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バルトーク:弦楽四重奏曲第1番


ジュリアード弦楽四重奏団 1950年録音


ベート−ベン以降最大の業績

バルトークの弦楽四重奏曲は、この形式による作品としてベートーベン以降最大の業績だといわれています。ところが、「そんなにすごい作品なのか!」と専門家の意見をおしいただいてCD等を買ってきて聞いてみると、思わずのけぞってしまいます。その「のけぞる」というのは作品のあまりの素晴らしさに感激して「のけぞる」のではなくて、作品のあまりの「わからなさ」にのけぞってしまうのです。
音楽を聞くのに、「分かる」「分からない」というのはちょっとおかしな表現ですから、もう少し正確に表現すれば、全く心の襞にふれてこようとしない「異形の姿」に「のけぞって」しまうのです。

とにかく古典派やロマン派の音楽に親しんできた耳にはとんでもなく抵抗感のある音楽です。そこで正直な人は、「こんな訳の分からない音楽を聞いて時間を過ごすほどに人生は短くない」と思ってプレーヤーの停止ボタンを押しますし、もっと正直な人は「こんな作品のどこがベートーベン以降の最大の業績なんだ!専門家の連中は馬鹿には分からないというかもしれないが、そんなの裸の王様だ!!」と叫んだりします。

しかし、作品そのものに関する専門家の意見というのはとりあえずは尊重しておくべきものです。伊達や酔狂で「ベートーベン以降の最大の業績」などという言葉が使えるはずがありません。今の自分にはとてもつき合いきれないけれど、いつかこの作品の真価に気づく日も来るだろう!ということで、とりあえずは買ってきたCDは棚にしまい込んでおきます。
そして、何年かしてからふと棚にバルトークのCDがあることに気づき、さらに「ベートーベン以降の最大の業績」という言葉が再び呪文のようによみがえってくるので、またまた魔が差してプレーヤーにセットすることになります。しかし、残念なことに、やはり何が何だか分かりません。
そんなときに、また別の専門家のこんな言葉が聞こえてきたりします。
「バルトークの弦楽四重奏曲を聴いて微笑みを浮かべることができるのは狂人だけかもしれない。」
「バルトークの弦楽四重奏曲は演奏が終わった後にやってくる無音の瞬間が一番美しい!」
全くもって訳が分からない!

しかし、そんなことを何度も繰り返しているうちに、ふとこの音楽が素直に心の中に入ってくる瞬間を経験します。それは、難しいことなどは何も考えずに、ただ流れてくる音楽に身を浸している時です。
おそらく、すごく疲れていたのでしょう。そんな時に、ロマン派の甘い音楽はかえって疲れを増幅させるような気がするので、そういうものとは全く無縁のバルトークの音楽をかけてみようと思います。ホントにぼんやりとして、全く何も考えずに流れきては流れ去っていく音の連なりに身を浸しています。すると、何気ないちょっとしたフレーズの後ろからバルトークの素顔がのぞいたような気がするのです。
それは、ヨーロッパへの訣別の音楽となった第6番の「メスト(悲しげに)」と題された音楽だけではなく、調性が破棄され、いたるところに不協和な音が鳴り響く3番や4番の作品からも感じ取れます。もちろん、それらの作品からは、「メスト」ではなくて「諧謔」や「哄笑」であったりするのですが、しかし、そういう隙間から戦争の世紀であった20世紀ならではの「悲しみ」の影がよぎったりするのです。
今までは全くとりつくしまのなかった作品の中に、バルトークその人の飾り気のない素顔を発見することで、なんだか「ウォーリーを探せ!」みたいな感じで作品に対峙する手がかりみたいなものを見出したような気がします。

そんなこんなで、聞く回数が増えてくるにつれて、今度はこの作品群に共通する驚くべき凝集力と、「緩み」というものが一瞬たりとも存在しない、「生理的快感」といっていいほどの緊張感に魅せられるようになっていきます。そして、このような緊張感というものは、旋律に「甘さ」が紛れ込んだのでは台無しになってしまうものだと納得する次第です。
また、専門書などを読むと、黄金分割の適用や、第3楽章を中心としたアーチ型のシンメトリカルな形式などについて解説されていて、そのような知識なども持ってバルトークの作品を聞くようになると、流れきては流れ去る音の背後にはかくも大変な技術的な労作があったのかと感心させられ、なるほど、これこそは「ベートーベン以降最大の業績」だと納得させられる次第です。

ざっと、そんなことでもなければ、この作品なじむということは難しいのかもしれません。
ユング君にとってバルトークの音楽は20世紀の音楽を聞き込んでいくための試金石となった作品でした。とりわけ、この6曲からなる弦楽四重奏曲は試金石の中の試金石でした。そして、これらの作品を素直に受け入れられるようになって、ベルクやウェーベルンなどの新ウィーン学派の音楽の素晴らしさも素直に受け入れられるようになりました。
音楽というのは、表面的には人の心にふれるような部分を拒絶しているように見えても、その奥底には必ず心の琴線に触れてくるものを持っているはずです。もし、ある作品が何らかのイデオロギーの実験的営みとして、技術的な興味のみに終始して、その奥底に人の心にふれてくるものを持たないならば、その様な作品は一時は知的興味の関心を引いて評価されることがあったとしても、時代を超えて長く聞き続けられることはないでしょう。なぜならば、知的興味というものは常に新しいものを求めるものであり、さらに新しい実験的試みが為されたならば古いものは二度と省みられることがないからです。
それに対して、一つの時代を生きた人間が、その時代の課題と正面から向き合って、その時代の精神を作品の中に刻みこんだならば、そして新しい技術的試みがその様な精神を作品の中に刻み込むための手段として活用されたならば、その作品の価値は時代を超えて色あせることはないはずです。その刻み込まれた精神が、それまでの伝統的な心のありようとどれほどかけ離れていても、それが時代の鏡としての役割を果たしているならば、それは必ず聞く人の心の中にしみこんでいくはずです。

おそらく、大部分の人はこの作品を拒絶するでしょう。今のあなたの心がこの作品を拒絶しても、それは何の問題ではありません。心が拒絶するものを、これはすぐれた作品だと専門家が言っているからと言って無理して聞き続けるなどと言うことは全く愚かな行為です。
しかし、自分の心が拒絶しているからと言ってそれをずっと拒絶するのはもったいなさすぎます。
人は年を経れば変わります。
時間をおいて、再び作品と対峙すれば、不思議なほどにすんなりとその作品が心の中に入ってくるかもしれませんし、時にはそれが人生におけるかけがえのない作品になるかもしれません。
心には正直でなければいけませんが、また同時に謙虚でもなければいけません。そのことをユング君に教えてくれたのがこの作品でした。

★簡単な作品の概略

○弦楽四重奏曲第1番 Op.7,Sz.40(1908年作曲/1910年初演)
バルトークは15才から17才にかけてこの形式による作品を3曲書いていますが、それらは全てバルトーク自身によって破棄されていますので、これが第1番という事になっています。
バルトークの音楽の基礎に存在しているのがハンガリーの民謡であることはいうまでもありませんが、その基礎となるべきハンガリー民謡の採集活動が始められたのが1905年です。この作品には、シュトラウスやマーラーの世界からつながってきたものと、民謡採集の中から独自の言葉を獲得しつつあったバルトークの世界が奇妙な形で融合しています。しかし、最終楽章の激しく交錯するリズムからは将来のバルトークを予見させるに十分なだけの充実感があります。

★弦楽四重奏曲第2番 Op.17,Sz.67(1915〜17年作曲/1918年初演)
第1番と同様に、ブダペスト音楽院のピアノ科教授としての職をこなしながら、盟友であるコダーイとともにハンガリーの民謡採集を精力的に行う中で作り出された作品です。
第1番と比べれば、バルトークの独自の世界がはっきりと刻印された作品です。
しかし、若きロマンチストとしてのバルトークを理解することは当時に聴衆にとっては容易でしたが、民謡を基礎とした独自の世界を切り開き始めたこの時代の作品には殆どの人々が関心を示しませんでした。ピアノ作品ならば、自身が優秀なピアニストであったためにそれを演奏して公開することに不自由はありませんでしたが、作品が室内楽やオーケストラによるものであるときは、それを演奏してくれる団体を探すことすらが困難な時代でした。
そんな中で、バルトークの作品に理解を示し積極的に取り上げてくれたのがワルドバウアー・ケルペイ四重奏団でした。彼らは第1番の初演も行い、この第2番も彼らによって初演が行われました。同時に、この作品はこのカルテットに献呈されています。

★弦楽四重奏曲第3番 Sz.85(1927年作曲/1928年初演)
バルトークは過去の偉大な作曲家たちよりは、同時代の作曲家たちから学ぶことが多かった音楽家でした。ですから、12音による無調の音楽を創始したシェーンベルグからも大きな影響を受け尊敬もしていました。この第3番の四重奏曲は、その様なシェーンベルグの無調音楽にもっとも強く影響を受けた作品です。
しかし、この作品は単に12音音楽に影響を受けているというに留まらず、わずか15分程度の短い作品の中に強烈な不協和音や複雑きわまるポリリズム(パートごとに異なるリズムを刻む事をこういうそうです)、さらには表現の幅を広げるための様々な特殊奏法が駆使されているという点にも着目する必要があります。バルトークという人は偏見なしに様々な音楽潮流を受け入れた人ですが、決してそれらの物まねで終わることを良しとはしない音楽家でした。
バルトークは「民謡には全て調性が存在する」といって、やがてはシェーンベルグの無調の音楽からは離れていくのですが、それをもって、バルトークの後退とか妥協とかいう人が存在します。
しかし、それは誤った考え方です。彼の本質は時代の流行を追うような浮薄なものにあるのではなく、あくまでもハンガリーの民謡音楽の中に根を下ろしていたのですから、無調の音楽とは双曲線のように限りなく接近することがあったとしても、それは決して相まみえることなくやがては離れていくのが定めなのです。

なお、この作品は最初のアメリカへの演奏旅行の時に携帯され、その時にフィラデルフィア音楽基金協会主催の作曲コンクールに出品されて優勝しています。その時の優勝賞金は3000ドルだったそうですが、第1次世界大戦後のハンガリーの政治的混乱に巻き込まれて冷遇されていたバルトークにとっては、経済的苦境を抜け出すための貴重な収入となったようです。そのことは、当時のアメリカではどのような音楽潮流がもてはやされているかを象徴する出来事であり、それは同時に後のアメリカ亡命で彼が冷遇されることを予見させるのに十分な出来事でもありました。

★弦楽四重奏曲第4番 Sz.91(1928年作曲/1929年初演)
この作品は第3番の完成から1年後に作曲され、内容的にはこの2作品は姉妹の関係にあるといわれています。しかし、第3番が楽章構成を持たない2部からなる作品だったのに対して、この第4番は第3楽章を中心としたアーチ形式と呼ばれる5楽章から構成されています。このアーチ形式というのは、音楽全体が「A-B-C-B'-A'」という左右対称のシンメトリックな形式を持っていることをいい、その全体の形式が各楽章の音楽の構成をも規制しているそうです。・・・あまり、この辺の専門的なことはよく分からないのですが・・・^^;。
しかし、音楽を耳にすれば、この作品が持っている強い緊張感が、その様な緻密で厳密な構成によってもたらされていることは容易に感じ取ることはできます。
また、奏法においてもダブル・ストップとかフラジョレット、さらにはバルトークピチカートと呼ばれる特殊な奏法がふんだんに使われており、そのあたりからもバルトークの意欲的な試みを感じ取ることができます。
個人的な好みもあるのでしょうが、シェーンベルグ的な世界に針が振れた作品に魅力を感じる人にとっては、この第4番の作品は6曲の中でもっともすぐれた作品と感じるのではないでしょうか。

★弦楽四重奏曲第5番 Sz.102(1934年作曲/1935年初演)
アメリカというのは時に粋な人物が出現する国であり、この作品を依頼したエリザベス・スプラグ・クーリッジ夫人というのもその様な人物の一人でした。彼女は現代音楽、とりわけ室内楽の擁護者として数々の音楽家を支援しました。その支援の手はバルトークにも及び、彼女の委嘱によって第5番の弦楽四重奏曲が書かれることになります。(話はそれますが、同時代の作曲家であるプーランクも彼女の支援を受けていた一人で、彼は夫人の死に際してフルートソナタを彼女の思い出のために献呈しています。さらにプーランクは独奏楽器とピアノのためのソナタを全てクーリッジ夫人に捧げています。)

残された記録によると、バルトークは1934年の夏、ブダペストにおいてわずか一ヶ月あまりでこの作品を書き上げたといわれています。
この時期のバルトークは、シェーンベルグに代表される無調の音楽や不協和な響きの世界から抜け出して、再び彼本来の世界である民族的な世界に舞い戻ってきます。その結果として、バルトークを20世紀における真に偉大な作曲家たらしめている一連の作品、「弦楽のためのディヴェルティメント」や「弦・打楽器とチェレスタのための音楽」、「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」などが生み出されていきます。そして、弦楽四重奏の世界ではこの第5番がこの偉大な時期を代表する作品として生み出されたのです。第4番と比べればしっかりとした調性を持った明快で分かりやすい作品に仕上がっています。
シェーンベルグ的な世界に魅力を感じる人にとっては、この明快さが作品の弱さと感じるようですが(もしくは後退と感じるようですが)、バルトークの本質が民族的なものにあると納得する人にとっては、この作品こそが6曲の中のベストと感じるのではないでしょうか。

★弦楽四重奏曲第6番 Sz.114(1939年作曲1941年初演)
全ての楽章の冒頭に「Mesto(悲しげに)」と表題が附されたこの作品は、ナチスドイツがポーランドになだれ込んで第2次世界大戦の幕が切って落とされた時期に作曲されました。
作品を依頼したのはハンガリー弦楽四重奏団の主宰者であるゾルタン・セーケイです。
バルトークはヨーロッパに戦火が広がるのを眺めながら、1938年の8月からスケッチに着手し、同年の11月に作品を完成させます。その後戦乱の中で作曲活動も思うに任せず、ついには翌年の10月に妻とともにアメリカの亡命することになるので、この作品はバルトークにとってはヨーロッパで作曲された最後の作品となってしまいました。
1938年の10月8日、ヨーロッパを去ることを決意したバルトークは最後のお別れコンサートを開いています。コンサートが終わっても彼をいつも支持し続けた若者たちは会場を去ろうとしなかったと伝えられています。しかし、その数日後にバルトーク夫妻は列車でスイスに向かい、その後フランス、スペイン、ポルトガルと移動して、最後は船でニューヨークに向かいます。
その道すがら、彼は「何度も祖国ハンガリーを振り返った」と語っています。
バルトークの音楽の根っこはいうまでもなく祖国ハンガリーの民謡の中にあります。その様な音楽家が生まれ育った祖国から根無し草の亡命者となることは、創作の源泉を失うことであり、それは痛苦の決断であったと想像されます。
この作品には、その様な痛惜の思いが塗り込められています。
(注:この作品は2005年5月の時点では著作権が消滅していません。この素晴らしい作品をアップできないというのはとても残念なことですが、後しばらく時を待ちましょう。)

ジュリアード弦楽四重奏団の最初のバルトーク全集


ジュリアード弦楽四重奏団はそのキャリアの中で3回もバルトークの弦楽四重奏曲を録音しています。確かに、この作品群がベートーベン以降最大の業績といわれているのですから、同一の団体が複数回の録音を行うのはそれほど不思議なことではありません。しかし、3回の録音となると他に例がないのではないでしょうか?

ここでお聞きいただいているのは、彼らの一番最初の録音なのですが、作品の真価と演奏の素晴らしさを伝えるには十分すぎるほどの音質です。すぐれたモノラル録音は下手なステレオ録音よりははるかに魅力的だといわれますが、そのことを納得させるだけのクオリティです。

演奏に関しては、後の2回のステレオ録音と比べると精緻さという点では一歩譲るかもしれません。しかし、作品の真価を伝えようとする熱さと、その熱さに由来する人肌の温もりみたいなものはなかなかに魅力的です。
確かに、作品のたたずまいからいって、もっとクールに、もっと精緻に演奏されてこそバルトークの作品はその魅力をよりいっそう輝やかせることは否定できません。しかし、あまりにもクールに、そして精緻に演奏しすぎると、ただでさえ聞く人を拒絶するような側面がある作品だけに、はじめてこの作品に接する人には厳しすぎる事も事実です。それに対して、ジュリアード弦楽四重奏団によるこの一番最初のモノラル録音は、それが持つ人肌の温もりの故に聞く人にとって「優しい演奏」と言えるかもしれません。
その意味では、未だに存在価値を失っていない録音だといえます。

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