クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~




スメタナ

Home|作曲家で選ぶ|スメタナ

カテゴリで絞り込む



新着順(50件)

スメタナ:「我が祖国」...2016-03-12に追加


スメタナ:連作交響詩「我が祖国」より第2曲「モルダウ」...2015-10-10に追加


スメタナ:交響詩「モルダウ」(連作交響曲「わが祖国」、第2曲)...2015-03-25に追加


スメタナ:組曲「我が祖国」より「モルダウ」...2014-08-03に追加


スメタナ:「我が祖国」...2012-11-17に追加


スメタナ:「我が祖国」より「モルダウ」...2011-08-03に追加


スメタナ:「我が祖国」より「モルダウ」...2007-08-24に追加


スメタナ:「我が祖国」より「ボヘミヤの森と草原」...2007-08-24に追加


スメタナ:「我が祖国」...2003-12-06に追加


スメタナ:「我が生涯」(ジョージ・セル編曲による管弦楽版)...2001-01-08に追加


SMETANA...0000-00-00に追加



経歴


1824年3月2日、リトミシュルに住むビール醸造技術者の息子として生まれる。1839年、高校進学のためにはじめて首都プラハに出かけ、そこでリストの演奏に接して大きな感銘を受ける。
 1840年から43年にかけてビルゼンで高校生活を送り、プラハに戻ってからはトゥーン伯爵家の住み込みの音楽家庭教師となる。
 1848年にはフランス2月革命の影響がプラハにも及び、スメタナは革命軍のために行進曲などを作曲する。

 その後49年には最初の妻と結婚するが、55年には長女を失い、同時に革命の失敗は様々な圧迫として社会全体を覆うようになり、56年からはスウェーデンに滞在するようになる。
 しかし、1859年、ナポレオン3世によるオーストリア軍の撃破は再びチェコ民族運動の盛り上がりを作り出し、スメタナも61年にはプラハに帰還し、以後、独立運動の音楽面での中心的存在となっていく。

 62年には長年の夢であった国民劇場の建設も始まり、スメタナもそれにこたえて愛国的なオペラを作曲する。また、理想化されたチェコの農村をえがいた「売られた花嫁」も完成し、66年には劇場にの首席指揮者の地位を獲得する。
 それ以後、スメタナは劇場のレベル向上に全精力をそそぎ込んでいくが、74年に、突然難聴に悩まされるようになる。
過労と、反対勢力からの中傷などで健康状態は急速に悪化し、81年、チェコ建国の神話をモチーフにしたオペラ「リプシェ」の初演の時には完全に聴力を失う。
 公職からは完全に引退し、農村での静養につとめるも、ついには1884年5月12日、発狂したスメタナは首都プラハの精神病院でこの世を去る。

ユング君の一言


スメタナと言えば「モルダウ」であり「我が祖国」です。
 彼の作品は常にチェコの民族的独立を求める運動とのつながりで作られたためか、そのモチーフには常に愛国的な側面が色濃くにじんでいます。そうでなければ、弦楽四重奏曲「我が生涯」のように私的側面が前面に出てきます。

 スメタナは基本的に独立運動の闘士であり、音楽はそのための手段として認識されていたようです。
 彼の作品はつねに具体的であり、標題音楽もしくは、標題音楽的な作品が主要な部分を占めています。抽象的な絶対音楽は彼の目的にとってはあまりにも「もどかしい」存在だったようです。しかし、その具体性と分かりやすさが、その後の歴史における政治的変動のなかにおいて、時に特別な意味合いで演奏される要因となっています。

 しかし、セルのようにある種の客観性を持って演奏されると(例えば、彼の手になるモルダウの演奏など)、それはそれで実に立派な作品に聞こえるわけで、単なる標題音楽と切って捨てることもできません。

 この事実は、スメタナこそはムソルグスキーなどとならんで、近代リアリズムの先駆者と言うべき存在なのかもしれないという思いに導かれます。世間的には国民学派の創始者と言われることの方が多いのですが、この「近代リアリズムの先駆者」という方が彼を理解をする上では重要なように思うのですがいかがなものでしょうか。

同時代の作曲家を選択する



【リスニングルームの更新履歴】

[2017-11-22]

[2017-11-21]

[2017-11-20]

[2017-11-19]

[2017-11-19]

[2017-11-18]

[2017-11-17]

[2017-11-16]

[2017-11-16]

[2017-11-13]