし、ポゴレリチはこの世の人ではない魔界の出身なので、2人とも西も東も無い。
東側の俊英で、西側で学び鍛え直した人 マウツジンスキ。
その音楽に安心感を感じるのは理解できます。
しかし、軽い音楽でサロン的と言えるほど、20歳代半ばでの音楽的モデルチェンジは簡単な事と思えません。
21世紀になって、聴く価値を感じる音楽には、こうだからこうと言う一つの公式は無い様に自分は感じます。
「バラード4番の終結部分の2分間」特に、両手の激しいアルペジオが終わった後の余りに静かなコラール風の部分。
個人的と言うよりも、民族としての悲しみを表現されてしまっている。
敢えて言えば、民族の殲滅の様な恐ろしい概念が、刻印されている。
ユダヤ人に限りません。
私たち日本人も、画策されたし差別されたけれど・・・。
現代の作曲家ペンデレツキーの弦楽合奏のためのトーンクラスターを使用されたあの楽曲を思い出して下さい。
個人的な死よりも、おそらくは深く苦しいだろう、そんな意味。
ナショナリズムやイデオロギーの世界が終りかけていて、別の価値観を求めている私たちに何かを与えてくれる時間芸術。
意図されずに、意味を持ってしまった音楽の録音。
そういう音楽が聴きたいという欲求があります。
バッハの音楽には、どのようなスタイルで演奏されようとも、持つ可能性を高く持っているように感じます。
- 2014-05-03:Guinness
- たぶん聴かせていただいたのは2回目だと思いますが、今回も実に良い演奏だと思いました。
正統的?と言われる低音ゴリゴリの演奏に比べ華美過ぎる印象も受けますが、これはこれとして素晴らしい演奏芸術だと思います。
若しベートーヴェンがこの演奏聴いたらどうか?新たな響きに喜ぶしまた創作意欲も湧いたのではないかな?と勝手に想像いたしました。
- 2014-04-29:Hide
- 40年程前にLPを購入して、一緒に入っていた第12番とともに第16番の歴史的名演と思っていたのですが、ディジタル化することによって魂が抜かれたように感じられます。この演奏が圧巻だったのは第二楽章中間部で低弦が同一モティーフを執拗に繰り返し続ける上に、ブッシュが明るさを通り越して狂気さえ感じさせるヴァイオリンを聴かせた後に、第三楽章に入って清らかさ極まりない音楽が溢れるように流れるところにありました。一般に低く評価されていますが他の曲で聴いたことのない作曲法です。CDに変わりアルバンベルクやズスケ等々の演奏を聴いても、エレガントすぎて、あの狂気は表現できないのかと思っていたのですが、今聴いてみると優れた演奏ではあるものの往年の感銘が得られないのは残念です。
- 2014-04-29:すーさん
- ショパンに対する偏見から解放されたような、そんな演奏が聴けてよかったです。
線の細いショパンの曲をロマンティックに演奏するものばかり聴いて、あまりショパンに対するイメージは良くなかったんですが、この演奏からは男らしいショパンの素顔を見ることが出来た様な気がしました。ありがとうございました。
これからは、少しずつショパンの曲にもチャレンジしていけそうです。
- 2014-04-20:原 響平
- このメンゲルベルクのベートーベンは感動的な演奏で、録音は、1940年と高音質を望むべくもないが、それを差し引いても、この緊張感のある演奏は不滅の名演である。特に、第2次世界大戦という時代背景が大きく寄与していて、本来であれば、もう少しメンゲルベルク特有のポルタメントを多用してもよさそうな気がするが、この演奏には甘い音色はどこにもなく、血湧き肉踊る演奏を貫き通す姿勢は、これもメンゲルベルクのベートーベンに対自する姿勢の一端を見たような気がする。蛇足であるが、この演奏をスタイルを昇華した演奏は1942年の交響曲第3番英雄で最終的に結実する。この英雄も不滅の名演である。尚、メンゲルベルクの第9は、1938年のライブ演奏も残されており、同様な演奏スタイルで感動もの。
- 2014-04-20:JOSHUA
- 第2楽章の深々とした響きに聞き入りました。シェルへン、というと晩年のルガーノ放送響とのベートーヴェン全集で注目しだしたんですが、50年代にすでに、つまり壮年期に(マーラーは勿論のこと)ハイドンの名演をのこしてくれていたんですね。
ここでのシェルヘンは、「速度」というものを感じさせないほど、ゆっくりと、しみじみと聞かせてくれます。幾多の「名曲」「名演奏」に触れた後、ここにも人知れず「いい音楽」があるんだ、と実感します。同じことを、シェルヘンは88番「V字」でもやってくれています。こちらの曲は、かつてアーベントロート(訳すと、夕映え)が指揮するライプチィヒ放送響を聴き、感心したものですが、それ以上の感銘を受けました。小生のような、無能非才な人間でも、このような音楽体験をすると、今という時間に生きていることが、たいへんありがたく思えてきます。まだまだ、このような発見に出会えそうな気がしています。また見つけたら、寄稿させていただきます。
- 2014-04-20:ムラファン
- 厳しく、冷たく、ひたすらに痛ましい。全てを打ち砕かれ、まさに息絶えようとする英雄のような終楽章。
最後の消えるような、しかし毅然とした音は英雄の心臓の鼓動のよう。
甘さを極力廃した、厳しい演奏。でも、素晴らしいのは「ムラヴィンスキーという男の信念」がつまっているからだと思う。
- 2014-04-16:ヨシ様
- 演奏やアンサンブル等は確かに古いスタイルですが古典的な名演だと思います。
クリュイタンス最初で最後の来日を偲ばせる当時の響きですね。
洗練され過ぎている昨今のオケより好きです。
- 2014-04-13:カンソウ人
- ピアニスト、カペルは本当に凄いと思います。
ピアノの技術だけで、ここまで突き詰められていれば、誰だって脱帽です。
編集の効かないこの時代にこの演奏をされれば、文句のつけようはありません。
小難しい事や小賢しい事を言う奴は、60年経っても越えられない世界をどのように思うのでしょうか。
西洋音楽史で60年と言えば、技術だけでも相当な進歩があります。
プロコフィエフの3番のコンチェルトなんか、カペルの演奏は本当に凄いですよ。
高い所と低い所の和音を交互に鳴らすあの一楽章の所。
チャン、ドン、チャン、ドン、チャン、ドン、チャン チャチャチャン・・・♪
ホロヴィッツの事ばかり書かないで、シモン・バーラーの事も書いて欲しい。
芸人、それも落語家や浪曲師のように語るのではなくて、曲芸です。あの演奏はシフラよりも、危険水域へ飛び込んでいく潔さが勝る。
それを言わないと、言葉では表現できない何かを完成させようと切磋琢磨した、カペルの業績が評価されないです。
ショパンの3番のソナタ、ベートーベンの32番のソナタ。
楽譜をきちんと弾いた人類はいないと私は思っています。
良い演奏はたくさんあるけれど、まして、音楽と技術を両立している人など・・・。
カツァリスのショパンやシュヌアーのベートーベンなんか、割と良い線まで行っていると感じます。
どのように努力しても完成(到達)出来ない物に対して、憧れ恋い焦がれる心。
それを、ロマン主義と言うのではないでしょうか?
コルトーのショパンなんかは、技術的には現在評価出来ませんが、憧れ恋い焦がれる人の感情を表現し尽くしている。
カぺルは別方向からのアプローチですよね。
先人たちの仕事を評価しつつ、自らの音楽を作り出す作業。完成度の低さにめげる事無く、自分の出来る事を極める。
ある種の極限の記録は、時空を超えて胸を打ち続けます。
- 2014-04-11:魚八本店
- いつも楽しくクラシック音楽を聞かせて頂きありがとうございます。
作曲家の歴史や音楽に関するコメントを楽しく読ませて頂いております。
ことクラッシク音楽については、当方は素人ではございますがクラシック音楽の重厚感や音の厚みがとても好きで、これからもサイトを続けて行ってください。応援しています。
厚かましいこと意見で申し訳ないのですが、料理と演奏とは似ているような気がします。わかる人にはわかりますが、わからない人には一生わかりません。当方もクラッシク音楽のもつ精神性などがわかれば良いのですが残念ながらそこまでには及びません。受け取る側がおいしければ商売として成り立ちますが、昨今はコンビニレストランとレトルト食品の普及によって、味のわかる方が少なくなりました。
けっしてそういったものが不味いと言っているのではなく、それなりに食べれるものが多く、手間をかけて作ったものの味や本来の味に疎くなっているような気がします。これからもサイトを楽しみにしていますので応援しています。
- 2014-04-06:藤田伊織
- 私のページを紹介して下さりありがとうございます。ゴールドベルク変奏曲についても「知の音楽」というページでいろいろ書いたり、midiやmp3でお聴きできるようにしたりしています。そのなかで、グールドが、バッハ作曲・グールド演奏という一つの作品を創造しようとしたのではないか、というようなことを書きました。「ですから、ここで鳴り響いているのはバッハの音楽ではなく、バッハの楽譜を素材として再創造したグールドの音楽です。」に、まったく同感です。
さて、最近ドイツの音楽ミステリー「バッハ 死のカンタータ」セバスティアン・クナウアー著を翻訳出版しました。ついでに、その小説に出てくる「イタリア協奏曲第2番」を作りました。
http://www.geocities.jp/imyfujita/italianconcerto2/index.html
ここに音源と楽譜があります。
- 2014-04-06:原 響平
- 数ある名演奏の内で、特に玄人好みの演奏が、このライナーの演奏だ。カラヤンの様な煌めくような響きは何処にもないが、一音一音に確かな意味を与えて音楽を完成させていく様は、まさしく巨匠のなせる技である。音楽の喜びは、文学や絵画を見た時の感動以上に、作曲家、演奏者、そして聴くものを深く結びつける。ライナーの潔癖症は、作曲家のイメージした曲を忠実に再現するためには、どうしても必要な条件であったに違いないが、それはこの演奏にも深く浸透している。時には冷血漢呼ばわりされても、物怖じしない、作品に対自するその姿勢は、セル、クナッパーツブッシュ、シューリヒトと同じ遺伝子を感じるが、オーケストラコントロールではライナーがその中でも最右翼に君臨する。特にティンパニーの処理、そしてトランペットの強奏する姿は、あたかも目の前で演奏しているかの様な・・・・シカゴ交響楽団は本当に上手い。
- 2014-03-26:nakamoto
- 吉田秀和がベートーヴェン交響曲全集のイチオシとして、セル・クリーヴランドを挙げていました。ベートーヴェンの交響曲自体、私は回数をあまり聴きません。大切な存在故です。年にせいぜい1回か2回づつぐらいです。だから、セルについてもそんなに何回も聴いていないのですが。正直な感想を言いますと。フルトヴェングラーは、深い深い楽園へ連れて行ってくれます。ベームは天上の世界へ連れて行ってくれます。セルは、生身の生きているベートーヴェンに合わせてくれます。ベートーヴェンの偉大で完璧な力動感と構成力とを、私に示してくれます。このエロイカなんかは、曲の素晴らしさに巻き込まれて、次々と素晴らしい楽想が、私に体当りしてきてくれます。もし誰かクラシック音楽をあまり知らない人に、ベートーヴェンとは?と聞かれたら、セルとクリーヴランドの交響曲全集を聴きなさい!と言うでしょう。これほどベートヴェン自体の素晴らしさを、伝えてくれる録音は無いと思っています。
- 2014-03-25:yk
- いい演奏ですね。私も今まで聞き逃してきた演奏でした。23番は小林秀雄が引用して有名になったアンリ・ゲオンがその著作の中でも詳しく取り上げたピアノ協奏曲の秀作ですが、意外にいい(私好みの)演奏と言うのが少ない。私が今まで好んで聞いてきたのはハスキルの演奏でしたが、いかんせん録音がいけませんでした。ケンプのこの演奏は久しぶりにモーツアルトを堪能させてくれた演奏でした。・・・・・それにしても、ケンプはベートーヴェン・・と言うような先入観はまったく宜しくありませんね、反省反省反省・・・。
- 2014-03-22:カンソウ人
- この曲集は本当に難物で簡単には楽しむ形にはなりませんでした。
オープンスコアは読みこなすのも大変で、ギブアップした思い出あります。
パブリックドメインの楽譜の中に、チェルニーの校訂した物を発見して驚きました。
フーガの技法はまだ良い方で、音楽の捧げ物は、元の楽譜をリアリゼーションする力はとてもとても・・・。
中学生の頃、カールリステンパルトのレコードを安く買って、例の友達たちと回し聴き。この曲集が聴く人に何者か愉悦を与えてくれる音楽であると感じました。
3年前に輸入盤で見つけて聴き直しました。
ユーチューブでスウィングルシンガーズでコントラプンクトス9を聴いて本当に驚きました。楽しいのです。
ジャズのリズムに乗って、オクターブの飛躍から始まるテーマでフーガが軽快に開始されます。途中から、2倍に引き伸ばされた本来のテーマが出て来ます。
ジャズになっていても、バッハはバッハです。しかも、初演時のマタイ受難曲辺りのコーラスはあんな感じだったかも・・・少人数という意味で。
グールドの演奏にも、入っている曲ですね。
フーガの技法の演奏は、ピアノでもチェンバロでも弦楽四重奏でも金管合奏でもオーケストラでも可能です。古楽寄りのスタイルでも、現代的であっても、問題は無いと思います。
最も個性的な演奏は、シェルヘンやルーカス・フォスだと感じていました。
気付くと、自分の持っているCDに高橋悠治のシンセサイザーの物がありました。
音像が左右に走り回り、クルクルと回りながらフェイドアウトしたり、表現は本質的に自由ですね。
ここまでやっても、バッハの音楽は彼の物である事をやめません。しかも、高橋の演奏は、意外なほど四声体がしっかりと聞き取れます。
構造が大切にされているのだと思います。
興味は音色では無く構造。
作曲家にかなり近づいた視点から演奏したピアニストと作曲家でありながら別格にピアノの上手な人。
両者は近い所に居ると思います。
- 2014-03-19:sandayu
- ユングさん、ありがとうございます。
このサイトのおかげで中年になりクラシックに目覚めました。
フルトヴェングラーの「英雄」すばらしい演奏でした。録音も1952年とは思えない良さで、気持ちよく聴くことが出来ました。
ステレオ録音以前は音が悪いという先入観で、これまであまり聴いてきませんでしたが、考えを改めなければならないようです。ありがとうございます。
これからもずっと聴かせていただきますのでよろしくお願い申し上げます。
- 2014-03-16:Joshua
- 晴れた風のない日の窓を開けてYUNGさんのページを閲覧する日曜の朝、なんとしあわせなことでしょう。そして、聞きなれた「名曲」よりも、ちょっと人が知らないハイドンの105曲のなかからつまみ聴きする贅沢感。これだけのものを残してもらったヨーロッパ文化は、モーツァルトやベートーヴェンはもとより、着想の宝庫。
- 2014-03-12:nakamoto
- えーっメンゲルベルクも知らないの!!と言われそうです。私がクラシック音楽を聴き始めたのは、1977年3月2日ですから、もう37年になる事になります。その間、通学通勤の行き帰り、寝る前のわずかな時間を利用して、徹底的にクラシック音楽を聴き続けてきましたが、興味が作曲家と楽曲にあった為もあって、今日この日まで、こんな大指揮者を知らなかったなんて、少し恥ずかしい気がします。しかし音楽関係者の知人友人はいても、ユング君さんのような、精通した人物に出会わなかったので、仕方ないとも思います。1871年生まれという事は、凄いことで。このマーラーなんか、今の指揮者には真似のできない・・・言葉になりません。ピリオド楽器ならぬ、ピリオド演奏です。
- 2014-03-09:すーさん
- グールドワールド全開、大好きです。
彼のピアノを聴いているとなぜか、モーツァルトの顔がダブって見えることがよくあります。上手く言葉では表現できないのですが、理解してもらえない孤独感のようなものを、音色から感じるときがあり、モーツァルトやグールドが愛おしいです。
少し疲れ気味だった今日この頃、グールドの音色に癒され、またがんばる元気をもらえました。
- 2014-03-05:セル好き
- 私もこの録音は、よく聴きますが、とても心の安定が得られます。
地味すぎると思われる方は、カレファクス・リード・クインテットのものが良いかもしれません。Ob.Cl.ASx.Fg.BCl.という編成です。
ところで、高音と低音を一人の奏者が同時に鳴らすとこれだけずれる(低音が遅れる)のも興味深いところですね。
- 2014-03-03:フランツ
- 「英雄」に接したくなりこの演奏を聴いてみました。クレンペラーは率直に客観的に淡々と演奏しているように聴こえます。決して「重厚」「ドイツ風」とは聴こえません。何か彼についてそういう記述が多いですが実際はそうでもありません。遅めのテンポも慣れると違和感がありませんし。木管がメロディーを演奏するときもくっきりと主旋律を吹き、全体の響きがごちゃごちゃにならないのは好感をもちます。適度に風通しがよいと言えるのでしょうか。クレンペラーがそういうところに細心をはらったのでしょう。フィルハーモニー管弦楽団はもともと録音専用らしいですが、そのせいかバランスがよく、オーソドックスな響きのように思います。
- 2014-03-02:nakamoto
- この演奏も本当に楽しく、そして深いです。バッハの晩年のフーガの技法と音楽の捧げものは、とっつきにくいとよく言われていますが、私の場合、初めからすーっと入ってきて、なんとも良い心地にしてくれる、しかし文句なく深い音楽で、確かに最高の名曲のひとつだと思っています。バッハの場合、グールドでなくても充分楽しめる音楽なのですが、やはりグールドは素晴らしいです。グールドは正統派でないということも良く聴く文句ですが、私にはわかりません。バッハは多分グールドのような、主観的な演奏を自作品にしていたと、推測しているのですが・・・、多分そうだったと思っています。
- 2014-03-01:nakamoto
- ドヴォルジャークはセルに限ります、私の場合。アバウトに東欧人として、セルを捉えています。私は偏見と知りつつどこかで血筋にこだわっています。セルはチェコの人ではありませんが、でもピタリ嵌まっています。特に8番は作品としても最良ですし、セルの他の録音は聴いたことがありませんが、この録音で大満足しています。私は、イタリア、ドイツ、フランスが三大音楽大国と思っていますがしかし、セルのお蔭で、東欧という一括りは、これも音楽大国であることを、認識させられました。セルの東欧物は兎に角最高です。
- 2014-02-28:emanon
- 1928年の録音にしては、ノイズも少なく良い音である。
演奏は、さすがメンゲルベルクとコンセルトヘボウの名コンビだけあって緩急自在、情緒纏綿たる趣きが素晴らしい。面白いのは第4楽章で、展開部の後半がバッサリカットされ、コーダのクライマックスにシンバルの一撃を入れている。これは朝比奈隆氏の著書によるとメンゲルベルクが元祖だそうだ。
- 2014-02-28:emanon
- セルのドヴォルザーク「8番」というと、中学生の時以来、1970年録音のLPを愛聴してきた。第3楽章など、何度聴いたかわからない。
それが最近になって輸入盤で1958年録音のCDを入手して、演奏の活気とみずみずしさにすっかり惹かれてしまった。そのため、今では断然1958年盤を聴くことが多くなっている。蛇足だが、この演奏では、第3楽章の最初の旋律を楽譜通りフォルテで始めている(1970年盤ではメゾピアノくらいに聞こえる)。
- 2014-02-28:セル好き
- ボレロはクリュイタンス・パリ音楽院管弦楽団が一番というファンは多いようです。知人にもその一人がいて、私もCDで買ってみましたが、愛聴盤のミュンシュ・パリ管にくらべるとどうも雑な感じがして、しばらく聴いていませんでした。改めて聴いてみると楽器が増えるにつれて聴くに耐えなくなり、最後の2・3分はもう....(その辺MP3はちょっとマイルドに聞こえます)。
最近、同じパリでもバスチーユの方はミュンフンがぴしっとアンサンブルを決めているようなので機会があればそっちの方も聴いてみたいかな。
- 2014-02-28:フランツ
- クラシック素人ですが、カラヤンとフルトヴェングラーずいぶん違う演奏ですね。フルトヴェングラーでもいろいろですし。18世紀は指揮者なしの合奏で交響曲も演奏されたようなので、当時は解釈とかはあまりなく、カラヤンに近い演奏だったんですか。現代はいろいろ録音も聴けますがが「正しい演奏」というのがあるのでしょうか。いつも疑問に思ってしまいます。
- 2014-02-28:Joshua
- 私的には、第5番イ短調、第6番ト短調、の2曲に尽きます。
悪魔的で目の覚めるようなフィンガーリングの5番
トレモロの神秘感に聞きほれる6番、
いずれも、パールマンの演奏でノックアウトされました。
5番のほうは、ミルシュタインが小曲集で若干デフォルメして弾いてますが、上手いものの圧倒感はない。
さて、「リッチもパールマンもほかの曲を弾くとさほど凄味がない」のはどうしたことでしょうか?
果たして、譜面通りに弾くのは不可能なのでは?と思ってしまうのです。この両者ははったり?ハイフェッツが誠実に弾けないと思ったのかも?謎の広がる作品です。
女性の弾くカプリースは五島みどり、神尾真由子、・・・結構いますね。上手いんだけどな・・・ちゃんと弾きすぎてるのかな・・・ドキドキしないのは私だけでしょうか。夢は実現されると夢でなくなるように、鬼神的ヴィルトゥーゾは演奏家人生のある一時期の通過点とすると、完成をめざす芸術家は録音すべき作品ではないのかも知れません。勝手な意見ですみません。
- 2014-02-27:カンソウ人
- グールドのバッハ平均律が、素敵なサイトであるここにアップされた。
何か書きたくてウズウズする。
積極的に日本に紹介してくれたのは、吉田秀和だった。
ゴールトベルク変奏曲は、彼の知人に何枚もレコードを贈ったらしい。
平均律は、一期一会という「最大の賛辞」だった。
20歳代に買ったレコードには、彼の言葉がそこだけ、帯に大きく書かれていた。
しかし、この国のピアノ教育の世界では、彼のやり方まだ異端であった。
その空気の中、大御所評論家の賛辞は、グールドだけに向けられた物ではない。
そう思った。
彼とバッハ、双方に向けられたのだと信じている。
最も好きな西洋音楽の作曲家は、バッハだったし、今もそうだ。
特に、2声と3声のインヴェンションの録音が無かったら・・・。
自分はピアノを触らなかっただろう。
インヴェンションは音楽的には凝縮し過ぎであり、そこが平均律とは異なる。
人前で弾くには、平均律の方が易しいかも知れない。
そこを乗り越えた物を、感じませんか?
だけど・・・。
平均律の録音は素晴らしい(間違いなく)が、失敗だったとも言える。
再録音したかったのでは・・・。
だって、散漫な印象を持ってしまう。
如何にグールドでも、情報量が多くて、全体を見通す事が難しいのだろう。
48曲を通して眺める時に、フーガが寂しい。
一巻。
嬰ハ短調、テンポが上ずっていて、宗教色が薄い。
オルゲンプンクトの上で、感動的な恍惚感に浸りたい。
変ホ短調、素晴らしいけれども、音量の変化でクライマックスを築き切れていない。
大きなフォルテが欲しいわけじゃない。
二巻。
この24曲は、いったい何という曲集なのだろう。
作曲したバッハっていう男は、何と言う奴なのだろう。
才能だけでは足りない物を込めやがった。
ホ長調、速すぎて良さが味わい切れない。
この曲の素晴らしさが、録音時点では若過ぎて、理解できなかったのではないか。
ロ短調、あばよバイバイって言う飄々とした別れが足りないような気がする。
彼なら出来たと思うし、やり貫きたかった筈だ。
『一期一会』の事が(偉そうに)書けたかなあ?
日本人の高橋悠治だったら、緻密な構成を目指さない、風通しの良いバッハの名演奏が出来る。
彼の弾く「パルティータ」や「ゴールトベルク」や編曲物のアルバム。
グールドは本当の意味では、伝統からの自由さを獲得していない事が、明らかにされている。
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[2025-09-14]

フランク:天使の糧(Franck:Panis Angelicus)
ルネ・レイボヴィッツ指揮 ロンドン新交響楽団 1961年録音(Rene Leibowitz:New Symphony Orchestra Of London Recorded 1961)
[2025-09-12]

ベートーベン:交響曲第3番 変ホ長調 作品55「英雄」(Beethoven:Symphony No.3 in E flat major , Op.55 "Eroica")
ジョルジュ・ジョルジェスク指揮 ブカレスト・ジョルジェ・エネスク・フィルハーモニー管弦楽団 1961年3月録音(George Georgescu:Bucharest George Enescu Philharmonic Orchestra Recorded on March, 1961)
[2025-09-10]

ブラームス:弦楽四重奏曲 第1番 ハ短調(Brahms:String Quartet No.1 in C minor, Op.51 No.1)
アマデウス弦楽四重奏団 1951年録音(Amadeus String Quartet:Recorde in 1951)
[2025-09-08]

フォーレ:夜想曲第2番 ロ長調 作品33-2(Faure:Nocturne No.2 in B major, Op.33 No.2)
(P)エリック・ハイドシェック:1960年10月21~22日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n October 21-22, 1960)
[2025-09-06]

バッハ:小フーガ ト短調 BWV.578(Bach:Fugue in G minor, BWV 578)
(Organ)マリー=クレール・アラン:1959年11月2日~4日録音(Marie-Claire Alain:Recorded November 2-4, 1959)
[2025-09-04]

レスピーギ:ローマの噴水(Respighi:Fontane Di Roma)
ジョン・バルビローリ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団 1939年1月21日録音(John Barbirolli:Philharmonic-Symphony Of New York Recorded on January 21, 1939)
[2025-09-01]

フォーレ:夜想曲第1番 変ホ短調 作品33-1(Faure:Nocturne No.1 in E-flat minor, Op.33 No.1)
(P)エリック・ハイドシェック:1960年10月21~22日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n October 21-22, 1960)
[2025-08-30]

ベートーベン:交響曲第2番 ニ長調 作品36(Beethoven:Symphony No.2 in D major ,Op.36)
ジョルジュ・ジョルジェスク指揮 ブカレスト・ジョルジェ・エネスク・フィルハーモニー管弦楽団 1961年4月20日録音(George Georgescu:Bucharest George Enescu Philharmonic Orchestra Recorded on April 20, 1961)
[2025-08-28]

ラヴェル:舞踏詩「ラ・ヴァルス」(Ravel:La valse)
ルネ・レイボヴィッツ指揮 パリ・コンセール・サンフォニーク協会管弦楽団 1960年録音(Rene Leibowitz:Orcheste de la Societe des Concerts du Conservatoire Recorded on 1960)
[2025-08-26]

フランク:交響詩「呪われた狩人」(Franck:Le Chasseur maudit)
アルトゥール・ロジンスキー指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団 1954年6月27~7月11日録音(Artur Rodzinski:Wiener Staatsoper Orchester Recorded on June 27-July 11, 1954)