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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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- 8点です。
とんでも演奏を特集した本に紹介されていたアンセルメ指揮の演奏ですけど、7、9と聴いて来て3まで来ましたけど、普通に立派な演奏で困っています。
スイス・ロマンド管弦楽団の演奏に貧弱な部分を感じますけど、実直ながらも華やかな演奏で好感が持てました。
アンセルメの芸、自分には合っているようです。
- 2013-02-24:カンソウ人
- この曲は、私が聴いたベートベンのソナタでは早い段階でした。
後期の3つのソナタは、三つ合わせての少宇宙であって、3つ併せて考えた方が分かり易いように思います。私自身が、10代の日に聴いたのは、低温と高音に分かれていく、中音部には声部が無い場合が多くて、本当にファンタスティックでした。
ショパン等の幻想は、どちらかと言うと病理的な統合失調的な幻視ですが、ベートベンの物は神によって与えられた預言のように思います。
その後、音楽は諸芸術の中心となり、崩壊していくのですが、現実的に作曲と言う行為は廃れ始めていると言っても良いと思います。
表現しなければならない内容が、多様的になるにしたがって、旋律と伴奏では無理なのですね。
無理だっていうのが、嘆きの歌の部分でしょうか。
こういう音楽は、まともに弾いても、かえって違和感があるのです。
だからと言って、このように弾けばおしまいだという様な、マニュアルなんかないのです。
- 2013-02-23:平井正名
- 若きジュリーニの第一楽章冒頭での突っ込み。そして、老練アラウの第三楽章でのお返し。なんともこたえられない駆け引きの名演奏に感激いたしました。ゼルキン・セル盤でこの音楽を楽しんでおりましたが、また違った趣きに触れることができました。
yung先生はフィルハーモニアをけなしておられますが、セル・クリーブランドの世界を求めることは酷というものです。あんなものは二度とこの世には現れてはこないのですから。
管理人の追記:先生・・・はやめてください(^^;・・・お願いします。m(_ _)m
- 2013-02-23:シンザト
- とにかく慌ててコーヒーを淹れました。
穏やかで伸びのある良い演奏です。2本のヴァイオリンの調和の取れたメロディーの掛け合いにうっとりしながら飲むコーヒーは最高です。
ありがとうございます。
- 2013-02-23:シンザト
- セゴビアのギターは、大砲のような低音が出るなあ。
- 2013-02-19:マオ
- この曲を最初に聴いたのはこの演奏でした。たしか当時人工ステレオ処理されたレコードでした。私はそれほどベートーヴェンを引きずっているようには感じませんでした。分厚い音ですがやはりロマン派のより自由な交響曲だと思います。メロディーも独自でとてもブラームスらしく規則どおりに割り切れないようなところが好きです。カラヤンの録音もいっぱい聞きましたが、最近はショルティのものをよく聴きます。ほかに印象深いものはなんといっても75年のベーム来日のライヴです。どの指揮者でもとても巧みに表現していると思います。
- 2013-02-19:蔵田 誠
- ユングさんがクレンペラーを高く評価するのに賛同します。
クラシック鑑賞の魅力は、同局異演を聴き比べ、指揮者あるいは演奏者の解釈を味わうという点がありますが、この第五には3つの素晴らしい異演奏があると思います。
その筆頭に来るのは、何と言ってもフルトヴェングラーのBPOとの演奏(1957年盤)。
それに、クライバーの同じくBPOとの演奏。
それに加えて、このクレンペラー盤が挙げられるでしょう。
正に、三者三様。
とにかく、クレンペラー盤はこの第五をこれほどの巨大な交響曲として指揮したことは驚嘆に値します。
初めて耳にしたとき、私は、驚きと共に涙さえ滲んだのを憶えています。
精神の闘いとして、これ以上にない劇的表現に昇華したフルヴェン。
アレグロ コン ブリオとして演奏しきったクライバーに対して、
この巨大さ、音一つ一つを疎かにしないで、この曲の全く違った一面を引き出した”イン・テンポの鬼”に畏敬の念を持つとともに、クラシックの奥深さを感じさせてくれたことに感謝しました。
確かに本流ではないかも知れませんが、これはクラシック・ファンなら必ず揃えておくべき名盤に違いありません。
- 2013-02-18:oTetsudai
- 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータは、バイオリニストにとっては魅力あるらしいが、聴衆の立場で言えばただ退屈に思える。この曲をレオンハルトがチェンバロで演奏しているそうだが実に自然な考え方だと思う。バッハはハープシコードで作曲し、それにこの題名をつけただけに思える。
本題に戻って、この演奏に目を向けれると確かに「淡々と」演奏している。一瞬の停滞も亡く音が流れていくのは圧巻であるが、これだけ感情が見えない演奏というのも珍しい。彼の目から見れば、これらの曲はピアノのハノンのような指の運動の練習曲なのかもしれない。
- 2013-02-17:セル好き
- ユング君サマ いつも貴重な音源の公開 たいへん感謝しております。
2人目のセル好き殿
わたくし、最終が今年1月30日の「第九(アンセルメ指揮)」のメッセージのセル好きです(この曲の2013-02-16の「セル好き」氏とは別人です)。
セル好きのハンドルネームは既に使われているので、改名をお願いします。
追伸:最近ブラームスの交響曲はメンゲルベルクにはまっております。
去年再発売の66年頃のセル盤もすばらしいんですが。
- 2013-02-17:oTetsudai
- 巨匠による堂々たる名演です。元々私は若いときからレコードに高額出費をするなら巨匠のものをと決めていたので違和感は全くありません。この曲自体(私は)人生を過ごして年老いて最後に故郷に戻るというイメージをもっているので、言葉に違和感はありますが「カスみたいな演奏」でかまわないのです。最終楽章の冒頭でベートーベンの第九らしき響きのところに来るといつも「ああ、帰ってきた」という気持ちになります。それにワルターの指揮はこういうテンポで演奏してほしいという希望通りの演奏をしてくれました。ブラームスは音楽家としては成功ですが恋愛については挫折していますからその作品の中で敗者への共感を入れ込んでいると勝手に思い込んでいます。
- 2013-02-16:小前 一美
- いつも楽しみにユング様の音楽を聞かせてもらっいます。週末も夜に今週はどんな音楽がアップされているのか楽しみです。
久しぶりにヘンデルの音楽を聞きました。バッハもいいのですが聞いているとしんどくなってくるときがあります。そんな時、ボーとしてヘンデルの音楽を聴くと落ち着く時があります。
バッハに比べ、ヘンデルの音楽はああまり聞く機会が少ないのか、ユング様のアップされている曲数もバッハに比べ少なくヘンデルは「メサイヤ」以外は「ラルゴ」
のみです。
手元にあるヘンデルの楽曲を調べてみると「王宮の花火の音楽」2曲。サヴァリッシュ/バイエルン国立管弦楽団セル/ロンドン交響楽団(水上の音楽とのカップリング)、水上の音楽3曲。コレギウム・アウレウム盤、ベイヌム盤、ヘルムート・コッホ盤、合奏協奏曲作品3(全曲)がコレギウム・アウレウム盤、同作品6(全曲)がコレギウム・アウレウム盤とボイドニール盤、カラヤン盤(選曲)。オルガン協奏曲(全曲)がエヴァーハルト盤、それとハープ協奏曲とホントラバス協奏曲が一緒に入ったがウルスラ・ホリガー/イ・ムジチ盤。ヴァイオリンソナタ集/グリューミオ盤、メサイヤがコリン・デイヴィス/ロンドン交響楽団でした。
久しぶりにセルの水上の音楽と王宮の花火の音楽を聴いて見ました。セルがクリーブランド管弦弦楽団と演奏するのとは一歩違ったゆったりとした音の流れです。
それから合奏協奏曲作品/ボイドニール弦楽合奏団を立て続けに聞いてしまいました。(リヒター盤(アルヒーフ)が定番と記憶していますが当時レコード買いそびれてしまいました。)今はどのような演奏家の人が録音しているのでしょうか?、でもやはりボイド・ニール盤が私にゆったりと心落ち着かせてくれる音楽のような気がします。
- 2013-02-16:セル好き
- 私はセルが好きですが、このブラームスの1番も始めて聴きました。曲にのめり込まずバランスのよい演奏だと思います。変にいじった表現がなく安心して聴けました。好みはあるでしょうが…。57年にしては音もいいです。(私の持っているCDはステレオと書いてありますが)セルはプロ中のプロですが、冷たいという「誤解」があると思います。正統的で実に音楽的で無理のない情緒もあります。ときにはモーツァルトやベートーヴェンよりブラームスやドヴォルザークなどにより適しているようにも感じられます。どんな曲でもセルの指揮で聴くと、思わず衿を正したくなるような気分になります。ただ、聴き手が注意深く聴かないとそのよさが分かりにくいのかなあとも思います。いずれにしても質の高い演奏家だと思います。
- 2013-02-14:ichiduka makoto
- 久しぶりに聞いて、若いころ療養生活した時を思い出しました。第二楽章ではよく泣かされました。いまでも…やっぱしロマンティストなのかも。
- 2013-02-14:シューベルティアン
- ヴァイオリンの美しい音色。しかし傲慢を承知でいわせてもらえば、…どこか曲に合っていない気がする。この音色を、美しくないという人はいないだろう。しかし音楽はただ美しさだけではないのだと、考えさせられた。個人的にはオイストラフの全集のほうが好きだ。
- 2013-02-11:oTetsudai
- この演奏は確かに「雰囲気を持った演奏」です。私の上手な演奏か下手な演奏かの基準が正にこの雰囲気を実現しているか否かですからこの演奏は最上の部類に属する演奏です。聞こえてくるのは「ショパン」であってそこに演奏家の姿はありません。リヒテルのショパンも圧倒されはするのですがそれはショパンの心象をリヒテル自身が再構成した印象があり、勝手な言い方ですが私の持つサロンでひとりピアノを弾くショパンのイメージではないのです。雰囲気こそ音楽の醍醐味であり目的でもあると思うのです。たとえもっとたどたどしくてもこういう雰囲気のある演奏を夕暮れの中学校の音楽室から誰かが弾いているのを聞けたらきっと幸せになれそうです。このような踏み込まず退かずの演奏をゆったりと最後まで聞くと目がさえてそのまま徹夜しそうになります。
- 2013-02-11:ろば
- 8点です。
7番の時と違って自分としてはしっくりと来ました。
どの楽章も水準以上で非常に好感が持てました。
合唱、独唱もセッション録音を生かしたもので、不自然さが気にならないではないですけど、これはこれでありだと思いました。
アンセルメ、なかなか面白い。
…またCDとか買っちゃうハメになるのかなあ。
- 2013-02-11:danilo
- コメントのタイミングが遅すぎでしょうか・・・。ごめんなさい。
お題は素晴しい演奏で大好きでありますが、まずその前に、貴方の文章があまりにフィットして、自分で書いたものを読んでいるかのように感じて驚きました。「音のサーカス」。何て見事な、素敵な表現でしょう。自分ではもはやここまで書く体力がありませんが、口で他の人にホロヴィッツについて説明しようとしたら、ほとんど同じことを言ったであろうと思うくらい、同じ感性、かつ見事な文章です。偶然こちらのページに出会いましたが、つい先日、輸入版でオリジナルジャケットシリーズの10枚組が驚異的に安かったのですぐに購入し、ここ数日聴き続けていたところなので、思わず反応し、メッセージを書かずにいられなかった次第です。
ベートーヴェンはバックハウス以外考えられなかった学生時代、唯一熱情だけはホロヴィッツが最高と思っていました。もう35,6年も前ことです。一方、ホロヴィッツというピアニストに対しては、小難しい言葉を並べ立てて何言ってるかさっぱりわからない評論家など全く気にすることなく、友人間でもかなり好意的に受け止められてましたよ。当時モノクロの指の長さが誇張された写真がジャケットになっているモノラルのシリーズ物が1枚1500円で発売され、友達同士で買って交換し合って聴いていたものです。
で、ホロヴィッツの熱情。思わず身を乗り出して、心臓がドキドキしたのをよく覚えています。
ただ・・・、熱情って結構たくさん録音していて、今になってみると、どれだったのかよく覚えてないんだなあ。オリジナルジャケットシリーズには残念ながら入ってないので、この購入を機に熱情が入っているアルバムで有名なのを別途2枚買いましたが、当時聴いたのとは少し違うような気がするんです。もはや30数年経っているのでこっちの記憶も相当にいい加減です。もう少し聴き込んでみようと思います。
お書きになった感覚の延長で、しばらく前にカラヤン&BPOの演奏集を(超驚異的に安かったので)買いました。当時よく言われた磨きに磨いた偽物の美しさ、結構じゃないか。その磨きに磨いた美しさにどっぷり浸ってみたい、と思ったのです。
そしてその次にケンプのベートーヴェン全集を(やはり安かったので)購入しました。35,6年前の当時、バックハウスの陰に隠れた地味なベートーヴェン弾きで、さらにポリーニやギレリスなどが評判の良い演奏を次々と出してすっかり忘れ去られてしまった感じでしたが、久々に聴いて、あまりのタッチの美しさに愕然としました。こんなベートーヴェンがあったのか、というより、ベートーヴェンのピアノソナタって、どれもこんなにも素敵な曲だったのか、長いことわからずにいてごめんなさい、という感じです。今の私には、最高のベートーヴェン弾きは誰かと言えば、迷うことなくヴィルヘルム・ケンプです。
長過ぎですね。ごめんなさい。
- 2013-02-09:oTetsudai
- >「自分が死んだときに流してほしい音楽」をアンケートすれば・・・
私の周りでもこの曲をあげた人がいます。それがこの曲を聴く動機であったわけで、家で針を落としたとき確かに心安まる曲であることを実感しました。モーツァルトやベルディでは大袈裟で、このぐらいなら許されるかな、といった甘えさえも許容される曲だと思います。この演奏は素朴ですね。フランス国立放送管弦楽団 フランス国立放送合唱団というのが信じられないぐらいです。曲もそうですが演奏も虚飾を洗い落とした印象があります。私が購入したのはフルネ@コンセール・ラムルー盤(ピエレット・アラリー他)です。この演奏より少しドラマティックな演奏です。特徴はソプラノが非常に美しいこと。まさに天使の声です。それに反しこの演奏を「山中の修道院で聴く趣」というのは実に納得です。
- 2013-02-09:ろば
- 7点。
音質もいいし、立派な演奏ではあるんですけど、どこかなにか物足りない印象。
正しい演奏ではあると思うんですけど、もう少し何か味付けがほしいところ。
と言っても、往年の巨匠のような表現ではなくて、もっとかっちりと固めの方が良かったかも。
音質も響きもいいだけに惜しい感じがしました。
- 2013-02-08:ろば
- 点数は1点です。
昔、フルトヴェングラーやトスカニーニなどの巨匠を特集したビデオを買ってそこではじめてビーチャムを知って好きになったことがあります。
で、いろいろディスクを買いましたけど、このグーセンス編曲のメサイアでビーチャム熱が冷めたのを改めて思い出しました。
そのあといろいろメサイアを聴きましたが、自分にはクレンペラーのものがベストです。
とにかくゴテゴテの装飾がどうにも受け付けられない。
自分とは相性が悪いディスクです。
- 2013-02-05:oTetsudai
- いい曲だなあと思います。手持ちのレコード(エルマン)の解説を見ると、舞姫タイスの魂を救おうとして、かえってその美しさに堕落していく、とあります。マノンも同系統の話ですから、この手の話はオペラにしやすいのかもしれません。ウェルテルもそうですが、誰もがこんなに過激ではないにしても似たような挫折を経てきたように思います。この演奏は遅めのテンポですが自然な流れを保っていてスタンダードな名演奏だと思います。ただ個人的には神尾真由子の演奏がしっくりきます。日本的美意識を感じるからかもしれません。
- 2013-02-04:シューベルティアン
- ふつうならぐっと力がこもるところを、さらと撫でるように通り過ぎていく。そこになんともいえない女性らしさを感じる。
テンポを恣意的に上げたり下げたりするのは、それがまったく自然なときには魅力になる。このハスキルにもぐっと落とすところがあるが、わざとらしくない。「うれしいため息」とでもいった趣きがある。かなりまずい録音だが、機械的雑音の向こうからふしぎな温もりが漂ってくる。
- 2013-02-04:シューベルティアン
- シャフランてたしか、ショスタコのビオラソナタをチェロ用に編曲した人ですね? 自由奔放な、伸びやかな音色が気に入りました。
そんなに規格外れな演奏でしょうか。べつに天邪鬼なことがいいたいのじゃありません。あまりこの曲の聴き比べをしていないわたしには、正統的に聞こえます。
ほかの曲ならたしかに破天荒な感じがしたかもしれないが、シューベルトは歌いすぎるくらい歌ってもいい。きっと作曲者が聞いてもこの演奏に拍手したでしょう。
よくシューベルトの晩年には死の影がつきまとっているとか、絶望がにじみ出ているとかいいますが、わたしはそういうものを聞き取りません。ただ率直に人生を愛しているので「別れるのがつらい」とでもいったふうで、ほんとうに無残な気持ちとはちがうように思います。
- 2013-02-03:アニサン
- 実にたくましくスカッと仕上がったいるように思います。
私にとっては定型の演奏スタイルが理解できるほど多くの演奏者の聞き比べができません。
この演奏は私には実に刺激的で局の持つ甘味も適度で大変気に入りました。
ユングさんの評を見ているとセルよりもライナーにシンパシーを感じていらっしゃるように思われますが
- 2013-01-31:N
- 「音楽というものに対するもっとも本質的な部分における指向性を判別するためのリトマス試験紙」というほど、音楽を聞き込んでいないのですが、もっと単純な自分自身の精神状態で、ミケランジェリのこの演奏に対する印象がすごく違ってくるなあという印象を受けました。
自分がどっちを向いて、どこへ進んでいいのか分からないくらい混乱して、苦しい時、正直なところ、このミケランジェリの演奏は全然ピンと着ませんでした。
だからといって、フランソワの演奏によって何かを得られたというものではなく、繰り返し聴けば聴くほど、「だから何なんだ」と混迷の度を深めるだけだったりしたのですが。
ある程度、「諦め」が付いた時、ようやくミケランジェリの演奏を反感なく受容することができました。
ラベルの音楽がそもそもそういうもんだ、と言われては、言い返す言葉もありませんが、「つんだ人」や、逆に「上がった人」にこそ、その本質が分かるってなもんなんでしょうか...
- 2013-01-31:oTetsudai
- この演奏もなかなか耳にすることができなかったものの一つです。実際に今回はじめて聴いてみると非常に洗練された解析的演奏という印象を持ちます。美しいといってもいいかもしれません。かなり前の方の席で聴ける素晴らしい録音だと思います。私のスタンダードは、昔、深夜に偶然スイッチを入れたときに飛び込んできたマタチッチの演奏です。例のところで右手を大きく振りそれがダイレクトに当時若かった私の心を揺らしました。そういう熱い演奏とは別次元の洗練された演奏だと思いますが、今回充分に「アンセルメ指揮 スイス・ロマンド管弦楽団」を聴ける贅沢を味わわさせていただきました。ありがとうございました。
- 2013-01-31:シューベルティアン
- ショパンを聞いていると不安になる。疲れもする。苦手な作曲家だ。どうしてあれほど多くの愛好者をもっているのか?
ロマン的傾向の作曲家でもシューベルトには論理がある。シューマンにもかろうじてある。それが現実に根をおろした支えになっているので、空想の広さと現実の大地の広さを同時に感じることができる。それがなんというか、聞いて安心するところの生活の匂いになっていると思う。
ショパンはただ空想の世界にのみ生きているような(私にはそう感じられる)自分が夢見ていることに気づきもしないほんとの夢想家だ。しかし結核で早死したという話を聞くと、そんな夢想家でいられたはずがないとも思われる。
あるいは、まともに向き合うにはあまりに強すぎる現実のショックからのがれるために、あれほどの夢を必要としたのか。ショパンが好きな人はそういう、死ぬほど疲れた人たちなのか?
寝るまえなど頭がぼうっとしているときにショパンを聞くと、完全にこの日常から切れた別世界に連れていかれそうでこわい。ショパンは恐怖である。麻薬である。わたしは今のところ、麻薬を必要としない健康な人間なのだ。とこう思うことにする。
- 2013-01-31:シューベルティアン
- 正統的な演奏だと思います。ベートーベンにしてもモーツァルトにしても、べつに劇場のための音楽は書かない! なんていう潔癖さはないのだから、こういうさばさばしたのもいいと思う。これが19世紀の演奏だといわれてもべつに違和感は覚えません(わたしは)。
推進力の強さはトスカニーニに似ていますが、あれは聞き手に「まじめに聞け!」といっているような厳しさがあって、このアンセルメには「金払ったぶん楽しませてやる」という気楽さがあります。
ベートーベンに必須の重厚さとか厳しさというのは、演奏家の思い込みによる付加物ではなかったかと思わされます。アダージョが宗教的な深遠さを表現してなくても、十分これで魅力的じゃないかと。
芸術には大別して娯楽的なものと宗教的なものがあるといえます。ベートーベンはこのふたつがないまぜになった人間臭さの権化だと思います。卑俗さと高潔さといってもいい。
教会にいって卑俗なものを見つけるよりも、劇場にいって高潔なものを見つけたほうが面白いだろうと思います。(合唱はもうちょっと迫力がほしいな、でも10点)
- 2013-01-31:シューベルティアン
- セルの演奏がまったく申し分無かったので、そのあとでこの有名な録音を聞いたがテンポの揺れがうっとうしく感じられて、それきり聞かなかった。
しかしなにかのついでにYOUTUBEでベートーベンの五番を聞いて、うなった。なんという魅力的な演奏だろうと。いわゆる「泣ける」映画・ドラマ・小説などきらいなわたしだが、こればかりは「涙を誘われる」という形容しかないと思った。
フルヴェンに似ているといわれるのはテンポの揺れが激しいことと、頭部が見事に禿げ上がっている(失礼)ことくらいだろう。この人が求めているのは一にも二にも、人間らしい感情である。感情、感情とかんたんにいえるが、それを飢えた鬼のように必死で求めている人はいない。
義理人情に厚いとか、仕事に命かけているというのは決まり文句だが、やはり実体のある言葉なのだ。こんないい男もいるんだと、しみじみと感動させられた。
- 2013-01-30:セル好き
- ある意味ベートホゥフェンのやけくそ感を表現したかのように三文オペラっぽくなっちゃっていますね。
録音は、ロンドンらしくたっぷり弾む低音でたいへんすばらしいのですが。
これと対照的な演奏として、1958年のフリッチャィ・ベルリンフィル・ヘドビヒ教会聖歌隊盤があります。
Pマークも1958なのですでにP.D.だとおもいますが、モーツァルトの大ミサと同じ合唱団(おそらくボーイソプラノ等)のお陰か、祈りに満ちた第九演奏になっていますし、声楽付き部分の最初の方のソロ歌手と木管の掛け合いなど絶妙です。
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