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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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- 私はむしろ、リヒターからバッハを聴きはじめたものの、古楽器演奏に魅了され、もう今さらリヒターでもあるまい、という思いが自分の中で強まっている中で、この演奏をあえて聴いてみました。
確かに出だしこそ重さを感じたものの、聴きすすむうちに、この演奏が目指したのはそういう方向ではなかった、ということを思い起こしました。基本的にこの演奏は端正で、作品の構造と展開を生き生きと明らかにすることを目指しています。録音もスタイルも古くなってしまったとはいえ、その基本的な姿勢はこの演奏からもはっきり聞こえてきます。それはこれが演奏された当時、とても新鮮なものであっただろうということを、聴きながら生々しく感じさせられました。
それが故にやはりこの演奏は、作品の魅力をまっすぐにそして風格をもって明らかにしようとした古典的な名演として残っていく価値が十二分にあると、改めて感嘆したのでした。
- 2016-12-05:松見敬三
- 思春期にSP版をとっかえひっかえして聴いたものです。
13枚ですから掛けたり裏にしたり26回ということ。
歌詞のドイツ語を知りたくて大学はドイツ語科へ。
人生をある程度決めた演奏です。
50年ぶりに聴きました。
アップしてくれてありがとう。
- 2016-12-05:Joshua
- 深みとか求めてもしょうがないですね。
ホロヴィッツの快速30年録音、もう聴かなくてもいい、と思わせてくれます。
この演奏は初めてで、2番の時はさほど思わなかったのですが、この3番は乗りに乗っている。
ミュンシュがまた煽る煽る。
ミュンシュ、この人こそ、ゲヴァンドハウスで、フルヴェンの下、コンサートマスターだったんですね。
3楽章のコーダなんて、圧巻。オーマンディがこれまたホロヴィッツさんと組んだライブを超えてますよ。
- 2016-11-28:阿部 稔
- 55年前の高校音楽の授業で、このホッターの冬の旅全曲を鑑賞しました。ユング君のおっしゃるように確かにフィッシャーディースカウの一品料理の味わいとは異なるコース料理のように全体を通しての味わいはホッターにはありますね。適切な表現に感服しました。
- 2016-11-27:Sammy
- 生き生きと自在なルービンシュタインのピアノもさることながら、これを包み込むような、透明さと明瞭さと共に柔らかさとニュアンスに溢れたクリップスの指揮による万全のオーケストラの豊かさに魅了されます。力まずして透明感と力強さが丹念な音づくりの中からみずみずしく立ち上ってくる様はとても美しく、オーケストラの力量と共に指揮者の熟練をたっぷりと味わわせてくれます。
- 2016-11-20:トリス
- 私は学生時代吹奏楽部に所属していたのでこのマーキュリーレーベルに録音を盛んに
行っていたF.フェネルとイーストマンウィンドアンサンブルのLPをよく聞いていました。当時このLPは輸入盤しかなく心斎橋のヤマハ(もう今はないですね)や三木楽器に何度も足を運び探しまっわていたことが懐かしい思い出です。
ところでウィルマ・コザートはたしか女性だとおもうんですが?
- 2016-11-20:Joshua
- stereo録音と聴き比べました。
どちらでもいいと思いました。
再生環境に拠ることは前提で、目の前で弾いてる感は、stereoに軍配ありですが、monauralだと分離の良さは後退して、全体としての和声の美しさを感じさせてくれます。
両方持っていたい、とはこのことです。
それにしても、録音というのは、目に見えない聴衆に残される不思議な贈り物です。
聴き方は聴き手の自由に任され、一回きりでも、反復しても元の演奏者には知ったことではないんです。
音の一人歩き、です。
何か、気味が悪くなります。
漫画家砂川さんが、たまに現実の演奏会に行ったほうがいいという趣旨を語ってたオントモブックスを思い出しています。
音楽はそれができる。
本、例えば、セネカやデカルトは残っていても再現は、つまり読むことは読者が直接するのであり、読み方なんぞは大学やカルチャーセンターでしか教えてくれない。
- 2016-11-15:Joshua
- この第1楽章、大好きです。幼児的手前ぎりぎりのところで留まった屈託ないあどけなさ、といいいましょうか。この演奏、録音が少し古いせいか、リズムの重さが多少気になりますが、カザルスは上機嫌で指揮している様子で、実にアニマートです。
気に入られた方は、カラヤンBPOが1965 1980の2回にわたって録ってますので、聴き比べると発見がありますよ。要するに一長一短で、両方置いておきたくなる2者です。余談ですが、子供が小学生低学年だったころ、この11番をかけたところ、すぐに気に入って口ずさんでました。15年以上前の懐かしい思い出がよみがえります。
- 2016-11-09:Joshua
- 弦楽四重奏の似合う季節になってきましたね。
と一人合点してますが、皆様にはいかがでしょうか?
4声を精密に聴く、という作業は、暑さから開放され適度に心地よい今が最高か、と思っています。
さて、この演奏、なんと豪華なメンバー、トランプラーのヴィオラは、ブダペストのMozart Quintetで有名。
ファーストは言わずと知れたモリーニ。
セカンドがNBC交響楽団のコンサートマスターだった、ガリミール。
チェロは知らないのですが、ヴァルガ、と聞けば、かのヴァイオリンの名手を思い浮かべるわけで、兄弟なのかな、と想像しています。
このメンバーでどれだけの録音が残ってるんでしょう?
もっと聴いてみたいと思っています。
- 2016-10-31:HIRO
- クルシェネク版は初めて聞きましたが、この演奏で「プルガトリオ」最後の、あの印象的なハープのグリッサンドがよく聞こえないのは、クルシェネク版がダメなのか、セルが悪いのか?
クルシェネク版の楽譜を見たことが無いのでよく分からないですが、マーラーがあれほどはっきりと書き残している音型(しかもフォルティッシモ!!)を活かせないのは、補筆版としてはダメでしょう。
- 2016-10-30:Sammy
- 第1楽章と第3楽章のクルシェネク版(1924年)による演奏とのことですが、後のクック版とあまり印象は変わりませんでした。むしろ徹底的に磨き抜かれ、直線的で透明な音づくりによって澄み切った響きが印象的で、とても現代的な作品の特徴が示されているようにも思います。劇性や抒情は控えめですが、丁寧な表情付の中から浮かび上がる気品ある表情はとても美しいと思いました。特にこの澄み切った美しさの故に、クック版の優れた演奏がいくつも出てきている今でもなお聴き継がれるに値する演奏なのではないかと感じた次第です。
- 2016-10-29:aida
- これほどまでに荒々しいブラ1は過去にないですね。
このような凄みのある演奏をなさる人が、今一つ顧みられることがないのが、残念でなりません。
一般受けする演奏ではないでしょうが私的には10点満点です。
- 2016-10-29:Sammy
- yungさんのシュタルケルの協奏曲演奏に関する「つまらない」という評価は、正しいのかもしれませんが、私個人の印象としては少々辛く感じられます。
確かに「チェロの魅力」であるはずのあふれるような歌、剛毅さといったアピールには乏しいのかもしれません。それでも、高い集中力で終始丹念に紡がれた音楽は、地味ながら作品の繊細で少々風変わりな変転と美しさを着実に形にしていると私は聞きました。なかなか切れ目のない延々と続くソロでこれだけ緊張感を切らさずに着実に音楽をとらえ続ける持続性はとてもすごいと思います。このやや捉えどころのない感じの作品に、緩急をつけ魅了しつつも、ついあちこちでやや弛緩してしまうような演奏を聞いたこともあっただけに、この一貫性にはなおさら非凡さを感じます。
ジュリーニ/フィルハーモニア管も程よく歌いつつきりっとした着実な音楽づくりでこれを支えているように思えます。録音も明瞭で好ましいです。この知名度はそこまでは高いとは言えない作品を紹介する演奏としては「標準的」なものを感じさせる点では理想的ではないかと思います。「繰り返し聞く」録音の性格を考えても、癖は少ないが飽きが来ないタイプではないかと感じます。
- 2016-10-24:Sammy
- 明瞭さと力強さ、余韻豊かな叙情表現を併せ持ったこの優れた演奏は、この作品の持つ華やかさと甘美さ、その陰に隠しようもない空漠とした悲しみを表現して余すところがないと感じます。モノラルですが録音も明瞭で聞きやすく、作品と演奏の素晴らしさを十分味わうことができるのでは、と思います。
- 2016-10-24:山形 隆
- いつもTinyCoreメモリー再生で、お世話になっております。
昨日、夜半のピアニッシモというサイトでこのレコードを紹介されている記事を読み、
無性に聞きたくなり、ユングさんのデータを聞かせてもらいました。
私は昔からブラ2が好きで、特にベームの演奏をよく聞きます。しかしユングさんの言われるように、サンフランシスコ響が、じっくり鍛えられたのか、ブラームスの情熱がもろにつたわる素晴らしいものでした。恐るべしモノラル録音!
monoのほうが、熱さが伝わるように感じます。
最近わたしは、TinyCoreをもってしても、LPの音にかなわないと感じ、大阪の中古レコード屋を巡って、ブルックナーをひと通りそろえましたが、どんどん昔の録音へとハマっていきそうです。夜半のピアニッシモさんもおっしゃってましたが、
音の良しあしは、演奏の良さがわかるかどうか、だと改めて思いました。
いい録音を聞かせて頂きありがとうございました。
- 2016-10-23:Joshua
- ロベルト・ワーグナー(指揮)インスブルック交響楽団の伴奏では聴いたことがある、オークレールですが、こんな演奏もあったんですねえ。1950年LPモノラル開始の年です。モリーニ=ロジンスキー伴奏も好きな演奏ですが、ここまで熱く弾いていません。デ・ビートとよく似てますかね。もちろん優等生的な弾き方もおできになるんでしょうけど、スタジオであろうと本気になるとここまで弾いてしまう。
細く長く、弾きとおしたモリーニとはそこが違うんでしょう。
「こんな風に弾き続けたらとてもじゃないけど身が持たない」けど、記録に残すなら一歩も引かないわよ、というのが、この演奏からも聴き取れます。
君子、居留を吝かにせず。
- 2016-10-21:HIRO
- アウアーは、自分がこの曲に施したカットについて、「この終楽章のカットは作曲者の同意を得ている」と、嘘か本当なのか楽譜に書いています。
このオークレールの演奏は、そんなアウアーもビックリの、「ロンドの意味を知ってるのか!!」と言いたくなるような、今日からみれば笑っちゃう程の大胆なカットがされていて、オケとのズレ具合といい、良くも悪くも時代を感じさせる演奏です。
しかし、音色といい、技術といい、女性ということを忘れさせる、今日の女流にはお目にかかれない迫力があります。
クラシックの黄金時代を感じさせる演奏です。
- 2016-10-19:Joshua
- 不思議な演奏です。どちらかというと寒色系。でも、精巧な壁画、その中に数えきれないものが克明に描かれている、といった風情は、また繰り返し聴きたくなる。酔いたい曲という先入観では、面食らう演奏です。セルが4、6、9番を指揮したのは聞いたことがありますが、ほかの番号はどうだったんでしょうねえ。4,6,9の透明感はセルには合っていますが、矩を超えて、他のナンバーで表現の心機軸を示せたかも。またもや要らない想像癖が出てしまいました。
- 2016-10-12:fum
- 初めてこの演奏を聞いたのは30年ほど前、1300円の廉価盤LPレコードでした。まず冒頭、低音弦の強烈なアタックでショックを受けましたが、こちらのサイトの素晴らしい音で聞かせていただき、あらためて低弦の爆発力のすさまじさを再認識させられました。
続く「敵」での木管の軽妙さ、「伴侶」でのソロヴァイオリンの美しい歌、「戦場」で繰り広げられる複雑な合奏にも一切乱れの無い各奏者のレベルの高さ、そして全曲に渡って引き締められたオーマンディの統率力、私のオーマンディという指揮者の印象はこの演奏で決定付けられました。
この曲の献呈を受けたメンゲルベルクではコンセルトヘボウよりも1920年代のニューヨークフィルを振った演奏を評価していますが、いかんせん、録音が古いのが辛いところ。この曲は良い録音で聞きたいところですが、この録音は1960年のものとはとても思えない、名録音だと思います。
チャイコの弦楽セレナードとともに、オーマンディの最高傑作と評価しています。
- 2016-10-12:Sammy
- この作品は印象的なメロディこそあるものの、とても散漫かつ支離滅裂な印象がどうしてもぬぐえませんでした。5番や6番のような比較的はっきりしたドラマ的展開が見えなかった、ということもあるのだろうと思います。
しかし、この極めて集中力が高く、かつしなやかに歌う完成度の高い演奏によって、そのような構成の割り切れなさは、高い緊張感をもって(ある種マーラーなどにつながっていくような)その矛盾、拮抗を表現することで、極めて魅力的な全体に仕上がっていく、そういう可能性を突きつけられたように思いました。これまでいろいろな演奏を聴いて、それなりに良いと思うこともありましたが、これほど魅力的な演奏には初めて出会いました。
録音の良さもありますが、このクリアかつ緊密で、しかし自発性と余裕を失わない高度にプロフェッショナルな音楽の迫力は、本当に素晴らしいと思います。
- 2016-10-11:Sammy
- この演奏はとてもオペラティックな劇的表現に満ちていて、作品に似つかわしくないように感じられました。ただ、その「感じ」とは何だろうとふと考えてしまいました。
そして、この作品の特徴は、宗教的心情に立ち、宗教音楽の伝統を踏まえつつもキリスト教の伝統的な決まりごとに縛られないロマン的な心情が重んじられている点だと思い至りました。
その場合、この作品には実は「宗教的感情」と「伝統」に傾斜した演奏、聴き方が「本来的」となりがちだったのかもしれないのですが、他方でもし「ロマン的な心情」に基づくのであれば、オペラ的な行き方はそれと親和性があるはずです。
カラヤンがここでこの方向をぐっと積極的に出し、私がそれを聴いて違和感を持ったのは、作品と演奏が合わさって強いメッセージ性を持ったから(yungさんの仰り方で言えば「蒸留水」ではなかったから)こそなのかもしれない、と考えました。そういう意味でも、この演奏はこの作品のやや背後におかれやすい特徴を確実に捉えた上で大胆に前面に押し立てた非凡なものではないかと思うのです。
- 2016-10-11:Watcher
- 作曲者名がJ.C.バッハとあったので驚きましたが、何のことはない。いつものJ.S.バッハの作品ですね。ところで、C.P.E.バッハやJ.C.バッハの作品は取り上げる予定はないのでしょうか?あの吉田秀和翁はJ.S.バッハの息子たちの作品は取り上げる価値などないと仰っていましたが、実のところどうなのか。
- 2016-10-10:Sammy
- 明瞭で硬質の音で抑制的かつくっきり構築しつつ、さりげない丁寧な表情付けによって、気品あふれる美しい音楽に仕上げていく優れた名演奏だと思います。多分それほどすぐれた作品ではないのではないか、と時に思うこの曲ですが、このプロフェッショナルな献身に満ちた見事な演奏で聞くと、とても立派な音楽と感じられ、爽やかな印象が残ります。
- 2016-10-10:Joshua
- 畢生の名作、と上記されています。組曲、ないしパルティータのようなこの曲。
後期12番から16番の中で不思議な存在感を持っています。というか、何かの拍子で買って聴きこまない限り、知らないまま過ぎてしまいそうな曲でもあります。
バリリで聴きこんだこの曲、次のジュリアードの「あざとさ」(Alban Bergも同様)に呆れて、いろいろ聴き歩きました。私的には、この曲は蒸留水のような透明感、あっさりとした表現が欲しい。ブダペスト、クリーブランド、ラサールはいい線行ってましたが、何か違う。そこへ、当サイトのハンガリーを聴いて、各パートの克明な動きと共に「自然な」流れにバリリに近いものを思い出させてもらいました。スメタナも同じような感想。いっそ、80~90年前のブッシュやカペエにこの曲の録音を残しておいてほしかった。そして、このヴェーグの「欲のない演奏」は、肩の力が抜けた好きな演奏の1つに加わりました。
音楽をどう聴くか。
ジュリアードのように文字通りライブ演奏の表現の一回性に重点を置くのは、14番以降、11番以前に任すとして(12番の緩徐楽章は私的に13番の予告編)、この13番は、現世離れした、負もなく正もない、対立も問いも解答もない、そんな演奏をくり返し聴き続けたいと思っています。プレーヤーを前に音楽に集中することもなく、まして音楽会へお行儀よく鎮座して聴くのでもなく、日常の場面場面で何気なく立ち上がってくる音楽、そしてその演奏が私的にはこの13番の世界です。
晩夏の折に身内の看護に日々追われ、ようやく読点がついて、見通しが出てきた今、夏前は乙に音楽を聴いていた自分を振り返りました。前回感想でだしました、「チェリスト、青木十良(じゅうろう)」も読み終わりました。その間、シゲティ著「弦によせて」もかいつまみ(いずれ精読したい本です)。録音に頼って聴く聴衆に対して、(あたりまえのことですが)演奏家は残すと残すまいと我々が耳にする何十倍もの音楽を練習・演奏会で鳴らし、考究し、言葉や録音が残っていない音で伝えてきたわけです。そんなことが上記の本で分かった気になりました。「ブッシュやカペエにこの曲の録音を残しておいてほしかった。」と上の方で書いてしまいましたが、まさに聴き手の勝手、無いものねだり、なんでしょう。むしろ、20世紀からの録音技術のおかげで、セールスラインに乗る乗らないはあっても、山のように堆積した過去の録音に心動かされるものが少なくないのは、うれしい事実です。
- 2016-10-10:Hide
- 大作曲家のチェロソナタは少なく、曲も良く書かれているので多くの録音がありそうですが、意外にも名チェリストの録音はフォイアマン、シュタルケル、マイスキーあたりで少ないですね。おそらく大衆受けしないのでしょう。ベートーヴェン第3番あたりなら、これぞチェロ!という感じなのですが...控えめで柔らかな演奏をするシュタルケルはすばらしいです。(バッハやコダーイの無伴奏とは違う魅力ですよ)
ただし、フォイアマンの歴史的名演と比べると、各楽章の性格付けと音楽的表現で一歩譲りますね。颯爽とした1楽章、意表を突くピチカート主題と軽快に歌わせる2楽章、抒情連綿とした3楽章、チェロが自在に泳ぎ回る4楽章の描き分けがもう少し欲しいところです。シュタルケルは淡泊です。その代りに1939年録音のSP復刻よりはるかに美しい音色が楽しめます。
- 2016-10-10:Hide
- いつの間にか好きな交響曲のトップになってしまったブラ2、特に和声の基音を刺え辻音つきのチェロで主導する冒頭と第3楽章の軽妙さがたまらないですね。カラヤンの演奏は各パートが一本の線になって一糸乱れぬ美麗な世界の限りを描き出すところが魅力です。生前は一時酷評されたりもしましたが、カラヤン指揮ベルリンフィルが存在しなければ、クラシック界はつまらないものになっていたでしょう。
私の先生は新響(今のN響)時代にカラヤン指揮下で弾いて、カラヤンは音楽の塊でものすごい練習だったとのこと。ただ、その究極的な厳しさゆえに、美しさではトップにありながら、バルビローリ指揮ウィーンフィルのブラ2を聴いた時の言い知れぬ幸福感のようなものが、この演奏からは失われているように感じます。
- 2016-10-09:yk
- オークレールは(妙な表現ですが・・)小股の切れ上がった好きなヴァイオリニストで、古くからファンでしたが、このバッハは初めて聴く演奏です。ヴァイオリンはバルヒェットの演奏などを思い起こす(少なくとも私のようなロートル・ファンには)いい演奏ですね。
ただ、やはりオルガン伴奏と言うのは・・・・・単なる慣れと言う以上に楽器間の音色の対比などの点でも、やはりコノ曲はチェンバロの方が相応しい。しかし、それでもファンの端くれとして、何れ近いうちに全曲聴いてみたいと思います。
- 2016-10-08:原 響平
- 随分と昔になるが、大学生の時によくこの演奏を聴いた。フィラデルフィアのブラスが豪快に鳴り響き、非常に気持ちの良い演奏との印象が残っている。当時は、金管が鳴り響く演奏が、レギュラープライスのLPで、弦楽主体の演奏は廉価盤と勝手に決めつけていたのを思い出した。ホルンは、特に難しい楽器で生演奏でもミスが目立ち易く、ホルンが上手く吹けて、強奏した演奏を求めて次から次へとLPを買いあさった。
確か、オーマンディーのこの演奏は¥1500の価格で売られていた。
さて、セル・ワルターの演奏は当時レギュラープライスのLPだったので、学生としてはなかなか購入出来ない価格帯だったが、無理して購入して比較視聴した。特に、セルの演奏は豪快にホルンを鳴らすのが演奏スタイルの基調との認識が有ったので、それを期待して購入した。しかし、金管の強奏は陰を潜めており、当方、首を傾げたのも思い出した。評論家の方々がこぞって推薦する演奏はセル・ワルターの演奏で、オーマンディーの演奏評価は必ずしも高くなかった。ブラスバンドとオーケストラ演奏の違いに目覚めたのがこの当たりからだった様な気がする。
- 2016-10-03:昔から聞いていた
- 最初にモントューのLPを買ったのは、Fontana1000円版だった、確かロンドン響だったかな。白鳥の湖のすばらしさに感嘆した記憶がある。
ちょうどアニメのリボンの騎士が放映されていた時で、よく場面の背景音楽として使われていた。
彼の5番は引き締まった演奏でいいものを聞かせてもらったなというのが鑑賞後の感想で思わず4番、6番を聞かねばと思わせる上質な演奏でした。
アップありがとうございます。
- 2016-09-29:Joshua
- ブラームスは、カーステレオに適さない。歩くときのヘッドホンならまだしも、運転に支障をきたします。だからと言って音楽が悪いことは少しもなく、そういう文明の利器に適合しない、特性を持った音楽と言えましょうか。このピアノソナタなんて、その最たるもの。(協奏曲の1番もそうですが、あの鬱然たる鋼鉄の響き!)
若々しい覇気が感じられます。ごつごつして「豪栄道」が飛び跳ねてる感じ。シューマンのソナタもそういえば似てませんかね。たとえば、Mozartのディヴェルティメント15番の第1曲と好対照。そこをカラヤン・ベルリンは1965年に見抜いていた。
確か早世した弾き手のカッツェンは、いいですねえ。明快。多層な和音を気持ちよく鳴らしてくれます。この人の協奏曲は残っていたと思いますよ。1番も2番も。
昼間は暑いものの、瞬く間に金木犀香る10月、このサイトで縦横無尽に音楽を聴きわたり、50年前は叶わなかった「市井の1音楽愛好家」が感想を書けるのは、世間から見れば小さな、それでいて個人的には多大な喜びです。我々も宇野功芳(好き嫌いは別として)になれるのです。それには、PCの時代を待たねばなりませんでした。プレイヤーに30センチの盤を載せるのとは風情は違いますが、ともかくはファーストハンドで演奏そのものが聴けるのです。
2014年でしたか、99歳でなくなられた青木十良さんの評伝「チェリスト、青木十良(大原哲夫著)」をよんでますが、1936年シゲティを聴いた思い出が出てきます。
このサイトにも無伴奏バッハがアップされてますが、また聴きたくなってきました。
冒頭で言いましたが、決してカーステでは聴けない点、共通しています。
昔は、きっと時間の流れ、質、今と違ったのだと思いますよ。
クナッパーツブッシュも言っていた。「これはロココなのだよ」
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[2025-09-12]

ベートーベン:交響曲第3番 変ホ長調 作品55「英雄」(Beethoven:Symphony No.3 in E flat major , Op.55 "Eroica")
ジョルジュ・ジョルジェスク指揮 ブカレスト・ジョルジェ・エネスク・フィルハーモニー管弦楽団 1961年3月録音(George Georgescu:Bucharest George Enescu Philharmonic Orchestra Recorded on March, 1961)
[2025-09-10]

ブラームス:弦楽四重奏曲 第1番 ハ短調(Brahms:String Quartet No.1 in C minor, Op.51 No.1)
アマデウス弦楽四重奏団 1951年録音(Amadeus String Quartet:Recorde in 1951)
[2025-09-08]

フォーレ:夜想曲第2番 ロ長調 作品33-2(Faure:Nocturne No.2 in B major, Op.33 No.2)
(P)エリック・ハイドシェック:1960年10月21~22日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n October 21-22, 1960)
[2025-09-06]

バッハ:小フーガ ト短調 BWV.578(Bach:Fugue in G minor, BWV 578)
(Organ)マリー=クレール・アラン:1959年11月2日~4日録音(Marie-Claire Alain:Recorded November 2-4, 1959)
[2025-09-04]

レスピーギ:ローマの噴水(Respighi:Fontane Di Roma)
ジョン・バルビローリ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団 1939年1月21日録音(John Barbirolli:Philharmonic-Symphony Of New York Recorded on January 21, 1939)
[2025-09-01]

フォーレ:夜想曲第1番 変ホ短調 作品33-1(Faure:Nocturne No.1 in E-flat minor, Op.33 No.1)
(P)エリック・ハイドシェック:1960年10月21~22日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n October 21-22, 1960)
[2025-08-30]

ベートーベン:交響曲第2番 ニ長調 作品36(Beethoven:Symphony No.2 in D major ,Op.36)
ジョルジュ・ジョルジェスク指揮 ブカレスト・ジョルジェ・エネスク・フィルハーモニー管弦楽団 1961年4月20日録音(George Georgescu:Bucharest George Enescu Philharmonic Orchestra Recorded on April 20, 1961)
[2025-08-28]

ラヴェル:舞踏詩「ラ・ヴァルス」(Ravel:La valse)
ルネ・レイボヴィッツ指揮 パリ・コンセール・サンフォニーク協会管弦楽団 1960年録音(Rene Leibowitz:Orcheste de la Societe des Concerts du Conservatoire Recorded on 1960)
[2025-08-26]

フランク:交響詩「呪われた狩人」(Franck:Le Chasseur maudit)
アルトゥール・ロジンスキー指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団 1954年6月27~7月11日録音(Artur Rodzinski:Wiener Staatsoper Orchester Recorded on June 27-July 11, 1954)
[2025-08-24]

J.S.バッハ:トッカータとフーガ ヘ長調 BWV.540(J.S.Bach:Toccata and Fugue in F major, BWV 540)
(Organ)マリー=クレール・アラン:1959年11月2日~4日録音(Marie-Claire Alain:Recorded November 2-4, 1959)