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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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次のページ- 2009-12-19:うすかげよういちろう
- このウイーンフィル盤の演奏は、どういうわけか、好きになれず・・・私は、わがままなので・・・フェリアーの声が苦手です
演奏全体も、どうもせかせかしているという感じがして、安心して聴けないです。
ワルターの大地の歌にはあと2種類のCDが出ていますね。
私は、フォレスターが歌った演奏がいちばん好きです
マーラー:交響曲「大地の歌」
キルステン・トルボルイ(S)、チャールス・クルマン(T)、
ブルーノ・ワルター(指揮)、ウィーン・フィル
1936年5月 楽友協会ライブ
マーラー:交響曲「大地の歌」
リチャード・ルイス(T)、モーリン・フォレスター(A)
ブルーノ・ワルター(指揮)、ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団
1960年4月16日
- 2009-12-17:シューベルティアン
- 「苦悩を突き抜けて歓喜へ!」は明快なメッセージですが、ブラームスは「苦悩、苦悩…」と口のなかでモゴモゴやって、それから黙り込んでしまいます。
いいたいことをはっきりいわない。へんに気負ったところもあり、「まあ、その話はまた次に…」とこちらがいいかけると、ふたたぶ「苦悩、苦悩…」と始まります。
ある意味では「弱気」の表現のようにも聞こえます。ブラームスを理解する人には怒られるか知れませんが。
この人はベートーベンの仕事の後を引き受けたというよりも、楽聖が前進のために振り捨てていった何がしかのものを、慈しみを込めて拾い上げているようにも見えます。
- 2009-12-16:あんひろ
- かなりよかったです〜。
名前は以前に本に載っているのは見ており、若くして飛行機事故で亡くなった指揮者であるということは知っていました。名盤を残していることも知っていましたが、正直それを買ったとして自分の好みの演奏なのかな?と疑問を持っていました。ゆえに今まで手を出していませんでした。
5番全曲聴きました。NBC交響楽団の威力が素晴らしい!カンテッリのドライブもかなりいいですねえ。
ムラヴィンスキーで持っているのですが、指揮者とオケの気迫と威力はこちらが上かも。パソコンで再生しただけなので、真の音を聴いたわけではないのですが、普通の装置を使うとメチャメチャな迫力なんじゃないですか?
最後ムラヴィンスキーとは逆にゆっくり目のテンポで演奏するのですが、オケの力なのか十分聴かせていました。爆発力も素晴らしかった!
どれだけの録音を残したのかな〜?これだけの指揮者が若くして亡くなり、以前の私のように真価を知らない人が多いということは残念です。
- 2009-12-14:シューベルティアン
- しつこいか知らんが、ブダペスト・カルテットはえらい。大好きです!
Yungさんの感想と分かれますが、彼らのステレオ録音をわたしは非常に高く買います。
不細工な演奏です。テンポもときどき怪しい。ファーストの音色はかすれて、いかにも老人然としている。それでも、胸に迫る強さが違う。まことに本格の音楽家たちだと思う。
ベートーベンが聞いたら、「これこそ俺のカルテットだ!」とはいわんでしょう。初めはやや顔をしかめて、もっとテンポをしっかり、とか、運弓をスムーズにとか、いうかしらない。しかしちょっと聞いたあとには、真剣で誠実な、古い友を迎えるような態度になって、最後には、心からの握手を差し出さずには済まないでしょう。そんな想像を起こさせる彼らの演奏です。
彼らにあっては、音楽の魂だけを一途に求めていて、それだけに注意を払っていて、現実の音色が十分追いついていないようにも見えます。それが実は自然なことなんだとも、思えます。
- 2009-12-13:戸田
- また一つ名曲に巡り会ってしまった!
陰鬱な森の奥ではホルンが轟き、大河の流れは熱狂を産む。
妖精の飛び交う泉では、清らかな乙女の髪に恋焦がれる。
そして人は、故郷を思う内なる省察の向こうに古き神々と合一する。
それがドイツ浪漫派ということなのだ!
ドヴォルザークもまた、彼の地においてそういう人であり続けたように思う。
そして、第八交響曲には、むせ返る様なチェコの霧。
- 2009-12-11:hiro
- クラシック愛好50年以上になるが、メイエルは初めてである。音にむらがなく、美しい音である。しっとりと胸に迫る、落ち着いたモーツアルトであり、好感をもった。。メイエルのライブラリーをさがして、本格的オーディオ装置でじっくり聴きたい。
- 2009-12-11:シューベルティアン
- もっと録音のいいのはないの? と思ってほかを当たっても、なぜかこの演奏に返ってきてしまいます。
作曲家への尊敬の念の強さが違う。アルバンベルクなどの剛毅な肉体美も魅力的ですが、どこか楽譜の上にないものをもってきてブレンドしたように聞こえないでもない。作品を汲み尽くそう、作曲家のまえにどれだけ自分を低くできるか、こういう敬神的態度に支えられた音色というのは、恐ろしいような懐かしいような、なんともいえん魅力です。同じベクトルの演奏家としては、録音史ではブッシュやカペーにはじまり、スメタナに終わっているように見えます。
当時のベートーベンについて客観的な史料はないもんでしょうか。多く演奏家が誘われるのと同じように、作曲家もこのとき非常に敬神的な心気に誘われていたと思われるのですが。映画や小説は「不滅の」ナンとかばかり追いかけていて、世間から離れたあとの作曲家について本気で調べてはくれないようです。
いつまでもベートーベンを聞いちゃいられないという先輩もいるのですが、…
これらカルテットに対してわたしの耳は粗いザルのようです。すべてを汲み取ることができない。何度も聞いているうちに耳が追いつくもんでしょうか。
- 2009-12-11:Traversois
- こんにちは。 メイエルのラモー すばらしいですね。 これを聞くと、ラヴェルのピアノの譜面台にはいつも、クープランのクラヴサン曲集が置いてあった という話を思い出して、18世紀と20世紀のフランスの音楽の繋がりを感じ、嬉しくなってしまいます!
ラモーのクラヴサン曲集ですが、これが正確かはわかりませんが、もしお役に立てたらと思い、書いてみます。
ラモーの生前、ラモーの監修で正式に出版されたクラヴサン曲集は以下の3集
・Pieces de clavecin avec une methode pour la mechanique des doigts. (2em livre)1724
1724年出版 指の訓練のためのメソード付きクラヴサン曲集 (通称2集)
suite en mi ,suite en re (組曲ホ調、組曲ニ調)
・Nouvelles suites de pieces de clavcin (3em livre) 1728
1728年出版 新クラヴサン組曲集 (通称3集)
suite en la ,suite en sol (組曲イ調、組曲ト調)
・Piece de clavcin en concert 1741
1741年出版 演奏会用クラヴサン曲集
1er - 5em Concert (コンセール1−5)
そして、
・Premier livre de pieces de clavcin (composee par 1700?-1710)
クラヴサン曲集 第1集
一般的には1895年にサン=サーンスによるピアノ用の校訂での出版が初(ただし、それ以前にも小品として演奏をしていた人はいたようですが個人所蔵の自筆譜が伝わっていたらしいです)
通称3巻は新クラヴサン組曲 と訳されることが多いですが、第2巻に続く(フランス語でsuite)曲集という意味だと思います。 第2弾といった感じのニュアンスかと思います
年代に関して、色々な資料があまりにも違うので、困ったものですが、僕が調べたのはこのような感じです。
これからも楽しみにしています。 是非がんばってください!
- 2009-12-09:シューベルティアン
- モーツァルトのなかでも内容の豊かさで比類ない作品だと思います。小林秀雄が評論「モオツァルト」を書く動機になったのが、たしかこのD調ではなかったかな。
ハ短調の第二番も、作曲の経緯をきくとあんまり力が入ってないのかと思い勝ちですが、実際聞いてみるとベートーベンのカルテットにも比肩するほど濃厚なドラマです。最晩年の六番は、ハイドンと二人で書いたのかと思うような、洗練された技巧の極致です。何よりも表情が和やかで、親しみやすいのがうれしい。
ところでちょっとまえに中古で購入したんですが、ジュリアード四重奏団&トランプラーによるこの五重奏曲です。録音は67年。有名なブダペストカルテットによる録音のすぐ翌年ですね。
これがすばらしい。
ライブなので音がちと遠いですが、アンサンブルの完璧な調和がフィルタの向こうから春風のように吹いてきます。ジュリアードの若々しいリズムと、トランプラーの優雅な気品ある音色との相性が絶妙! 元気すぎず厳しすぎず、もっとも自然体なモーツァルトです。たしか70年代後半にも若いヴィオラと同曲を録音してますが、モーツァルト「らしさ」では断然この67年のものが優れている。 未だ聞かない方はぜひ! おすすめです
- 2009-12-08:esuran
- ゆったりとした両端楽章の美しさに胸が締め付けられます。
ワルターを耽美的と評する人は多いですが、情緒におぼれるのではなく、オーケストラを律する緊張感をもって演奏していることがこの録音でわかりました。
ところで、第4楽章の真ん中あたりで、音が飛ぶのは私のPC環境のせいでしょうか?
<ユング君の追記>
これは私がもっている音源に原因があるようで、いいものと差し替えないといけないと思っています・・・と言いつつ、数年放置なのですが(^^;・・・。
- 2009-12-06:あんひろ
- この曲は初でした。
モーツアルトは基本的にほとんど聴きません。自分的に軽すぎるという思いが大きかったからです。
しかしこのサイトで紹介して下さっているのでと思って市販のクラッシックの名曲ガイドを手にモーツアルトにも手を出しています。
そんな経緯で聴いてみたところ曲がとても良かったです。録音状態も1947年にしてはかなりいいですね〜。パソコンで普通に再生しているというのもあるのかもしれませんが・・・。演奏も満足できるレベルにあります。
基本的に暗く重いドラマのある曲が好きなのですが、ときにはそれに疲れてしまって、違う傾向の曲が聴きたいとなったときに、家にあるものの中から選ぼうとすると、明るい曲がないということを何度か経験してきました。
このサイトにはそれがありました。まだ聴いたことのない曲や、様々な演奏家の演奏をこれからもこのサイトを通して知ることができればと思っています。
- 2009-12-02:新習志野
- この演奏、第4楽章のアルト・ソロはキャスリーン・フェリアーですね。たったの数分の歌声ですが、かけがえのないものです。とくに豊かな音色の使い方が絶品!
- 2009-11-29:かなパパ
- すごくすっきりとした演奏に聞こえました。
セルらしい透明感のあるきれいな音で演奏されているためかもしれません。
私が持っているクリーヴランド管弦楽団とのCDと聞き比べをしてみたところ、こちらの演奏では主旋律に重点が置かれて演奏されている様に感じました。ライブ録音のためかもしれませんが、ちょっと残念です。
クリーヴランド管弦楽団との録音がいかにすばらしいものかを実感しました。(透明感のあるきれいな音でありながら、各パートの音の強弱なども、すごい精度でまとめられています。)
- 2009-11-28:カンソウ人
- ブラームスの交響曲は、偏差値が高いという言われ方をする。
単なる穴埋め的な和音の付き方をするところが少なくて、旋律的に動くことが多い。
オーケストレイションの上で、金管だけ木管だけ弦だけが使われるところが少なく、うまく混ぜて使われる。
同じような部分の繰り返しが少なくて、うまく音色・伴奏音形・モチーフなどに違いを作りながら聴く耳を退屈させないように、又は違いすぎて唐突にならないようにする。
どの楽器にも比較的活躍の場を与えている。木管系でも1番ばかりが目立つのではなく、以下の奏者にも演奏に参加する喜びを与えられている。
オーケストラの団員には、受けが良く演奏する喜びがあると思う。
こう書いていて、ブルックナーの反対のような気がするが、どちらも天才であることは間違いがない。ブラームスを演奏して、弦楽器の人が肘を腱鞘炎でいためる、金管の人の唇が腫れあがるとか、なんてありえない。しかし、何が言いたいかと言う点においてはブルックナーの方が圧倒的に明快で、「神がそこにおられる」という一点のみという潔さが素晴らしい。朝比奈隆のブルックナーの素晴らしさで、この神はキリスト教である必要はないような気が私にはしている。
ブラームスの場合、何が言いたいかという点で潔さは無く、そこは寂しい。ベートーベンの後継者になりたかったのは理解できるが、個人的な発言では無い気がする。
それほどたくさんの演奏や作品に触れたわけではないけれど、ブラームスの作品で自分にとって納得がいくものは、ピアノ協奏曲の1番、交響曲の4番作品98、ピアノ曲で7つの幻想曲作品116、3つの間奏曲作品117、6つの小品作品118、4つの小品作品119である。
バーンスタインは、この曲の魅力をニューヨークフィルを使って説明しているのだと思う。私の住んでいる近くには大学図書館があり、そこの良聴覚ライブラリーの中に彼の若き日の、若い人々のためのコンサートのヴィデオが全巻あり、コツコツとほとんどを視聴した。長々マイクを持って話をした後で演奏していた。作曲家のこと、作曲技法のこと、音楽の聴き方のこと、解説と言うよりは大学でも授業に近かった。近視眼的な音楽の部分の説明と視野の広い総合的な音楽の演奏とを、対比させていた。
指揮をすることは、作曲の勉強としてはこの上なく素晴らしく、大学時代合唱ではあるが学生指揮者でそれを感じた。オーケストラがバンと出る時、当時のニューヨークフィルでは説明したり練習したりすることがたくさんあり、ウィーンフィルでは指揮者が邪魔しないことが大切。どうやってほしいかが分かれば、指揮せずとも演奏される。この差は大きいように思う。
そこに、オーケストラをうまく練習させることが出来る、セル、ライナー、ドラティ、ショルティ、若き日のストコフスキーらと、作曲家バーンスタインとは違うのではと思った。
この曲は、カルロスクライバーとウィーンフィルの演奏で魅力を知った。オーケストラの音色の斬新さに魅力に全身が震える思いがした。音がホールの壁に吸い込まれていくその瞬間の美しさ。アルゲリッチのピアノ音と何か共通の物を感じる。整理された建築物のような響きの美しさとは全く違う物であった。バルビローリの柔らかい優しさとも違っていた。この曲は、崩れ去る前の一瞬の美を要求しているのかもしれないと思っている。
このサイトに、ブラームス晩年のピアノ曲集がないのが寂しい。ここには、ブラームス本人が登場しているように思うから。
今は、バーンスタインがウィーンフィルと演奏した記録を聴くのを楽しみにしている。
- 2009-11-27:シューベルティアン
- これが書かれたとき、没年から引き算して17才のはずですが、こんな老成した17才が実際にいたとは信じられません。
シューベルトの作品のどれを聞いても驚かされるのですが、聴衆に対する見栄とか山っ気といったものがまったくない。世間で成功する望みのまるでない、本人にもそういう期待が全然ないように見えます。ただ音楽がそこに「在る」から、在るというだけ。自分のできることだけやって、わかることだけ書いて、それでもう十分という、根深い自信があるようにも見えます。
なんとなく聞いているうちに自分の生活観を変えられてしまうような、ふしぎな魔力を根っこにもつ音楽です。むろんわるく変わるのじゃなし、不安のない落ち着いた気持ちになるのです。
コンツェルトハウスの演奏は、こういう初期作品のくつろいだ気分にフィットしていていいですね。晩年(といっても三十才)の作品、「死と乙女」や弦楽五重奏には、メロスの禁欲的な演奏のほうがぴったりしているように思います。
- 2009-11-27:あんとん
- 私、この演奏今でも大好きです。
実家には今でもLPがあると思います。
聴き直してみても、永遠の名盤たる価値があると思いました。
- 2009-11-26:あんひろ
- この交響曲には私としてはくっきりとした弦楽器の動きや無理を感じさせない盛り上がりを求めます。そして第3楽章を歌わせ聴かせることです。
これまで様々な演奏をcdで聴いてきました。このセルの録音は今まで私が聴いてきた様々な演奏の中でで一、二を争うような素晴らしい演奏だと思います。
個人的に遅すぎるテンポだとこの曲は退屈してしまいます。セルはその点私としてはちょうどいいテンポです。若干速いのではとは思いますが、意味があり無理のないテンポだと思います。ここに挙げられているいくつかの演奏を聴きましたが、速すぎると意味が感じられません。伝わってくる内容も乏しくなります。セルにはそれがありません。十分に曲の持っている良さを聴く人に伝えていると思います。そして各楽器が曲の持つ情感をよく表現できています。
こだわりの第3楽章は若干速いかなあという気もしますが十分に歌っていると思います。
フルヴェンやカラヤンでこの曲を愛聴してきましたが、もちろんこれらは名演奏ですが、それらよりもこの曲に合った演奏だと思います。
- 2009-11-26:シューベルティアン
- 現代音楽の研究なんかして過ごすほど人生長かないので、ほとんど無知識ですが、このバルトークのカルテットと、プロコフィエフのピアノソナタだけはすぐに入っていくことができました。野バラや菩提樹から歌を引き出したのがシューベルトなら、機械やコンクリから歌を引き出したのが彼らではないか、といった感じがします。観念的実験的なゲンダイ音楽とは深いところでまったく相容れない、自然とのまじめな応和があるように思えます。思えるだけで、やっぱり難解には違いないですが。
これは演奏がとてもいいですね。Yungさんの書かれている通り、金属質でない人肌のぬくもりが感じられて、それでもバルトークの味ははっきり出ている、ほとんど理想的な演奏ではないでしょうか。
- 2009-11-23:あんとん
- 私もこの曲大好きです。
私のピアノの腕前は、必死に練習すればこの曲が何とか弾ける程度です。
熟年の魅力というか、季節なら秋ですね。
私ももう40台後半。
もっと音楽体験したいです。
- 2009-11-23:シューベルティアン
- まさかご返事いただけるとは。Yungさんありがとうございます。
吉松隆氏のそのセリフは、なんともいえず面白いですね。
えらい音楽だと思って気張って聞かないほうがいい、ということかもしれませんね。
僕はCD党員だもんで、生演奏で曲の真価を知った! なんて話を聞くと、うらやましくってなりません。一度でいいから、そういう体験をしてみたいですよ。
興味深いご返事、ありがとうございました。
──────────────────────
- 2009-11-23:原 正美
- 壮年期のチェリビダッケの演奏は晩年の演奏と基本的に変化は無い。ただ、第三楽章、第四楽章の高揚感、情熱的な躍動感は晩年の演奏からは聞けないものである。録音年代を考えると、戦争からの復興と、平和への憧憬も背景にあるが、それ以上にチェリビダッケのこの曲に対しての思いが勝ったベストの演奏。
- 2009-11-22:シューベルティアン
- 私はバッハ、ベートーベン、シューベルトをとくべつ尊重して、何度でも飽かず聞いているんですが、ブラームスにはあまり惹かれません。なぜだかわからない。みんなが好きなものを自分も好きになりたいんですが。シンフォニーの一番にせよ四番にせよ、ベートーベンを強烈に意識して、ずいぶん苦労して書き上げたというわりに、たいしたことないじゃないか? と思ってしまいます。
誰かブラームスの魅力を教えてくれる人いませんか。
小林秀雄が「あれは本質的に老年作家だね!」とかなんとかいっていたので、若い時分には理解しにくいものなのかなあ、と思ったら下の「せいの」さんはまったく反対のことをいっておられる。私にはどうもとっつきにくい、不可解な、難しい作曲家なのです。
- 2009-11-22:yung
- 「シューベルティアン」さんのコメント、実によく分かります。私も長い間、ブラームスはどうにも苦手でした。
でも、テンシュテットが初来日したとき、大阪のフェスティバルホールですばらしいブラ1を聞かせてもらって、見る目・聞く耳が変わってしまいました。
そう言えば、最近、作曲家の吉松隆氏がこんな事を書いていて、フフフッと笑ってしまいました。
ブラームス先生の凄さ
「♪ブラームスはどこが凄くてどこが斬新なんでしょうか?
いや、どこも凄くなくてどこも斬新じゃないでしょう。・・・
♪じゃあ全然ダメじゃないですか?・・・
とんでもない!・・・その「どこも凄くなくてどこも斬新でない」ところが凄くて斬新なんですよ!」
冗談めかして書いていますが、卓見だと思います。
- 2009-11-19:せいの
- 若いころはブラームスは好きだったんですが、中年の域になり、暑苦しく、鬱陶しく感じるようになってしまいました。しかし、この演奏はそんな印象を受けません。正攻法で攻めて、なんとすがすがしい音楽でしょう。元気はつらつ、こんなに憂いの少ない4番を聞くのは初めてです。しかし、決して薄味にはなっていませんね。2楽章なんかはほんとに美しい。
さっそくCDを探してみました・・・が・・・ありませんねえ・・・。
いろんな指揮者が晩年には弛緩した演奏をしてしまい、がっかりすることがあります。たぶん、これだけの大人数のプロをまとめあげて制御するには、それなりの気力、体力がいるのではないかと思っています。
- 2009-11-18:カンソウ人
- コルトーの演奏は未完成な部分をたくさん含んでいる。
技術的に鍵盤に安定して指先を当てることに対する失敗にみえる部分は誰にでも簡単に分かる部分だ。
例えば、ポリーニの練習曲ではショパンの譜面に書いてあるものはすべて(音符も表情記号も)技術を用いて音として具現化されている。あいまいな部分は無く、違いを付けて解釈されている。その意味ではこれ以上の演奏は無い。ポリーニの練習曲の録音以上のことをすれば、ショパンの演奏から逸脱することは間違いない。
例えば、アシュケナージの練習曲では技術的、解釈の面では立派なものだが、ポリーニとの勝負は敢えて避けて、ポリーニがすべての面を明らかにしようとしたことでかえって抜け落ちたものに光を当てようとしている。実際の人物としてひ弱な男性ショパンのイメージ(サンドとの倒錯的な人間関係などの)を大切にしている。
この2人の録音は素晴らしいものだが、ショパンの練習曲はそれだけの作品だろうか。
まだまだ抜け落ちているものがある。コルトーのショパンには、18歳のショパンがポーランド在住の時から、20歳近くになりパリに出てくる。異国で眼にする新鮮なことの数々から、人間的にも成長し作品も成熟してくる。その、音楽学的な理解では全く追いつかない部分の数々が音の中に表現されている。
ショパンからショパンの弟子へ伝えられた伝言ゲームの中のことを含んでいる。しかし、だから良いというような単純なものではないと思う。
例えば「恋」を表現するのに、単に甘い音色で弾く(それすらしないのは論外だが)のではなく詩の思いが充分に表現されている。その、コルトーの秘密をピアニストはひも解いて聴衆に伝えなければならないのだと思う。それは伝統というものだと思う。このレベルで録音が残っているのだ。
私は、ポリーニの方を評価している。間違いなくポリーニは先人コルトーを尊敬しているはずである。コルトーの単純な真似ではなく何かを盗むことだと思う。新古典主義の楽譜に忠実のレベルを演奏で超える為には、表現主義的傾向の強い演奏家の古い録音から何かを盗むことだ。
指揮者ならフルトベングラー、クナッパーツブッシュ、メンゲルベルク。ピアニストならば、コルトー、シュナーベル、ソフロニツキー。
ポリーニの練習曲では、名曲の革命と木枯らしに気が付くことがあった。楽譜通りに引いていない部分がある。革命のテーマの付点リズムが複付点リズムに若干近い。木枯らしもそうだ。はっきり言うと、コルトーの弾き癖が残っている部分であると断定する。
コルトーの演奏の中にしか無い物に、注目をすることが必要というかこれからのショパン演奏の課題だと思う。
敢えて言うと、技術的な足りなさにみえる部分は必然なのだ。フルトベングラーの演奏で合奏が合わない部分は、あっていないのではなく音楽的必然なのである。根は同じ所にある。そういう音楽なのである。新古典主義的価値観からの、批判は当たっていない。
しかし、今彼らと同じことはできない。じゃあどうするか。
演奏スタイルを作ること、様式を作ることは非常に大変なのだと思う。
- 2009-11-18:カンソウ人
- ハンガリー系の名指揮者というと、ショルティ、セル、ライナー、ケルテス、等かな。
ケルテスは少し感じが違うけど、音楽が直線的な感じがするのは確かだと思う。
オーケストラの機能美を前面に押し出しているので聴き映えがする。
オーケストラの自主性を引き出すというよりも、自分の音楽をやらせるという感じがする。
問題は、演奏が良いかどうかだ。
フォルテと言えばフォルテ、ピアノと言えばピアノ、クレッシェンドと言えばクレッシェンドでは音楽の底が浅い感じに当然なる。だからと言って、クナッパーツブッシュがシカゴやクリーブランドのオケで成果が上がったかどうかは疑問である。
練習では機能性重視で絞っておきながら、本番ではそれのみにあらずそれ以上の物を求める感じが、セルやライナーには感じる。底が浅いとは思わないけど、方法論としては陥る可能性はあると思う。ショルティは棒で縛る感じがある。オペラでは歌手たちの能力を引き出すというより、追い立てて力を出させるのかなあ。その割に歌い回しなどに癖は感じない。
バルトークは特別に合うように思う。バルトークは偉大な作曲家だ。
- 2009-11-17:鈴木章夫
- 相当に良い演奏です。録音だけが残念です。演奏会場で聴けたら最高ですね。
- 2009-11-08:ナルサス
- この曲を初めて聞いたのはベルグルント/ヘルシンキpoの録音でした。そしてその演奏のあまりの美しさ、透明感に気が遠くなりました。
以来、私にとってシベリウスの交響曲の中では最も好きな曲です。交響曲というジャンルで括っても個人的にはベスト3に入るくらいの曲です。
しかし、確かに世間一般では影の薄い曲のようです。私には真に不思議でならなかったのですが、恐らくその理由は意外にこの曲、まとめるのが難しい曲なのではないでしょうか?
例えば、バルビローリといえばシベリウス演奏の定評の高いとされている指揮者です。しかし、彼の6番は実にまとまりに欠けていて音がぼやけていて何を弾いているのか分からない部分もあります。このサイトにアップされているアンソニー・コリンズの演奏もイマイチ整理しきれていないものを感じます。このカラヤンの演奏も彼の「旋律を歌いたい、歌わせたい」という意識が先走ってかぎこちない感じを受けます。数ヶ月前、N響の定期公演でようやくこの曲の生演奏を聞くことができましたが、指揮者が若くて経験不足、オケのコンディション、NHKホールと悪条件が重なってかグチャグチャの泥団子の演奏でした。
N響つながりで同楽団の名誉指揮者のブロムシュテット/サンフランシスコ響の6番は非常にすばらしい。そして定評あるヴァンスカ/ラハティ響も。しかし、ただ単に音を出しているだけではどうにもならない曲のようです。
- 2009-11-08:かなパパ
- 「すごい!!」の一言です。
各パートの響かせ方など本当に絶妙で、セルらしいすばらしい演奏だと思います。
文句の付け様もありません。
- 2009-11-08:あつし
- いいですね。若かりし頃のバーンスタインの勢いが、実に広がりのある演奏となって表れているようで、個人的には晩年の全集よりもこちらを採りたいですね。
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[2025-11-13]

ベートーベン:交響曲第7番 イ長調 作品92(Beethoven:Symphony No.7 in A major , Op.92)
ジョルジュ・ジョルジェスク指揮 ブカレスト・ジョルジェ・エネスク・フィルハーモニー管弦楽団 1962年1月録音(George Georgescu:Bucharest George Enescu Philharmonic Orchestra Recorded on January, 1962)
[2025-11-11]

ベートーヴェン:七重奏曲 変ホ長調, Op.20(Beethoven:Septet in E-Flat Major, Op.20)
バリリ弦楽アンサンブル&ウィーン・フィルハーモニー木管グループ:1954年録音(Barylli String Ensemble:Vienna Philharmonic Wind Group:Recorded on 1954)
[2025-11-10]

J.S.バッハ:前奏曲とフーガ ト長調 BWV.541(J.S.Bach:Prelude and Fugue in G major, BWV 541)
(Organ)マリー=クレール・アラン:1961年12月10日~12日録音(Marie-Claire Alain:Recorded December 5-8, 1961)
[2025-11-08]

ベートーベン:ピアノ・ソナタ第14番「月光」 嬰ハ短調 Op.27-2(Beethoven:Piano Sonata No.14 in C-sharp minor, Op.27-2 "Moonlight")
(P)ハンス・リヒター=ハーザー 1955年11月録音(Hans Richter-Haaser:Recorded on November, 1955)
[2025-11-06]

ヴェルディ:弦楽四重奏曲(Verdi:String Quartet in E Minor)
イタリア四重奏団 1950年11月24日~29日録音(Quartetto Italiano:Recorded on November 24-29, 1950)
[2025-11-04]

フォーレ:夜想曲第5番 変ロ長調 作品37(Faure:Nocturne No.5 in B-flat major, Op.37)
(P)エリック・ハイドシェック:1960年10月21~22日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n October 21-22, 1960)
[2025-11-02]

バックス:交響詩「ファンドの園」(Bax:The Garden of Fand)
サー・ジョン・バルビローリ指揮 ハレ管弦楽団 1956年6月20日録音(Sir John Barbirolli:Halle Orchestra Recorded on June 20, 1956)
[2025-10-31]

ベートーベン:ピアノ三重奏曲第7番 変ロ長調 「大公」 Op.97(Beethoven:Piano Trio No.7, Op.97 in B-flat major "Archduke")
(P)エミール・ギレリス (Vn)レオニード・コーガン (Cello)ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ 1956年録音(Emil Gilels:(Cello)Mstislav Rostropovich (Violine)Leonid Kogan Recorded on 1956)
[2025-10-29]

J.S.バッハ:前奏曲とフーガ イ長調 BWV.536(J.S.Bach:Prelude and Fugue in A major, BWV 536)
(Organ)マリー=クレール・アラン:1961年12月10日~12日録音(Marie-Claire Alain:Recorded December 5-8, 1961)
[2025-10-27]

ベートーベン:交響曲第6番 ヘ長調 作品68 「田園」(Beethoven:Symphony No.6 in F major, Op.68 "Pastoral")
ジョルジュ・ジョルジェスク指揮 ブカレスト・ジョルジェ・エネスク・フィルハーモニー管弦楽団 1961年10月録音(George Georgescu:Bucharest George Enescu Philharmonic Orchestra Recorded on October, 1961)