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ターリッヒ(Vaclav Talich)|スメタナ:「我が祖国(2)~ボヘミアの森と草原より・ターボル・ブラニーク」
スメタナ:「我が祖国(2)~ボヘミアの森と草原より・ターボル・ブラニーク」
ヴァーツラフ・ターリヒ指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 1954年6月10日~12日&21日, 7月2日~3日録音
Smetana:Ma Vlast, JB 1:112 [4.From Bohemian Woods and Fields]
Smetana:Ma Vlast, JB 1:112 [5.Tabor]
Smetana:Ma Vlast, JB 1:112 [6.Blanik]
「我が祖国」=「モルダウ」+「その他大勢」・・・?
スメタナの全作品の中では飛び抜けたポピュラリティを持っているだけでなく、クラシック音楽全体の中でも指折りの有名曲だといえます。ただし、その知名度は言うまでもなく第2曲の「モルダウ」に負うところが大きくて、それ以外の作品となると「聞いたことがない」という方も多いのではないでしょうか。
言ってみれば、「我が祖国」=「モルダウ」+「その他大勢」と言う数式が成り立ってしまうのがちょっと悲しい現実と言わざるをえません。
でも、全曲を一度じっくりと耳を傾けてもらえれば、モルダウ以外の作品も「その他大勢」と片づけてしまうわけにはいかないことを誰しもが納得していただけると思います。
組曲「我が祖国」は以下の6曲から成り立っています。しかし、「組曲」と言っても、全曲は冒頭にハープで演奏される「高い城」のテーマが何度も繰り返されて、それが緩やかに全体を統一しています。
ですから、この冒頭のテーマをしっかりと耳に刻み込んでおいて、それがどのようにして再現されるのかに耳を傾けてみるのも面白いかもしれません。
第1曲「高い城」
「高い城」とは普通名詞ではなくて「固有名詞」です。(^^;これはチェコの人なら誰しもが知っている「年代記」に登場する「王妃リブシェの予言」というものに登場し、言ってみればチェコの「聖地」とも言うべき場所になっています。ですから、このテーマが全曲を統一する核となっているのも当然と言えば当然だと言えます。
第2曲「モルダウ」
クラシック音楽なんぞに全く興味がない人でもそのメロディは知っていると言うほどの超有名曲です。
水源地の小さな水の滴りが大きな流れとなり、やがてその流れは聖地「高い城」の下を流れ去っていくという、極めて分かりやすい構成とその美しいメロディが人気の原因でしょう。
第3曲「シャールカ」
これまたチェコの年代記にある女傑シャールカの物語をテーマにしています。シャールカが盗賊の一味を罠にかけてとらえるまでの顛末をドラマティックに描いているそうです。
第4曲「ボヘミアの森と草原より」
私はこの曲が大好きです。スメタナ自身も当初はこの曲で「我が祖国」の締めにしようと考えていたそうですが、それは十分に納得の出来る話です。
牧歌的なメロディを様々にアレンジしながら美しいボヘミアの森と草原を表現したこの作品は、聞きようによっては編み目の粗い情緒だけの音楽のように聞こえなくもありませんが、その美しさには抗しがたい魅力があります。
第5曲「ターボル」
これは歴史上有名な「フス戦争」をテーマにしたもので、「汝ら神の戦士たち」というコラールが素材として用いられています。
このコラールはフス派の戦士たちがテーマソングとしたもので、今のチェコ人にとっても涙を禁じ得ない音楽だそうです。ただし、これはあくまでも人からの受け売り。チェコに行ったこともないしチェコ人の友人もいないので真偽のほどは確かめたことはありません。(^^;
スメタナはこのコラールを部分的に素材として使いながら、最後にそれらを統合して壮大なクライマックスを作りあげています。
第6曲「ブラニーク」
ブラニークとは、チェコ中央に聳える聖なる山の名前で、この山には「聖ヴァーツラフとその騎士たちが眠り、そして祖国の危機に際して再び立ち上がる」という伝承があるそうです。
全体を締めくくるこの作品では前曲のコラールと高い城のテーマが効果的に使われて全体との統一感を保持しています。そして最後に「高い城」のテーマがかえってきて壮大なフィナーレを形作っていくのですが、それがあまりにも「見え見えでクサイ」と思っても、実際に耳にすると感動を禁じ得ないのは、スメタナの職人技のなせる事だと言わざるをえません。
屈託のない情熱
ターリッヒというのは私にとってはとても古い時代の指揮者のように感じられていました。そのためか、10年以上前に古いSP盤の時代の録音を聞いただけで、それ以後は私の視野からは全く外れていました。そんなターリッヒに少しばかり注意が向く切っ掛けとなったのがカレル・アンチェルの録音をある程度まとまって聞き始めたことでした。
気づいてみれば、ターリッヒは1883年生まれですから年齢的にはアンセルメと同じなのですから、そんなに古い時代の指揮者ではないのです。亡くなったの1961年ですし、体調の悪化で指揮活動から引退したのも1955年のことでした。
それにもかかわらず、彼が「古い時代の指揮者」として認識されてしまった背景にはチェコ・フィルとの強い結びつきがあったからかもしれません。
チェコ・フィルというのはもとはヨーロッパのどんな田舎町にもあるような普通のオーケストラでした。それを世界的なレベルにまで引き上げたのがターリッヒでした。彼は1919年にチェコ・フィルを率いるようになり、途中わずかの中断期間があったものの1941年まで率いて最初の黄金時代を築き上げました。
そして、その後はクーベリック→アンチェルとチェコフィルは引き継がれていくのですが、ターリッヒはそのチェコフィルとのあまりに強い結びつき故に、何処かその戦前のチェコ・フィル時代の指揮者という誤ったイメージが私の中で出来上がってしまったようなのです。
しかし、当然のことですが、チェコフィルの首席指揮者を他の人に譲ったとしても、チェコ・フィルとの結びつきが切れるわけはなく、またチェコ・フィル以外のオケとも旺盛な指揮活動を行っていたのです。
考えてみれば、1942年にチェコ・フィルをクーベリックに譲ったときは、ターリッヒは未だに60歳手前だったのです。人間の思いこみというのは恐ろしいものです。
とはいえ、彼の最後の活動期間であった50年代の録音はあまり市場に出回っていなかったのも事実です。そういう事情も「勘違い」の原因となったのではないかと一言言い訳をしておきましょう。(^^;
そしてもう一つ言えば、この54年に録音された「我が祖国」を聞いてもらえば分かるように、その音楽スタイルはやはり「古い時代」に属するものであることもそう言う「勘違い」を引き起こす要因になっているのかもしれないと気づかされます。
特に、この50年代の中頃以降と言えば、こういう国民楽派の民族主義的な音楽であっても、そう言う民族性よりはコスモポリタンな方向性でとらえなおそうという新しい方向性が登場してきた時代でした。その典型は、例えばセルやトスカニーニのドヴォルザークなどを聴けば私の言わんとしていることは理解していただけると思います。
そう言う新しい流れの中にこのターリッヒの演奏を大いてみれば、それは明らかになんの屈託もなく民族の誇りを歌い上げた音楽になっています。ポイントは「屈託もなく」と言うことです。
おそらく、ターリッヒの後を引き継いだクーベリックにしてもアンチェルにしても、その心の中に消しようのない「屈託」を抱えていました。いや、おそらくはどんな形であれ世界大戦を経験した音楽家は、心のどこかに何らかの「屈託」を抱えているものです。
しかし、何故かターリッヒの音楽にはその様な「屈託」がほとんど感じられないのです。
彼は民族の誇りというものに一片の疑いもなく、その土俗性や泥臭さをふりまきます。
しかし、ターリッヒの根っこにはもう一つ音楽の構造をしっかりと把握して造形していくという能力も本能のように存在していますから、その泥臭さがただたんなる泥だらけになることはありません。
「ボヘミアの森と草原より」などはいくらでももっと洗練された美しさに仕上げることは可能でしょうが、おそらくはこれこそが本当の素朴なボヘミアの森と草原なんでしょう。
そして、「シャールカ」のドラマティックな物語もこれほど情熱的に語り上げた演奏は希有でしょうし、「ターボル」の壮大なクライマックスもまた同じチェコフィルを振ったクーベリックやアンチェルとは全く異なる「屈託」のない熱情が溢れています。
おそらく、これこそは、本当に今となっては二度と聞くことのできない音楽であることは事実です。
なお、全曲一気に聞き通すと1時間を軽く超えます2回に分けて紹介したいと思います。まあ、組曲ですから全曲一気に聞き通す必然性も低いのでご理解ください。
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よせられたコメント
2020-09-24:コタロー
- ターリッヒの「我が祖国」、骨太で感動を呼ぶ素晴らしい演奏ですね。
そもそも、私とターリッヒとの出会いは、もう50年近く前、コロムビアの千円盤で、ロストロポーヴィッチを独奏者としたドヴォルザークの「チェロ協奏曲」でした。
しかし、それ以降、何故か私はターリッヒのレコードやCDは一切購入しませんでした。もしかしたら、私の意識の中から彼の存在が消えていたのかもしれません。
それが今回「我が祖国」を聴く機会を得て、ターリッヒの存在がはっきりと頭によみがえったのです。そういう意味では、貴重な体験をさせていただいたことに感謝しております。