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ベートーベン:ピアノソナタ第26番 変ホ長調 作品81a 「告別」(Beethoven: Piano Sonata No.26 In E Flat, Op.81a "Les adieux")

(P)エリック・ハイドシェック:1960年10月4日~5日録音(Eric Heidsieck:Recorded 0n October 3-4, 1960)

Beethoven: Piano Sonata No.26 In E Flat, Op.81a "Les adieux" [1. Das Lebewohl (Adagio - Allegro)]

Beethoven: Piano Sonata No.26 In E Flat, Op.81a "Les adieux" [2. Abwesenheit (Andante espressivo)]

Beethoven: Piano Sonata No.26 In E Flat, Op.81a "Les adieux" [3. Das Wiedersehen (Vivacissimamente)]


「爆発」するベートーベンから「沈潜」するベートーベンへの変わり目のようなものが垣間見られる

ベートーベンのもっとも有力なパトロンであったルドルフ大公が、ナポレオンのオーストリア侵入のためにウィーンを離れなければならなくなり、それを契機として作曲されたソナタだと言われています。
作品とは直接関係のないことではあるのですが、この大公はベートーベンにとってはきわめて重要な人物でしたから、少しばかりふれておきたいと思います。

ルドルフ大公はオーストリア皇帝レオポルト2世の末子として生まれました。
この二人が出会ったのは、1803年から1804年にかけて、ベートーベンからピアノと作曲の授業を受けた時でした。

この時、ルドルフは15歳、ベートーベンは33歳でしたから、この年の開きがベートーベンの狷介さを和らげたのでしょうか、それ以後二人の結びつきは長く続き、ルドルフもベートーベンに対する深い尊敬の念を持ち続けました。

そして、1808年に、ウェストファリアの宮廷がベートーベンを招こうとしたときに、このルドルフが中心となってウィーンの貴族に呼びかけ、ベートーベンに生涯確実な年金を支払うことでウィーンに引き留めました。
この年金は、その後、ナポレオンの侵攻などによって多くの貴族が財政的な危機に陥る中で空手形になっていくのですが、その中で最後まで約束を果たし続けたのがルドルフ大公でした。

ルドルフは生来病弱であり、激務に耐えることはできなかったと伝えられています。
そのためもあってか、政治的な権力の世界からは距離をとる生き方をして、大司教から枢機卿というコースを辿ります。

ですから、彼にとって音楽というものの存在は非常に大きかったのだろうと想像されます。
実際、ルドルフ大公は幾つかの作品も残していて、それは長きにわたって「お殿様の手慰み」程度の凡庸な音楽と思われていたのですが、最近になってその見直しも進んでいるようです。

そして、その様なルドルフの生き方がベートーベンとの関係を長きにわたって良好なものとしたのでしょう。
また、この二人の間では親しく手紙のやり取りもされていて、ベートーベンにとっては年若い存在でありながら、色々な面で頼れるパトロンであったことは間違いないようです。

この作品に対しては、「告別」というタイトルを巡って出版社との間で悶着が起こり、その悶着の中で「この作品は大公にさえ捧げられていません」等と書き送っていたりします。
しかし、このような言い方はベートーベンならではの「短気」の表れでしょう。

戦争自体はすぐに集結して、やがて大公もウィーンに帰還したために、それぞれの楽章に「告別」「不在」「再会」と表題をつけたのはベートーベンです。
ただし、そのような表題を付すべきかどうかずいぶんと悩んだようではあるのですが、それでも最終的にその様な標題をつけてルドルフ大公に献呈しているのですから、この作品とルドルフ大公の関係を否定する方が不自然だと言わなければなりません。

第1楽章冒頭は3つの音で始まるのですが、この響きは明らかにホルンを想定しています。そして、このホルンの響きはこのソナタ全体に鳴り響いています。
この時代におけるホルンの響きには「隔たり」「孤独」そして「記憶」をあらわすというコンセンサスがありました。そして、それに続く数小節の間に何かを追い求めるような切ない感情が見事に吐露されています。
その意味では、この第1楽章は疑いもなくルドルフ大公との「告別」を暗示しています。

また、注意しなければいけないのは、この冒頭の3つの音がこのソナタ全体のモットーになっていることです。
もちろん、こういうシンプルなモットーから巨大な作品を構築するというのが中期のベートーベンが追い求めた手法でしたから、それがここで使われていても何の不思議もありません。

しかし、ベートーベンは、ここではその3つのモットーから巨大な構築物を作るのではなくて、それを縦糸、横糸として一枚の布の中に織り込んでいくようにして音楽を紡いでいるのです。
もちろん、作品としては中期の作品らしく、例えば当時のピアノで使用可能だった最高音から最低音まで駆け抜けるなどという派手な技巧を披露していますが、それでいながらがむしゃらに驀進していく姿は影を潜めています。

また、もう一つの特徴は不協和音を巧みに使用して告別の痛みを暗示したりもしている事です。
そして、最後は左手が低音域に下降するのに対して、右手がその8倍の速さで最高音まで駆け上がります。
ローゼン先生はそれを遠くに消え行こうとしているものを追いかけて自らも消え失せていくかのようだと評しています。

続く第2楽章はハ短調なのですが、この主調がなかなか確立しないという事をピアニストは分析する必要があるようです。
もちろん、多くの聞き手はその様なことは全く気にもしないのですが、その不安定さが間違いなく「不在」に伴う不安感の表出となっていることは聞き取れます。

また、この楽章で注意が必要なのは、ベートーベンが使用していたピアノには存在しない低音のE音が用いられていることです。
この事は、与えられた現実の中にとどまろうとしないパッションの発露であり、ピリオド演奏の原理主義的価値観に対するベートーベンからの異議申し立てのように聞こえます。

そして、この不在の感情はそのまま一気に第3楽章への「再開」の喜びへと爆発していきます。
そして、この最終楽章で注意しなければいけないのは、展開部におけるダイナミクスの処理であるとローゼン先生は指摘しています。

冒頭で喜びを爆発させた以上は、それ以上の喜びを形として表すことは不可能だと考えたかのように、静かなままで展開部は進行します。にもかかわらず、多くのピアニストはそこでクレッシェンドの誘惑から逃れることは難しいと述べています。
この「爆発」するベートーベンから「沈潜」するベートーベンへの変わり目のようなものが垣間見られる場面かもしれません。

なお、作品番号の「81a」というのは、「告別ソナタ」よりも少し前にボンの出版社が六重奏曲(2本のホルンと弦楽四重奏のための室内楽曲)を「作品81」として出版したので、ベートーベンの作品をすべて出版していたプライトコプフが作品番号の順番を乱さないために「81a」と「81b」と整理したためです。
なんだか「Op,81a」というと、「Op.81」という「第1稿」があるような気になるのですが、そういうわけではありません。


「誠実」さと「深い知性」

ハイドシェックは実演で一度だけ聞いたことがあります。個人的には、ピリスの引退コンサートと並んでもとっも印象に残っているピアニストです。

一番驚かされたのはその響きでした。

ピアノというのは基本的に打楽器なのですから、どれほどソフトなタッチで鍵盤を押しても、基本的にはハンマーが弦を叩くことには違いはないわけで、どうしても「打楽器」的な響きがしてしまうものです。しかし、その時に聞いたハイドシェックのピアノからは、そう言う「打楽器」的な雰囲気は全く感じなくて、その柔らかくてふわりとした響きはピアノという楽器から紡ぎ出されているとは信じがたいものでした。
それだけに、録音などを通してはそのような柔らかくてふわりとした響きは感じ取れないのは実に残念なことです。

ハイドシェックというと最初はヴァンデルノートとの共演で録音したモーツァルトのコンチェルトによって「モーツァルト弾き」と呼ばれ、その後はベートーベンのピアノ・ソナタの全曲録音やいわゆる「宇和島ライブ」によって「ベートーベン弾き」のような言われ方をしました。
まあ、「ショパン弾き」とか「ブラームス弾き」みたいなレッテルを貼ることは、ある意味では聞き手を楽にするようですし、売り手にしても便利なのかもしれません。

しかし、例えばモーツァルト弾きの典型みたいな存在であり、さらに実質的な活動時間も短かったクララ・ハスキルにしても、実際には随分といろいろな作曲家の作品を演奏しています。「ブラームス弾き」と呼ばれたカッチェンもまた、そのようなレッテルの範囲を超えるエネルギッシュな活動を行っていました。
当然と言えば当然のことですが、やはり聞き手にとってはあまり安易なラベルに寄りかかって受け取る範囲を狭くするのは危険です。

そして、それがハイドシェックのように20歳過ぎでプロとしての本格的な活動をはじめ、その後80歳を超える現在まで60年以上も活発な活動を展開してきたピアニストならば、絶対にその様なレッテル貼りをしてはいけません。
おそらく、ハイドシェックの特徴はそう言うものとは真逆の、驚くほど幅広いレパートリーを持っていたことでしょう。もっとも今から振り返れば当たり前のことですが、「宇和島ライブ」が某評論家に絶賛されたころは、その某評論家の影響力の強さもあって、一般的な聞き手がそのようにとらえるのは難しかったものです。

かといって、レパートリーが広いからと言って、注文があれば取りあえず「何でも弾きます」という安易な態度ではなくて、その時々で興味を持った作品とじっくりと向き合い、その結果をコンサートや録音で提供していくという「誠実」さと「深い知性」に裏打ちされたものだったと言うことです。
例えば、1950年代にヒンデミットのピアノ・ソナタを取り上げていたことなどには驚かされたものです。

とはいえ、彼の業績を振り返ってみるならば、やはりベートーベンのソナタは大きな位置を占めていることは否定できません。
なんといっても、彼のような「深い知性」と「誠実」さに裏打ちされたピアニストを聞くうえでそれは見逃すわけにはいかないのです。

ところが、ふと気づいてみると彼のベートーベンは何一つアップしていないことに気づいたのです。我ながら驚いて「なぜに」と思ったのですが、調べてみれば彼の全曲録音は67年にスタートしていたのでした。つまりは、彼が67年から始めた全曲録音は初出がすべて68年以降なので、パブリック・ドメインになるのを目前にするりと零れ落ちてしまったのでした。

しかしながら、いくつかの重要な作品がそれ以前に録音されていることにも気づきました。
それらに関してはすでにパブリック・ドメインになっているのでん、それを忘れていたのは手抜かりといわざるを得ません。

取り急ぎ可能な範囲でアップしていきたいと思います。、
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