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リスニングルームによせられたコメント
リスニングルームによせられたコメントをまとめたコーナーです。多くの方の熱いコメントを期待しています。(2008年3月10日記)
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- フランクと指揮者またオケの皆様、そして管理人様への感謝と共に。
今日本語の多人数レッスンのバックグラウンドミュージックで第1楽章を流している最中です。先日もある中国人の生徒さんから「先生、この交響曲はよさげですね!何の交響曲ですか?」というコメントがあったばかりです。フランクもまさか21世紀の極東のわたしたちがこんな形で自分の音楽を聴いているとは夢にも思わないでしょうが。
まあわたしが不勉強なだけなのですが、うわさに聞いていたもののずっと聴かずじまいだったこの曲をここでこうして聴けて、ああまだ聴いていないこんなよさげな曲があったのかとフランクに感謝です。よく言われるように、導入部からして調性は一体どうなってしまう?のか?というのがたまらないですね。
オケと指揮者の皆様にも、テンポといい鳴らせ方といい、バックグラウンドミュージックとして非常に流しやすく感謝です。
最後に管理人様に感謝なのですが、うーん… 偉大なるマイナー曲、なんですねこの曲は。わたし的には第一楽章はブルックナーよりよさげで、第二楽章でかなり気を持たせられ、いざ第三楽章であれー?ボーボーボーボボ、ボーボーボーボボってなんだこれ???みたいだったところが、何度も聞いているうちに、うんうんうんうん、そうだそうなんだこれなんだー、いったれー、みたいになっています。
小川?から始まったクラシック音楽の海はかくも広く深いので、管理人様の労苦にはただただ感謝しかありません。ご自愛されつつ、引き続きどうぞ宜しくお願いいたします。
- 2023-04-24:小林正樹
- いやぁ、凄かった!この曲を山のように聴いてきたけど、この<モノラル!>録音の凄さは、僕には強烈です。ボレロを聴いてきて、いわゆるクラシック的な意味(?)で感激などしたことは実演も含めてこの年(?)までなかったけど、アップしていただいた「この」若きクリュイタンス指揮のORTFは、自分の中で最高です。オケも、今は昔のフランス訛り(?)の音がして(とくにバッソンやフレンチホルン群)いいいなぁ! 今更にしてラヴェルの超天才的作曲術に感謝感激。そして、いかにモノラル録音の持つ良さ(細部まで本当によく見えるわな)が素晴らしいか、また逆にステレオ録音の持つ精神的脆弱性(笑)を嫌というほど思い知らされた!クリュイタンスの解釈も恐ろしく素敵ですなぁ。このテーマの旋律がこれほど歌われて美しい凄みを持って聞こえることは本当に未体験でした。いやはやショック!
- 2023-04-23:oboemasa
- はじめまして。この録音はまだ聴いてないですけれど、とにかくすごいサイト作っておられますね。助かりまくってます。そして文章がまたすごい。わかりやすくて面白いなんてそうそう出会えない。ダウンロードさせてもらえて本当に嬉しい。
何かというと初心者向とか敷居を下げるとかそういう方向はツマラナイなあと感じてたのですが、ここみたいに詳しい人にも面白い場所って貴重です。これからも頼りにしています。
- 2023-04-18:アドラー
- 私もピリオド演奏は苦手です。好きな聞き手もいるだろうとは思いますが、私も「そっぽを向いて」しまいました。ピリオド演奏だけでなく、以前は好きだったバロックそのものからも次第に遠のいていました。
ピリオド演奏が「新しい解釈」という枠を通り超えて、「正しさ」を主張する「原理主義」に突き進んでいくようになった、というユングさんのご指摘、なるほど。。と思いました。例えば、バーンスタインのマーラー解釈こそ正しい、などと言うのは(私はバーンスタインの解釈は好きですけど)、まずいなあと思います。クラシック音楽の世界が独裁主義者が台頭する世界の政治状況みたいなことになることはないでしょうけど、ちょっとそんなことを連想します。
ところで、遠ざかっていたブリュッヘンの演奏ですが、この演奏はいいですねえ。こんなピリオド音楽もあるんですね。私はピリオド音楽のことをよく分かってなかったのかも。バロックへの関心が戻ってきそうです。アップ有難うございました。
- 2023-04-18:さとる
- ここまで来たら私はAIに超期待してます。
メンゲルベルクのマーラー全集とか、
クナのベートーヴェン全集とか、
グールドが弾いた吉松隆とか、
様々な組み合わせが多分80点ぐらいの質で創造できます♪
たらればを聴けるので、
ある意味パラダイスですwww
- 2023-04-17:小林 正樹
- 偉大なソリストが年老いて円熟の境地に達し益々深々とした芸術の奥地へ進む・・などという感覚はこの大フルーティストにはあまり当てはまらないと思いますな。
むしろここに聴かれるような、良い意味での若さ溢れる天才のきらめき。この年代のランパルは実に、掛け値なしの凄さです。もちろん19世紀の超名人たちの演奏を聴けたならそれはそれで又感ずるところは違ってくるでしょうが・・・。そんなことは不可能で我々はともかくもここに聴かれるような眼前のヴァーテュオーソを味わうことになる(ランパルは亡くなりましたが)。おそらく連綿と続いているヨーロッパの演奏家の伝統的名人芸というのは技巧の完璧さ、音質の磨かれ方、音楽的音程感、感興あるテンポ感に基づく伸縮する正確な(?)リズム等が一体となって最終的に「心地よく」我々のお耳に届くときに嬉しくなるのではないかな、等と。いやべらべらと申し訳ない!
でもこのランパルは後のスターン(vn)等との再録より我が耳には数段心地よかったです。アップ、心から感謝です!!
- 2023-04-15:yk
- パスキエ・トリオのK.563、3部作完結ですね。私が初めて聴いたK.563がこのERATOのSTEREO録音でした。パスキエ・トリオとしては恐らくモノラルLPの録音がベストなのかもしれませんが、初めて聴いた時の刷り込みもあってか私にはこのSTEREO盤の演奏が今も唯一無二の存在です。この曲には多様なアプローチの仕方があり、実際他にも色々興味深い演奏もありますが(曲が素晴らしく”駄演”と言うのが無いのかもしれません・・・^_^;;)、モーツアルトの完全性にラテン的な自由性からのアプローチ・・・という点では今もパスキエの演奏を超えたものを私は聴いたことがありません。
- 2023-04-07:小林正樹
- 素晴らしい奏者をご紹介。有難うございます!私自身はフルートをたしなみますが、管楽器の中ではそれ以上にこのホルンの響きが好きです。なので指揮の解釈なんかあのホルン群さえよけりゃ、どーでもええやん!と思うこともままあるくらいです(笑)。
(曲解説のところにウィーン郊外のバーデン・バーデン、とありますが、もしウィーン郊外ならばバーデンです。ベートーヴェンが第9の執筆をしたりモーツァルトがアヴェヴェルムコルプス等を書いたあのバーデン市ですね。バーデンが一つ余計についてる地名はドイツ国にあります。)
<管理人の追記>
どうやら、前の文章のつながりで間違ったみたいです。ブラームスが着想を得たのはヨーロッパ有数の温泉地として有名なドイツのバーデン・バーデンだったようです。
- 2023-04-02:シベリウス好き
- 私は、サー・ジョン・バルボローリの演奏で、この曲に開眼できました。
- 2023-03-31:joshua
- 当時20代半ばのヘルマン バウマンが、ナチュラルホルンで初のモーツァルト協奏曲集を出したのは、この5年程あとのこと。80代にして元気に吹いているらしいバウマンは、デニス ブレインがいくら上手くても、録音の良さはもちろん、レパートリーの広さ、音の魅力(高音の安定した美しさ、音を割って吹き鳴らす時の豪快さ)で別格の存在でした。このテレマン、再録ではYAMAHAの楽器でマリナー指揮でした。初録音のこちらは、2番吹きのアドリアン ヴァン ウッデンベルグの音色が優っています。バウマンもこちらの方がロマンチックで音色や吹きまわしが濃厚。第三楽章のゆっくりした掛け合いは、陶然もの。ホルンものでは、他にもソロ、3本のホルンの協奏曲、ホルン2重奏がありますが、ブリュッヘンと入れてますかね。
- 2023-03-30:yk
- バックハウスは10歳の時、師であったダルベールのピアノ、ブラームスの指揮!!!によるコノ協奏曲をライプツィヒで聴いています。演奏会の後、ブラームスに紹介されたバックハウスはサイン帳に、第2協奏曲最終楽章開始小節に”幸多き君の未来に”・・・と書き添えてたブラームス自筆のサインをもらって生涯大事に持っていたそうです。まあ、作曲家からサインをもらったからと言って演奏が素晴らしくなる訳ではありませんが、バックハウスのこの協奏曲に限り何だか演奏の後ろに後光がさしそうな逸話ではあります。
有名な67年の録音も発売当初FM放送で紹介した評論家が「ピアニストと指揮者の年齢を足すと150歳を超えるんです・・・・すごいですねぇ~~」と変な感心の仕方をしたのを覚えています。当時リヒテル(+ラインスドルフ)の演奏などに浸っていた私には最初”ゆるふん演奏”という少々下品な印象でしたが、何故か頭と耳には残って数年後には”後光の威力”に屈してLPも購入して聞き入る様になってしまいました・・・恐るべし、老人連の手練手管・・・という処でしょうか。
バックハウスの演奏には矍鑠たるこの39年の録音を初めライブ録音を含めて各年代の録音が幾つか残っていて、それぞれの年齢と時代に応じて独特の味わいのアル演奏になっています。著作権問題が許すようであれば他の演奏もご紹介ください。
- 2023-03-26:秋山憲一郎
- 50年以上も昔のこと、中学生の私が学校のレコードコンサートで聞いたのがこの演奏でした。いまだにその時の感激を超える演奏には出会えていません。
- 2023-03-25:大串富史
- 指揮者とオケの皆さん、また管理人様への感謝と共に。
パッヘルベルのこの曲はまああまりに有名なので、バックグラウンドミュージックとしてはよさげではあるものの、もし従来のピチカートな演奏であれば決して流さなかったであろうという中でこの演奏を聴き、指揮者とオケの皆さんに謝意を申し述べられればと思いました。
#曲そのものについて言えば、真ん中のジーグはなんだか違うような気がしつつも(とはいえ結局のところこのジーグのレベルのカノンなので曲としてまとまっているわけなのでしょうが)、また有名なカノンに戻って終わるので、まあいいのかなという感じです。一方でこちらで初めて聴かせていただいたシューマンのチェロ協奏曲などは、始まりがおっ?!なのに、終わりがなんだかなで、結局流さないことにしました申し訳ない…
#今日になって日本領事館から小学校3年生の教科書が届いたのですが(予想外の妊娠で授かった孫ぐらいの年の娘がいます)、さっそく音楽の教科書をチェックしたところ、まだ音楽鑑賞やらはなく、いやー座って聴いてられないよね分かる分かるみたいに思いつつも、もう既にブラスバンドからの入部のお誘いなどもあり(こちらでは国歌や少年共産党員団歌を演奏するという特需があるため)、日本の音楽の教科書にも金管楽器をためしに吹いてみよう!というくだりがあったりで、戦線は整いつつあるなーという認識を新たにさせられています(まて)。
何が言いたいのかというと、数十年前と同じく、音楽鑑賞でまたしてもパーセルの主題による青少年のための管弦楽入門とかが登場した日には、ブリテンではなくパーセルをそのまま聴けばそれでいいんだよ、と娘に話す(また原曲を聴かせる)つもりであるということです。青少年を馬鹿にしないでほしいということもありますが、こうした音楽教育次第で今後の世代のクラシック音楽への評価が左右されてしまうわけですから。というか、フィッツウィリアム・ヴァージナル・ブックあたりを演奏させたり聴かせたりということになぜならないのかと、いつも思ってしまいます…
管理人様には、お忙しい中での貴重な音源のアップにただただ頭が下がります。バッハ以前の作曲家の楽曲のアップに、深く感謝しつつ。
- 2023-03-21:クライバーファン
- モーツァルトの室内楽の後に聞きましたが、こちらのほうが、聞きやすかったです。音楽がより構築的、立体的にできているため、あまりなじみがなくても聞きごたえがあります。全体的に、ラズモフスキーほど力が入ってなく、それでもモーツァルトよりはずっと、構築的で頭で遂行した部分の多い曲ですね。
第3楽章の中間部が一番、耳に残りました。ベートーヴェンの弦楽四重奏はラズモフスキーが苦手で、これまで後期ばかり聞いていましたが、初期の6曲と中期の5曲ももう一度全部聞いてみようと思います。
- 2023-03-20:クライバーファン
- このような超有名ではない曲を聴く機会を与えていただきありがとうございます。ユング君さんの音楽に関する造詣の深さに敬服します。
わたしはこの曲をはじめてききましたが、正直、全部を理解できたわけではありません。でも第2楽章と第4楽章は部分的には楽しめました。第4楽章の冒頭のリズムは何とか脳裏に刻めたものです。第2楽章は聞いているうちは優美な曲と思いましたが、一聴しただけでは旋律までは覚えられませんでした。
もう一度、聞いてみたいと思います。
- 2023-03-20:コタロー
- この交響曲のすごいところは、「大太鼓、シンバル、トライアングル」の打楽器陣が第2楽章と第4楽章の二つの楽章に登場することです。
これは当時としては画期的なことではないでしょうか!
ちなみに、あのベートーヴェンの「第九」でも打楽器陣は第4楽章の後半しか登場しないですよね。
クレンペラーの演奏は、格調が高く立派なものだと思います。
- 2023-03-18:コタロー
- 以前も書いたと思うのですが、モントゥーは大の消防好きで、サンフランシスコ市の一日消防署長を務めた際は、ヘルメットに制服姿のモントゥーは大変ご満悦だったようです。
もちろん、モントゥーは指揮者として超一流の腕前を持っていました。しかし、決して偉ぶることなく、その人間的魅力によってオケを心服させるすべを心得ていました。
この演奏を聴いても、モントゥーのそんな素晴らしさが十分伝わってきます。
戦時中のモノラル録音ですが、十分観賞に耐えうる音質です。
- 2023-03-17:yk
- 私も初めて聴かせていただいた録音です。それにしても、この二人の”戦後”録音と言うのはある意味で貴重なものです。
ナチスと音楽・・・更にはドイツ文化との関係は一筋縄で談じられるものでも、談じられるべきものでもないと考えますが、この演奏を聴き私はトーマス・マンを思い起こしました。彼はドイツ文化の根底にある”ナチス的”なるものについて語り、戦後長編小説「ファウストス博士」を書きますが、その告発はナイの様なナチス党員はもとよりフルトヴェングラー等に代表されるような非党員であってもナチス政権下のドイツに残留し活動した”文化人”に対する最も自省的かつ厳しい告発でも有りました(それ故ドイツ国内でのマンに対する評価は微妙なものがありますが・・・・)。
マンがドイツ文化の何を告発したのか?・・・・ソノ理念的な側面は「ファウストス博士」にも描かれていますが、この演奏のyungさんの言う処の”安らぎ”はその実際の”音(楽)”による具体的な記録(の一例)とも聞く事が出来るように思います。
この”穏やかで、静かで、・・・透明感に溢れ”た音楽の内に矛盾なく共存する狂気は、確かにマンが深い自省の中から見出した”ドイツ文化”的なるものを教えてくれるように思いますが、21世紀になりなおウクライナに侵攻したロシアが存在する”今”となってみると、ソノ”狂気”は単に”ドイツ文化”にだけ潜むものであるかどうか改めて考えさせられるものでもあります。
- 2023-03-17:スペードのクラウス
- ヘンデルやバッハの大曲も、現在では古楽器演奏が当たり前というか、常識みたいになっていますが、私自身はこのメサイアとか、バッハの受難曲なんかはピリオドスタイルよりも、やはりモダン楽器でのある程度大きな編成で演奏した従来のスタイルのほうが好きです。
このボールト盤はもう遥か昔、若いころにLP盤で聴いたきりだったですが、ここにアップされておりましたので改めて聴き直してみたら、序曲こそこんな遅いテンポだったかなと思ったものの、すぐに惹き込まれて、ああいいなあと思いながら全曲を聴き通してしまい、感激さめやらずCDを探してすぐに購入しました。
今までリヒター、クレンペラー、シェルヘン、A・デイヴィス、マリナー、レッパードなどを一通り聴いてきて、それぞれに印象は残っていますが、自分にはこれが最高でCD3枚が短くさえ感じられます。どういうふうに表現していいかわからないのですが、ユング様が書かれている「どこまで行っても優しさにあふれていて・・・聴いていて何とも言えず心が優しくなってくる」、まさにこれですね。年をとってわかったものがあるのかもしれません。私は、マタイ受難曲ではヨッフムの演奏が非常に好きなんですが、同じようなものを感じさせてくれます。
- 2023-03-16:コタロー
- J.S.バッハという偉大な父親に持った息子たちはどんな心境だったのでしょうか。
とりわけ長男のフリーデマンには英才教育を施して期待が大きかったようです。しかし、そのことがかえってフリーデマンには重荷になって、性格的にいじけてしまったそうです。世襲というのは難しい問題をはらんでいますね。
- 2023-03-14:大串富史
- バッハとカークパトリックまたクラヴィコード制作者の某氏そして管理人様への感謝と共に。
バッハのこの一連の曲は、お恥ずかしながらまとめてきちんと聞いたことがなかったのですが、予想通り、やっぱりこれだなーこれだよなー感が満載ですね。裏切られないというか。それ以前や同時期の大家たちが残したものをこれほど見事に我田引水いや違った消化また昇華したうえで平均律という「かがり火」をクラシック音楽の正式な?始まりとして高く掲げたあたり、やはり他をそれなりしのいでいるんだなと納得せざるを得ません。
カークパトリックまたクラヴィコード制作者への感謝ですが、カークパトリックがクラヴィコードを選んでいなければこの演奏もないわけで、それ以前にクラヴィコードがきちんと制作されていなければ彼も選択しようがなく、ただただ幸いであったと感じざるを得ません。
#こんな比較はどうかと思う人もいるかもしれませんが、わたし自身は日本の琴の音色と中国の琴の音色を聴き比べる時に、古楽器いいじゃないですかという気持ちを誰もが共有できるのではと感じています。中国の琴の音色はびっくりするぐらい響きますが、日本人で日本の琴の、響かず渋く侘び寂びに満ちた音が嫌いという人はいないと思ったりするのです。まあ慣れということになるのかもしれませんが。ちなみにわたし自身は中国の琴の音色の方が好きだったりするあたり、自己矛盾を抱えてしまっています申し訳ない…
管理人様には、お忙しい中での全方向対応!な楽曲のアップに、いつもただただ感謝し敬服しています。こんな形でのエールで恐
- 2023-03-13:クライバーファン
- 昔、セルゲイ・ハチャトゥリアンさんが15歳ぐらいのときの初日本リサイタルで、単調のモーツァルトのヴァイオリン・ソナタを弾かれたのを聞きに行ったときに予習で聞いたっきり、ほとんどモーツァルトのヴァイオリン・ソナタを聞いたことがありませんでした。
今回、たまたまこの演奏が目に入ってみて聞いてみましたが、録音が割と良いですね。ヒストリカル録音の嫌なところは、音割れ、歪み、音揺れで、そういうのが頻発すると音楽を楽しむどころではなくなりますが、この録音だとあまりヴァイオリン、ピアノともに歪がなく、クラウスの柔らかいピアノの音(後年のステレオでのドギツイ硬質なトーンの演奏を聴いていたので意外でした)が聞けました。ヴァイオンリンも美音です。
ところで、思い出したのがベートーヴェンが回想したモーツァルトのクラヴィーアの演奏の特徴である「レガートではなかった」という話です。はたしてモーツァルト本人がクラウスの演奏を聞いたら、このようなレガートでつながる音を評価したでしょうか?または、もっとポツポツ音は区切るんじゃとおっしゃったでしょうか?
- 2023-03-12:クライバーファン
- この曲はネットで聞いていたので、2つめの演奏として聞きました。やはり、第1楽章の推進力がベートーヴェンって感じですね。第2楽章もきれいです。第4楽章は第1楽章にくらべると少し物足りない気がしました。
現代の耳からすると、ハイドンがよいと思うような音楽はもう古くて面白くないものという気がします。第1楽章の力強い推進力はやはりベートーヴェンならではの音楽だと感心しました。
- 2023-03-08:クライバーファン
- 第1楽章だけ聞きました。このページのベートーヴェンの室内楽を毎日、1楽章だけ聞いていこうと思います。私が持っているアルバンベルク四重奏団のライブほど推進力がなく、おっとりした演奏だと思いました。
あまり力んだ演奏も聞くのがつかれるので、このような演奏もよいと思います。このようにあまり力が入っていない演奏でも、時にヒステリックに響いていしまうところが、このラズモフスキー第1番の曲自体の力感を物語っていますね。
- 2023-03-08:コタロー
- 80年以上前の録音にもかかわらず、音が明快でノイズがほとんどないのに驚かされます。原盤(SP)の状態がよほど良いのでしょう。
さすがに、バックハウスのピアノ演奏は若いだけに颯爽として見事なものです。
ちなみに、バックハウスがコンチェルトを録音するときは原則としてウィーン・フィルが用いられているのですが、ここではシュターツカペレ・ドレスデンが起用されているのが興味深いですね。
- 2023-03-08:joshua
- 35番以降の6大交響曲に多少飽きが来ると、25,28,29番、そして31番のパリ交響曲以後が気になってしまいます。33番はセルの2種の名演、ヨッフムが最晩年来日公演で残してくれた名演で頭に残る曲となりました。
そんな中で、この34番は生演奏では出会うことがなく、格別好きにならなかったところへ、50年代後半カール・ベームがコンセルトヘボウを振った演奏を本サイトで聴くに至ってたちまち好きになりました。
ともかく、生きのいい音楽なのです。同じくコンセルトヘボウを振ったセルの演奏(1958年)も大好きに。ただしこの演奏はJungさんのサイトには見当たらないことに気づきました。
今日ふと、サイトの右端に目をやると、マルケヴィッチがアップされているではありませんか!
これは前2者とは異なる「抑制の美」が印象的で、第3楽章の補完が続く終楽章とぴったり(とわたしには感ぜられました)なので、楽しんで聴けました。
同じような理由で、38番をマルケヴィッチ・ベルリンで聴いたのが記憶に蘇ってきました。
- 2023-03-07:クライバーファン
- この演奏の第1楽章から第6楽章まで聞いた後に大フーガを聞いてみましたが、カヴァティーナの後の大フーガは刺激が強いです。
第5楽章もきれいな曲ですね。第6楽章のカヴァティーナはだんだん理解できるようになってきました。大フーガはやはり耳への刺激が強く、その意味だとピアノ4手版の方が聞きやすいです。
- 2023-03-07:笑枝
- 素晴らしい! 今の今まで、聴きのがしてました。
硬質なタッチのピアノ、表情豊かな弱音、大きな深い息づかいを感じさせる演奏ですね。
感動しました。ぴったり寄りそったオケもいいです。
K488、大好きな曲で、1991年のモーツァルトイヤー、カザルスホールで岩崎セツ子の演奏を聴きました。オケは室内編成のN響。
渾身の演奏でした。拍手が鳴り止まず、四度五度、何度も何度も呼び出され……。
アンコールを期待する友人に、
いや、アンコールはしないよ、と言ったこと、覚えてます。
岩崎さんの、ごめんなさい、というしぐさ、忘れられない。
精も根も尽きた、という表情でした。
モーツァルトの演奏、Yung さんの言われるように、ヴェールをかぶった熱情をいかに表出するかに懸かってますから、奏者の苦心はたいへんか、と。
ケンプの演奏、聴いてると、その辺りが、余裕を感じさせますね。スタジオ録音ですから、ライブとは違うでしょうけど。
- 2023-03-05:tks
- クラシック初心者の中1で初めて聴いた三大ソナタがこれでした(セラフィムの1300円シリーズのレコードです)。その後、FMでバックハウスかR.ゼルキンのを聴いてその違いに衝撃を受けた記憶があります。極めて個性的で、「初めに聴いてはいけない演奏」の類いですが、聴き比べの愉しさを教えてくれた懐かしい演奏です。
- 2023-03-05:yk
- この演奏をココで聴くことになった・・・というのは私にとっても感慨深いですね。
音楽愛好家というのは、大抵音楽を身近に聴くようになる過程で決定的な意味をもった演奏会経験・・・と言ったものがあるんじゃないかと思いますが、私の場合もう六〇年近く前聴いたフランソワの演奏会が、そう言った”決定的”な演奏会の一つでした。当時、レコードで聴いたフランソワのショパンに魅了されていた私は大いなる期待を抱いて聞きに行った演奏会でしたが、薄暗いステージで弾くフランソワには何か不健康な雰囲気があって・・・プログラムはよく覚えていません・・・演奏もレコードで聴くフランソワの切れ味の良い演奏とは違ったどこかぼやけた様な印象がしたものでした。しかし、メインのプログラムが終わった後、彼はアンコールに応えてショパンのワルツを弾き始めたのですが、ソコで、ものの1分ほども経たないうちに突然激しく咳き込んで演奏を中断するハップニングが起こりました。一瞬シーンとした会場の中で、彼は座ったまま黙ってハンカチを取り出し口を拭った後同じワルツを最初から弾き直したのですが、その演奏は私にとっては今も生々しく思い出されるものになりました。今から考えると、当時フランソワは体調に問題を抱えていたばかりか私生活の上でも色々と問題を抱えていたとも言われていて、当該の演奏会も最盛期のフランソワのものでは無かったのだと思われ、実際そのアンコールのショパンも目の覚める様な鮮やかな演奏・・・と言う訳でもありませんでしたが、彼が薄暗いステージの上でピアノを前にしてアンコールで示した孤独と気概と矜持・・・は私にとっては将にショパンに相応しいものでした。それは真摯な演奏家と言う”芸術家”が演奏と言う行為で一体何に対峙しているのかを今も私に考えさせてくれる原点の一つになっています。以前何かのドラマで「玄人は恥を忍んで恥をさらす・・・云々」というような台詞を聴いたことがありましたが、その意味でもフランソワは将に”プロの芸術家”でした。
そのフランソワの演奏の中でも、このベートーヴェンは音楽演奏という行為が人間にとって結局のところ如何なる意味を持っているのかを考えさせてくれる格好の題材とも言えるものだと思います。
音楽(特にクラシック)は、ほとんどが作曲家―演奏家―聴衆、と言う三者によって成立する芸術です。その中で”創造”と言う観点から”作曲家”への敬意は特別の意味を持って語られることが多く、演奏家は作曲家(楽譜)に忠実である”べき”であり、聴衆はソレを旨として鑑賞・受容する”べし”・・・という風潮が(特に近代以降)強い芸術分野でもあります。ソレはソレで一定の(妥当な)理由があり根拠がある議論ではありますが、私はソウいった議論には重大な前提がある・・・と考えています。それは”演奏家は作曲家に忠実である前に、何より自分に忠実であってほしい”と言うことであり、仮に優れた技術に裏打ちされた演奏でも”自分を偽った(或いは忠実であるべき”自己”の欠如した)”演奏は無意味で有り、そう言った演奏はある意味で作曲家への冒涜でさえある・・・と考えます。一時期、演奏家はソノ存在を感じさせない純粋透明な”伝達者”であることが理想だ・・・と言ったことを公言する人もいましたが、こう言った主張は少なくとも無条件では私には受け入れられません(・・・それが理想であれば、ピアノはYAMAHAの自動演奏で事足りる??・・・^_^;;)。過去の”作曲家”と現代に生きる”演奏家”と(無論”聴衆”と)がそれぞれ”自己に忠実”に音に対峙し葛藤することにこそ遠い過去の音楽を現代に演奏し聞く意味があるのであって、”恐るべき子供”とも評された(不遜の?)フランソワのベートーヴェンにも作曲家と演奏家の関わりの経緯が忠実に記録されていて、少なくとも私には単なる”わがまま”と言ったものとは異なった何物かではありました。
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[2025-09-08]

フォーレ:夜想曲第2番 ロ長調 作品33-2(Faure:Nocturne No.2 in B major, Op.33 No.2)
(P)エリック・ハイドシェック:1960年10月21~22日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n October 21-22, 1960)
[2025-09-06]

バッハ:小フーガ ト短調 BWV.578(Bach:Fugue in G minor, BWV 578)
(Organ)マリー=クレール・アラン:1959年11月2日~4日録音(Marie-Claire Alain:Recorded November 2-4, 1959)
[2025-09-04]

レスピーギ:ローマの噴水(Respighi:Fontane Di Roma)
ジョン・バルビローリ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団 1939年1月21日録音(John Barbirolli:Philharmonic-Symphony Of New York Recorded on January 21, 1939)
[2025-09-01]

フォーレ:夜想曲第1番 変ホ短調 作品33-1(Faure:Nocturne No.1 in E-flat minor, Op.33 No.1)
(P)エリック・ハイドシェック:1960年10月21~22日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n October 21-22, 1960)
[2025-08-30]

ベートーベン:交響曲第2番 ニ長調 作品36(Beethoven:Symphony No.2 in D major ,Op.36)
ジョルジュ・ジョルジェスク指揮 ブカレスト・ジョルジェ・エネスク・フィルハーモニー管弦楽団 1961年4月20日録音(George Georgescu:Bucharest George Enescu Philharmonic Orchestra Recorded on April 20, 1961)
[2025-08-28]

ラヴェル:舞踏詩「ラ・ヴァルス」(Ravel:La valse)
ルネ・レイボヴィッツ指揮 パリ・コンセール・サンフォニーク協会管弦楽団 1960年録音(Rene Leibowitz:Orcheste de la Societe des Concerts du Conservatoire Recorded on 1960)
[2025-08-26]

フランク:交響詩「呪われた狩人」(Franck:Le Chasseur maudit)
アルトゥール・ロジンスキー指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団 1954年6月27~7月11日録音(Artur Rodzinski:Wiener Staatsoper Orchester Recorded on June 27-July 11, 1954)
[2025-08-24]

J.S.バッハ:トッカータとフーガ ヘ長調 BWV.540(J.S.Bach:Toccata and Fugue in F major, BWV 540)
(Organ)マリー=クレール・アラン:1959年11月2日~4日録音(Marie-Claire Alain:Recorded November 2-4, 1959)
[2025-08-22]

ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲(Debussy:Prelude a l'apres-midi d'un faune)
ルネ・レイボヴィッツ指揮 ロンドン・フェスティヴァル管弦楽団 1960年録音(Rene Leibowitz:London Festival Orchestra Recorded on 1960)
[2025-08-20]

エルガー:行進曲「威風堂々」第5番(Elgar:Pomp And Circumstance Marches, Op. 39 [No. 5 in C Major])
サー・ジョン・バルビローリ指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団 1966年7月14日~16日録音(Sir John Barbirolli:New Philharmonia Orchestra Recorded on July 14-16, 1966)