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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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次のページ- 2012-06-03:カンソウ人
- 少年時代に買った、1930年代のポロネーズ集は、魂の響きとも言うべきものでした。
しかし、EMIの変換がまずくて、雑音が多くて細かい部分をスポイルしていました。
大学生のころに買った、ルービンシュタインのステレオは、比べると緩んでいて、しかし演奏者の責任にする事が出来ません。
東西冷戦は始まっていて、それはまだ終わっていないけれど・・・。
非常に長くて熱い世界大戦は終わっていて、幸福に年齢を重ねている彼の姿の刻印です。
齢70を超えて、30年代の音楽をしていては身は持たないし、聴衆のニーズにも合わない。
アメリカ人としての音楽を表出しなければならない。
冷戦が熱い戦い以上に人間の生活に影響を及ぼすなんて思いもしない時代です。
核の冬なんて言葉がありましたよね。
ユングさんが言われている通り、ライバルとしてのホロヴィッツを感じます。
ホロヴィッツは楽譜をルービンシュタイン以上に生かしています。
この録音のルービンシュタインの和音の強打は見事です。
同じ曲の同じ和音を強打していても、横の線が聴こえるのはホロヴィッツです。
偉大な人物としてはルービンシュタインに、ピアニストの技術としてはホロヴィッツ。
ショパンがLP一枚にまとまるように長さを考えて、曲を書いた筈はありませんし・・・。
その長さになったのは偶然ですが、そこまでコントロールしようとした男もいました。
清水和音さんが、ショパンの3番のソナタをきちんと弾いたピアニストはまだいない。
あまりに多くのモチーフを正しく性格付けをして、全体の形式を表わして弾く事が出来ていない。」
そう語りました。
「自分なんてまだまだです。ピアニストは全員ショパンに負けています。」
と言ってグールドの放送録音をかけました。
「演奏としては良い演奏とは言えません。もっと良い演奏はあります。
しかし、すべてのモチーフに正しく性格付けをしている例は、他にありません。」
ホロヴィッツやルービンシュタインのようなピアノの大名人でも出来なかった事。
その事に実験的にではあるが、チャレンジしたのがグールドだなあと感じたのが、この録音でした。
- 2012-06-03:もちだ
- 5番(Fシャルク編曲)と9番(レーヴェ編曲)は作曲者の関与がないので、改訂ではなく弟子の独断による編曲、というべきだと思います。ノヴァークらも、この2曲にかんしては最終稿とはみなしていません。
原典版は冗長、といいますが、アンドレーエなど古老の演奏をきいても、表現豊かで、とくにのろくさい感じはしません。原典版をつかっても、改変版に由来する旧来の表情付けができないわけではなかった。厳格で単調な演奏はむしろ、最近のはやりなのでしょう。
レーヴェいらいの伝統があるウィーン響やミュンヘン・フィルでも、クナとアドラー(マーラーの助手)のほかに編曲版を使い続けたひとはいないようです。
- 2012-06-02:クリュイタンスファン
- 第1番、第4番、第5番を聴きました。第1番は恥ずかしながらこれで初めて聴きました。こんな名曲だったんですね。
このオケもそうですがルービンシュタインにはまた特に、あらゆる聴かせるテクニックを駆使して演奏を素晴らしいショウにしているなあと感じました。それからラッパの響きなんかも、旧き良き時代のアメリカを感じさせる?若干ファンシーな雰囲気でとても素敵でした。
こういう録音が評価されずに消えかけていたというのは残念ですね。このオケの不遇さがこういう面で現れているのでしょうか?そう思うと、そういうものに対抗せんとする楽団員達の「やったる!」感が沢山聴こえてくる気がして、また楽しいです笑。特にベートーヴェンだから尚更...
このオケの他の録音や物語に俄然興味が湧いてきました笑。機会がありましたらまた取り上げてください!
- 2012-05-30:本浦
- ピアノもさることながら、クリップス率いるオケの推進力が凄いですね。
(例えは悪いですが全盛期のベームの実況のようです)
アップして貰わなければ死ぬまで聴かずにいたところでしょう。有難うございました。
- 2012-05-27:richrichrich
- この曲の題名がなぜ「不協和音」になっているのわかりません。素人の私にはどこが不協和音なのかわかりません。どなたか由来など知っている方お教えください!
<ユング君の追記>
確かに、「不協和音」という言葉からは、どこかに耳をつんざくような響きがあるのかと思いますよね。そう思ってこの作品を聞き通すと、最初から終わりまでモーツァルトらしいエレガントで清明な響きの中に終始するので、どこに「不協和音」なんてあるんだ?と思ってしまいます。
この「不協和音」というタイトルは作品冒頭の序奏部(1~22小節)に由来します。演奏時間で言うと1分30秒あたりまでですね。
この序奏部は和声が曖昧で、そのために何調にいるのかもはっきりしません。それが中間部(1分前後かな?)あたりから何となく安定してきて最後はハ長調で一段落しますね。その後は、この上もなく晴れやかにハ長調で第1主題が始まるので、その違いは容易に聞き取れると思います。
つまり、「不協和音」というタイトルは、この冒頭の曖昧模糊とした響きに由来します。
ですから、最近のポップスや現代音楽に多用される、耳をつんざくような響きを探しても、そんな物はどこにも存在しません。(^^;
ただし、ネット上を散見すると、この作品にはそのような異様な不協和音が使われているみたいな書き方をしてる人もいますね。そう言う人はきっと、実際にはこの作品を聞いたことがないのだと思います。
と、記憶を頼りに書いた後に少し不安になったので、ザスロー先生の「全作品集事典」を確認した。
それでもって、さらに追記しておきます。
この冒頭部分は、チェロの響きに先導されて、ヴィオラ、セカンドVn、ファーストVnと入ってきます。このうち、ヴィオラが「A」、ファーストVnが「As」です。いわゆる半音階進行です。
古来、こういう半音階進行をさせたいときは同一声部で処理すべきであって、異なる声部感でこのような進行をさせることは「対斜」と言って、厳しく禁じられていました。ところが、この冒頭の序奏部には、この禁じ手の「対斜」が至る所に登場します。
ですから、不協和音が普通に使われる19世紀になっても、この「対斜」を多用したこの冒頭部分は異様な物と聞こえたようです。
<以上、ザスロー先生の受け売り>
しかし、ドビュッシーなどの響きを経験している今の時代にあっては、このような曖昧な響きは何の抵抗感もないというのが現在の耳です。
- 2012-05-26:前川保祐
- すばらしい演奏だと思います。音色に輝きと艶があり、聴き始めるとすぐにリッチのヴァイオリンに引き込まれてしまいます。耽美でロマンティシズムに溢れるリッチの演奏には、ハイフェッツには感じられない魅力があります。
- 2012-05-24:ろば
- う?ん、こういう録音をアップされると困ります。
ルービンシュタインという人はあのつまらないステレオ録音の人であって、チェックに値しないことにしていたのに、まさかこんな凄い演奏の人だったとは…。
またチェックしなおさないといけない。
8点。
- 2012-05-21:鶏毛子
- こんなに快速且つ絢爛にすっ飛ばすブラームスの一番は初めて聴きましたので、吃驚仰天して思わずお便りしてしまいました。この曲は私にとっても青春の思い出深い最も好きな古典音楽の一つであります。私は鬱陶しい演奏が好きな方なのですが、トスカニーニのこの演奏は素晴しいと感じました。こちらのサイトを知ったお蔭で今まで知らなかった多くの名演奏を聴くことが出来感謝いたしております。
- 2012-05-20:nako
- 確かにユングさまの仰る通りだ!と思っていたのですが、この頃、人が止めて止まるようなジョーシキジンなら、そもそも何千人の前で演奏したりレコードを遺したりするようなマネはしないんではないかと思うようになりました。
誰だったか、「声が出続ける限り、曲を選んで何かを表現し続けたい」と言った歌手のコメントを呼んだ記憶がありますが、演奏家なんてそんなものだと思います。
やり尽くしたと思ったら、引退の道を選ぶのでしょうが、まだまだ表現できると思えば、たとえテクニックが衰えようが声がかすれようが、誰が止めようが振り切って舞台に立ち続けるのだと思います。
それをどう受け止めるかは、聴き手次第、というところなのではないでしょうか。
ただ、それを、諸手を挙げて褒めまくる評論家というのは、いかがなものかと思いますけどね。
- 2012-05-20:クライバーフアン
- リヒテル絶賛のこの録音を初めて聞きます。ピアノの音が独特ですね。固めの感触で、けっして
耳に心地よくありません。でもこの固くて、ややひんやりとした感触の音がラヴェルに良く
あっていると思います。リヒテルの批評は以下のとおり
To celebrate the New Year, the choice this time fell on Ravel's Concerto in G.
It's clearly the best thing Michelangeli has ever done. I've never hearda better
performance of this concerto. The coldness so typical of this pianist is entirely
appropriate here and never for a moment at odds with the music.
It's an exceptionally fine recording, which we listenedto with enormous pleasure.
リヒテルがもし弾いたらどんなになったのでしょうか?
後、私はフランソワのドビュッシーはミケランジェリのものより好きです。
- 2012-05-18:ピアニーナ
- 私の好きなモーツァルトのK.488、そして、クララ・ハスキル。こんな所で又出会えるとは思ってもみませんでした。ちょっと調べ物をしていて検索一覧の中からここに来ることが出来ました。ハスキルのピアノ以外に今そのことにも感動しています。有難うございます。
- 2012-05-14:夜のガスパル
- ピアティグルスキーのこの演奏、素晴らしいですね。
ビヴラートの使い分けと、簡単には曲に流されないボウイング。
完璧なお手本であることと音楽が魅力的であることが合致している、とはシェリングに使われる褒め言葉なんですが・・。
100万ドルトリオのブラームスでも、この人が「ブラームスの音楽」を保ったなぁ、と思いました。
録音は、すべてのチェロ協奏曲に言える事ですが、しっかりソロに焦点を当てています。
オケと合わせて、この時代のものとして随分いい音だなぁ、と改めて思いました。
この曲の実演ではソロ奏者はもう大変です。
会場の席の位置によってはチェロが全く聞こえない時も・・
経験上1階席は真ん中より少し左右の方がお勧めです。
- 2012-05-13:やもり
- ブラームスの3曲の弦楽四重奏曲を聴いたのは、これが初めてです。ですので、演奏の感想ではなく、曲自体の感想になります。
私の場合、普通のクラシック音楽を聴くときには、それほど深いことは考えずに曲の印象だけを追っていると思います。ですが弦楽四重奏に限っては、「4つのパートが充分活用されているか」といったように、曲の構成まで解析しながら聴いてしまっているように思います。弦楽四重奏というのは、そんな側面を持ったジャンルだという気がします。
そんな観点からこのブラームスの、特に1,2番を聴くと、持てるテクニックを駆使して、ベートーヴェンのように4つのパートをフル活用させることに苦心して完璧な構成の曲に仕上げた結果、細部は素晴らしいけど、全体としてのまとまりというか、印象がいまいちの曲になってしまっている、と感じました。あちこちにぶつかって流れて行かないような曲と言えるかもしれません。
加えて、先入観からでしょうか、大先生(ベートーヴェン)の前で、舞台でガチガチに緊張して踊っている、本当は才能のある生徒のような曲、というように聞こえました。
その点、この3番は良いですね。
少し開き直ってベートーヴェン路線は棚上げしたのか、4つのパートをフル活用した構成重視ではなくて、第一バイオリンが気持ち良く歌って他の3つのパートが伴奏、という場面が多いのではないでしょうか? そんなプレッシャーのなさのためか、ブラームスらしい渋くて美しい歌を随所で楽しめるように思いました。
そんなこんなと、いろいろ考えながら楽しめました。曲のアップ、ありがとうございました!
- 2012-05-13:シューベルティアン
- 数あるオーケストラ作品のなかで最も好きです。そしてこのセル・クリーブランドの演奏が最も好きです。
なにがいいのかと、人に説明するのに困難を覚えるのですが、感動というものはなんでもそういったものでしょう。べつにわかってもらわないでもかまわないのですが、しかしうまく説明できないことに歯がゆさも感じます。何度聞いても新鮮で、そのつど新しい発見があるような、人生をまるごと表現したような作品、といってもわかる人にしかわからないでしょう。
シューベルトというと悲劇的な生涯がどうとか、底なしの暗さがなんとかいわれますが、ぼくはそんなふうに聞いたことがありません。それは一種ロマンチックな解釈だと思われます。彼をロマン派の先駆けと考えるのは飛んだ間違いです。彼はまったくベートーヴェンの兄弟であって、シューマンやショパンやブルックナーには似ていません。
シューベルトの音楽にはなんともいえない強さ、自立性とでもいったものがあって、聴衆を必要としていない、わるくいえば無愛想なところがあります。このゆえに私は聞いていて安心を覚えるのですが、こういった主体性の強さはロマン派にはあまりないように思えます。他人がどう思うかということにはおよそ構わずに、自分ひとりの道を行くところまで行ったという感じがします。彼は自分を芸術家と考えていたかもしれないが、世界中が自分を無視しても構わずに作曲しつづけたでしょう。
- 2012-05-13:夜のガスパル
- 私は趣味がバイオリンなのですが、好きなバイオリニスト一択ならシェリングです。
特に彼が40歳代に残した録音は、バイオリン音楽の一つの理想です。
シュミット=イッセルシュテットと共演したベートーベンの協奏曲など、この先もこれを上回る演奏が想像できません。
ブラームスならモントゥーとの共演盤(ウィルキンソン録音)が、繰り返し聴いても擦り減らない内容の詰まった音楽になっています。
そして、チャイコならこの録音です。
他に、ルービンシュタインとの共演の、ブラームス、ベートーベンのソナタも抜群の出来です。
とどめを刺すのは67年録音バッハ無伴奏なのですが、これも実は55年録音の音のつややかさ、ビヴラートの細かさ、アタックが明確なボウイング等、甲乙つけがたいものになっています。
このサイトはよくお世話になっておりますが、今回この録音が加わった事がとてもうれしいです。
演奏内容はもう簡単に、素晴らしい!くらいにしか書けません。
- 2012-05-06:summerman
- こんにちは。いつもこのサイトにはお世話になっております。以前に2,3回コメントをしたことがあります。私はクラシック音楽を愛好している一介の高校生2年生です。特にオケが大好きで、ブラームスやブルックナー、シベリウス、マーラー、ショスタコ、あとは日本の伊福部昭や諸井三郎など、ロマン派以降のほとんどを聴きます。私の世代の愛好家(といっても知り合いに)にはあまりいないのですが、モノラルでも鑑賞の対象にしています。例えばワインガルトナーのブラームスは愛聴盤の一つに入ります。
声楽は普段あまり聴かないのですが、ユングさんが集中的に聴かれたとのことで興味を覚え、カルーソーの録音を聴かせて頂きました。なるほど、御説のように、昨今こういった熱気はあまり聴かれないのかも知れません。今やどこの演奏会(オケもピアノも室内楽も)に行っても、プロの演奏から技術的なミスはほとんど聴かれません。しかし、例えば私の大好きなリヒテルのようなミスタッチも気にしない怒濤や迫力も聴かれないのは事実です。私は詳しくはありませんが、きっと声楽家も事情は同じでしょう。
思うに音楽というのは、録音の技術向上とともに、「聴衆が参加する物」から「消費される物」に変わっていったような気がします。そしてその動きを、ミスのない完璧(必ずしも良い意味でも悪い意味でもなく)な演奏で大量の録音を行った演奏家(カラヤン然り、オーマンディ然り、ヴァント然り、セル然り、、、)が後押ししました。それは、より作曲家の意図を表出する手段でもあり、音楽を普及する手段でもあり、決して間違いではありませんでした(前掲の演奏家の録音には好きな物がたくさんあります)。しかし、同時に少しずつでも確実に、「音」が「音楽」から一人歩きを始めたのです。
その行き着く先は「空虚さ」であり、「おぞましいまでの上品さ」です。でも、その原点は、古い時代の「熱い」演奏にあったような気がすると言っては伝わらないでしょうか・・・。あの熱い音楽の時代に、聴衆は演奏家に寄り添うようになりました。大戦下ベルリンでのフルトヴェングラーの切羽詰まったような演奏などは、聴衆も含め、ホールが作った音楽の典型例でしょう。
しかし、やがて聴衆は極度の緊張の中での音楽鑑賞から離れていったのだと思います。それは前述の音楽の消費という流れの到達点でもあり、物質文明社会の発展による無緊張な日常の安定した存続の中で人々が音楽に日常を求めるようになった結果でもありましょう。
そして音楽鑑賞が緊張から切り離された後、演奏家たちは自覚はなくとも古い時代よりも熱気を失っていきました。そして緊張はあくまでもステージ上に内包し、技術というかたちでのみ表出されるようになりました。
昨今の演奏に中身がないと感じる人が多くなるのはその流れの延長です。技術に対する緊張が高まって、もっと深遠な、あるいはもっと切実な緊張は影を潜めました。
さて、こういった昨今の演奏はマイナス要素なんでしょうか。そこからしか得られない物はないのでしょうか。圧倒的に感動する演奏は確かに少ないかも知れません(もっとも先日地元オケの定期で、これまで古い物から新しい物まで数十種も聴いたチャイコの5番で人生最大の感動をしたのですが)。でも、音楽に対する感心ぐらいでは駄目でしょうか。強烈な個性も面白いけれども、曲そのものを楽しむ、インスタントの演奏が立っても良いじゃないですか。精緻な(冷めた即席の)演奏は、時代が導いた一つの答えです。私はそういった意味で新譜にも魅力を感じます。
- 2012-05-06:としろう
- 1963年頃AngelのLPでこの曲を聴いていました(当時20歳位)。オケ、指揮者も同じです。記憶が定かでないのですが、1944年演奏版だったのでしょうか。1952年のスタジオ録音版のほうが私は好きです。それにしてもすごい曲、素晴らしい演奏ですね。心が揺さぶられます。
目下、改めてベートーベンの全作品を年代順に追っかけて聴いています。「クラッシックリスニングルーム」のサイトには大変感謝しています。
- 2012-05-04:radames
- 「デッカ」と「ウィーン・フィル」の音。なんと芳醇で力強い響きなのでしょうか。それがこのアルバムの全てだと考えます。それがオーケストラの力でもあり、ケルテスの勢いではないでしょうか。「「ショルティ」の「指輪」と同じく、『レコード芸術』の言葉をそのまま示す録音と考えます。
アナログレコード末期の「スーパー・アナログ デスク』シリーズでは「ロンドン響」の物が取り上げられたと考えますが、「ケルテス・ウィーンフィル」の他の曲や「カラヤン」の録音を聞くにつけ、この当時のウィーン・フィルは素晴らしかったのでしょうね。 「憧れ」や「羨望」と言ったものが、音楽を膨らましていた時代を思い出しました。
- 2012-05-04:radames
- あたたかい音で心が落ち着きます。 やすらぎはこの時のワルターの心境なのでしょうか。
「音楽を奏でることへの喜び」が日本人には希薄なのでは、といつも考えている私ですが、このシリーズを聞くとさらにその思いが強く感じます。
私のマーラーの9番としては、結論が出ていない未解決の演奏ではありますが。
- 2012-05-03:せいの
- flacで聞かせていただきました。ありがとうございます。音がいいですね。デッカの当時の録音技術はすごいと関心されられました。
さて、演奏ですが、ユングさんが書かれているとおり確かに端正でおとなしい演奏ですね。モントゥーよりもウィーンフィルの特徴が表に出ているのでしょうか。フルトヴェングラーの「バイロイトの第九」と「ニコライの第九(ウィーンフィル)」の対比を想起させられます。特に3楽章まではウィーンフィルの美音を楽しむ演奏ですね。4,5楽章で興が乗ってきますが、そこでもウィーンフィルのアンサンブル能力のおかげで一見おとなしく聞こえてしまいます。当時のウィーンフィルの実力を再認識させられます。でも、曲の特徴を考えるとマイナスに働いているかも・・・。
モントゥーの特徴をもっと認識できる演奏をぜひ聴いてみたいものです。
- 2012-04-29:しんのすけ
- オペラは聴く。14時間かかる“リング”でも。
モーツァルトは交響曲も器楽曲も聴く。
しかしなぜか「モーツァルトのオペラ」だけは敬遠していました。
理由はストーリーが分かりづらいから・・・だと思っています。
でもこのクライバー盤を聴いているうちに、天才モーツァルトを再確認し、名盤と言われている1974年のグラインドボーン音楽祭のDVDを購入。
今ではこの音源と、グラインドボーンの映像をiPhoneに入れて持ち歩いています。
そして今日、この音源のLPを購入しました。
すっかり「フィガロ」に魅了されてしまいました。
ユング君、幸せをありがとう!
パパ・クライバーにも感謝、感謝です☆
- 2012-04-24:石原 保雄
- 何度か聞いてますが、聞けば聞くほどに耳ざわりが良くなる気がします。
特に第二楽章は力まずうっとりと、
構えないで聞く事が出来るので何度でも聞けます。
- 2012-04-23:Lisadell
- >バルトークこそ「現代音楽」という愚かな営みにはまりこまなかった偉大な「現代の作曲家」ととらえる人々にとっては、この30年代の作品こそ彼の絶頂期を形作るものだと評価します。
いやあ、感服しましたこの言い回しに。
C.クライバー&VPOのベト7のライナーに、
「現代に蘇る古典の瑞々しさ」という表現がありましたが、それと同じくらい納得です。
ディヴェルティメントはバルトークの中でも一番最初に好きになった曲です。
聴いたのはショルティ&シカゴでしたが。
もともとロックファンであったワタシにはスンナリ解けこめる局です。
- 2012-04-20:BIWAKO
- まさに名人芸ですね。音も良いし、こういう名盤がPCで聴けるがいいですね。
PC?ラックスマンDA-200?Bose M2 で聞いています。
他の百万ドルトリオの演奏も是非お願いいたします。
- 2012-04-20:小林寛司
- 齢を重ねることは悲しい別れも数多く経験し、今聞くバックハウス32番2楽章がこんなに悲しみに包まれた美しさだったんだとあらためて気付かされました。吹雪で雷の鳴る夜に逝ったといわれるベートーヴェン。バックハウスが威風堂々とまた鎮魂歌のように演奏しています。僕がもし明日逝ってしまうとわかったらモーツァルトのレクイエム、バッハのマタイ、32番を聴きます。
- 2012-04-13:せいの
- 掛け値なしに楽しい曲の素晴らしい演奏です。聴いていてどきどきわくわくします。独墺の曲みたいに精神的な深みはないかもしれませんが、スペインの民族色も素敵だし、いいですね。理屈ぬきで楽しめます。こういう曲にはこういう精緻なアンサンブルが似合います。ほんとうにうまい。
このコンビにはラヴェルの「ダフニスとクロエ」第2組曲という名演もあります。こちらもすごいです。「全員の踊り」で腰を抜かすこと必至です。早くパブリックドメインの仲間入りをしてほしいものです。
- 2012-04-09:ジェネシス
- 当時は2楽章の途中で裏返るフォンタナの廉価盤で聞いていました。音も詰まり気味でした。今回は耳が洗われる音質です、有難うございます。セルの向こう岸に居る演奏ですね。でも、同じ「ドイツの力こぶ」でもケンペ、カイルベルト、ヨッフム達より感動してしまうのは何故でしょうね。
是非、シューマンも御願いします。やはりセルの向こう岸でしょう。できれば、コンチェルト.シュティックも。23歳の若きペーター.ダムがトップを吹いていたはずです。コンマスがK.ズスケかG.ボッセ?。その後のマズア時代よりも響きも合奏力も優れていた様に感じます。
- 2012-04-09:homuda
- 歌・香り・ニュアンス・色彩に溢れ、ショッキングな位の名演ですね。これを聴くと、現代のクラシック界が、どれ程、音楽を失ったかがわかり、悲しくなります。
カルロス・クライバーが、1994年の日本公演前に、父エーリッヒと、カラヤンの録音を聴き「俺には、無理だ。」と、自信喪失し、危うく公演を、キャンセルするところだったと聞きましたが、わかる気がします。この時は、ウィーン国立歌劇場との「ばら騎士」、招聘元の音楽事務所の人と事前に話しましたが、「カルロスが、キャンセルだと、うちは、つぶれる」とマジで悲愴でした。 何か親子で、すごいですね。
- 2012-04-07:じょっちゅむ
- 出だしはキッチリとセッションのように始まりますが、リハーサルが限られたのか結構現場対応的に気合入れているのが散見されてスリリングですね。
これはこれで感銘を受けました。
- 2012-04-04:田中あらいぐま
- リーダーズ・ダイジェスト自体は、61年10号を除いて、大阪府立中央図書館に所蔵されています。
これくらいのことは、すでにご存じかもしれませんが・・・
<ユング君の追記>
なるほど、そこそこ大きな図書館なら蔵書があると言うことですね。貴重な情報、ありがとうございます。
でも、誰か、閲覧してリリース年を確認してきてくれるともっとうれしいのですが・・・(^^;
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[2025-09-16]

メンデルスゾーン:厳格な変奏曲 Op.54(Mendelssohn:Variations Serieuses, Op.54)
(P)エリック・ハイドシェック:1957年9月20日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n September 20, 1957)
[2025-09-14]

フランク:天使の糧(Franck:Panis Angelicus)
ルネ・レイボヴィッツ指揮 ロンドン新交響楽団 1961年録音(Rene Leibowitz:New Symphony Orchestra Of London Recorded 1961)
[2025-09-12]

ベートーベン:交響曲第3番 変ホ長調 作品55「英雄」(Beethoven:Symphony No.3 in E flat major , Op.55 "Eroica")
ジョルジュ・ジョルジェスク指揮 ブカレスト・ジョルジェ・エネスク・フィルハーモニー管弦楽団 1961年3月録音(George Georgescu:Bucharest George Enescu Philharmonic Orchestra Recorded on March, 1961)
[2025-09-10]

ブラームス:弦楽四重奏曲 第1番 ハ短調(Brahms:String Quartet No.1 in C minor, Op.51 No.1)
アマデウス弦楽四重奏団 1951年録音(Amadeus String Quartet:Recorde in 1951)
[2025-09-08]

フォーレ:夜想曲第2番 ロ長調 作品33-2(Faure:Nocturne No.2 in B major, Op.33 No.2)
(P)エリック・ハイドシェック:1960年10月21~22日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n October 21-22, 1960)
[2025-09-06]

バッハ:小フーガ ト短調 BWV.578(Bach:Fugue in G minor, BWV 578)
(Organ)マリー=クレール・アラン:1959年11月2日~4日録音(Marie-Claire Alain:Recorded November 2-4, 1959)
[2025-09-04]

レスピーギ:ローマの噴水(Respighi:Fontane Di Roma)
ジョン・バルビローリ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団 1939年1月21日録音(John Barbirolli:Philharmonic-Symphony Of New York Recorded on January 21, 1939)
[2025-09-01]

フォーレ:夜想曲第1番 変ホ短調 作品33-1(Faure:Nocturne No.1 in E-flat minor, Op.33 No.1)
(P)エリック・ハイドシェック:1960年10月21~22日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n October 21-22, 1960)
[2025-08-30]

ベートーベン:交響曲第2番 ニ長調 作品36(Beethoven:Symphony No.2 in D major ,Op.36)
ジョルジュ・ジョルジェスク指揮 ブカレスト・ジョルジェ・エネスク・フィルハーモニー管弦楽団 1961年4月20日録音(George Georgescu:Bucharest George Enescu Philharmonic Orchestra Recorded on April 20, 1961)
[2025-08-28]

ラヴェル:舞踏詩「ラ・ヴァルス」(Ravel:La valse)
ルネ・レイボヴィッツ指揮 パリ・コンセール・サンフォニーク協会管弦楽団 1960年録音(Rene Leibowitz:Orcheste de la Societe des Concerts du Conservatoire Recorded on 1960)