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オイストラフ(David Oistrakh)|プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第2番 ト短調 Op.63(Prokofiev:Violin Concerto No.2 in G minor, Op.63)
プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第2番 ト短調 Op.63(Prokofiev:Violin Concerto No.2 in G minor, Op.63)
(Vn)ダヴィド・オイストラフ:アルチェオ・ガリエラ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1958年5月14日&19日録音(David Oistrakh:(Con)Alceo Galliera The Philharmonia Orchestra Recorded on May 14&19, 1958)
Prokofiev:Violin Concerto No.2 in G minor, Op.63 [1.Allegro moderato]
Prokofiev:Violin Concerto No.2 in G minor, Op.63 [2.Andante assai]
Prokofiev:Violin Concerto No.2 in G minor, Op.63 [3.Allegro ben marcato]
新しさよりは古典的な協奏曲との近しさすら感じてしまう

プロコフィエフはロシア革命の混乱を逃れてアメリカに渡るのですが、そこでの生活も水に合わなかったのか、さらに活動の本拠をパリに移します。当時のパリは、ロシア革命の混乱を逃れた亡命ロシア人が数多く生活をしたのですが、その中でもプロコフィエフはとびきりの有名人であり、パリの社会もまた彼を暖かく迎え入れました。
そして、パリを拠点として熱心に演奏活動も行い作曲活動にも取り組んでいくことになります。
そんな彼に、フランス人ヴァイオリニストのロベール・ソータンのために新しいヴァイオリン協奏曲が委嘱されます。そして、その委嘱にこたえて作曲されたのがこのヴァイオリン協奏曲第2番でした。そして、1935年には彼は祖国への復帰を決意するので、この作品は彼の西洋における最後の差曲活動となりました。
彼が、どうして恵まれた西洋での生活を投げ捨ててソ連に帰ったのかは様々な憶測が語られているのですが、本人がその事について何も語っていない以上、本当のことは誰にも分からないでしょう。
とにかく、この作品は1935年の初めにパリで書き始められ、その後、カスピ海のほとりにあるソ連のバクーで書き上げられました。
しかし、ソ連に帰ったプロコフィエフは最初は特別待遇だったようで、かなり自由に出国が出来たようで、この作品の初演はスペインの首都マドリッドで行われ、その後プロコフィエフはヴァイオリニストのソータンとともに北アフリカの国々を演奏旅行でまわっています。
そして、この作品に関してはソータンが独占的に1年間は演奏する権利が与えられていたのですが、残念ながら彼の演奏ではこの作品の名声を高めることは出来なかったようです。
彼の第1番のヴァイオリン協奏曲がなかなか評価されなかった中で、それを粘り強く演奏し続けてその評価を確かなものにしたのはヨーゼフ・シゲティだったことは有名な話です。
それと同じように、結果としてこの作品の評価を確立したのはハイフェッツでした。ハイフェッツは自らの演奏会でこの作品を積極的に取り上げ、その事に対してプロコフィエフも喜びと感謝の言葉を残しています。
ただし、この協奏曲は第1番と較べるとかなり雰囲気が異なっています。
パッと聞いて気づくのは、第1番の協奏曲にはヴァイオリン演奏の様々な技巧が散りばめられているのに対して、この2番ではかなり保守的といえるほどの範囲にとどめられていることです。また、形式的に見ても新しさよりは古典的な協奏曲との近しさすら感じてしまうのです。
つまりは、ここには、あの若いころのピアノ協奏曲で見せたような挑戦的な色彩や響きはすっかり影をひそめて、極めてシンプルで簡素な音楽に仕上げているのです。このあたりが、私がプロコフィエフという作曲家の分からないところで、新しいのか古いのか、過激なのか穏健なのか、何ともとらえどころがないので困ってしまうのです。
ただし、そんな難しいことを考えずに素直に聞けば、第1楽章からは古くからのロシアの歌に漂う様な憂愁の味が染み込んでいますし、続く第2楽章も叙情的で旋律豊かな音楽になっています。それは、ロマン派までの音楽史か受け付けない古い耳にとっても、実に心地よい音楽であることは事実です。
そしてロンド形式で書かれた最終楽章はエネルギー感に溢れる音楽であり、フィナーレは荒々しいほどのエネルギー感を爆発させて曲を閉じます。これ儲け狙いと言えば、そう言う面は否定できないでしょう。
しかしながら、音家家というものは言葉ではなくて音で物事を語るとすれば、この音楽に漂うロシア的な要素にこそ、彼が故郷へ復帰した心情が最も雄弁に語られているのかもしれません。穿ちすぎかもしれませんが・・・。
多くのことを語り合った
今頃何言ってるんだ…と言われそうなのですが、オイストラフとプロコフィエフの間には深いつながりがあったんですね。
とりわけ、2曲のヴァイオリン・ソナタの作曲においては、オイストラフは深くかかわっていたようです。
まず、第1番のソナタですが、オイストラフはヴァイオリニストとしての観点からあれこれと技術上の助言を与えていたようです。そして、1946年の初演を務めていました。
また、第2番に関しては、もとはフルート・ソナタだったものをヴァイオリン用に編曲してほしいと直談判しています。そして、依頼したからには様々な協力を行ったようで、今では原曲のフルート・ソナタよりもヴァイオリン・ソナタのほうが有名になってしまっています。
協奏曲に関しては、プロコフィエフがソ連に帰還する前に書かれたものですから、ソナタのような深い関りはなかったのですが、作品の真価を広く知らしめるために多くの貢献を果たしています。
しかし、それ以上に驚かされたのは、この二人が「憎さも憎し懐かしし」盤上のライバルだったことです。
初めて知ったのですが、プロコフィエフはチェスの名手であり、元世界王者のカパブランカから金星を挙げたこともあるほどの強豪でした。それに対して、オイストラフもまたソ連の「ファースト・カテゴリー(上級資格)」を持つ、プロ顔負けの腕前だったのです。
そして、ご近所さんだった二人は日常的に早指しのVSをやっていたというのですから、その親しさは尋常じゃないですね。
そして、息子のイゴールの思い出話によると、オイストラフはプロコフィエフに勝ってしまうといつも申し訳なさそうな顔をしていたそうです。
プロコフィエフはとんでもなく負けず嫌いだったようで、オイストラフに負けると悔しさのあまり夜も眠れなかったからです。オイストラフは、そんな様子では翌日に美しい音楽が描けなくなるだろうと案じていたとのことです。
まあ、できすぎた話で、どこまで本当なのかはわかりませんが、何とも羨ましくなるような友人関係がうかがえるエピソードです。
ちなみに、プロコフィエフが亡くなったのは1953年3月5日だったのですが、くしくもこの日はスターリンが亡くなった日でもあります。そのために、プロコフィエフの葬儀は厳戒態勢のモスクワで質素に、そしてひっそりとおこなわれました。
その葬儀で、ヴァイオリン・ソナタを涙ながらに演奏して友を追悼したのがオイストラフでした。
オイストラフが演奏するプロコフィエフは「鋼鉄のモダニズム」などと言う前衛的な鋭さを強調して演奏するとは一線を画しています。
彼はプロコフィエフのすべての作品の中に、ロシア伝統の深い歌心が息づいていることを見抜いていました。
おそらく、二人が盤をはさんでの一手一手の対話で多くのことを語り合ったのでしょう
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