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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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次のページ- 2010-04-25:石井 靖之
- クリュイタンスのベートーベンといえば思い出すのは、今から3、40年前、フルトヴェングラーの1000円盤シリーズで、ウラニアの英雄などと共に出ていた8番のレコードを某音楽評論家が本物のフルトヴェングラーの演奏として紹介していた事です。当時中学生だった小生は、このレコードでクリュイタンスの演奏を初めて聞いたのでした、決してフルトヴェングラーだとは思えませんでした。それでもわざと改悪した音にも関わらず深い感銘を受けた事を思い出します。今はN響とウイーンフィルの音も聞き分けられなくなってしまっています、あの頃の耳はどこに行ってしまったのでしょうね。みなさんはいかがですか?
- 2010-04-25:新習志野
- この時期のベームと協演したブラームスの協奏曲第1番と、1930年代のボールトとのそれを比較したとき、はたしてバックハウスの1950年代を「最盛期」と呼んでよいかという疑問はあります。1930年代までのすさまじい白熱した音楽は、50年代にはもはや聴けないように思います。
ただ、ステレオ期と比べると、推進力のある速めのテンポと安定したリズム感はよくわかります。これが、ステレオ初期のバッハの録音あたりではいったん崩れてしまって音楽の流れが迷走したようになり(たぶん自分のイメージと実際の指のまわりにずれが生じていたのでしょう)、それを修復して新しいテンポ感を構築したのが、最晩年のステレオのベートーヴェン全集とブラームスの2番の協奏曲であるように思います。
- 2010-04-25:セル好き
- 見事にそつのない演奏ですが、退屈。もし、これがBPOのスッピンなら、カラヤンほか個性派の指揮者の苦悩はいかばかりかと偲ばれます。
音質ですが、6kHzあたりを持ち上げたPAスピーカーばりの特性になっていますが、鮮度は悪くないので真面目にリマスターすれば同時期のバルビローリ指揮ハレ管くらいにはなりそうですが。
ところで、田舎オケの風情を残したベルリンフィルの魅力を感じ取れる指揮者といえば、フリッチャイですね。
- 2010-04-22:いずみっち
- さすがに巨匠の演奏だけあって、荘厳なものを感じます。
ところでふと気づいたんですが、
終盤、Codaに入る前の1章節分が抜けているのでは???
試しに併せて弾いてみましたが、う〜むむむ。
これは巨匠のオリジナルなのでしょうか。それとも弘法も筆の誤りなのでしょうか……
- 2010-04-22:benkey.c
- 63歳にして、クラシックに聞き惚れています。とはいうものの、昔、音楽の時間に学習したものが中心です。しかし改めて、いわゆる本物を鑑賞するとどこか落ち着くのが不思議です。
音質そのものは、私の器械ではこもる感じですから(PCのアクティブSP)決して良くはありませんですけども、でも、あー、こんな感じネって雰囲気をつかんで、後に、図書館からCDを借りてPCでリッピングし、そこそこの器械を使って鑑賞しています。
この曲の評価を報告しょうとしましたけど、やり方がわからなかったのであとでやらせていただきます。今日はメッセージだけになります。スンマセン。
- 2010-04-19:シューベルティアン
- 「ムラヴィンスキーと私」 河島みどり 著
ユングさんもよんでおられたか。
私はごく最近読んでとても面白く思ったんですが、これをよむとチャイコの悲愴やショスタコの五番を改めて聞かずにはおれませんね。頭でっかちの先入観を吹き飛ばしてくれる、率直で事実ありのままの描写がよかった。
マエストロは天ぷらが好き、猫が好き、金銭観は小学生なみ。女性の視点がさえてるともいえますね。
芸術に関する描写ももちろんよかったけど、事実をぽんと出してそれにちょこっと感想を添えるだけの書き方なので、よみやすさと誤解を生まないこと優先ですね。もっとがんがん掘り起こして根っこをさらけ出すような書き方をしてほしいと思うのは、純文学のよみすぎかしらん?
- 2010-04-19:Sammy
- ブレンデルとクリーンという、ともにモーツァルト弾きとして評価の高いピアニスト二人がなんとこのような連弾を残していたとは存じ上げませんでした。基本的にはきちんとしていながら、なかなか楽しい連弾ですね。クリーンは昔来日した時にNHK交響楽団との素晴らしいモーツァルトを拝聴した記憶がありますし、NHKでのモーツァルトに関する番組も話題になりましたが、あまり録音に恵まれていませんから、そういう意味でも貴重な録音といってもいいのかもしれません。
- 2010-04-17:ウェス
- これは埋もれさせておくにはあまりに惜しい、誰かに教えたくなるような名演ですね。ピアノの美しさと、それにマッチするオケ、特に木管が印象に残りました。
まったく知らない演奏でしたが、ユング様の思わず聴いてみたくなる解説につられて聴いてみたら、目からうろこの思いでした。こんな素敵な演奏との出会いの機会と場を下さったユング様に感謝です。
- 2010-04-11:あんとん
- 貴サイトで、ナットの演奏には好感を持っています。
録音にも秘密があったのですね。
- 2010-04-09:せいの
- なんと切ない音楽でしょう・・・。1楽章、2楽章の切ないことはこの上ないです。ウィーンフィルの歌心たっぷりの弦楽器とフルトヴェングラーのじっくり歌わせる指揮で、切ない音楽に仕上がっています。1楽章中間部分の長調のワルツの部分でさえ、うつろな感じで切なさがにじんでいます。2楽章は究極の切ない音楽です。暖かい弦楽器が歌心一杯に歌い上げ、フルトヴェングラーも充分にオーケストラを歌わせています。落ち込んだときにこの2楽章で、どっぷりと切なさにつかるのも、一興かもしれません(笑)。3楽章は一転して、ウィーンフィルの魅力たっぷりの愉悦感にあふれる音楽になっています。中間部の木管楽器のなど、何とチャーミングなことでしょう。最終楽章はフルトヴェングラー特有のアチェランドが有効で、熱狂を味わえます。ただし、結構抑制が効いていて、あまり期待すると肩透かしを食います。全体に落ち着いた演奏で、倒れる前のフルトヴェングラーにしては珍しいなあ、という印象です。
- 2010-04-09:wpprx881
- ヨハンナ・マルティのブラームス、初めて聴きました。ブラームスの美学とも言うべきものがストレートに伝わってくるような名演だと思います。
- 2010-04-07:wpprx881
- 懐かしいです。小6のとき、同じ村の、兄の同級生に17センチ盤で春と秋が入ったレコードをもらいました。夏休み、毎日家の前の川で水浴びした後、裏の田んぼのあぜ道の横にある井戸で冷やしておいたスイカやマッカウリを食べながらこの演奏を聴いたものです。春第2楽章のクロツィンガーのヴァイオリン、故郷の真夏のまぶしい太陽、熱気、スイカ、片思いだった女の子の姿が脳裏をかすめます。
- 2010-04-05:Sammy
- みずみずしさと風格が不思議に同居した名演奏だと思います。安定感があるのに勢いも不足せず、歯切れのよさ、スピード感、そして穏やかな部分の豊かなニュアンスなどがとても魅力的です。個人的にはこれまでどうもとんがってがさついた印象がぬぐえなかったセル・クリーブランドなのです(すみません!)が、このサイトのシューベルト「グレイト」と並んで、これはとてもよいと思いました。
- 2010-04-05:せいの
- なかなかいいですね。この曲はわたしはちょっと人工的で技巧的に聞こえて、ベートーヴェンの交響曲の中では深みに欠けるなあと感じています。フルトヴェングラーなどダイナミックな演奏で聴くと、なにやら小賢しいというか、せかせかと聞こえる嫌いがあります。むしろクリュイタンスのような堂々とした演奏のほうがスケールが大きく立派な曲に聴こえます。いい演奏だと思いました。
こちらを聴いて、クリュイタンスのベートーヴェンに興味を持って、交響曲全集を購入してしまいました。わたしの大好きな第九もなかなかの演奏だと思いました。1楽章はちょっと平板な演奏に感じましたが、2楽章以降はフルトヴェングラーの薫陶を受けた演奏家たちが一所懸命に弾いているのとあいまって、なかなか起伏にとんだダイナミックな演奏になっていて、ステレオ録音で比較的音質がいいこともあいまって、最近のマイブームになっています。
フルトヴェングラーのころの質実剛健なベルリンフィルの演奏とクリュイタンスの指揮で、ほかの曲もなかなかいいなと思いました。
- 2010-04-04:あんとん
- ご意見、興味深く拝見しました。私もかつてはアンチ・カラヤンでした。今は1960年以前のものも、以後のものも含めて、カラヤンは大好きです。
日本でアンチ・カラヤンが流行したのは、日本人の評論家のせいだと思います。特にU氏。
- 2010-04-04:Sammy
- メンデルスゾーンの佳作を明朗かつ堂々たる響きで描ききったすばらしい演奏だと思います。くっきりした録音、晴朗でよく歌いつつもきりっとした管弦楽、そしててらわずにしかし積極的に歩みを進める指揮者のテンポが、作品の美しさを克明に明らかにしていると思います。このサイトにあるブラームス1番と並ぶ、存在感のある名演奏といっていいのではないでしょうか。
- 2010-04-03:タルティーニふぁん
- 非常に暖かくて豊かなよい演奏だと思う。ただこの曲には透徹したある種冷たさが必要じゃないか?その点、ミルシテインの旧版のインパクトが凄い。この曲の異様で不思議な美を実感させるというか、冒頭から異質な美の世界へと引きずる込む。タシュナーのはメニューイン日本録音と同様、全体の構成がちょっと不明瞭だと思うが、オイストラフ共々歴史的名演だとは思う。終楽章はタシュナーの豊かさがよいかも知れない。
往年の巨匠でタルティーニ好きといえばシゲティ。協奏曲ニ短調・ソナタト長調・アダージョと三曲は録音していて、特に最後の二曲が絶品だ。が、肝心の悪魔のトリルが無い。相性の問題だろう。シゲティのアダージョが世の全タルティーニ録音中最高峰だと信じる。つまり悪魔のトリルだけで語っては断じてならない。タルティーニの協奏曲・ソナタ群はヴィヴァルディに匹敵する程多く、私はそのほぼ全てが素晴らしいと信じる。個性的な深い情緒!語るような訴えかけるような切なさに満ち満ちている!特にソナタが好きだが、ヘンデルやモーツァルトのソナタと同じ次元のものだと信じている。カサッツァのCD三枚組でも曲のよさは十分認識できるが、古楽器奏者の演奏は早い楽章が割りと単調な気がする。
なお、モリー二の「見捨てられたディドー」のソナタも名演。また、悪魔のトリルにはプシホダの名演もあるが、中村稔(詩人・評論)氏曰く「(少年期の?メニューインの悪魔のトリルを超える演奏は現在まで無い(1988年当時)」と書かれていて、当然これは日本録音ではない(当時は不調)。その録音はたぶんCD化されてないはず、是非聞いてみたい。
- 2010-04-03:タルティーニふぁん
- しまった!先ほど「悪魔のトリル」の欄でこのこの協奏曲の演奏を絶品と書かなかったのを悔やむ!私の聞いてたのはGoehrとの競演1937年版で録音の悪さもあってインパクトが少なかった。・・・ブログ主さんと同感です!素晴らしい!シゲティのタルティーニ演奏三曲は全て絶品です!なぜシゲティがこの曲を選んだかすっかり納得できました。この感情表現の深さ、全楽章に渡る心からの共感、すべてが圧倒的、タルティーニの演奏はすべてこうでなくっちゃ!いかにシゲティがタルティーニの曲を愛していたか・・・凄いです。協奏曲は130曲以上あるそうですが、他のも一杯よい曲があります(タルティーニまにあ?としては全て好きですが)。アーヨの三枚とかアバド指揮グッリ独奏とかは流石にいい。他のイタリアの合奏団によるものはいいのがありそうだが古楽器はよくない気がする。ダイナミックレーベルの全集とかを集めていたが20枚近く集めた時点で放棄・・・演奏がよくなくて曲の魅力が伝わってこない(その割には高価)。しかしこのシゲティの演奏を聴いて、もし本当のタルティーニ好きの一流演奏家が録音すれば、近年のフンメルとかバッハ一族とかラフの再評価の上をいく評価になり可能性すらある。日本の奥村智洋氏なんかもあってんじゃないかと思ったり(日本人演奏家に期待)。どこかの評論に「タルティーニはヴィヴァルディと同じ位ヴァイオリン協奏曲を作曲してるが、ヴィヴァルディより独創性が劣る」とかの記述をみて大いに憤慨(!)。むしろ反対だろっ(と言いたい)評論家の聞いた演奏が悪いだけだろっ!タルティーニをバロック作曲家然と演奏してもらっては非常に困る!ヘンデル・モーツァルトの次元で演奏してもらわないと(シゲティみたいに)、ゾンビ演奏になってあいまう。しかしヘンデル・モーツァルトレベルということは(たぶん途方も無く難しいかも?)(最近のモーツァルトなんてヒロ・クロサキ以外聞けないんじゃあ?言いすぎか)。ブラームスは、この悪魔のトリルをよく演奏会でリクエストしたらしい。
協奏曲の過去の名演としては、メニューインのものがあるそうです。たぶん三曲程だと思ったけどおそらく未CD化。悪魔のトリルに関する逸話の真偽に関しては、名演を聞いて判断すべき(初期ミルシテイン版)。しかし夢こそ想像力の源泉という主張もあり、また超次元からの影響を受け得るという説もある。なんらかのインスピレーションを受けたことは疑い得ないと個人的には思っています。(思わず書き過ぎました、駄文を失礼)未来のタルティーニ録音に期待!
- 2010-03-31:シューベルティアン
- はじめて聞いたときから大好きな曲で、今でも大好きな曲です。音楽が泉のようにあふれ出て、沈滞ということがない。とくにこのオイストラフトリオの演奏はアンサンブルのすばらしさで傑出していると思われます。
いい音楽、いい演奏というのは、音がふっと鳴り止む瞬間にも音楽的な「何か」が流れている感じがします。逆にわるい演奏は、音が止むと音楽もどこかへ消えてしまうような気がします。この演奏はそういった意味でも非常に示唆的な、聞くたびに違った言葉を投げかけられるようなものです。
シューベルトを聞くとぼくはモーやベーよりもバッハを思い出すんですが、バッハとは違った意味でなぞめいた作曲家のように思われます。バッハは敬虔な一途なクリスチャンであった。そういえば誰もがそうだろうと納得しそうなものですが、シューベルトは一途に信じているという感じではない。さりとて迷い迷い苦しんでいる感じでもない。彼の音色は実に複雑な表情をしていて、それが彼の裏表のない本心のように見えます。うれしいとも悲しいともつかず、信仰と疑惑がないまぜになったような、なんともいいようのない気持ちがそのまま出ているようです。
裏表がないということ、無理な力みがないということは、シューベルトに最も多く見られる美質です。それが物足りないという人もいるんでしょうが。ぼくは彼の音楽を聞くや「これでいいんだ」という強い安心に引き付けられます。
- 2010-03-31:m
- こんな録音が残っていたんですね。 やはりホルンはデニスブレインでしょうか?
84年のNHKホールでサインを貰うのに多くの人が並んでいたのを思い出しました。
<ユング君の追記>
「憧れのデニス・ブレイン/An enthusiasm for Dennis Brain」によると、デニス・ブレインだそうです。
第1楽章、冒頭のホルン ―― 山の頂上から新しい世紀の夜明けを告げる声。
と、述べておられます。
- 2010-03-30:N.I.
- いくつかの演奏を聴いてきたが、やはり、アーヨ盤が最高だと思う。このLPは最初に聴いたためか、このようなものだと刷り込まれたこともあるが、それでも、多くのイ・ムジチ盤の中でも化ルミレッリ盤を別にして聴いていて楽しい。この曲はそもそもBGMのような曲だと思う。ミュンヒンガー盤では聴きとおす気にならない。アーノンクール盤には驚きだけが残り再度聴く気にはなれない。それにしてもこの録音は別のレコードのように聴こえた。音が軽くて聴きごたえがない。
- 2010-03-30:cess
- 素敵な音色ですね〜、癒されます(^^♪
- 2010-03-27:nanigashi
- この三楽章は、モーツァルトのたどり着いた一つの極致だと思っています。他にバッハ、後期のベートーヴェン、シューベルト、そしてメンデルスゾーンが、こういう曲を描いてはハッとさせるのです。
それにしてもここで聴けるクラウスの解釈の鋭さ! 素っ気無さと情感が巧みに一つの曲の中に――そもそもクラウスはそういうピアニストだと考えますが、ともかく、素晴らしい演奏です。ありがとうございます。
- 2010-03-26:シューベルティアン
- 熱い!
幻想世界に浸るというのとは違った、厳然として音楽がそこに「在る」という感じです。風のようではなく山のようです。しかも燃えている山です。
セル、ショルティ、トスカニーニなんかは、ユングさんもたびたび書いておられるけど特殊な扱いを受けているようですね。敬して遠ざける、ですか。安全にクラシックファンやっていたけりゃフルトヴェングラーだけ聞いてろ・なんていう人もいましたが。
ぼくは彼らの直線的で熱い演奏がなんといっても一番聞きやすく、刺激的です。これを冷たいという人は、サービス精神がないといいたいのですかね。色気がないとか甘さがないというのはわかるけども、冷たいというのは滅茶苦茶だ。こんな熱い指揮者はいないぞ!
シューベルトでもモーツァルトでも、セルのアプローチは常に同じで、そこにあるまじめさを感じます。彼はある曲が好きだとか好きでないとかいうことはあまりいわない。どんな曲であれ自分の論理と技法が正しければ、最高の輝きを達成できると信じているようです。すでにここにアップされているハイドンを聞いたのですが、磨きぬかれた鏡のような音色に圧倒されました。それは異様な姿で人をむりにも引き付けようといったものじゃない。ただ当たり前のことを・しかし徹底的にやって、もっとも当たり前な意味での「完璧」な演奏を目掛けているようです。それは音の力そのものに圧倒されるというより、何か音楽がその一部であるようなより大きな全体に圧倒されるという感じです。鏡のようだな、とたびたび思います。訴えかけるものではなく、ただ映すだけのもので、しかも非常に鮮明に映すものだから、解釈とか想像の余地がない。有無をいわせぬ力があっても、押し付けがましくはない。ただそこに「在る」というだけのもの。
聞き手の自分としてはただ耳を澄ますしかない。でも何か雑念みたいなものが邪魔して、すべてを聞き取ることができません。音楽に対して自分の弱さを感じもします。
- 2010-03-26:後藤 晋
- 貴重な音源をありがとうございます。
現在のバッハ演奏がラミンのように語り継がれての遺されるでしょうか。
次に、冒頭の合唱のように、バッハは、トランペット(またはホルン)とティンパニの使い方が非常に上手ですよね。他に、例をあげればBWV119(以下BWVを省略)、63、172、34、130、91がそうですね(bwv91はトランペットではなく、ホルンを使用しておりますが)
- 2010-03-25:yk
- 今もイ・ムジチ好き・・・けれどアンチ・カラヤンの私ですが、こちらにはコメントがなくてミュンヒンガー君もすこし可哀想に思うので一言・・・・
51年の録音では独奏をバルヒェットが弾いていますね(彼のバッハのヴァイオリンソナタが解禁になった暁には、ぜひ此処にもアップしてください・・・・永遠の名演奏)。51年盤も基本的にはこの録音と変わらなくて、心なしかこのクロツィンガーよりも芯が太い感じもしますが、聞こえてくる音楽はやはり”北の国”の音楽。で、アーヨ/イ・ムジチの魅力には及びません。
イ・ムジチのスタイルでバッハは可能ですが、バッハでは独特の魅力もあるミュンヒンガーのスタイルでヴィバルディは難しい・・・・というのは、聞くほうの偏見??・・・なんでしょうか?
- 2010-03-25:りゅうちゃん
- クラシック音楽に興味を持ち始め、初めて親に買ってもらったのがこの曲とこの演奏のLPでした。以来、「四季」と言えばイ・ムジチよりも先にこの演奏が思い浮かびます。完全に「刷り込み」ですね。リズムは重く、四角張っていて、言わば「しかめっ面のヴィヴァルディ」。しかしながら、「冬」第2楽章に代表されるようにデッカの温かみのある優秀な録音ともあいまって、大好きな演奏の一つです。
(僕にとって、あまり特徴の感じられない数多とあるイ・ムジチの演奏よりも好きかも。。。イ・ムジチファンの方々、ごめんなさい!)
- 2010-03-24:キノコ
- いつも楽しく見ています。
僕は素晴らしい演奏家とは作曲家に没入する(作曲家を尊敬し全身全霊を傾ける)人や作曲家の作った音楽を自分に取り込むような人だと考えています。(どちらも根底には音楽を分かち合おうとする情熱があることは共通しているとは思います)
どちらかに振り切れれば歴史に名を残すような演奏家となる…そんな気がします。
僕なりの見解ですが、
カラヤンは後者に大きく振り切れた指揮者だったのであろうと思います。皆さんの言われるカラヤン美学というものがそれを表しているのでしょう。
僕は現在18歳でありカラヤンが生きていた時のことをリアルタイムで感じ取ることができませんでした。
でも今CDから聞こえるカラヤンの作る音楽はいつのカラヤンであろうと自らの信念をもって演奏しているように聞こえます。
この演奏にもそれは感じ取れました。素晴らしいです。
- 2010-03-24:N.I.
- 吉田秀和さんが、著書「LP300選」で「カラヤンの伴奏のつけ方が実に面白い」と、この演奏を薦めていたのを記憶していたが、聴く機会がないまま長い期間が過ぎてしまった。聴いてみて吉田さんのいうところを、分かるような感想を書いているユングさんの耳はたいしたものだと思います。自分の感想としては、カラヤンの伴奏については、いつもどの協奏曲でも自分が主導権を握っているようであり、この演奏でも、特に変わったところはないように思いました。それにしてもとてもやさしい響きと優雅さに満ちたブラームスでしたね。ブラームスのいかついい顔を忘れるような演奏でした。
- 2010-03-24:キノコ
- いつも楽しく見ています。
僕は素晴らしい演奏家とは作曲家に没入する(作曲家を尊敬し全身全霊を傾ける)人や作曲家の作った音楽を自分に取り込むような人だと考えています。(どちらも根底には音楽を分かち合おうとする情熱があることは共通しているとは思います)
どちらかに振り切れれば歴史に名を残すような演奏家となる…そんな気がします。
僕なりの見解ですが、
カラヤンは後者に大きく振り切れた指揮者だったのであろうと思います。皆さんの言われるカラヤン美学というものがそれを表しているのでしょう。
僕は現在18歳でありカラヤンが生きていた時のことをリアルタイムで感じ取ることができませんでした。
でも今CDから聞こえるカラヤンの作る音楽はいつのカラヤンであろうと自らの信念をもって演奏しているように聞こえます。
この演奏にもそれは感じ取れました。素晴らしいです。
最後に…
僕はまだまだクラシック音楽のことを知りません。これからも多くの素晴らしい演奏を長い人生で聴けていけたらなと思っています。このような素晴らしい世界に巡り合わせてくれたユングさんに心から感謝しています。これからも更新頑張ってください。
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[2025-09-18]

バッハ:トッカータ、アダージョとフーガ ハ長調 BWV.564(Bach:Toccata, Adagio and Fugue in C major, BWV 564)
(Organ)マリー=クレール・アラン:1959年11月2日~4日録音(Marie-Claire Alain:Recorded November 2-4, 1959)
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メンデルスゾーン:厳格な変奏曲 Op.54(Mendelssohn:Variations Serieuses, Op.54)
(P)エリック・ハイドシェック:1957年9月20日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n September 20, 1957)
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フランク:天使の糧(Franck:Panis Angelicus)
ルネ・レイボヴィッツ指揮 ロンドン新交響楽団 1961年録音(Rene Leibowitz:New Symphony Orchestra Of London Recorded 1961)
[2025-09-12]

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ジョルジュ・ジョルジェスク指揮 ブカレスト・ジョルジェ・エネスク・フィルハーモニー管弦楽団 1961年3月録音(George Georgescu:Bucharest George Enescu Philharmonic Orchestra Recorded on March, 1961)
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ブラームス:弦楽四重奏曲 第1番 ハ短調(Brahms:String Quartet No.1 in C minor, Op.51 No.1)
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フォーレ:夜想曲第2番 ロ長調 作品33-2(Faure:Nocturne No.2 in B major, Op.33 No.2)
(P)エリック・ハイドシェック:1960年10月21~22日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n October 21-22, 1960)
[2025-09-06]

バッハ:小フーガ ト短調 BWV.578(Bach:Fugue in G minor, BWV 578)
(Organ)マリー=クレール・アラン:1959年11月2日~4日録音(Marie-Claire Alain:Recorded November 2-4, 1959)
[2025-09-04]

レスピーギ:ローマの噴水(Respighi:Fontane Di Roma)
ジョン・バルビローリ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団 1939年1月21日録音(John Barbirolli:Philharmonic-Symphony Of New York Recorded on January 21, 1939)
[2025-09-01]

フォーレ:夜想曲第1番 変ホ短調 作品33-1(Faure:Nocturne No.1 in E-flat minor, Op.33 No.1)
(P)エリック・ハイドシェック:1960年10月21~22日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n October 21-22, 1960)
[2025-08-30]

ベートーベン:交響曲第2番 ニ長調 作品36(Beethoven:Symphony No.2 in D major ,Op.36)
ジョルジュ・ジョルジェスク指揮 ブカレスト・ジョルジェ・エネスク・フィルハーモニー管弦楽団 1961年4月20日録音(George Georgescu:Bucharest George Enescu Philharmonic Orchestra Recorded on April 20, 1961)