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バルトーク:ピアノ協奏曲 第1番 Sz.83

(P)ピーター・ゼルキン:小澤征爾指揮 シカゴ交響楽団 1965年6月23日録音



Bartok:Piano Concerto No.1, Sz.83 [1.Allegro moderato - Allegro]

Bartok:Piano Concerto No.1, Sz.83 [2.Andante - attacca]

Bartok:Piano Concerto No.1, Sz.83 [3.Allegro molto]


たった3曲でバルトークの創作の軌跡をおえるコンチェルト

バルトークについては、彼の弦楽四重奏曲をアップするときに自分なりのオマージュを捧げました。そして、その中で「バルトークの音楽は20世紀の音楽を聞き込んでいくための試金石となった作品でした。とりわけ、この6曲からなる弦楽四重奏曲は試金石の中の試金石でした。」と書いています。
その事は、この一連のピアノ協奏曲にも言えることであって、とりわけ1番と2番のコンチェルトは古典派やロマン派のコンチェルトになじんできた耳にはかなり抵抗感を感じる音楽となっています。

その抵抗感のよって来たるところは、まず何よりも旋律が気持ちよく横につながっていかないところでしょう。ピアノやオケによって呈示されるメロディはどこまで行っても「断片」的なものであり、「甘さ」というものが入り込む余地が全くありません。さらに、独奏ピアノは華麗な響きや繊細でメランコリックな表情を見せることは全くなく、ひたすら凶暴に強打される場面が頻出します。
こういう音楽は、聞き手が「弱っている」時は最後まで聞き通すのがかなり困難な代物なのです。

弦楽四重奏曲については、「すごく疲れていて、何も難しいことなどは何も考えずに、ただ流れてくる音楽に身を浸している時にふとその音楽が素直に心の中に入ってくる瞬間がある」みたいなことを書きましたが、このコンチェルトに関しては、そう言う状態で向きあうと間違いなくノックアウトされてしまいます。
そうではなくて、このコンチェルトに関しては、気力、体力ともに充実し、やる気に満ちているようなときに向きあうべき音楽なのです。そうすると、この凶暴なまでに猛々しい姿を見せる音楽が、ある時不意に「快感」に変わるときがあります。
そして、バルトークの音楽の不思議は、単独で聞けばかなり耳につらい不協和な音があちこちで顔を出すのに、音楽全体は不思議なまでの透明感を保持していることにも気づいてきます。

さて、ここから書くことは全くの私個人の感慨です。
バルトークの創作の軌跡を追っていて、イメージがダブったのは画家のルオーです。
彼は「美しい」絵を拒否した画家でした。若い頃のルオーが描く題材は「売春婦や娼婦」が中心であり、そう言う「醜い存在」を徹底的に「醜く」描いた画家でした。
専門家は彼のことを「醜さの専門家」と言って攻撃しましたが、その攻撃に対して彼は「私は美ではなく、表現力の強さを追求しているのです」と主張しました。

そんなルオーなのですが、その晩年において、天国的とも言えるような「美しい」絵を描きました。
茨木のり子が「わたしが一番きれいだったとき」という詩の中で
だから決めた できれば長生きすることに
年取ってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように

と書いたように、本当に美しい絵を描きました。

バルトークもまた、若い頃は、どうしてそこまで不協和音を強打するんだと思うほどに、猛々しい音楽を書きました。
それは、第1番のコンチェルトに顕著であり、第2番は多少は聞きやすくなっているとは言え、依然として手強いことは否定できません。それは、作曲者自身が「聴衆にとってもっと快い作品としてこの第2番を作曲した。」と語ってくれたとしても、古典派やロマン派の音楽に親しんだ耳には到底聞きやすい音楽とは言えません。

しかし、そんな彼も晩年になると、音楽の姿が大きく変化します。
第6番の弦楽四重奏曲やオケコンのエレジーなどは、古典派やロマン派の音楽とは佇まいがかなり異なりますが、それでも素直に「美しい」と思える姿をしています。
それは、彼の白鳥の歌となった第3番の協奏曲ではさらに顕著となります。
そして、その「美しさ」は、晩年のルオーとも共通する「天国的」なものにあふれています。

いわゆる「専門家」と言われる人の中には、このようなバルトークの変化を「衰え」とか「退嬰」だと主張する人がいますが、私は全くそうは思いません。
彼もまた、ルオーと同じように、その晩年にいたって「凄く美しい絵」をかいてくれたのだと思います。

バルトークの生涯はルオーの生涯に包含されます(ルオー爺さんはホントに長生きしました)から、この二人は同時代人と言っていいでしょう。もちろん、こんな関連づけは「こじつけ」の誹りは免れがたいとは思いますが、それでもジャンルは違え、同じ芸術家としてその創造の根底において共通する何かがあったような気がしてなりません。

かなりの困難を伴うかもしれませんが、できることならばこの3曲のコンチェルトを聞き通すことで、そんなバルトークの軌跡をたどっていただければ、いろいろと感じることも多いのではないでしょうか。


伝統には縛られたくない

小澤がシカゴ響の指揮台に立ったのはラヴィニア音楽祭の指揮者が急病のために急遽呼び出されたためでした。そして、その成功によってRCAレーベルがシカゴ響との録音を持ちかけます。
よく知られた話です。

そして、そのRCAレーベルとの初録音がピーター・ゼルキンとのコンビによるバルトークのピアノ協奏曲第1番でした。ピーター・ゼルキンとは、それ以後も同じくバルトークのピアノ協奏曲第3番とシェーンベルクのピアノ協奏曲を録音しています。このうち、シェーンベルクの協奏曲は初出年が1968年のためにパブリック・ドメインの世界からギリギリのところでこぼれ落ちてしまったことは実に残念な話です。

この録音を聞いて真っ先に感じるのは「軽い」と言うことです。
そして、その「軽さ」をピーター・ゼルキンと共有していることが、その後の彼らの関係を深めていく切っ掛けになったのではないかと想像してしまいます。

この録音を行ったとき、ピーター・ゼルキンは19歳、小澤は31歳でした。しかし、ピーター・ゼルキンの方が年は若いのですが、キャリア的には彼の方が先を走っていました。なにしろ、彼はあのルドルフ・ゼルキンの息子であり、さらにはあの偉大なアドルフ・ブッシュの孫なのです。
親の七光りなどと言う言葉がありますが、彼の場合はそこに祖父ちゃんの七光りも加わるのですから大変なものです。実際、彼のピアニストとしてのデビューの場を作ったのは祖父のアドルフ・ブッシュであり、それは祖父も創設者の一人であったマールボロ音楽祭でした。
その時ピーター・ゼルキンは12歳でした。

そして、その後もジョージ・セルが率いるクリーヴランド管弦楽団という「超恐い」組み合わせも含めた数多くのオケとの共演を重ねていけたのは、確かに彼自身の実力もあったでしょうが、そこに親と祖父ちゃんのバックがあったことは否定できないでしょう。
しかしながら、そう言う場を経験することで人は成長します。
多くの一般ピープルはそう言う「場」をつかむまでが大変なのであって、それは小澤もまた同じです。

しかしながら、そう言う二人が深い関係を結ぶようになったのは、おそらくその背景に「伝統」というものの重みに対するスタンスで通じ合うものがあったからではないかと思われます。
確かに、境遇的にはピーター・ゼルキンは恵まれていましたが、それ故に彼にのしかかる重圧は半端なものではなかったはずです。父も祖父も、アメリカに亡命したとは言え、その存在は古き良きヨーロッパの伝統そのものを体現している存在でした。そして、彼がピアニストとしての活動をはじめたのはそう言う環境における必然の路線だったのでしょうが、ふと気づいてみると、そこにのしかかってくる「伝統」というものの重みに身がすくんだはずです。

しかし、そう言うピーター・ゼルキンにとって小澤という指揮者は、そう言う「伝統」というものをほとんど意識しなくてもいい存在だったはずです。
もちろん、日本人である小澤が西洋の音楽を指揮することの意味について悩んだことは確かですが、やがて彼はそれを逆手にとって、既存の「伝統」というものから距離を置いたところから自分の信じる音楽を作っていくようになりました。そして、それが見事に花開いたのは70年代に入ってからだと思うのですが、この60年代の録音はそう言う模索のさなかであったはずです。

ですから、ピーター・ゼルキンにとっては、小澤と一緒に音楽をすると言うことは、時には身のすくむような思いに絡め取られそうになる「伝統」からしばし解放されるような思いになったはずです。
それ故に、ここでの二人はいわゆる「伝統」というものには一切とらわれず、バルトークの音楽が持っている「精緻」な構造の解明にのみ興味を持ってそれを解き明かそうとしているように聞こえます。その結果として出来上がった音楽はこの上もなく精緻な演奏でありながら、何処か妙な軽やかさに貫かれています。

しかしながら、バルトークの音楽というものは片方では数学的と言っていいほどに精緻な構造をもちながら、もう片方では土臭さを持った野蛮さみたいなものも内包しています。そして、その「野蛮」さみたいなものがいわゆる「伝統」につながっていく部分であるかもしれないのですが、この二人の演奏ではそう言うものは綺麗さっぱり洗い流されています。
バルトークが己の死を予感し、後に残される妻のために書いた第3番の協奏曲もまた深い「悲しみ」に彩らた音楽です。それは、彼がヨーロッパを去るときに書いた第6番の弦楽四重奏曲の全楽章に書き添えた「Mesto」に通ずるものがあるはずです。
しかし、それもまた二人の演奏ではきれいに洗い流されているように思います。

そして、その結果として彼らの音楽には悪く言えば「軽さ」がつきまといます。
しかし、それもまた「いと、をかし」なのです。

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