クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~



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名演奏を聴く~今週の一枚(最新の20件)

名演奏を聴く~今週の一枚(一覧表示)



ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 作品68

ベイヌム指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 1951年9月録音

ベイヌム&コンセルトヘボウ管によるブラームスの交響曲を聞くときの喜びは何かと聞かれれば、それはコンセルトヘボウがもっともコンセルトヘボウらしかった時代の響きを楽しめることだと答えるでしょう。
世間ではその響きを、「黄金のブラス、ビロードの弦」と評したりもするのですが、やはりそれだけでは不十分です。
確かに機能的で小回りのきくオケではありません。基本的には鈍重と言う言葉が相応しいような場面もあるのですが、それでも何とも言えないふくよかさと重量感を併せ持った響きはこの上もなく魅力的です。


ブルックナー:交響曲第5番 変ロ長調

ハンス・クナッパーツブッシュ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1956年6月録音

この録音は評価が分かれますね。
正統派のブルックナーを良しとする人たちにとっては、これはもう「許しがたい演奏」とうつるようです。シャルクの改鼠版を使っているということで許せない。終楽章のコーダもただの大風呂敷にしか聞こえない。
しかし、私が初めてこの録音を聞いたときは、最後の最後で何が起こったのかと腰が抜けそうになったものです。
おかげで、その後は「正しい原典版」を聞くと物足りなさを感じて、「5番はやっぱり改訂版に限るなぁ!」などと恐れ多いことをほざいてしまうのです。


ワーグナー:「ワルキューレ」より「ヴォータンの別れと魔の炎の音楽」

ハンス・クナッパーツブッシュ指揮 (Br)ジョージ・ロンドン ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1958年6月9日~11日録音

クナッパーツブッシュの音楽は嫌いだという人は少なくありません。
その論拠となるのは、楽譜に書かれているテンポ指示を無視し、自分の都合のいいように勝手に演奏してしまうからであり、それはすでに解釈の領域を超えた恣意的な改変だというものです。
しかし、この深々と沈潜していくようなクナッパーツブッシュの音楽は、ジョージ・ロンドンの歌唱に不満を感じながらも、それを必要とする人が多いのです。私もまた同様です。


ブラームス:交響曲第4番 ホ短調 作品98

ジョージ・セル指揮 クリーヴランド管弦楽団 1966年4月8日&9日録音

この66年の録音にはモノラルの時代に感じたような厳しい緊張感はありません。60年代に入ってクリーブランド管が完成の域に達してくると、セルが完成したクリーブランド管にセル自身が包摂されてしまったとも言われることが多いのですが、それでもセルの意志は隅々にまで行き届いています。
おそらく、こういう演奏こそが「何度も聞き直される」事を前提とした「録音」と言う行為に対する一つの「解」なのでしょう。


ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ

ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1963年2月3日録音

いささか日本では評価の低いオーマンディなのですが、「精神性」などと言うものとは全く無縁の地点で、オーケストラの持つ機能性を極限まで発揮することが要求されるラヴェルのような作品とは極めて相性がいい様に見えます。
この「亡き王女のためのパヴァーヌでは、聞き手はその作品に相応しい官能性に身をゆだねることが出来ます。
クラシック音楽のコンサートというものは、「芸術」と「興行」という二律背反する要素を常にはらんでいます。しかしながら、「芸」を伴わない「芸術」を聞かされるくらいならば、こういう「興行」に徹した「芸」を聞かせてくれる方がはるかにましです。


ブラームス:クラリネット五重奏曲 ロ短調 Op. 115

(Cl)レジナルド・ケル:ブッシュ四重奏団 1937年10月10日録音

この録音でクラリネットを吹いているレジナルド・ケルはその美音を武器として売り出し中の若手の演奏家でした。その後の彼の録音を聞けば分かることですが、彼の音楽の特徴はある種の「軽み」にこそ存在します。
そして、その「軽み」が、亡命を控えたブッシュ四重奏団の厳かとしか言いようのない堅固な響きとが不思議な調和を持って共存しています。
それにしてもわずか30歳を過ぎたばかりの若者が天下のブッシュ四重奏団を相手に臆することなく渡り合っているのは見上げたものです。


ガーシュイン:ラプソディー・イン・ブルー

(P)ユージン・リスト:ハワード・ハンソン指揮 イーストマン=ロチェスター・オーケストラ 1957年5月録音

ピアニストのユージン・リストの方も、今となってはあまり話題にならないのですが、系統的にはアール・ワイルド等と同じような系列に入る人のようです。上手いことは上手いのですが、いわゆるベートーベンとかブラームスのような正統派の音楽ではなくて、こういうガーシュインのような作品で力が発揮されるようです。
このガーシュインの協奏曲とラプソディ・イン・ブルーでは、Mercuryの極めつけの優秀録音と言う後ろ盾を得て、素晴らしいまでにダイナミックで切れ味の鋭い演奏を堪能させてくれます。


プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 Op.26

(P)バイロン・ジャニス:キリル・コンドラシン指揮 モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団 1962年6月録音

ホロヴィッツという人は不思議な人で、どうしてこの作品を録音していないの?と言う事がよくあります。そして、そう言うホロヴィッツが録音しなかった作品をバイロン・ジャニスは積極的に録音しているのですが、それはもう、ラフマニノフの2番にしてもこのプロコフィエフの3番にしても、もしもホロヴィッツが録音していればこんな感じになっただろうなと思わせる「凄み」があります。


サン=サーンス:ヴァイオリン・ソナタ第1番 ニ短調, Op.75

(Vn)ヤッシャ・ハイフェッツ:(P)エマニュエル・ベイ 1950年4月7日録音

ハイフェッツという人の本質はもしかしたら「皮むき」なのかもしれません。
耳になじみやすい旋律や華やかな演奏効果などと言う外側の皮を剥いていって最後に残った芯の部分だけを誠実に表現しようとしている姿が見えてきます。

そして、そう言う姿勢が常に真摯であるが故に、ハイフェッツの演奏で最後の圧倒的な無窮動の迫力を聞くとき、「名人芸のどこが悪い!」と開き直れる勇気を私に与えてくれるのです。


ショパン:ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調, Op.11

(P)ニキタ・マガロフ:ロベルト・ベンツィ指揮 コンセール・ラムルー管弦楽団 1961年録音

マガロフのピアノは決然たるオケの響きと歩調を合わせて決然たる「楷書体」で押しきっています。そして、歌うべきところは実に潔癖な潔さでもって歌い上げています。
おそらく、オケとピアノと、その両方がここまで青春の影とか切なさなどと言うものから距離をおいたショパンは他に思い当たりません。


モーツァルト:ディヴェルティメント 第17番 ニ長調 K.334 「ロビニッヒ・ディヴェルティメント」

フリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団 1955年4月23日&26日録音

霊界にいるモーツァルトと交信してるとまで言われたワルターのモーツァルトがスタンダードとするならば、このライナーのモーツァルトは随分と遠い位置にあることになります。

しかし、時が流れ、いわゆるピリオド演奏という荒波をくぐり抜けてみれば、十分に中身のつまった充実した響きでありながら、リズムが明晰なモーツァルトには強い説得力があることに誰もが気づくはずです。
そして、フィナーレにおけるたたみ込むような迫力に目を奪われる向きもあるのですが、それよりも歌い上げる部分では決して甘い情感に流されることなくクールに歌いきるところこそが凄いのです。
そのクールな歌い回しの中から、モーツァルト特有の透明で静謐な悲しみが浮かび上がってきます。


ワーグナー:ジークフリート牧歌

ブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団 1959年12月4日録音

ワーグナーにとって、この牧歌は彼の人生においてたまさか差しこんだつかの間の日の光だったのかも知れません。
ならば、それがつかの間の幸せだと分かっていても、その手の中にある幸福を愛おしまなければ罰が当たります。もちろん、ワーグナーはその幸福を仇や疎かにすることはなく、この上もなく美しい音楽に昇華させることで、その幸福を万人に分かち与えました。
そして、ワルターもまたその幸福感をしっかりとワーグナーから受け取り、その幸福をこれ以上はないと言うほどの優しさと美しさを持って愛しんでみせました。


シューマン:幻想曲 ハ長調 作品17

(P)アニー・フィッシャー 1958年10月12日 & 1959年2月5日録音

情念は雰囲気ではなくて、精度です。
シューマンの底深い情念を形づくっている「音」というパーツの精度を極限まで高め、その精緻なパーツをさらに寸分の誤差もなく組み立てることで再現して見せているのです。
ですから、ここに雰囲気に甘えて曖昧に弾きとばしてるようなパーツはただの一つもありません。


シベリウス:交響曲第2番 ニ長調 Op.43

サー・ジョン・バルビローリ指揮 ハレ管弦楽団 1966年7月25日~26日録音

バルビローリという人は決して人の目を引きつけるような尖った表現を求める指揮者ではありませんでした。
彼こそは真の意味での職人指揮者でした。
彼の音楽には常に人肌の温もりと人間的な暖かみに満ちたパッションがあふれていました。
ですから、シベリスと言えばどこか北国のひんやりした空気感で彩られることが多いのですが、バルビローリの指揮棒にかかれば人間的な暖かみとパッションに満ちたシベリウスが立ちあらわれるのでした。


ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番 ト短調 作品26

(Vn)ティボール・ヴァルガ:J.M.オーバーソン指揮 ティボール・ヴァルガ音楽祭管弦楽団 1965年録音

この演奏と録音には、とんでもなく効率の悪い「手間」がかけられているはずです。全てのメンバーが寝食をともにし、その中でヴァルガの理想とする音楽の形を全てのメンバーが学び取ることを通して実現した音楽です。
ですから、そこ

には上手下手などと言うレベルをはるかに超えたところで成り立っている音楽が存在しているのです。


ビゼー:交響曲 ハ長調

レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィル 1963年5月27日録音

強めのアタックで鋭角的に造形していくのにも驚かされるのですが、大規模なオケをフルに鳴らし切る豪快さにはアメリカの黄金時代が待っていた底なしのパワーが感じられます。そして、バーンスタイン&ニューヨークフィルというコンビは、まさにその様なアメリカの象徴だったのだと気づかされる録音です。

まあ、それくらい、ビゼーというフランスの音楽をアメリカナイズした演奏です。


バルトーク:弦楽四重奏曲第6番 Sz.114

ジュリアード弦楽四重奏団 1963年5月10日&14日録音

バルトークの弦楽四重奏曲の世界と向き合うには「物語性」などに取っかかりを求めてもどうしようもありません。とりわけ3番から5番あたりの作品に関してははっきりとそう言いきれるでしょう。
バルトークは民族音楽から学びとった語法から始まって、バロックに遡るようなポリフォニックな音楽語法まで、それこそありとあらゆるノウハウをつぎ込んでいるのです。
もちろん、聞き手はそんな小難しいことは一切考えなくても、流れ来ては流れ去っていく響きに耳を傾けていれば、そこで展開される響きの多様さに心奪われることになるのです。

ですから、聞き手として、そう言う「響きの多様さに焦点を当てる」という腹をくくれば、一切の物語性を排除して、まさに純粋な音響の構築物として構築しているジュリアードの演奏は最適なのです。


バッハ:ピアノ小品集

(P)ディヌ・リパッティ 1950年7月6日&10日録音

これらはすべて、リパッティがこの世を去る数ヶ月前の録音で、まさに遺作とも言うべき演奏です。
EMIのレッグは録音機材をスイスに運び、リパッティの体調がよくて演奏が可能なときにはいつでも録音が可能なようにスタンバイしていました。レッグという男は毀誉褒貶の激しい存在なのですが、リパッティの録音がある程度まとまった形で残ったのは疑いもなく彼の功績なのですから、それだけでも「良し」とすべきでしょう。


ベートーベン:ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 Op.111

(P)マリア・ユーディナ:1958年録音

ベートーベンを豪快に演奏するピアニストはいます。
また、ベートーベンの瞑想性を見事に描き出すピアニストもいます。
しかし、その二つを自由自在に行き来して、それを一つの精神世界として描き出して見せたのはユーディナだけでしょう。とりわけ、彼女が演奏したベートーベン最後のソナタの演奏には、もはや語る言葉すら見つかりません。


ディーリアス:フロリダ組曲

トマス・ビーチャム指揮:ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 1956年11月10日,19日,21日~22日&12月14日録音

ビーチャムが最晩年にまとめてステレオ録音した一連のディーリアス演奏について、何らかの評価を下すことは不可能ですし、おそらく誤りであろうと言うべきでしょう。
それはカヤヌスがシベリウスのオリジンであった以上に、この演奏こそがあらゆるディーリアス演奏の基準点になっているからです。そして、その事をディーリアスもまた決して否定しないでしょう。







[2023-12-02]

ビゼー:「美しきパースの娘」組曲(Bizet:JLa jolie fille de Perth Suite)
エドドゥアルド・リンデンベルグ指揮 パリ音楽院管弦楽団 1953年6月12日~25日録音(Edouard Lindenberg:The Paris Conservatoire Orchestra Recorded on June 12-25, 1953)

[2023-11-29]

シューベルト(カサド編曲):アルペジョーネ・ソナタ イ短調 D.821(Schubert:Sonata For Arpeggione and Piano in A minor, D.821 Arr.Gaspar Cassado)
(Cello)ガスパール・カサド:イオネル・ペルレア指揮 バンベルク交響楽団 1956年9月15日録音(Gaspar Cassado:(Con)Ionel Perlea Bamberg Symphony Orchestra Recorded on September 15, 1956)

[2023-11-26]

シューベルト:ピアノ・ソナタ第15番 ハ長調 D.840「レリーク」(Schubert:Piano Sonata in C major, D.840)
(P)ヴィルヘルム・ケンプ:1967年1月録音)Wilhelm Kempff:Recorded on January, 1967)

[2023-11-23]

リスト:ピアノ協奏曲第1番変ホ長調(Liszt:Piano Concerto No.1 in E flat major S.124)
Samson Francois:(Con)Georges Tzipine Orchestre De La Societe Des Concerts Du Conservatoire Recorded on May 28&June 1, 1954

[2023-11-19]

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番ハ短調, Op.111(Beethoven: Piano Sonata No.32 In C Minor, Op.111)
(P)ジュリアス・カッチェン 1955年3月5日~16日録音(Julius Katchen:Recorded on March 5-16, 1955)

[2023-11-17]

ラフマニノフ:シンフォニック・ダンス, Op.45(Rachmaninoff:Symphonic Dances, Op.45)
キリル・コンドラシン指揮 モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団 1963年録音(Kirill Kondrashin:Moscow Philharmonic Orchestra Recorded on 1963)

[2023-11-14]

モーツァルト:モテット「エクスルターテ・ユビラーテ」 K.165/158a(Mozart:Exsultate jubilate in F major, K.165/158a)
フェレンツ・フリッチャイ指揮 ベルリン放送交響楽団 (S)マリア・シュターダー 1960年6月3日~4日録音(Ferenc Fricsay:Berlin RIAS Symphony Orchestra (S)Maria Stader Recorded on June 3-4, 1960)

[2023-11-11]

シューベルト:ピアノ・ソナタ第16番 イ短調 D.845(Schubert:Piano Sonata in A minor, D.845)
(P)ヴィルヘルム・ケンプ:1965年2月録音(Wilhelm Kempff:Recorded on February, 1965)

[2023-11-08]

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番 ヘ短調, Op.57「熱情」(Beethoven: Piano Sonata No.23 In F Minor, Op.57 "Appassionata")
(P)ジュリアス・カッチェン 1955年3月5日~16日録音(Julius Katchen:Recorded on March 5-16, 1955)

[2023-11-05]

ベートーヴェン:「エグモント」序曲, Op.84(Beethovev:EgmontOverture, Op.84)
イーゴリ・マルケヴィチ指揮:ラムルー管弦楽団 1958年11月25日録音(Igor Markevitch:Concerts Lamoureux Recorded on November 25, 1958)