Home|コメント
リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
前のページ/
次のページ- 2021-03-20:Ken
- LPのセラフィムの廉価版でやっと手に入れたのだがLPを処分後、CDでは安い全集が手に入ったが、序曲が全部入っていなくて、30年ぶりぐらいにやっと聞くことができました。
ありがとうございます。フルベンのような深みはないでしょうが、カラヤンよりもずっと好きなベートヴェンの本質は十分味わえる私には今でも名演です。クリュイスタンスBPOではレオノーレ第3も非常に好きでした。
- 2021-03-19:やっぱりセルが好き!
- この序曲を聴くと何時も一列に整列させられた妖精達がSzellから「その羽の動かし方は効率が良くない!もっと上手く飛ぶには‥」とお説教を受けているシーンを思い浮かべてしまいます。
- 2021-03-17:tks
- 久しぶりに聴き直して、改めて凄さに痺れました。聴き直したのは実に40年ぶりです!初めて聴いたのは、中学生でFMで聴いたのですが、何か馴染めませんでした。その頃のお気に入りは、モントゥー&ウィーン・フィルで、優しさと暖かさが心地好く、このセル盤は冷たく神経質な感じがしました。その後、ひとつの作品のもつ様々な側面を知る面白さ、演奏家それぞれの個性や味付けなど、聴き比べを楽しむようになったのですが、何故か「確かこれは好みに合わなかったはず」と敬遠していました。今聴くと、精緻な音楽づくりに圧倒されます。聴き直す機会をくださったことに感謝です!
という訳で、この演奏、初心者には個人的には?です。クレンペラーも大好きですが立派すぎてこの作品の愉しさが伝わりにくいかも…。初心者には先のモントゥーかプレヴィン辺りをオススメします。
- 2021-03-16:joshua
- ハイフェッツは20台半ばで結婚しています。それもハリウッドの美人女優で6歳上の上さんです。フローレンス・ヴィドール。美女ですが、映画がサイレントの間はよかったものの、トーキーに耐える声の質は持たなかったようですね。20年ほど続いたなかで、子供も2人できたようで、ヴァイオリンの鬼神にも平和な家族生活があったのかもしれません。ホロヴィッツが愛娘と悲劇的な訣別を遂げた、あのようなエピソードは聞こえてきません。
音楽サイトで、こんな話は似合わもしれませんが、演奏家とて、24時間楽器ばかり弾いてるわけで無し、「この音の裏にはどんな人間があったのか?」とつい気になってしまいます。
このタランテラは町の名前に由来する毒蜘蛛のことで、無窮動の音型は毒を抜くために踊り続ける、という意味とか。それゆえ、中間部の伸びやかさは効果的ですね。晩年までミルシタイン同様衰えを見せなかったハイフェッツ。
その技の冴えには、生活の香りは感じられないですね。クールに駆け抜ける音を、芸術至上ととるか、ひたすら現実生活からの逃避ととるか、
聞き手の勝手ですし、演奏するハイフェッツの心の内は誰にもわかりません。言葉を用いない音楽の自由さがここにあります。
- 2021-03-16:コタロー
- 私が「夏の夜の夢」を初めて聴いたのは、中学1年の時、クレンペラー指揮するフィルハーモニア管弦楽団による演奏でした。そのため、この演奏がしっかり刷り込まれてしまいました。しかも、これは声楽の入った曲も含むハイライト盤だったのです。彼は悠然としたテンポで、シェークスピアが描いた幻想的な世界にごく自然に誘ってくれました。
セル=クリーヴランドの演奏にはそのようなファンタジーはあまり感じられませんが、例えば「序曲」や「スケルツォ」は、実に精緻に仕上がっており、弦楽セクションの細やかさは特筆すべきです。その他のナンバーもノーブルな演奏で、特に「結婚行進曲」は秀逸です。ただ、物語の進行順からいえば、「夜想曲」と「間奏曲」は逆にした方が良かったかもしれませんね。
今の私の考えからすれば、クラシック音楽の初心者には、迷わずセル=クリーヴランドの演奏を薦めたいと思います。むしろクレンペラーの演奏はセカンド・チョイスでしょう。
- 2021-03-14:コタロー
- ウェーベルンの初期の作品が取り上げられるのは珍しいですね。曲想としては後期ロマン派の作品に酷似していますね。絵画の世界でいえば、若き日のピカソが写実的な作品を描いていたのを思い起こさせます。
オーマンディの演奏は、彼がこの曲の初演を行ったのですから、悪かろうはずがありません。フィラデルフィア管弦楽団の色彩的な演奏も見事です。
貴重な演奏をアップいただき、ありがとうございました。
- 2021-03-13:アドラー
- 最近のニューイヤーコンサートは殆ど聞く(見る?)ことがなくなりました。随分前、正月がくるたびに聞いていた時のイメージは、ウィーンフィルの団員が自分たちのウィーンのローカルな民謡を鼻歌のように、気ままに演奏していて、あの豪華なホールに合わない感じがしていました。それがニューイヤーコンサートの独特の気楽さで楽しかった。Blue Sky Labelにアップしてくださっているボスコフスキーやクラウスもそんなひなびた垢ぬけない感じが残っているように思います。
その点、オーマンディのこの演奏はそういう音楽づくりとはだいぶ違うんですが、これはこれで楽しめます。フィラデルフィアの団員が、自分たちの知らないウィーンの文化に敬意を表したかのように丁寧に美しい音で弾き、オーマンディもしっかり楽譜を勉強して、聞かせどころのポイントを押さえているように感じます。J.シュトラウス自身が聞いたら、自分の音楽って結構、国際的だな、って新鮮に感じるんじゃないかな。
- 2021-03-12:エラム
- エーリッヒ・クライバーが戦後のヨーロッパで思うようにポストを得られなかったのはドイツから逃げたからだと思います。
10年間福島県を見続けていて得心がいきました。
エーリッヒがウィーン国立歌劇場やベルリンフィルの音楽監督の地位を求めるのは、福島の人からすれば自主避難し続けて戻ってきたばかりの人が、福島知事選挙に立候補するようなものです。それも対抗馬は風評被害と戦いつづけてきた農家出身者という条件で。
ドイツ・オーストリアの人たちにしれみれば、残り続けたフルトヴェングラーやクナに比べて、それどころか中堅のベームやカラヤンと比べてもエーリッヒには受け入れ難いとことがあったのではないでしょうか。
最近の福島県は自主避難者に帰ってきてもらうことを諦めて、逆にしらがみのない縁もゆかりもない若い世代の移住を促す方針にシフトしているみたいです。これに当てはめるなら、チェリの方がエーリッヒよりも歓迎されたとも言えるかもしれません。
ただ、エーリッヒ視点では逃げるしか選択肢がなかったであろうことは歴然たる事実です。ユダヤの血を引く妻が、子供が収容所送りの対象になりかねません。福島に例えれば自主避難どころか避難指示区域に彼はいたのです。
- 2021-03-11:コタロー
- ハイドシェックのモーツァルトのピアノ協奏曲がすべてパブリックドメインになったことは幸運でしたね。特に、この演奏は「23番」と並んで名演奏だと思います。
とにかくピアノとオーケストラとの絡みが絶妙です。モーツァルト晩年の作品にふさわしい深い情緒が余すところなく描かれています。バックハウスがベームと協演した演奏が墨絵を思わせる「枯淡の境地」を表しているとすれば、ハイドシェックの演奏は自由さとあでやかさを忘れないのが魅力的です。この演奏を前にしては、さすがのカサドシュ=セルの演奏が紋切り型に聴こえてしまうので始末がわるいですね。
- 2021-03-10:杉本正夫
- たいていの場合第一楽章の途中で聴くのをやめてしまうのですが、最後まで面白く聴いてしまいました。ユニークで味わい深いですね・・・
ありがとうございます。
- 2021-03-08:たつほこ
- セビリアの理髪師序曲から、ブラームスの交響曲2番、3番、1番と聴きました。
抒情的というか、オーケストラに歌わせていて、なかなか良いじゃないですか。
昔、シカゴ交響楽団とのシューベルトやマーラーの9番のレコードを聴いた時、茶色系の色合いが目に浮かぶような演奏だったと記憶しています。
今回、ブラームスを聴いて色は思い浮かびませんでしたが、よく歌うブラームスだなと思いました。
トスカニーニのSP盤のブラ1も、このブラームスも、どちらも良いと思わせるのですから、ブラームスは偉いですね。
- 2021-03-08:コタロー
- オペラには疎い私ですが、歌劇「売られた花嫁」はコシュラー指揮チェコ・フィルの全曲盤のCDを持っています。このオペラ、やはり音楽がいいですね。序曲に続いて演奏される「村人たちの合唱」からボヘミア情緒満載です。
ところで、セルの演奏による「売られた花嫁」は、手持ちのCDでは「3つの舞曲」のみが収録されています。そのため、前々からセルの指揮した「序曲」が聴きたいと思っていました。それだけに、ここに「序曲」がアップされたことは大変うれしいです。全体に実に颯爽として絶妙な演奏です。ただひとつ残念なのは、「3つの舞曲」の中の「道化師の踊り」の後半部分にカットがあることです。
余談ですが、浅野修様はセルの来日公演を実際に聴かれているのですね。うらやましい限りです。
- 2021-03-07:セル好き
- 構造をよくわかったうえで抜群の安定感で弾ききっているのでわかりやすく、メロディーラインも良く浮き立って、チャイコフスキーの西欧志向にも合ったエレガントさもあり聴き入ってしまった。
残響をうまく拾って広がり感のある録音も含めて名盤です。
- 2021-03-07:yk
- 私も詳しく調べたわけではないので、”最初”と断言はできませんが、パスキエ・トリオが1935年にこの曲を録音しています。兄弟・・・と言う関係だからこそ成立したのであろう弦楽三重奏というどちらかと言えばマイナーな組み合わせの常設トリオとして、パスキエ・トリオはこの曲を得意にしていて、この後モノラル、ステレオと2回の録音もあります。ここで紹介されているハイフェッツ-プリムローズ-フォイアマンの研ぎ澄まされた演奏とは対照的な演奏ですが、パスキエの演奏はこのモーツアルトの(私見では弦楽三重奏の最高・・・と言うか唯一無二の)傑作の一面を捉えてそれぞれ素晴らしい味わいの演奏になっています。いつか、パスキエの録音も本アーカイブで取り上げてください。
- 2021-03-04:コタロー
- 「セビリャの理髪師」序曲というと思いだすのが、1970年代後半、アバドがロンドン交響楽団を指揮したロッシーニ序曲集のレコードです。そこでは、「セビリャの理髪師」序曲ではなく、転用元の「イギリスの女王エリザベッタ」序曲として収録されていました。オーケストレーションも異なっており、打楽器にシンバルが含まれていたのです。当時の「レコード芸術」の新譜月評の音楽評論家は、『「セビリャの理髪師」に転用する際にシンバルを抜いたのであろうか』と推理していたのを覚えています。アバドの演奏はロッシーニにふさわしい、沸き立つような勢いと乾いたユーモアが魅力的でした。
ひるがえって、ジュリーニの演奏はシックな格調の高さを感じさせます。ロッシーニの序曲はあらかたアップされているようなので、今度はヴェルディの音楽を聴いてみたいですね!
- 2021-03-03:joshua
- Gary Graffman32歳の演奏、60年前。その名の通りbrilliantなメンデルスゾーンです。また、彼は存命でして、ルビンスタインやホルショフスキーを思わせる長命のピアニストです。60年頃、マウツジンスキよろしく、彼もBrahmsの1番をミュンシュと録っています。これがまた、(ミュンシュに煽られてか!?)なかなか熱い演奏です。その彼もフライシャーのように、右手の故障を煩い、「左手のピアニスト」の時期がありました。その師ホロヴィッツや、他方リヒテルは度々心を病みましたし、心身いずれに出てくるかは人それぞれのようです。immortalと呼ばれる名演奏とて、mortalな人間のある時期の記録にすぎない。いやいや、凡人のわたしには数週間の幸せを与えてはくれます。Munch ミュンシュと読むには、ウムラウトが必要ですが、通例見かけません。ドイツとフランスの国境を行き来したこの人の宿命か、本人も両方使っていたようです。有るときはカール・ムンク、フランスに帰化してはシャルル・ミュンシュ。英単語でも、マンチ munch「むしゃむしゃ食べる」があり、一字違いのmuchに「むしゃむしゃ」感を連想してしまいます。ヒマ人の連想です。
- 2021-03-03:コタロー
- きょうバルビローリのシベリウス交響曲第2番がアップされ、その中にたまたまトスカニーニの演奏のことが触れられていたので、さっそく比較して聴いてみました。
バルビローリの方は、さすがにシベリウスのスペシャリストと言われただけあって、この曲を手の内におさめた流麗な演奏でした。
トスカニーニの方は、かつての「骸骨のダンス」という感想が信じられないくらい、復刻状態が良いです。そして筋肉質でたくましい演奏が印象的でした。彼の「フィンランディア」、「ポヒョラの娘」もぜひ一度聴いてみたいですね。
- 2021-02-28:エラム
- 本演奏とは関係ないことですが、リーガーという名前でとあるお宝映像を思い出しました。
バッハの4台のピアノ(チェンバロ)のための協奏曲はメジャーな曲ではないと思いますがその昔、この曲で夢のような企画が催された記録が映像として残されています。
1972年、当時バイエルン放送交響楽団の指揮者だったクーベリックの呼びかけで、ミュンヘンと縁が深い3人の指揮者が集まり、4人の指揮者がピアニストとしてバッハの協奏曲に挑みました。
その指揮者は、当時バイエルン州立歌劇場の指揮者だったサヴァリッシュ、ミュンヘンフィルの指揮者だったケンペ、そしてミュンヘンフィルの前任者のリーガー、最後にクーベリックが指揮も担当しました。
4人のマエストロたちがプライドを見せつつ協力的に音楽を作っていく実に貴重なドキュメントでした(チェリビダッケならこんな企画絶対にお断りだったでしょう!)。
- 2021-02-28:joshua
- Fritz Rieger その人はローテンベルガーやヴンダーリヒという豪華顔ぶれで1964年ライブの魔笛を残しています。ミュンヘンフィル音楽監督でナチス党員だった人が、戦後レッグの傘下でフィルハーモニア管弦楽団を振ったのは43歳時。68歳と指揮者としては短命ですが、よく似た時代・状況を生きたオズワルド・カヴァスタが戦後間もなく服毒死したのと、対照的に器用に生きた人のようです。
いささか因縁めいた話になりますが、同じ43歳でこの曲をB.L.ゲルバーと共演したドイツ人がいます。パウル・デッカーです。(2014年に90歳で長逝した、キャリアもニュージーランド響と平和に過ごし終えた晩年でした。)その年1966年。まだ、頭書のリーガーはミュンヘンにいた年です。ゲルバーの自信作となり再録もされていない、この名演の伴奏指揮は、56歳のリーガーであったかもしれない、と歴史の皮肉を感ずるわけです。リーガーはピアノも達者で歌手のソロレペティートアをしていたほどです。マウツジンスキはそれを知っての演奏だったんでしょう。
- 2021-02-27:joshua
- ショーンバーグのコンサートへ評が紹介されていますが、学生には、否定の副詞で始まる倒置文の解釈練習にいいでしょうねえ。彼女は、どこをとっても何々などしていない、という、強調文です。しかし、これを音楽評論と位置づけた上で、conceptionsの語意を確定するには、それなりに音楽体験がモノを言うかと存じます。直訳して、大きな構想を目指して励むなど、どこにも見られない、何のことだろう?、と。次の文は簡単で、果たして洗練された楽しいピアノ演奏、と褒め言葉です。ショーバーグは、1984年当時の大言壮語的演奏に辟易していたのかもしれません。ちなみに、1字違いで、シェーンベルグ。方や、ピアニストはドルフマン。共にゲルマン系と思われます。さて、第3曲のwarum?がバックハウス辞世の演目であるのが気になって、ここへ辿りつきました。バックハウスは、カーネギーホールデビュー1954年にも、これを弾いています。コルトーもよく弾いていたような、、、Warum? 何故に?
- 2021-02-26:コタロー
- アメリカの音楽評論家、ヒューエル・タークィ氏が著書「分析的演奏論」(三浦淳史訳、音楽之友社)のなかで、この演奏を褒めたたえています。以下に彼の言葉の一部を引用します:
「それはモーツァルトをあまり好きになれない人をも改宗させ得る演奏である。」
「私はいつも変わらぬ喜びにひたりながら毎週数回聴いている。疲れたり、意気消沈した日には格別よいようだ。私はこのレコードをあまりにも高く推薦せずにはいられない。」
ちなみに、この曲のレコードは彼の誕生日プレゼントだったそうですが、組み合わせがR.シュトラウスの「ホルン協奏曲第1番」(マイロン・ブルーム独奏)ということなので、もしかしたら、このサイトに掲載されたジャケット写真のレコードがそれに該当するものかもしれませんね。
- 2021-02-25:yk
- 何年か前"Vladimir Horowitz live at Carnegie Hall"と題して、1951-1978年の間(+α)のホロヴィッツのカーネギー・ホールでの演奏会を集大成したCDが発売されたことがありました。言うまでもなくカーネギー・ホールは彼の米国での本拠地であったわけで、この1953年の演奏会も1965年のHistric Return演奏会もこのホールで行われている。カーネギーと言う鉄鋼王の名を冠するこのホールは、如何にもアメリカ的で古い歴史を背負わない米国の(プチ)ブルジョワ文化の象徴でもある。このホールでホロビッツは50年に渡って”王様”であり、批評家からはショーンバーグからは”猫の額云々”とも、その後のニューヨークで音楽評論を書いたE. サイードに言わせれば”政治家と同じく権力の座にとどまることしか望んでいない”ように見える演奏家・・・とも言われる。
そのホロヴィッツは、カーネギー・ホールにデビューすることを”the end of a particular phase in the pianist’s career, not the starting point”だと考えていたという。それは言葉を変えれば、高額のチケットを購入し恭しい礼装に身を包んで音楽を聴くことを一つのステータスと考える芸術”愛好家”のお気に入り・ペット・・・そして王様になることでもある。音楽を高尚なもの、虚飾を廃した真実なるものと考える純粋培養芸術の立場からは、カーネギー・ホールには鼻持ちならないスノッブの香りが付きまとうことは否定できないし、実際大抵の演奏には盛大な”フライング拍手”が付属していて、(我が国のように?)音楽の余韻を楽しむ”精神性豊かな”聴衆の趣は乏しい。
・・・・しかし、だからこそなお、これらの彼の演奏の記録を聴きながらホロビッツがこのホールで成し遂げたことの実績と意味を考えると圧倒されるものがある。ホロビッツはスカルラッティでもハイドンでもモーツアルトでもベートーヴェンでもシューマンでもショパンでもラフマニノフでもスクリャービンでも、何を弾こうと”ホロヴィッツ”であって、ブレンデルやポリーニとの比較が適切な演奏家でもない。20世紀と言う時代に”クラシック”という”古典”に回顧以上の意味を与える道を根無し草の”米国文化”の中で一人のピアニストとして模索し、良かれ悪しかれソノ展望(の一隅)を一人で示した演奏家だったと思う。その意味では、グールドもホロヴィッツの後裔であり(グールドがホロヴィッツを意識して止まなかったのも当然・・か)、ホロヴィッツの演奏を肯定するにせよ否定するにせよピアノという楽器(とピアノ音楽)の表現の幅と可能性を広げたことは否定できないように思う。
最後に、この1953年の演奏会のプログラムは、上述のCDセットではブラームスのラプソディ・変ホ長調・op.119-4から始まっていてシューベルトで肩慣らしをした訳では無いようです。
- 2021-02-25:joshua
- 考え直してみると、モリーニの演奏からYUNG氏が思い描くイメージの映画とは、【舞踏会の手帖】かもしれませんね。
- 2021-02-23:コタロー
- これは貴重な演奏ですね。モントゥーは、ドリーブの音楽の持つ甘美さを適度に生かしながら、流麗でしっかりした音楽を形作っています。録音はモノラルとしては上等で、鑑賞には何の支障もありません。
なお、最後に「前奏曲とマズルカ」のステレオ録音による別ヴァージョンが収められています。幾分ハイ上がりの音になっていますが、当時のRCAの実験的精神には拍手をおくりたいと思います。
なお、同時に「シルヴィア」も聴いてみましたが、こちらも好演です。モントゥーの演奏はいささかも古臭さを感じさせず、現在の耳で聴いてもみずみずしさを感じさせます。
- 2021-02-17:コタロー
- 私も、じつはこの曲とのファースト・コンタクトはミュンシュの演奏でした。
それは高校時代のことです。RCAの廉価盤レコードで、たしか幻想序曲「ロミオとジュリエット」との組み合わせでした。
ためしに、現在家にあるカラヤン指揮ベルリン・フィルの演奏と聴き比べてみました。グラマラスなカラヤンも見事でしたが、ミュンシュの演奏は、人間的な温かみとほのかな情熱を秘めた素晴らしいものだと思います。第1楽章の再現部の一部にカットがありますが、これは当時の慣習的なものでしょうか。
久しぶりにこの演奏を聴いて、半世紀近くも前の多感だった頃の自分を想い出すことができて大変うれしかったです。アップしていただき、ありがとうございました。
- 2021-02-16:ヨシイヒロシ
- Rシュトラウスの素晴らしい曲とその演奏を、Rシュトラウスの父親がうれしく聴いている姿が、浮かび上がる演奏です。一方で子供(Rシュトラウス)の方は「もう僕はこんなことが簡単にできるようになったんだ、お父さん!!」と自慢しているような、そんな微笑ましさも感じます。特に三楽章。父と子の情の深さをものすごく感じた素晴らしい演奏です。
- 2021-02-16:コタロー
- レスピーギは、ロッシーニの「老いの過ち」を題材にした管弦楽曲をいくつか作曲しています。たとえば、以前「ロッシーニアーナ」という曲を聴いたことがありますが、音楽としてはさほど魅力を感じませんでした。
それに対して、このバレエ音楽は素敵なメロディーが随所に散りばめられており、まるでおもちゃ箱をひっくり返したような楽しさが全篇にあふれています。なお、2曲目の「タランテラ」は、かつて一世を風靡したテナー歌手の藤原義江氏が十八番にしていました。
ショルティというと、あまりバレエ音楽とは縁がないように思われますが、華美になりすぎず、適度な活気をもって手堅くまとめた演奏です。珍しいレパートリーであり、また全曲版であることがこの演奏の価値を高めています。
- 2021-02-16:joshua
- これは、ほんとに楽しい。プレイヤーが楽器を鳴らしきっている演奏。スタリアーノとシャピロの二人が、コンツェルトのように鳴らしています。ライブは知りませんが、スタティックな演奏が録音の主流ですから、この演奏はありがたいですね!
- 2021-02-14:yk
- 私がこの曲のLPを初めて買って聴いたのがこの演奏でした・・・ので、以下私の”刷り込み”も含む私見ですが・・・。この曲はモーツアルトへのオマージュとして書かれた、と言われます。と同時に、強いロシアの情緒も感じられる曲でもあります。また、ミュンシュは私の知限り協奏曲などを除くとほとんどモーツアルトを正規録音していないのではないかと思います。
この”古典派のモーツアルト”-”ロマン派・民俗楽派のチャイコフスキー”-”モーツアルトをめったに指揮しない(フランス系)ミュンシュ”・・・と言う微妙な組み合わせの記録として、この録音の存在はとてもユニークだったと思います。
実際には、数は少ないながらライブ録音などで聴くモーツアルトの交響曲でのミュンシュは速いテンポのスッキリした造形を貫いていて、このセレナーデの演奏との共通点も多く、ミュンシュはこの曲を”ロシア楽派のチャイコフスキーがオーストリア古典派のモーツアルトへの敬意の印として書いた曲”と認めて優秀な手兵であったボストン響の弦楽セクションを使って彼なりのモーツアルトとチャイコフスキーへの敬意を込めて演奏したのではないかと思えます。
その結果が万全のものかどうかは聴く者の経験や感性によって違うのだとは思いますが、少なくとも私にとってはゲップの出そうなカラヤンの演奏などよりも(今も)遥かに懐かしくも好ましい演奏でした。
- 2021-02-13:toshi
- 良く言われることですが、ミュンシュの音楽的な根本はオケマンだったと思います。
音楽のことを良く知っているオケマンに音楽のことを細々説教するのを凄く嫌がっていた気がします。
ですから無理にオケを強引にコントロールしようとしないので音楽にムラがあると思われたのでしょうね。
でも演奏は生ものです。工業製品のように品質管理されたどこかの演奏家の演奏より数倍魅力的だと思います。
前のページ/
次のページ
[2025-09-12]

ベートーベン:交響曲第3番 変ホ長調 作品55「英雄」(Beethoven:Symphony No.3 in E flat major , Op.55 "Eroica")
ジョルジュ・ジョルジェスク指揮 ブカレスト・ジョルジェ・エネスク・フィルハーモニー管弦楽団 1961年3月録音(George Georgescu:Bucharest George Enescu Philharmonic Orchestra Recorded on March, 1961)
[2025-09-10]

ブラームス:弦楽四重奏曲 第1番 ハ短調(Brahms:String Quartet No.1 in C minor, Op.51 No.1)
アマデウス弦楽四重奏団 1951年録音(Amadeus String Quartet:Recorde in 1951)
[2025-09-08]

フォーレ:夜想曲第2番 ロ長調 作品33-2(Faure:Nocturne No.2 in B major, Op.33 No.2)
(P)エリック・ハイドシェック:1960年10月21~22日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n October 21-22, 1960)
[2025-09-06]

バッハ:小フーガ ト短調 BWV.578(Bach:Fugue in G minor, BWV 578)
(Organ)マリー=クレール・アラン:1959年11月2日~4日録音(Marie-Claire Alain:Recorded November 2-4, 1959)
[2025-09-04]

レスピーギ:ローマの噴水(Respighi:Fontane Di Roma)
ジョン・バルビローリ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団 1939年1月21日録音(John Barbirolli:Philharmonic-Symphony Of New York Recorded on January 21, 1939)
[2025-09-01]

フォーレ:夜想曲第1番 変ホ短調 作品33-1(Faure:Nocturne No.1 in E-flat minor, Op.33 No.1)
(P)エリック・ハイドシェック:1960年10月21~22日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n October 21-22, 1960)
[2025-08-30]

ベートーベン:交響曲第2番 ニ長調 作品36(Beethoven:Symphony No.2 in D major ,Op.36)
ジョルジュ・ジョルジェスク指揮 ブカレスト・ジョルジェ・エネスク・フィルハーモニー管弦楽団 1961年4月20日録音(George Georgescu:Bucharest George Enescu Philharmonic Orchestra Recorded on April 20, 1961)
[2025-08-28]

ラヴェル:舞踏詩「ラ・ヴァルス」(Ravel:La valse)
ルネ・レイボヴィッツ指揮 パリ・コンセール・サンフォニーク協会管弦楽団 1960年録音(Rene Leibowitz:Orcheste de la Societe des Concerts du Conservatoire Recorded on 1960)
[2025-08-26]

フランク:交響詩「呪われた狩人」(Franck:Le Chasseur maudit)
アルトゥール・ロジンスキー指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団 1954年6月27~7月11日録音(Artur Rodzinski:Wiener Staatsoper Orchester Recorded on June 27-July 11, 1954)
[2025-08-24]

J.S.バッハ:トッカータとフーガ ヘ長調 BWV.540(J.S.Bach:Toccata and Fugue in F major, BWV 540)
(Organ)マリー=クレール・アラン:1959年11月2日~4日録音(Marie-Claire Alain:Recorded November 2-4, 1959)