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アルフレード・カンポーリ(Alfredo Campoli) |チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調, Op.35(Tchaikovsky:Violin Concerto in D major Op.35)
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調, Op.35(Tchaikovsky:Violin Concerto in D major Op.35)
(Vn)アルフレード・カンポーリ:アタウルフォ・アルヘンタ指揮 ロンドン交響楽団 1956年12月27日~28日録音(Alfredo Campoli:(Cin)Ataulfo Argenta London Symphony Orchestra Recorded on December 27-28, 1955) Tchaikovsky:Violin Concerto in D major Op.35 [1.Allegro moderato - Moderato assai]
Tchaikovsky:Violin Concerto in D major Op.35 [2.Canzonetta. Andante]
Tchaikovsky:Violin Concerto in D major Op.35 [3.Finale. Allegro vivacissimo]
演奏不能! ~初演の大失敗!
これほどまでに恵まれない環境でこの世に出た作品はそうあるものではありません。
まず生み出されたきっかけは「不幸な結婚」の破綻でした。これは有名な話のなので詳しくは述べませんが、その精神的なダメージから立ち直るためにスイスにきていたときにこの作品は創作されました。
ヴァイオリンという楽器にそれほど詳しくなかったために、作曲の課程ではコテックというヴァイオリン奏者の助言を得ながら進められました。
そしてようやくに完成した作品は、当時の高名なヴァイオリニストだったレオポルド・アウアーに献呈をされるのですが、スコアを見たアウアーは「演奏不能」として突き返してしまいます。ピアノ協奏曲もそうだったですが、どうもチャイコフスキーの協奏曲は当時の巨匠たちに「演奏不能」だと言ってよく突き返されます。
このアウアーによる仕打ちはチャイコフスキーにはかなりこたえたようで、作品はその後何年もお蔵入りすることになります。そして1881年の12月、親友であるアドルフ・ブロドスキーによってようやくにして初演が行われます。
しかし、ブドロスキーのテクニックにも大きな問題があったためにその初演は大失敗に終わり、チャイコフスキーは再び失意のどん底にたたき落とされます。
やはり、アウアーが演奏不能と評したように、この作品を完璧に演奏するのはかなり困難であったようです。
しかし、この作品の素晴らしさを確信していたブロドスキーは初演の失敗にもめげることなく、あちこちの演奏会でこの作品を取り上げていきます。やがて、その努力が実って次第にこの作品の真価が広く認められるようになり、ついにはアウアー自身もこの作品を取り上げるようになっていきました。
めでたし、めでたし、と言うのがこの作品の出生と世に出るまでのよく知られたエピソードです。
しかし、やはり演奏する上ではいくつかの問題があったようで、アウアーはこの作品を取り上げるに際して、いくつかの点でスコアに手を加えています。
そして、原典尊重が金科玉条にようにもてはやされる今日のコンサートにおいても、なぜかアウアーによって手直しをされたものが用いられています。
つまり、アウアーが「演奏不能」と評したのも根拠のない話ではなかったようです。ただ、上記のエピソードばかりが有名になって、アウアーが一人悪者扱いをされているようなので、それはちょっと気の毒かな?と思ったりもします。
ただし、最近はなんと言っても原典尊重の時代ですから、アウアーの版ではなく、オリジナルを使う人もポチポチと現れているようです。でも、数は少ないです。クレーメルぐらいかな?
やっぱり難しいんでしょうね。
ベルカント・ヴァイオリニスト
アルフレド・カンポリ。いつかどこかで取り上げた記憶はあったのですが、演奏家別の弦楽器奏者の一覧を確かめるとどこにも見当たりません。ということは、今まで一度も取り上げていなかったということでしょうか。
Deecaの古いモノラル録音を聞きあさっているときに、久しぶりにこのカンポーリに出会ってそのことに気づきました。
しかし、とある方からカンポーリの録音が「フーベルマン」のリストに紛れ込んでいるという指摘をいただきました。・・・なるほど紛れ込んでいました。ということで、それを切っ掛けと言うことでカンポーリのDeeca録音を少しばかり取り上げていこうかと思います。
カンポーリといえば「ベルカント・ヴァイオリニスト」などと言われていたことが思い出されます。その彫琢された音色による官能的な歌いまわしは、カンポーリの持ち味でした。
ということで、彼の経歴などをざっと調べたのですが、日本語の情報量の少なさに驚きました。そこで、英語の情報なども四苦八苦しながら仕入れてざっとまとめてみました。
彼は、ローマのサンタ・チェチーリア音楽院でヴァイオリンを教えていた父と、声楽家だった母の間に生まれました。彼は、そんな家庭環境の中で5歳から父のもとでヴァイオリンを学び始め、11歳の時にロンドンに移住しました。
そして、13歳の時にロンドン音楽祭のヴァイオリン・コンクールで優勝しメアリー王女から賞を授与されたそうです。
階級社会のイギリスではそれは大きなステイタスになったものと思われます。
そして、1923年、17歳の時にロンドンのウィグモア・ホールでのリサイタルでプロとしてデビューし、その後は順調にキャリアを積み上げていきました。この辺りは早熟な天才にはよくある話です。
ところが、世界恐慌の影響を受けてイギリス経済が低迷し始めると、彼は一転して軽音楽の道に進み、自身のサロン・オーケストラを率いてラジオ放送などで名声を博すようになっていきます。
ここからがいよいよ他にはないカンポーリの世界です。
一般的に、クラシック音楽の聴衆というものは辛抱がいいものです。それと比べると軽音楽の聞き手はそこまで辛抱強くはありません。ぱっと聞いてそこに魅力を感じてもらわなければすぐに飽きられてしまいます。
軽音楽時代のカンポーリはラジオ放送だけでなく小規模な舞台に立つことにも積極的で、そういうスタンスが彼の人気をさらに高めることになりました。
そして、軽音楽の世界でしっかりとしたポジションを確立すると、少しずつクラシック音楽の世界にも戻っていったようで、1938年にはヘンリー・ウッド卿と共にプロムナード・コンサートに出演しています。しかし、あくまでもメインは軽音楽であり、クラシック音楽はそういうメインの活動の妨げにならない範囲だったようです。
第2次世界大戦がはじまるとイギリス軍や国内の工場労働者のためのコンサートを積極的に行うようになりました。最初は、カンポーリが敵国であるイタリア国籍だったためにあれこれ言われたみたいですが、彼の演奏はどこに行っても大好評でした。まさに軽音楽の世界で身につけた芸の為せるところだったのでしょう。またその熱心な活動によってそういう雑音もいつの間にか消えてなくなりました。
戦後になるとカンポーリは再びラジオでも活動を再開し、BBCのレギュラー番組にも1,000回以上も出演するようになります。
そして、いよいよクラシック音楽の世界に帰ってくることになります。
HMVやDECCAなどで録音活動も行うようになり、クラシック演奏家としてのカンポーリの名が広まっていくようになります。
1953年にはアメリカツアーを初めて行い、その活動の場はさらに広がっていきます。アメリカツアーの初日はジョージ・セル指揮のニューヨーク・フィルハーモニックをバックにラロのスペイン交響曲を演奏しました。セルを相手にアメリカデビューというのは怖すぎるのですが、聴衆には好評だったようで、その後は何回もメリカツアーを行うようになります。
ざっとこんな感じでしょうか。1991年まで存命だったようなのですが、1960年代以降はポツリポツリとしか録音は残っておらず、最後の四半世紀ほどは大好きなブリッジで余生を過ごしたのでしょうか。
そんなクラシック音楽の演奏家としてのカンポーリの魅力は何といっても、軽音楽時代に培った「聞かせ上手」ということに尽きるのでしょう。
しかし、その「聞かせ上手」は官能的でありながら聞き手に媚びるような「しな」みたいなものとは無縁でした。色気にはあふれていながら決して形を崩すことはなく、作品が持っている生命力をスポイルすことはありません。
しかし、クライスラーの小品集のようなソロ曲とは違って指揮者とオーケストラがいる協奏曲となると少しばかり雰囲気が異なるようです。
私の手元に今ある録音は以下の3つです。
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調, Op.35:アタウルフォ・アルヘンタ指揮 ロンドン交響楽団 1956年12月27日~28日録音
ラロ:スペイン交響曲 ニ短調, Op21:エドゥアルド・ヴァン・ベイヌム指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 1953年3月3日~4日録音
エルガー:ヴァイオリン協奏曲 ロ短調, Op.61:サー・エードリアン・ボールト指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 1954年10月28日~29日録音
例えば、ボールトのような指揮者を相手にしたときは「形を崩さない」という面がより強く出るようで、「芸術」としてのクラシック音楽を築け上げようという気持ちを共有していたようです。
エルガーの協奏曲などはそういう姿がはっきりと刻み込まれていて、言ってみれば「芸術家」でありたいという思いが強く感じ取れます。それとも、いろいろお世話になったイギリスへのリスペクトのあらわれだったのでしょうか。
それから、怖いセルを相手にした「スペイン交響曲」なんかでは自由に振る舞える余地はほとんどなかったようです。
しかし、ベイヌムと録音した「スペイン交響曲」などになると、まさに「ベルカント・ヴァイオリニスト」と言われたカンポーリならではの色気にあふれていて、妖艶な歌いまわしが存分に楽しめます。アルヘンタと録音したチャイコフスキーの協奏曲なんかも同様です。
確かに、ボールトとのエルガーのヴァイオリン協奏曲などは自然なたたずまいと香りの高さ前面に出ていて、それは疑いもなく立派な音楽になっていることは事実です。否定しません。
しかしながら、個人的には「芸人カンポーリ」らしさにあふれたスペイン交響曲やチャイコフスキーの協奏曲のような演奏に心惹かれます。今となっては絶対に聞くことができない!!、それこそが歴史的録音を聞く大きな喜びだからです。
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