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ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 Op.95 「新世界より」

ケンペ指揮 ベルリンフィル 1957年9月2日録音

Dvorak:Symphony No.9 in E minor "From the New World" Op.95 [1st movement]

Dvorak:Symphony No.9 in E minor "From the New World" Op.95 [2nd movement]

Dvorak:Symphony No.9 in E minor "From the New World" Op.95 [3rd movement]

Dvorak:Symphony No.9 in E minor "From the New World" Op.95 [4th movement]




望郷の歌

ドヴォルザークが、ニューヨーク国民音楽院院長としてアメリカ滞在中に作曲した作品で、「新世界より」の副題がドヴォルザーク自身によって添えられています。

この作品はその副題が示すように、新世界、つまりアメリカから彼のふるさとであるボヘミアにあてて書かれた「望郷の歌」です。

この作品についてドヴォルザークは次のように語っています。
「もしアメリカを訪ねなかったとしたら、こうした作品は書けなかっただろう。」
「この曲はボヘミヤの郷愁を歌った音楽であると同時にアメリカの息吹に触れることによってのみ生まれた作品である」

その言葉に通りに、ボヘミヤ国民楽派としてのドヴォルザークとアメリカ的な語法が結びついて一体化したところにこの作品の一番の魅力があるといえます。
さらに、過去の2作がかなりロマン派的な傾向を強めていたのに対して、この9番は古典的できっちりとしたたたずまいを見せていることも、分かりやすさと親しみやすさを増しているようです。

初演は1883年、ドヴォルザークのアメリカでの第一作として広範な注目を集め、アントン・ザイドル指揮のニューヨーク・フィルの演奏で空前の大成功を収めました。

芸術がもっている理不尽さと闇に思いをはせる


ケンペと言えばベートーベンやブラームスに代表されるようなドイツ・オーストリア系の正統派の作品を手堅くまとめ上げるというイメージがついて回ります。ついでに付け加えれば、一聴しただけではその良さは伝わらないけれども、何度も繰り返し聞くうちにその真価が理解できる指揮者と言う評価もついて回りました。
ただし、少しばかり嫌みっぽく言えば、これほど情報があふれかえっている世の中で、一度聞いただけでは魅力がストレートに伝わってこないような演奏を、何度も繰り返し聞くような「暇人」がどれほどいるのだろうかと心配になってしまいます。

確かに、ケンペにとっての「本線」とも言うべきベートーベンやブラームスに関しては数多くの名演・名盤に恵まれていますから、その中でどれほど自己主張ができるのかと問われればいささか心許なくなってしまいます。ぱっと聞いただけでその凄みがストレートに伝わってくる演奏はいくつかありますし、さらに言えば、ケンペの持ち味である「一聴しただけではその良さは伝わらないけれども、何度も繰り返し聞くうちにその真価が理解できる」たぐいの(^^;録音ならば数多くあるからです。

ケンペのキャリアを振り返ってみれば、「早すぎる死によって不本意にも最晩年となってしまった60代には巨匠の地位に上り詰める一歩手前までいったものの、その突然の死によって急速に忘れ去られてしまった指揮者」という括りがされてしまいます。
これがベームのように大きな存在になってしまっていれば、その死語に「ベームは二度死んだ」みたいな批判にさらされたのかもしれませんが、ケンペの場合は静かにフェードアウトしていきました。そして、そのような存在であったが故に、己の見識の広さと深さを主張したい人はこういう指揮者を意識的に持ち上げる向きがあります。
もちろん、そのような再発見、再発掘は非常に意義深いことも多いのですが、しかし、改めて彼のベートーベンやブラームスの録音を聞き返してみると、その他の凡百の演奏と同一とまでは言いませんが、数多くあるすぐれた演奏・録音の一つという範疇にとどまるものだと思います。

しかし、不思議なことなのですが、そう言う「本線」以外の演奏になると不要な縛りから抜け出せたのか、意外と面白い録音が目につきます。たとえば、ドヴォルザークの「新世界より」の第2楽章で聞ける深い情感あふれる表現は出色です。第3楽章から最終楽章へと突き進んでいくベルリンフィルからはドイツの田舎オケらしいゴリゴリとした迫力が感じられてこれもまたかなり魅力的です。
私は聞いたことはないので確証はできませんが、ネット情報によると、同じ時期に録音したシューマンの1番なんかもかなり野蛮な演奏だったようです。
しかし、「ウィーンフィルとの休日」と題した61年録音のアルバムなどを聴くと、休日と言いながら、そしてせっかくのウィーンフィルを相手にしながら、律儀さと生真面目さが前面に出てきてしまっていて、悪くはないのですがどこか楽しめない部分が残ってしまいます。

ケンペと言えば相手が女王陛下でもタクシードライバでも全く態度を変えないと言われたジェントルな立ち居振る舞いが評価され、その暖かな人間性も相まって存命中は高い人気を誇った人でした。
ただ残念に思うのは、亡くなった後に作品のみで評価されるようになると、生き残るのはどいつもこいつも「イヤな奴」ばかりだという厳然たる事実です。それは指揮者に限っただけでも、狂犬トス○○ーニや女誑しフルト○○○ラー以降、ほとんど絶対的な真実かと思えるほどです。

ケンペの端正で律儀な音楽を聴きながら、芸術がもっているそう言う理不尽さと闇に思いをはせるというのはかなり屈折した聴き方だとは思うのですが、それでも彼ほどにそう言う理不尽さを体現している指揮者はいないように思います。


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2014-09-16:原 響平


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