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ラヴェル:ピアノ協奏曲 ト長調

バーンスタイン指揮&P:ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団 1958年4月7日録音

Ravel:Piano Concerto in G major M.83 [1.Allegramente]

Ravel:Piano Concerto in G major M.83 [2.Adagio assai]

Ravel:Piano Concerto in G major M.83 [3.Presto]


軽やかで,そして輝かしい協奏曲

この作品はクラシック音楽といえば常についてまわる「精神性」とは異なった地平に成り立っています。深遠な思想性よりは軽やかで輝かしさに満ちた、ある意味では20世紀の音楽を象徴するようなエンターテイメントにこそこの作品の本質があります。

ラヴェルは1928年に4ヶ月間にわたるアメリカでの演奏旅行を行い大成功をおさめました。その成功に気をよくしたのか、早速にも2回目の演奏旅行を計画し、その時のために新しいピアノ協奏曲の作曲に着手しました。途中、「左手のためのピアノ協奏曲」の依頼が舞い込んだりしてしばしの中断を強いられましたが、1931年に完成したのがこの「ピアノ協奏曲 ト短調」です。

これはある意味では奇妙な構成を持っています。両端楽章はアメリカでの演奏旅行を想定しているために、ジャスやブルースの要素をたっぷりと盛り込んで、実に茶目っ気たっぷりのサービス精神満点の音楽になっています。ところが、その中間の第2楽章は全く雰囲気の異なった、この上もなく叙情性のあふれた音楽を聴かせてくれます。とりわけ冒頭のピアノのソロが奏でるメロディはこの上もない安らぎに満ちて、もしかしたらラヴェルが書いた最も美しいメロディかもしれない、などと思ってしまいます。
ところがこの奇妙なドッキングが聞き手には実に新鮮です。まさに「業師」ラヴェルの真骨頂です。

なお、この作品はラヴェル自身が演奏することを計画していましたが、2回目の演奏旅行の直前にマルグリット・ロンに依頼することに変更されました。初演は大成功をおさめ、アンコールで第3楽章がもう一度演奏されました。その成功に気をよくしたのかどうかは不明ですが、作品は初演者のマルグリット・ロンに献呈されています。


ハッピーの共有

弾き振りというスタイルがあります。
基本的には指揮者が本業の人がソリストも務めるというスタイルと、基本はソリストの人が指揮もやってしまうと言うスタイルに別れます。があって、私が見るところ、後者のスタイルの方が一般的なようです。

前者のスタイルは、馬鹿な指揮者に付き合わされるくらいなら自分で指揮もやった方がましだという人もいれば、自分が納得のいく形で音楽を作り上げたいという人もいるでしょう。
ツィマーマンが自前のオケ(ポーランド祝祭管弦楽団)を率いてショパンのコンチェルトを弾き振りしたのは「納得のいく形で音楽を作り上げたい」という典型でしょう。

それと比べると、指揮者が本業の人が弾き振りをするというのはあまり多くないようです。
その要因の最大のものとしては、あくまでも指揮が本業なのでピアノやヴァイオリンはそこまで上手でないという事情もあるでしょう。

しかし、例えばジョージ・セルなどはピアニストとしても超一流の腕前を持っていましたが、「弾き振り」などと言うことは一切やっていません。おそらく、この「完璧主義」のお化けにとって、「弾き振り」などと言うスタイルはその「完璧性」を損なう忌まわしい行いでしかなかったのでしょう。
それに、セルにしてみれば、ソリストを自分の思うように支配することは、いとも容易かったはずです。

そう考えてみると、バーンスタインという人は、かなり異色な存在であったことが、この「弾き振り」というスタイルを通してみてもよく分かります。
彼は実演でもこのスタイルを良く披露していますし、録音も数多く残しています。

おそらく、「弾き振り」を実演で見ると(そう、「見るt」と!!)、その効果は抜群です。これほど格好いいパフォーマンスはそうあるものではありません。
指揮者というのは男なら一度はやってみたい職業と言われるのですが、「弾き振り」はそこに「ソリスト」のお仕事まで付け加わるのですから、まさに「男の夢」みたいな格好良さがあります。

しかし、そう言う視覚的要素が全く取り払われた「録音」で聞くと、その音楽にはどこか「薄味」な部分を感じてしまいます。
おそらく、セルのような指揮者が「弾き振り」というスタイルを拒否したのはその部分だと言えます。指揮においても、ソロ楽器にしても、結果として今一歩の踏み込みの甘さが残ってしまうのです。

そこをきちんと分業をしていれば踏み込める一歩が、「弾き振り」では不可能となります。もしも、その一歩を踏み込もうと思えば、ツィマーマンのショパンのようにたった2曲のために何ヶ月もリハーサルを積み重ねる必要があります。
そして、そう言うことは、多くのレパートリーで世界中を飛び歩くスター指揮者にとっては不可能なことなのです。

ならば、何故にバーンスタインは、その様な不十分さが残るのに、こんなにも多くの「弾き振り」の録音を残したのでしょうか?
もちろん、それは彼なりの自己顕示欲がなかったとは言えません。
しかし、それ以上に、彼は音楽をすることに対する「ハッピーな感情」を大切にした人だったんだと言うことに気づかされます。

おそらく、演奏している人がハッピーだったら、それを聞いている人もハッピーだと言うほどこの世界は甘くありません。甘くないどころか、一般的には演奏する側が気持ちよく弾いて出来上がった音楽というのは「最低」な事が多いのがこの世界です。
ところが、バーンスタインというのは、彼が音楽の中心に座ると、そう言うハッピーな感情が聞き手にも伝わるという希有な資質を持っていました。

当然の事ながら、「弾き振り」というスタイルをとることで音楽のど真ん中にバーンスタインが座ること人なるのですが、そこで演奏しているメンバー全体がハッピーになっていることがよく分かります。
そして、その感情が聞き手に伝わってくるのがこの録音の最も優れたところでしょう。

ですから、細かい部分に眦をつり上げるような聴き方はやめましょう。例えば、ラヴェルのコンチェルトをミケランジェリの録音と較べるなどは愚の骨頂です。
それは、音楽の目指すべき音楽のベクトルが全く異なるのです。

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