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R.シュトラウス:メタモルフォーゼン~23の独奏弦楽器のための習作

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ウィーンフィル 1947年10月~11月録音

R_Strauss:Metamorphosen, TrV 290 "Study for 23 string instruments"


滅びへと向かう変容

R.シュトラウスにとって第2次世界大戦の敗北に向かうドイツの姿は絶望的なものとして映ったはずです。ナチス・ドイツに残った音楽家の中で彼はフルトヴェングラーとならぶ大物でした。そして、ナチスにとっては何かと目障りなフルトヴェングラーとは違って、金銭欲と権力欲の強かったシュトラウスは御しやすい相手でした。
彼が、唯々諾々と第三帝国の帝国音楽院総裁の地位についたことは、彼の俗物的な一面がさらけ出された汚点でもあるのですが、これほどの知性に恵まれた人物であっても、金銭欲と権力欲の絡む政治的な駆け引きの中では驚くほまでに無知となる典型とも言えます。

しかし、自分のオペラの台本作家にユダヤ人を起用した事でヒトラーと袂を分かち、結果とし音楽総裁の座も辞職し、それ以後はガルミッシュの山荘に籠もることになります。
彼は連合国の攻撃によって、ミュンヘンやドレスデンが壊滅し、ウィーンの歌劇場も灰燼と帰していくのを絶望的な思いで眺めながらも、ひたすらガルミッシュの山荘でゲーテの作品を読みふけるのです。
そして、滅びへと向かうドイツへの追悼の思いをこめて「メタモルフォーゼン」と題した作品に取りかかることになります。

「メタモルフォーゼン」とは普通は「変容」と訳されるのですが、そのヒントは彼が山荘で読みふけっていたゲーテの作品の中に見いだすことが出来ます。ゲーテは「植物のメタモルフォーゼン」や「動物のメタモルフォーゼン」の中で、変容していくそれらの姿を理屈や論理ではなくて直観によってとらえようとしています。


この庭一面に咲く百花繚乱の花は、愛する人よ、あなたを混乱させます。
たくさんの花の名まえを聞いても、
聞き慣れない響きをしているので、一つも耳に残りません。
すべての形態は似ているけれども、
一つとして同じではありません。
それらの群れは、秘密の法則、
聖なる謎を指し示しています。


滅びゆくドイツの姿は彼を混乱させたでしょうが、その滅びへと向かう姿を直観によってとらえ、そのとらえた姿を音楽によって表現しようとしたのではないでしょうか。
そして、彼はその変容の最期をエロイカの葬送行進曲で締めくくっています。

この作品は「変容」と題されているので、形式的には「変奏曲」の部類に入るように見えるのですが、聞いてみればそういう形式よりははるかに自由です。「変奏曲」ならば最初に提示された主題から自由になることは出来ませんが、この「変容」ではその様な約束事には縛られることなく最初の「原型」は次々と変容していきます。そして、その変容の根底にはエロイカの葬送行進曲へと流れ込んでいくことが暗示されていたことに、最後の最後に気づかされるのです。

人間も、そしてこのドイツという国も、あえぎ、のたうち回ると言う「変容」を重ねながら、最後は「葬送」へと流れ込んでいくのです。

ただし、ゲーテは滅び(「自然はここで永遠の力の環を閉じます」)の先に復活(「しかし新しい環がまえにつながり鎖は永劫未来にのびていきます」)を言祝ぎます。
しかし、シュトラウスのこの音楽を聞く限りは、彼はドイツの復活は信じ切れなかったようです。

そして、この先に彼は「ドイツ文化は終わった」との感慨をこめて「4つの最後の歌」を生み出します。
深い絶望感はシュトラウスの本性とも言えた金銭欲や権力欲と言う灰汁を洗い落としてしまい、最後の最後でシュトラウスらしい艶麗たる優美さは失うことなく、なんといえない高貴さと品格の良さが匂い立ってくる作品を生み出す事につながりました。

その意味で、シュトラウスの音楽を「遊び半分の名人芸」と評してきたフルトヴェングラーが、この最後の2作品については最高の評価を与えたのは極めて妥当な判断だったと言えます。


音楽への没入

フルトヴェングラーが非ナチ化裁判で無罪を勝ち取り、歴史的な復帰演奏会を行ったのが1947年5月24日でした。
そして、その5ヶ月後にこの「メタモルフォーゼン」を取り上げているのは印象的です。

さらに驚くのは、このフルトヴェングラーに対抗したのか、あのカラヤンがモーツァルトの「フリーメイソンのための葬送音楽」などと一緒に同じ年の10月から11月にかけて録音しているのです。
そして、この二つの録音を聴き比べてみると、フルトヴェングラーがこの才能あふれる若き指揮者を警戒し、嫉妬していたという話に疑問を感じざるを得ないのです。

この二つの演奏は、最初の1音が出た瞬間に全く異なる類の音楽であることに気づかされます。そして、その気づきは音楽の進行に伴って、この二人の音楽家が全く別の世界に住む生き物であったことを確信させてくれます。

フルトヴェングラーの音楽を貫いているのは、この作品に流れるシュトラウスの深い絶望感への共感です。フルトヴェングラーはシュトラウスの絶望感を我が思いとして演奏しています。そして、その絶望感がどれほど大きなものであったかをどれほど凡な聞き手であっても分かるような凄みを持って音楽を形作っています。
それは、あざといと言えるほどの長い間をとった場面転換や、万感の思いをこめたピアニッシモでの終焉などは、まさにフルトヴェングラーの真骨頂です。

それと比べれば、カラヤンの音楽の何と軽いこと!!
おそらく、彼にとってドイツの敗戦はちょっとしたミステイクでしかなかったのでしょう。

考えてみれば、彼はドイツ人ではなく、ドイツ語を話すオーストリア人でした。そして、ザルツブルグという都市の人間でした。
白洲正子は京都人のことを「1000年のすれっからし」と評しました。都市の人間の特徴はまさにこの「すれっからし」にあります。

一つの権力が興り、そして滅びていくたびに万感の思いをこめて絶望していたのでは都市の人間なんてのはやっていられません。ましてや、カラヤンにとってドイツの敗戦なんてものはお隣の破局でしかなったのでしょう。
ですから、彼はシュトラウスの絶望を我が思いとするのではなく、それを淡々と外から眺めながら「絶望」を造形していきます。それは考えようによってはフルトヴェングラーのメタモルフォーゼンに対する「アンチ」だったのかもしれません。

そして、気づくのです。
カラヤンという人は決して音楽の中に埋没することはなく、常に外から客観的に眺め続けた人だったと言うことを。
そして時代は、疑いもなく、全身全霊を持って音楽に没入するという「鬱陶しい」姿よりは、客観的に外から眺める「スタイリッシュ」な姿の方が持て囃されるようになっていくのです。

おそらく、フルトヴェングラーもまた、その様な時代の流れを感じとっていたのかもしれません。そして、そう言う流れへの反発がカラヤンという存在に対する反発としてあらわれたのかもれません。
そう考えれば、フルトヴェングラーが反発したのはその様な「戦後」という時代に対してであって、決してカラヤンの才能に対してではなかったのでしょう。

この演奏を評価してください。

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