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Home|エリーザベト・シュヴァルツコップ(Elisabeth Schwarzkopf)|モーツァルト:モテット「踊れ、喜べ、幸いなる魂よ」{エクスルターテ・ユビラーテ), K.165(Mozart:Exsultate, Jubilate, K.165/K.158A)

モーツァルト:モテット「踊れ、喜べ、幸いなる魂よ」{エクスルターテ・ユビラーテ), K.165(Mozart:Exsultate, Jubilate, K.165/K.158A)

(S)エリーザベト・シュヴァルツコップ:ワルター・ジュスキント指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1947年5月26日,28日録音(Elisabeth Schwarzkopf:(con)Walter Susskind Philharmonia Orchestra Recorded on May 26,28, 1947)

Mozart:Exsultate, Jubilate, K.165/K.158A [1.Exsultate, jubilate]

Mozart:Exsultate, Jubilate, K.165/K.158A [2. Recitativo: Fulgat amica dies]

Mozart:Exsultate, Jubilate, K.165/K.158A [3.Aria: Tu virginum corona]

Mozart:Exsultate, Jubilate, K.165/K.158A [4.Allelujah]


イタリア的な無頓着さのなかに身を投じても、ザルツブルグを忘れ去りはしなかった事を証明している

モーツァルトは1772年の10月、彼が16才の時に父とともに3回目のイタリア旅行を行います。目的はミラノで謝肉祭用のオペラを作曲し、そのオペラの演奏を指導する為でした。
それは前回のミラノ訪問の時にかわされた契約によるものでした。

父レオポルドがザルツブルグの宮廷から冷ややかな視線を浴びながらも演奏旅行を重ねたのは、息子モーツァルトにオペラを作曲し、それが演奏される機会をつかむためでした。ですから、ミラノでモーツァルトのオペラを演奏する機会を得ただけでなく、次回の予約まで獲得できた2回目の演奏旅行はレオポルドにとっては大成功と言えるものでした。

さらに、モーツァルトはこの3回目のイタリア旅行の直前に新しく大司教に就任したコロレド伯ヒエロニュムスによって宮廷楽士長に任命されています。
宮廷楽士長と言えばコンサート・マスターのような地位ですから、楽長、副楽長に次ぐナンバー3のポジションです。

まさに、この3回目のイタリア旅行はレオポルドにとっては、「神童モーツァルト」を売り出すことから始まった己のプロジェクトが一つの大きな結果をもたらそうとする高揚感に溢れた時期だったと言えます。
モーツァルトもまた11月初旬にミラノに到着するとすぐにオペラの作曲に取りかかり、12月には姉のナンネルあてに「もう14曲作らなければなりません。 それで出来上りです。 ぼくはオペラのことばっかり考えているので、姉さんに言葉を書かずにアーリアをそっくり書いてしまいそうになるくらいです。」と書き送るほどに気分が高揚していたようです。

そして、そのオペラでは当時の人気歌手だったアンナ・デ・アミーチスが起用されることが決まっていたので、モーツァルトもまた全力を挙げて作品に取り組んだようです。
しかしながら、この「ルチオ・シラ」の初演はミラノの大公が大幅に遅刻して開演が3時間以上も遅れるという外面的な事情もあって成功とは言い難い結果となりました。

ちなみに、アインシュタインは明確に「全体としてこの作品はきわめて不手際であり、ムラが多い」と述べています。つまりは、その思わしくない結果は作品そのものにもあったのです。
そして、このオペラはミラノでは20回程度は再演されながらも、それ以外の地域では演奏されることはなく、さらに言えば、モーツァルトにイタリアからオペラの依頼が舞い込むことは二度となかったのです。

レオポルドにしてみればこれは彼にとっても初めての躓きの石であり、それがこの後のパリ旅行の失敗とコロレド伯との確執へと転がり落ちていく複線となったのかも知れません。

しかしながら、この3回目のイタリア旅行は後世の人々に素晴らしい贈り物を残してくれました。
それが、この成功とは言い難かった「ルチオ・シラ」に出演したカストラートのラウツィーニのためにモテット「エクスルターテ・ユビラーテ」を作曲したことです。

ラウツィーニはマンハイムの宮廷劇場第一歌手だったのですが、「ルチオ・シラ」初演のためにミラノに招かれていたのです。
そして、彼がいかに優れた歌手であったかはこの作品を聞けば誰しもが納得するはずです。
このモテットは今もなお、やる気に満ちたソプラノにとっては挑戦のしがいのある難曲であるからです。

それはもう、声によるコンチェルトです。
ですから、アインシュタインもまた「中間楽章を導入する短いレチタティーヴォがなければ、この曲はアレグロ、アンダンテ、プレストあるいはヴィヴァーチェの3部を持つミニアトゥール・コンチェルトと異なるところはない。 光輝や「優美さ」において、真の器楽コンチェルトにほとんど劣らない。」と述べているのです。

それは別の面から見れば、「イタリア的な光輝や無頓着さのなかに身を投じても、ザルツブルグを忘れ去りはしなかった」事を証明しているのです。
何故ならば、ザルツブルグの教会音楽がもつ壮麗さはシンフォニー的に着想され、そのシンフォニー的なものはコンチェルト的なものが混ぜ合わされているからです。


1.Aria

Exsultate, jubilate
o vos' animae beatae,
dulcia cantica canendo,
cantui vestro respondendo,
psallant aethera cum me.

歌え、歓べ、
おお、汝ら祝福された魂よ、
甘き歌を歌いつつ。
汝らの歌に応え、
天もわれに和して歌う。

2.Recitativo ed Aria

Recitativo

Fulget amica dies,
jam fugere et nubila et procellae;
exortus est justis inexspectata quies.

幸先よく陽は輝き、
はや雲も嵐もおさまりぬ。
まさに予期せずして、平安が訪れたり。

Aria

Undique obscura regnabat nox,
surgite tandem laeti,
qui timuistis adhuc,
et jucundi aurorae fortunatae
frondes dextera plena et lilia date.

暗き夜にあまねく支配されし折、
今こそ起きよ、喜びに充てる人々よ、
汝らこれまで恐れおののきしが、
幸せなる晩に歓びの声をあげ、
右手で緑したたる葉と百合の花を捧げよ。

Ti virginum corona,
tu nobis pacemdona,
tu consolare affectus
unde suspirat cor.

純潔の王冠たる汝よ、
われらに平安を与えたまえ。
いずこにか嘆き悲しむ心あれば
汝こそそれを慰めるべし。

3.Finale

Alleluya.

アレルヤ


シュヴァルツコップとウォルター・レッグ

私にとってシュヴァルツコップといえば、気品があって、卓越した歌唱技術と深い知性に裏打ちされた表現力の持ち主でした。
そして何よりも歌声もお姿も圧倒的な美しさを誇る神々しい存在でした。

しかし、彼女の録音をあれこれと聞いていると、1940年代の録音などは結構粗削りな歌唱で、私が思い浮かべる主ヴァルトコップてゃことなるので「フーン…」という感じになります。
彼女の歌唱の特徴は歌の隅々まで配慮が行き届いていて完成度が高いと言うことなのでしょうが、40年代の歌唱は勢いまかせて気持ちよく歌っている感じがします。

この違いはなんだろうと思ってあれこれ考えていて、思いついたのがウォルター・レッグとの関係でした。
二人の出会いは第二次世界大戦直後の1946年のことでした。

レッグは新しい才能を求めてウィーンに赴き、そこでカラヤンからヴァルツコップを紹介されます。
彼は勧めに従って彼女の舞台を聞いてすぐにその才能を認め契約を申し出ます。

ここからは、全くの私の邪推です。
レッグがシュヴァルツコップの舞台を聞いて惚れ込んだのは「才能」なのか「美貌」なのか、シュヴァルツコップは疑ったのかもしれません。
おそらく、彼女ほどの美貌であればそう言うこともよくあったはずです。

普通ならば「契約」という言葉に飛びつきそうなところですが、伝えられるところでは、「私をきちんとオーディションしてから契約してちょうだい」みたいな事をいったそうです。
それに対してレッグも「生意気な女め」などと思わず、カラヤンにピアノ伴奏をさせてヴォルフの短い歌曲を歌わせました。

まあ、普通ならば何曲か歌って「はい、合格ね!」となるところなのでしょうが、レッグはヴォルフの短い歌曲を「今度はこういうニュアンスで」「次はもっと言葉に重みを持たせて」と、1時間以上にわたって何度も繰り返し歌わたというのです。
かなり無茶苦茶なオーディションなのですが、シュヴァルツコップはレッグの要求にこたえて歌い続け、そこで初めて「契約」を受け入れたというのです。

後年に伝わる話では、その過酷なオーディションにレッグの本気と育てる才能を感じとって「この人こそ私のすべてを引き出してくれる指導者だ」と確信したというのです。

そして、そこで築かれた信頼関係はやがて1953年には「結婚」という形で落ち着くことになります。
しかし、レッグは彼女が妻となっても一切妥協はせず、何時間もスタジオに籠もり、発音の不自然さやわずかな音程のズレを指摘し続け、シュヴァルツコップが涙を流すことも日常茶飯事だったと言われています。

私がイメージするシュヴァルツコップというのは、疑いもなくこの二人によって磨き上げられた作品だったのです。

と、ここで話が終わればよかったのですが、どうしても触れておかなければいけないことがあります。
それが彼女とナチスとの関係です。この時代を生きたドイツ人にとってそれは避けては通れない重荷です。

結論から言えば、彼女はナチスの党員でした。
しかし、その事実を彼女は一貫して否定し、隠蔽し続けました。
戦後の「非ナチ化」の審査においてもナチスとの関わりを隠蔽することで追放を免れています。

この隠蔽が暴かれたのは、なんと1980年代に入ってからでした。
その間、彼女は入党の事実を頑なに否定していました。

しかし、80年代の調査で党員番号「7,548,960」を付与されていた事実が明らかにされました。
すると彼女は「家族を守るために従わざるを得なかった」「キャリアを継続するための形式的なものだった」などと自己弁護に終始しました。

その様なシュヴァルツコップの姿勢は強い批判を浴びました。
さらには、口さがない人々はレッグとの結婚も過去を隠蔽ずるための隠れ蓑だったのではないかなどと疑われることになります。
ちなみにレッグはイギリス系ユダヤ人でした。

しかし、少なくともレッグとの関係は自己保身のための隠れ蓑だったとは私には思えません。
それほどに、レッグ以前と以後では彼女の歌唱は大きく異なります。

とは言え、証拠を突きつけられるまでナチス入党の事実を偽っていたのはいただけません。
20世紀を代表するディーバにとっては拭いがたい汚点と言うしかありません。

とは言え、「芸術家がナチスのような極めて強権的な政治に対してどの様に向き合うべきだったのか」、そして、「事がただされた後に、その過去にどう誠実に向き合うべきなのか」と言うことは、いつも時代も向き合わざるを得ない事です。
それは他人事ではなく、全ての人が形を変えながらも問われ続けていることなのです。

この演奏を評価してください。

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  2. いまいちだね。( ̄ー ̄)ニヤリ>>>3~4
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  5. 最高、これぞ歴史的名演(ξ^∇^ξ) ホホホホホホホホホ>>>9~10



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