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ウェーバー:魔弾の射手 序曲

カラヤン指揮 ベルリンフィル 1960年9月録音

Weber:Der Freischutz Overture


とにかくホルンの響きが魅力です

ウェーバーの「魔弾の射手」はオペラにおけるドイツ・ロマン主義を確立した記念碑的作品と位置づけられています。
ドイツ人によると、このオペラはワーグナーのオペラよりも遙かにドイツ的なものが表出されている作品だそうです。そして、そう言う古き良きドイツ的なものに嫌悪感を感じる若い世代にとっては、虫酸が走るほど我慢できない音楽なんだそうです。まあ、そのあたりの感覚は「日本的」なものと置き換えてみれば、分からないではありません。
ただし、外国人が却ってそう言う「日本的」なものに何の偏見もなく向きあえるように、私たちもまた素直に「ドイツ的」なものに向き合えるようです。

そして、また多くのオペラと同じように、このオペラの序曲もまた単独でよく取り上げられます。
とにかく、この序曲は4本のホルンが格好いいです。

冒頭の魅力的な旋律は賛美歌「主よ御手もて引かせ給え」から引用しているそうです。それとも、このウェーバーの旋律を賛美歌が拝借したのでしょうか?どちらが卵でどちらが鶏かはあまり興味もないのでつっこんでは調べませんでした。

『主よ 御手もて 引かせ給え ただわが主の 道を歩まん いかに暗く けわしくとも みむねならば われいとわじ』みたいな歌詞だそうです。
そう言えば、森山良子がこの曲を歌っていましたね

しかし、このメロディラインをホルンが演奏すると、一気に周囲は深いゲルマンの森・・・的な雰囲気になりますね。
それから、これはきっとウェーバーの得意技かと思うのですが、最後のところで終わったかな?と思わせておいてもう一回ガーッと盛り上げるのも格好いいですね。


精神性に頼らない指揮芸術

カラヤンという人はどういう作品であっても聞きやすくゴージャスに仕上げる才能を持った人でした。しかし、そのことは何を聞いてもカラヤン風にお化粧されると言うことなので、中には作品そのものがもっている素直な良さをスポイルしてしまうことも否定できませんでした。
それから、なんと言っても、誰からも評価されてて「帝王」などと言う尊称を奉られていると、それを意識的に否定することで自分の「偉さ」を誇示したいと思う人も生み出しました。それを全て「アンチ・カラヤン」とは断定しませんが、それでもそう言うスノッブな動機でカラヤンを否定していた人も少なくありませんでした。
そして、そう言う「アンチ・カラヤン」な人々がひそかに心待ちにしていたのは「カラヤンの死」でした。

美術の世界などでは顕著なのですが、存命中は高く評価されていても、その作家が亡くなると一気に評価が下がります。(号あたりの単価が50%オフになるのが常識とか・・・)
音楽の世界も同じで、存命中にどれほど高い評価を得ていても、亡くなると同時に忘れ去られていくという人も少なくありません。
ですから、アンチ・カラヤンな人々は、カラヤンの評価なんて彼の政治力の賜物にしかすぎず、死んでしまえばその政治力も発揮できないのであっという間に忘れ去られてしまうだろうと期待したのです。

そして、その願望は1989年に叶えられることになりました。
おそらく、アンチ・カラヤンな人たちは、カラヤンの凋落がいつ始まるのかと、心ワクワクさせながらそのときを待ったはずです。
ところが、1年たっても、2年たっても、さすがに新譜は出てこなくなりましたが(^^;、カラヤンに対する評価はそれほど大きな変化はおこりませんでした。「おかしいな、○ー○なんかはあっという間に忘れ去られたのに、これはどういう訳だ?」と訝しく思ったのですが、その後5年たっても10年たっても、カラヤンはいまだに存命中であるかのように、彼の録音は再発され続けました。
そして15年たち、20年たっても状況に大きな変化はないと言うことになると、多少は心に素直さをもっているアンチ・カラヤンな人は「これは、いくら何でもおかしいぞ」と思うようになるわけです。

はい、この「アンチ・カラヤンな人」とは私のことです。(*_ _)人ゴメンナサイ

もう、ここまできたのですから、思い切って言い切っちゃいます。
カラヤンという指揮者は、同じ業界人の中で比べれば、フルトヴェングラーやトスカニーニ、さらにはワルターなどと肩を並べうる存在だったのかもしれないのです。(だった。・・・と言い切るにはまだ時間不足)

芸術という分野においては「時間」」こそが最も公正で厳格な審判です。評価に値しないものは時間の経過とともに消え去っていきます。
逆に価値あるものとは何かと言えば、時間の流れの中でも古びることもなく残されたもののことです。
この事実を素直に受け入れるならば、時間が残したものについては謙虚に評価して向き合うべきです。ですから、この数年はかなり意欲的にカラヤンの録音を集め聞き込んできました。

かつては、「カラヤンの余りよい聞き手ではない」と言ってきたのですが、最近はそこまで謙遜する必要がないレベルまで聞き込んできた自信はあります。
その聞き込んできた中でつくづくと感じたのは、カラヤンが偉大だったのは、20世紀の前半でフルトヴェングラーやトスカニーニが築き上げた指揮芸術というものに、まだ違うアプローチがあることをかぎ取り、そのかぎ取った世界をものの見事なまでに現実化したことにある、と言うことです。

ホロヴィッツのピアノに精神性を求める人はいません。もちろん、そのことをもって「奴には猫ほどの知性もない」と批判した評論家もいましたが、クラシック音楽という世界は「精神性」だけで成り立っているわけではないという当たり前の事実をものの見事に腕一本(いや、二本か?)で証明して見せました。事情はハイフェッツにおいても同様です。

ピアノやヴァイオリンみたいな器楽奏者の世界では、片方にバックハウスやケンプが存在し、他方にホロヴィッツがいても何の不思議もなく受け入れられてきました。
しかし、どういう訳か指揮芸術においては21世紀を迎えてもまずは「精神性」が求められ続けました。

ホロヴィッツは「猫ほどの知性もない」と酷評されても気にもとめませんでしたが、指揮者が「猫ほどの知性もない」と言われれば残念ながらいまだに致命傷です。
でも、そんなつまらぬ知性などはどこかに放り出して、鬼のようなトレーナーと化してオケを鍛え上げ、究極のシンセサイザーとして超絶的にゴージャスにして美麗なる音楽を聴かせてくれる指揮者が存在すれば素敵だとは思いませんか?

もちろん、カラヤンは人に負けないほどの知性を持っていましたが、しかし、彼が本当に求めていたのは、そう言うホロヴィッツ的な指揮者だったのではないかと思うようになってきました。

カラヤンが亡くなってから、クラシック音楽の世界にはカリスマがなくなったと言われます。
もしかしたら、その一番の原因は、誰もがお高くとまりすぎて、本当の意味でカラヤンみたいに馬鹿になりきれていないからではないでしょうか。

8月に入ってから、落ち穂拾いみたいにアップし切れていなかったカラヤンのパブリックドメインの音源を追加しています。
「帝王」カラヤンの地位を不動のものにし、そこから自分の信じた指揮芸術を形あるものに仕上げようとする入り口にあたる録音ばかりです。同じ時期に、彼は愛人であるウィーンフィルともまとまった録音を残していますが、やはり本妻であるベルリンフィルとの録音の方にこそ、そう言う彼の方向性が透けて見えるような気がします。

ただ、こうしてカラヤンの録音をまとめて追加しはじめると、必ず決まって「カラヤンみたいなつまらぬ指揮者の録音をアップする暇があるなら、他に紹介すべき録音がたくさんあるだろう!」みたいなネチネチしたメールをいただきます。
でも、私は改心したので(見方を変えれば「裏切り者?」)、これからも頑張ってカラヤンの録音はフォローしていくつもりです。
いまだにアンチカラヤンで頑張っている人も、いい加減「改心」されてはいかがでしょうか?

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2016-03-01:emanon





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