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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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- ご意見、興味深く拝見しました。私もかつてはアンチ・カラヤンでした。今は1960年以前のものも、以後のものも含めて、カラヤンは大好きです。
日本でアンチ・カラヤンが流行したのは、日本人の評論家のせいだと思います。特にU氏。
- 2010-04-04:Sammy
- メンデルスゾーンの佳作を明朗かつ堂々たる響きで描ききったすばらしい演奏だと思います。くっきりした録音、晴朗でよく歌いつつもきりっとした管弦楽、そしててらわずにしかし積極的に歩みを進める指揮者のテンポが、作品の美しさを克明に明らかにしていると思います。このサイトにあるブラームス1番と並ぶ、存在感のある名演奏といっていいのではないでしょうか。
- 2010-04-03:タルティーニふぁん
- 非常に暖かくて豊かなよい演奏だと思う。ただこの曲には透徹したある種冷たさが必要じゃないか?その点、ミルシテインの旧版のインパクトが凄い。この曲の異様で不思議な美を実感させるというか、冒頭から異質な美の世界へと引きずる込む。タシュナーのはメニューイン日本録音と同様、全体の構成がちょっと不明瞭だと思うが、オイストラフ共々歴史的名演だとは思う。終楽章はタシュナーの豊かさがよいかも知れない。
往年の巨匠でタルティーニ好きといえばシゲティ。協奏曲ニ短調・ソナタト長調・アダージョと三曲は録音していて、特に最後の二曲が絶品だ。が、肝心の悪魔のトリルが無い。相性の問題だろう。シゲティのアダージョが世の全タルティーニ録音中最高峰だと信じる。つまり悪魔のトリルだけで語っては断じてならない。タルティーニの協奏曲・ソナタ群はヴィヴァルディに匹敵する程多く、私はそのほぼ全てが素晴らしいと信じる。個性的な深い情緒!語るような訴えかけるような切なさに満ち満ちている!特にソナタが好きだが、ヘンデルやモーツァルトのソナタと同じ次元のものだと信じている。カサッツァのCD三枚組でも曲のよさは十分認識できるが、古楽器奏者の演奏は早い楽章が割りと単調な気がする。
なお、モリー二の「見捨てられたディドー」のソナタも名演。また、悪魔のトリルにはプシホダの名演もあるが、中村稔(詩人・評論)氏曰く「(少年期の?メニューインの悪魔のトリルを超える演奏は現在まで無い(1988年当時)」と書かれていて、当然これは日本録音ではない(当時は不調)。その録音はたぶんCD化されてないはず、是非聞いてみたい。
- 2010-04-03:タルティーニふぁん
- しまった!先ほど「悪魔のトリル」の欄でこのこの協奏曲の演奏を絶品と書かなかったのを悔やむ!私の聞いてたのはGoehrとの競演1937年版で録音の悪さもあってインパクトが少なかった。・・・ブログ主さんと同感です!素晴らしい!シゲティのタルティーニ演奏三曲は全て絶品です!なぜシゲティがこの曲を選んだかすっかり納得できました。この感情表現の深さ、全楽章に渡る心からの共感、すべてが圧倒的、タルティーニの演奏はすべてこうでなくっちゃ!いかにシゲティがタルティーニの曲を愛していたか・・・凄いです。協奏曲は130曲以上あるそうですが、他のも一杯よい曲があります(タルティーニまにあ?としては全て好きですが)。アーヨの三枚とかアバド指揮グッリ独奏とかは流石にいい。他のイタリアの合奏団によるものはいいのがありそうだが古楽器はよくない気がする。ダイナミックレーベルの全集とかを集めていたが20枚近く集めた時点で放棄・・・演奏がよくなくて曲の魅力が伝わってこない(その割には高価)。しかしこのシゲティの演奏を聴いて、もし本当のタルティーニ好きの一流演奏家が録音すれば、近年のフンメルとかバッハ一族とかラフの再評価の上をいく評価になり可能性すらある。日本の奥村智洋氏なんかもあってんじゃないかと思ったり(日本人演奏家に期待)。どこかの評論に「タルティーニはヴィヴァルディと同じ位ヴァイオリン協奏曲を作曲してるが、ヴィヴァルディより独創性が劣る」とかの記述をみて大いに憤慨(!)。むしろ反対だろっ(と言いたい)評論家の聞いた演奏が悪いだけだろっ!タルティーニをバロック作曲家然と演奏してもらっては非常に困る!ヘンデル・モーツァルトの次元で演奏してもらわないと(シゲティみたいに)、ゾンビ演奏になってあいまう。しかしヘンデル・モーツァルトレベルということは(たぶん途方も無く難しいかも?)(最近のモーツァルトなんてヒロ・クロサキ以外聞けないんじゃあ?言いすぎか)。ブラームスは、この悪魔のトリルをよく演奏会でリクエストしたらしい。
協奏曲の過去の名演としては、メニューインのものがあるそうです。たぶん三曲程だと思ったけどおそらく未CD化。悪魔のトリルに関する逸話の真偽に関しては、名演を聞いて判断すべき(初期ミルシテイン版)。しかし夢こそ想像力の源泉という主張もあり、また超次元からの影響を受け得るという説もある。なんらかのインスピレーションを受けたことは疑い得ないと個人的には思っています。(思わず書き過ぎました、駄文を失礼)未来のタルティーニ録音に期待!
- 2010-03-31:シューベルティアン
- はじめて聞いたときから大好きな曲で、今でも大好きな曲です。音楽が泉のようにあふれ出て、沈滞ということがない。とくにこのオイストラフトリオの演奏はアンサンブルのすばらしさで傑出していると思われます。
いい音楽、いい演奏というのは、音がふっと鳴り止む瞬間にも音楽的な「何か」が流れている感じがします。逆にわるい演奏は、音が止むと音楽もどこかへ消えてしまうような気がします。この演奏はそういった意味でも非常に示唆的な、聞くたびに違った言葉を投げかけられるようなものです。
シューベルトを聞くとぼくはモーやベーよりもバッハを思い出すんですが、バッハとは違った意味でなぞめいた作曲家のように思われます。バッハは敬虔な一途なクリスチャンであった。そういえば誰もがそうだろうと納得しそうなものですが、シューベルトは一途に信じているという感じではない。さりとて迷い迷い苦しんでいる感じでもない。彼の音色は実に複雑な表情をしていて、それが彼の裏表のない本心のように見えます。うれしいとも悲しいともつかず、信仰と疑惑がないまぜになったような、なんともいいようのない気持ちがそのまま出ているようです。
裏表がないということ、無理な力みがないということは、シューベルトに最も多く見られる美質です。それが物足りないという人もいるんでしょうが。ぼくは彼の音楽を聞くや「これでいいんだ」という強い安心に引き付けられます。
- 2010-03-31:m
- こんな録音が残っていたんですね。 やはりホルンはデニスブレインでしょうか?
84年のNHKホールでサインを貰うのに多くの人が並んでいたのを思い出しました。
<ユング君の追記>
「憧れのデニス・ブレイン/An enthusiasm for Dennis Brain」によると、デニス・ブレインだそうです。
第1楽章、冒頭のホルン ―― 山の頂上から新しい世紀の夜明けを告げる声。
と、述べておられます。
- 2010-03-30:N.I.
- いくつかの演奏を聴いてきたが、やはり、アーヨ盤が最高だと思う。このLPは最初に聴いたためか、このようなものだと刷り込まれたこともあるが、それでも、多くのイ・ムジチ盤の中でも化ルミレッリ盤を別にして聴いていて楽しい。この曲はそもそもBGMのような曲だと思う。ミュンヒンガー盤では聴きとおす気にならない。アーノンクール盤には驚きだけが残り再度聴く気にはなれない。それにしてもこの録音は別のレコードのように聴こえた。音が軽くて聴きごたえがない。
- 2010-03-30:cess
- 素敵な音色ですね〜、癒されます(^^♪
- 2010-03-27:nanigashi
- この三楽章は、モーツァルトのたどり着いた一つの極致だと思っています。他にバッハ、後期のベートーヴェン、シューベルト、そしてメンデルスゾーンが、こういう曲を描いてはハッとさせるのです。
それにしてもここで聴けるクラウスの解釈の鋭さ! 素っ気無さと情感が巧みに一つの曲の中に――そもそもクラウスはそういうピアニストだと考えますが、ともかく、素晴らしい演奏です。ありがとうございます。
- 2010-03-26:シューベルティアン
- 熱い!
幻想世界に浸るというのとは違った、厳然として音楽がそこに「在る」という感じです。風のようではなく山のようです。しかも燃えている山です。
セル、ショルティ、トスカニーニなんかは、ユングさんもたびたび書いておられるけど特殊な扱いを受けているようですね。敬して遠ざける、ですか。安全にクラシックファンやっていたけりゃフルトヴェングラーだけ聞いてろ・なんていう人もいましたが。
ぼくは彼らの直線的で熱い演奏がなんといっても一番聞きやすく、刺激的です。これを冷たいという人は、サービス精神がないといいたいのですかね。色気がないとか甘さがないというのはわかるけども、冷たいというのは滅茶苦茶だ。こんな熱い指揮者はいないぞ!
シューベルトでもモーツァルトでも、セルのアプローチは常に同じで、そこにあるまじめさを感じます。彼はある曲が好きだとか好きでないとかいうことはあまりいわない。どんな曲であれ自分の論理と技法が正しければ、最高の輝きを達成できると信じているようです。すでにここにアップされているハイドンを聞いたのですが、磨きぬかれた鏡のような音色に圧倒されました。それは異様な姿で人をむりにも引き付けようといったものじゃない。ただ当たり前のことを・しかし徹底的にやって、もっとも当たり前な意味での「完璧」な演奏を目掛けているようです。それは音の力そのものに圧倒されるというより、何か音楽がその一部であるようなより大きな全体に圧倒されるという感じです。鏡のようだな、とたびたび思います。訴えかけるものではなく、ただ映すだけのもので、しかも非常に鮮明に映すものだから、解釈とか想像の余地がない。有無をいわせぬ力があっても、押し付けがましくはない。ただそこに「在る」というだけのもの。
聞き手の自分としてはただ耳を澄ますしかない。でも何か雑念みたいなものが邪魔して、すべてを聞き取ることができません。音楽に対して自分の弱さを感じもします。
- 2010-03-26:後藤 晋
- 貴重な音源をありがとうございます。
現在のバッハ演奏がラミンのように語り継がれての遺されるでしょうか。
次に、冒頭の合唱のように、バッハは、トランペット(またはホルン)とティンパニの使い方が非常に上手ですよね。他に、例をあげればBWV119(以下BWVを省略)、63、172、34、130、91がそうですね(bwv91はトランペットではなく、ホルンを使用しておりますが)
- 2010-03-25:yk
- 今もイ・ムジチ好き・・・けれどアンチ・カラヤンの私ですが、こちらにはコメントがなくてミュンヒンガー君もすこし可哀想に思うので一言・・・・
51年の録音では独奏をバルヒェットが弾いていますね(彼のバッハのヴァイオリンソナタが解禁になった暁には、ぜひ此処にもアップしてください・・・・永遠の名演奏)。51年盤も基本的にはこの録音と変わらなくて、心なしかこのクロツィンガーよりも芯が太い感じもしますが、聞こえてくる音楽はやはり”北の国”の音楽。で、アーヨ/イ・ムジチの魅力には及びません。
イ・ムジチのスタイルでバッハは可能ですが、バッハでは独特の魅力もあるミュンヒンガーのスタイルでヴィバルディは難しい・・・・というのは、聞くほうの偏見??・・・なんでしょうか?
- 2010-03-25:りゅうちゃん
- クラシック音楽に興味を持ち始め、初めて親に買ってもらったのがこの曲とこの演奏のLPでした。以来、「四季」と言えばイ・ムジチよりも先にこの演奏が思い浮かびます。完全に「刷り込み」ですね。リズムは重く、四角張っていて、言わば「しかめっ面のヴィヴァルディ」。しかしながら、「冬」第2楽章に代表されるようにデッカの温かみのある優秀な録音ともあいまって、大好きな演奏の一つです。
(僕にとって、あまり特徴の感じられない数多とあるイ・ムジチの演奏よりも好きかも。。。イ・ムジチファンの方々、ごめんなさい!)
- 2010-03-24:キノコ
- いつも楽しく見ています。
僕は素晴らしい演奏家とは作曲家に没入する(作曲家を尊敬し全身全霊を傾ける)人や作曲家の作った音楽を自分に取り込むような人だと考えています。(どちらも根底には音楽を分かち合おうとする情熱があることは共通しているとは思います)
どちらかに振り切れれば歴史に名を残すような演奏家となる…そんな気がします。
僕なりの見解ですが、
カラヤンは後者に大きく振り切れた指揮者だったのであろうと思います。皆さんの言われるカラヤン美学というものがそれを表しているのでしょう。
僕は現在18歳でありカラヤンが生きていた時のことをリアルタイムで感じ取ることができませんでした。
でも今CDから聞こえるカラヤンの作る音楽はいつのカラヤンであろうと自らの信念をもって演奏しているように聞こえます。
この演奏にもそれは感じ取れました。素晴らしいです。
- 2010-03-24:N.I.
- 吉田秀和さんが、著書「LP300選」で「カラヤンの伴奏のつけ方が実に面白い」と、この演奏を薦めていたのを記憶していたが、聴く機会がないまま長い期間が過ぎてしまった。聴いてみて吉田さんのいうところを、分かるような感想を書いているユングさんの耳はたいしたものだと思います。自分の感想としては、カラヤンの伴奏については、いつもどの協奏曲でも自分が主導権を握っているようであり、この演奏でも、特に変わったところはないように思いました。それにしてもとてもやさしい響きと優雅さに満ちたブラームスでしたね。ブラームスのいかついい顔を忘れるような演奏でした。
- 2010-03-24:キノコ
- いつも楽しく見ています。
僕は素晴らしい演奏家とは作曲家に没入する(作曲家を尊敬し全身全霊を傾ける)人や作曲家の作った音楽を自分に取り込むような人だと考えています。(どちらも根底には音楽を分かち合おうとする情熱があることは共通しているとは思います)
どちらかに振り切れれば歴史に名を残すような演奏家となる…そんな気がします。
僕なりの見解ですが、
カラヤンは後者に大きく振り切れた指揮者だったのであろうと思います。皆さんの言われるカラヤン美学というものがそれを表しているのでしょう。
僕は現在18歳でありカラヤンが生きていた時のことをリアルタイムで感じ取ることができませんでした。
でも今CDから聞こえるカラヤンの作る音楽はいつのカラヤンであろうと自らの信念をもって演奏しているように聞こえます。
この演奏にもそれは感じ取れました。素晴らしいです。
最後に…
僕はまだまだクラシック音楽のことを知りません。これからも多くの素晴らしい演奏を長い人生で聴けていけたらなと思っています。このような素晴らしい世界に巡り合わせてくれたユングさんに心から感謝しています。これからも更新頑張ってください。
- 2010-03-23:ナルサス
- しばらく前にyoutubeでカラヤン/ウィーンフィルの新世界に出くわしました。
そしてそれは実に素晴らしかったのです。
もし十数年前にその演奏でカラヤンと「初対面」していれば私の所蔵のCDの演奏家勢力図もそれなりに変化があったかもしれません。
しかし、ではその素晴らしいウィーンフィルとの新世界がここでアップされているものから順調に進化を遂げた結果かといわれれば、全く別物という印象です。
今回アップされた新世界はあくまで「実験」的なものと感じます。
- 2010-03-23:うすかげよういちろう
- あれは、中学校の卒業式。
イムジチの四季が式のBGMだったのですね。
そのときはじめて聴いた曲でした。
春の出だしにぐぐぐっと引き込まれました。
きれいすぎるメロディ。
人が作った音楽か!うそだろう・・・
春の3楽章のあまりの美しさにさしかかるころ、胸が張り裂けそうでした。
いや、卒業式そのものに胸が張り裂けるべきだったかもしれません。
高校に入って母親に買ってもらったLPがマリナー/アカデミー室内の四季。
これが、あの卒業式の四季?
アーヨ、イムジチよりも名前は覚えやすかったけど、演奏はしっくり来なかった
違和感を克服するためのリハビリに苦労したのをおぼえています。
今回ミュンヒュンガーもアップしていただいて聞き比べてみましたが、あまりの違いに仰天したと同時に、イムジチの演奏のあまりのなつかしさにぐっと来ました。
いつもながら、感想になっていない駄文です
- 2010-03-23:あんとん
- ハース版ですね。
カラヤンのブルックナー解釈が、若いころから確立されていたことを物語る、貴重な録音と思います。
UPして頂いて感謝します。
- 2010-03-23:ヨシ様
- なぜこんな素晴らしい演奏が駄演扱いなのでしょう。
私には理解できません。
この演奏こそヴィヴァルディの「四季」の原点だと思うのですが・・・
そう思うのは私だけでしょうか?
乱筆、乱文失礼しました。
- 2010-03-22:シューベルティアン
- 「春」のヴァイオリンソロが大好きです。それはもう鬼のように好きです。好きです! 好きです!
ぼくはもともとロック一筋でクラシックは寝るための音楽だと思っていたのですが、ふと思い出して子どものころ親に聞かされていたこのCDを押入れから引っ張り出してきて、聞いてみますと、その瑞々しい音色に生き返るような感じをもちました。全力で走ったあとにミネラルウォーターを飲んだようなものでした。
イ・ムジチはその後も何度か「四季」を録音しているようで、一通り聞いてみたんですがこのアーヨ盤に優れた演奏はなかったですね。ぼくにはそう聞こえました。疑う余地もなく、このフェリクス・アーヨというヴァイオリニストの生命感あふれる演奏の力には及びません。
今でもしばしば取り出して聞いています。バロックとはこういうものなんだな、と思います。ただ自然を描写しただけ、もっとも巧く描写した人が巨匠と呼ばれ、それで誰もが満足していたのどかな時代に思いを馳せます。
- 2010-03-21:かなパパ
- セルとカーゾンの演奏と聞き比べをしてみました。
同じ曲でありながら、こんなに違った印象を受けるとは...
優雅な演奏に仕上がっているのも、聴きやすい演奏なのも「カラヤンならでは」だと私は思います。
私は、オケの引き締まった響きといい、カーゾンの演奏の迫力といい、セルとカーゾンの演奏の方が好きです。
- 2010-03-21:ryu1s
- カラヤンのブルックナー、割と好きです。特に7番。この時代のベルリンフィルの録音があったとは驚きですね。
- 2010-03-20:ミュージカル研究所
- 1958年11月は、私が生まれた年、そして月ですが、本当にいい録音ですね。演奏もすばらしい。タッチの軽やかな感じがいいですね。このピアノ協奏曲は難しいですが、名人芸を披露するような感じがなく、重さも軽さも哀愁もある傑作ですね。「可愛らしいきゃしゃなスケルツォ」が好きなのです。この曲が好きで、大学の卒業作品はピアノ協奏曲を書きました。いいものを聴かせていただき、ありがとうございました。
- 2010-03-20:かなパパ
- いやぁ〜〜、すばらしい演奏です。
オケの響きといい、カーゾンの演奏の迫力といい、文句のつけようがありません。
ミスタッチ?と思わせる箇所が何度かありますが、すごい迫力ですね。
1楽章の終わりと2楽章の終わりに拍手がわきあがっているのも納得できます。
- 2010-03-16:うすかげよういちろう
- 先日導入したエムズシステムの波動スピーカーで聴きました。
すばらしい音です。
眼前にオーケストラが浮かび上がる立派な音です。
ピアノの響きがまたまたきれい。
こういう音が欲しかった。
- 2010-03-16:菅野茂
- マタチッチがただ同然でオケを振りたかったのは、84年の来日時のインタビューでもわかりますね。彼が次は何時N響が招いてくれるのか催促しています。彼はサワリッシュと同じくN響振るときだけ最高の結果を残すようです。強い音がなかなかでないN響にとっては最高のトレーナだったでしょう。ここヨーロッパでは彼の名前はほとんど聞きません。Wien国立歌劇場なども昔は振っていたようですが、録音とかほとんど出てこないですね。
まだこの録音は聴いていないのですが今から楽しみです。
- 2010-03-15:タコ
- 自分にとってこの演奏は、あの『レコード芸術』が通販していたオリジナルCDで存在を知り購入した経緯があります。今も持ってます。
ベーム=バックハウスの演奏で耳に慣れていたこの曲が、リヒター=ハーザーのピアノをサポートするカラヤンの演奏で実に聴きやすくなって新鮮でした。
このCD購入後、輸入盤で『ブラームス/ピアノ協奏曲第2番、ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番』という重量級のカップリングのCDの存在を知って思わず買ってしまいましたね(笑
これの指揮者はこれまた重鎮のザンデルリンクというのも聴き物です。現在も時々見かけるようなので、もしよろしかったら一聴をおすすめします。
- 2010-03-15:ばや
- ホロヴィッツはオクターブの強打とともに音色や語り口に特徴があるピアニストで、前者の技巧は自国の作品に、後者のそれはロマン派の作品に特に有効でした。ベートーヴェンのピアノ曲は、耳が不自由であったため、ショパンやリストなどと比べるといわゆるピア二スティックではありません。ですからベートーヴェンの曲ではホロヴィッツも自らの演奏上の特徴を活かすのが難しかったかもしれません。でも、彼にも「合う」曲は結構あります。彼の場合、そういう曲しか弾かないのでとてもわかりやすいですね。ピア二スティックでないベートーヴェンの曲で「がんがん弾く」というのが「もっと速く」ということなのか「もっと強く」なのかよくわかりませんが、この演奏でもホロヴィッツの持ち味であるオクターブの強打は十分に堪能できます。これ以上「がんがん」弾いたら音楽でなくなってしまうでしょう。
速いテンポで直線的に進むこの演奏、「皇帝」の演奏の王道からはずれているかもしれませんが、聞いていて本当に気持ちがよく、私は大好きです。人柄で民衆の心を引き寄せる皇帝ではなく、強さそのもので人気を集める戦時の皇帝といったところでしょうか。クラシック嫌いの若者にも、この演奏なら受け入れてもらえるのではと期待してしまいます。この演奏でのホロヴィッツ、遊び心も入ってなにやら楽しそうですね。この演奏での一番いいところはそこだと私は思います。弾き手の喜びが聞き手に伝わるというか。オケとちょっと張り合っているようなところもあって面白いですね。ホロヴィッツやアルゲリッチのような燃焼系ピアニストは「本番でノレなかったらどうしよう」と不安が先行して演奏活動を減らしてしまうこともあるそうですが、ホロヴィッツ、このレコーディングのときはどうやらノッていたみたいです。
- 2010-03-13:Kyoji
- すごく綺麗な演奏ですね。特に第一楽章は美しいです。
音も60年前に録ったとは思えませんね
ただ、第二楽章がよくいえば「上品に」まとまっていますが、悪くいうと少し荒々しさが足りない気もします。リズムの激しさもバルトークの魅力だと思いますので
(4楽章はよかったですけどね)
とはいえ、私もブーレーズの演奏よりは好きです。
ありがとうございました。
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