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モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番 変ロ長調 K.595

(P)フリードリヒ・グルダ:ハンス・スワロフスキー指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団 1965年6月録音



Mozart:Piano Concerto No.27 in B-Flat major, K.595 [1.Allegro]

Mozart:Piano Concerto No.27 in B-Flat major, K.595 [2.Larghetto]

Mozart:Piano Concerto No.27 in B-Flat major, K.595 [3.Allegro]


最後に残された孤独な2作品

モーツァルトのウィーン時代は大変な浮き沈みを経験します。そして、ピアノ協奏曲という彼にとっての最大の「売り」であるジャンルは、そのような浮き沈みを最も顕著に示すものとなりました。その浮き沈みの最後にポツンと2つの作品が残されることになります。
この2作品はどのグループにも属さない孤独な2作品です。

  1. ピアノ協奏曲第26番 ニ長調「戴冠式」 K537:1778年2月24日完成

  2. ピアノ協奏曲第27番 変ロ長調 K595:1791年1月5日完成


この時代のモーツァルトは演奏会を行っても客が集まらず困窮の度合いを深めていくと言われてきました。しかし、これもまた最近の研究によると少しばかり事情が異なることが分かってきました。
たとえば、有名な39番~41番の3大交響曲も従来は演奏される当てもなく作曲されたと言われてきましたが、現在でははっきりとした資料は残っていないものの何らかの形で演奏されたのではないかと言われています。確かに、予約演奏会という形ではその名簿に名前を連ねてくれる人はいなくなったのですが、当時の演奏会記録を丹念に調べてみると、依然としてウィーンにおけるモーツァルトの人気は高かったことが伺えます。

ですから、人気が絶頂にあった時代と比べれば収入は落ち込んだでしょうが、世間一般の常識とくらべれば十分すぎるほどの収入があったことが最近になって分かってきました。
この時代にモーツァルトはフリーメイソンの盟友であるプフベルグ宛に泣きたくなるような借金の依頼を繰り返していますが、それは従来言われたような困窮の反映ではなく、生活のレベルを落とすことのできないモーツァルト一家の支出の多さの反映と見るべきもののようです。

ですから、26番の「戴冠式」と題された協奏曲もウィーンでだめならフランクフルトで一旗揚げてやろうという山っ気たっぷりの作品と見るべきもののようです。借金をしてまでフランクフルトで演奏会をおこなったのは悲壮な決意で乗り込んだと言うよりは、もう少し脂ぎった思惑があったと見る方が現実に近いのかもしれません。
そして、己の将来を切り開くべく繰り出した作品なのですから、モーツァルトとしてもそれなりに自信のあった作品だと見ていいでしょう。ですから、ここでは、一度開ききった断絶が再び閉じようとしているように見えます。

しかし、残念ながらこの演奏会はモーツァルトが期待したような結果をもたらしてくれませんでした。そして、人気ピアニストとしてのモーツァルトの活動はこれを持って事実上終わりを告げます。
ロマン派の音楽家ならば演奏されるあてがなくても己の感興の赴くままに作曲はするでしょうが、モーツァルトの場合はピアニストとしての活動が終わりを告げれば協奏曲が創作されなくなるのは理の当然ですから、この後にモーツァルトは再び交響曲に戻っていくことになり、39番からの最後の3大交響曲を残すことになるわけです。

そんなモーツァルトが死の1年前の1791年に突然一つのピアノ協奏曲を残します。
K595の変ロ長調の協奏曲です。

作品はその年の1月に完成され、3月4日のクラリネット奏者ヨーゼフ・ベーアが主催する演奏会で演奏されました。そして、それがコンサートピアニストとしての最後の舞台となりました。
アインシュタインはこの作品について「この曲は・・・永遠への戸口に立っている。」「彼がその最後の言葉を述べたのはレクイエムにおいてではなく、この作品においてである。」と述べています。

しかし、これもまた最近の研究により、この作品の素材が1778年頃にほとんどできあがっていたことを示唆するようになり、アインシュタインの言葉はその根拠を失おうとしています。
実際、この時代のモーツァルトは交響曲作家としてイギリスに渡る道があったにもかかわらずそれを断り、ドイツ語によるドイツオペラの創作という夢に向かって進み始めていたのです。ですから、アインシュタインのようなモーツァルト理解は幾分かはロマン主義が支配した19世紀的バイアスがかかったものとしてみておく必要があるようです。

ただし、コンサートピアニストとしての活動が終わったことは自覚していたでしょうから、その意味ではこれは「訣別」の曲と言っても間違いないのかもしれません。
しかし、はたしてアインシュタインが言ったように「人生への訣別」だったのかは議論の分かれるところでしょう。



賛否両論分かれるであろうとんでもない演奏

1965年6月にハンス・スワロフスキーの指揮でグルダは二つのモーツァルトの協奏曲をしています。

  1. モーツァルト:ピアノ協奏曲第21番 ハ長調 K.467

  2. モーツァルト:ピアノ協奏曲第21番 ハ長調 K.467


率直に言って両方ともとんでもない演奏なのですが、とりわけ21番の協奏曲の方がよりとんでもない演奏になっています。
同曲異演盤の格付けをしているサイトはたくさんあるのですが、その中でもこの録音を最低ランクに格付けしているところは少なくありません。まあ、それが真っ当な感覚というものでしょう。
とりわけ、グルダはアバドとのコンビで、これらの作品を極めて真っ当な形で再録音しています。
さらに言えば、60年代の初めにポツンと録音された「ピアノ協奏曲第17番 ト長調 K. 453」も極めて真っ当な演奏です。

ですから、どうしてこんなにも「奇矯」な演奏しなければいけなかったのか訳が分からないというのが、普通の感覚というものです。

しかしながら、この時代のグルダを見てみると、同じ年の2月に「ピアノソナタ第15番 ハ長調 K 545」をとんでもない形で録音しています。ですから、それらの演奏を「訳が分からない」と言って切って捨てるのではなく、その「訳」を考えてから評価をする必要があるはずです。
そして、私なりの考えはピアノ・ソナタの演奏を紹介したときに簡単に述べておいたのですが、これらの演奏をじっくりと聞いてみると「奇矯」としか思えない演奏にもそれなりの「根拠」と「訳」があることに気づかされます。

その根拠と訳をもう一度繰り返すのも時間の無駄ですからポイントだけを抽出すれば、モーツァルト自身はピアノ音楽というものは楽譜に書かれたとおりの演奏するのではなくて、常に「表情と趣味をもって、装飾音を施すことが演奏家としての義務だと考えていたと言うことです。
つまり、モーツァルトにとって自分が書いたピアノ音楽の楽譜というのは骨格部分を示すものであって、彼自身もそこに豊かな装飾音を付け加えて肉付けを行うのは当然と言うよりは、演奏家としての義務だと考えていたのです。
ですから、モーツァルトのピアノ音楽に関しては、「原典尊重」と言うことにどれだけの意味があるのかを考えて見る必要があるのです。

しかしながら、「原典尊重」が絶対的な錦の御旗と掲げられる時代にその様な考察を行うことに興味を持つ人は殆どいませんし、さらにはそう言う考察を行って、それに従って実際に演奏や録音を行うような「勇気」を持っている人は殆どいませんでした。
何故ならば、その様な装飾は恣意的に行っていいものではなくて、モーツァルト自身も語っているように「表情と趣味」をもって追加しなければいけないからです。
つまりは、その施した装飾音がその音楽が本来もっていた和声や旋律の本質を損ねるものであれば、たちまちその演奏は「趣味が悪い」と見なされたのです。ですから、自らの考察に基づいて装飾を施すなどと言うことは普通のピアニストには恐すぎて出来るものではないのです。
そして、その「恐い」事に果敢にチャレンジしたのがこの時代のグルダだったのです。

ですから、問題はグルダが施した装飾がモーツァルトの音楽が本来持っている和声や旋律の本質を損なっているのかどうかが問われなければならなかったのです。
もちろん、この一連のグルダの演奏を聞いて少なくない反響は巻き起こり、その大部分は批判的なものだったのですが、その批判の根拠の大部分は「原典」からの逸脱でした。残念なことに、グルダ自身が望んだであろう自らの装飾が、モーツァルトの音楽が本来持っている和声や旋律の本質を損なっているのか否かと言うことは殆ど無視されてしまいました。

この後、グルダはクラシックからの撤退とジャズへの転向を表明するのですが、それは、自分としては渾身の思いで問うた試みがほとんど真っ当に評価の俎上にすら載らなかった事への絶望感みたいなものがあったからかもしれません。
ただし、幸いなことに、グルダ自身はジャズピアニストとしては「上手く」ならなかったと評価できるだけの自己批判力は持っていましたので、ジャズも続けながら再びクラシックの世界にも戻ってきてくれました。

とはいうものの、私のような凡にとっては、このグルダの試みがほんとうにモーツァルトに相応しいものかどうかは分かりません。結局は「好き」か「嫌い」かくらいのレベルでしか判断できません。
ですから、そう言うレベルでの範囲での意見でしかないのですが、27番に関しては十分に納得のいくレベルですし、とりわけ第2楽章の透明感にあふれた絶望感のような表情は素晴らしいと思いました。
また、カデンツァに関しては当然の事ながら全てグルダのオリジナルだと思われるのですが、これは両方ともに十分に納得のいくものでした。

それに対して、21番の協奏曲を聞いた時は、いくら何でもやりすぎだろうとは思いました。
ただし、21番のオーケストラの前奏部で本来は沈黙しているべきピアノが突然鳴り出すのには驚かされましたし、装飾こえてあるはずのない音楽が挟み込まれていたりするので、それはいくら何でもアドリブが過ぎるかと思ったものでした。
ただし、慣れというものはあるのであって、再度聞き直してみると、そう言う部分も次第に気にならなくなってきます。さらに言えば、モーツァルトが残した膨大な手紙から浮かび上がってくる彼の「人間性」は「奇矯」としか言いようがないものです。もちろん、音楽と作曲家の人間性は別物なのですが、もしも奇矯な彼の性格を全開させてこの作品を演奏すれば、結構こういう音楽になっていたかもしれないと想像することは許されるでしょう。

それから、もう一つ気づいたのは、「録音」がもっている最大の弱点ある「どれくらいの音量で演奏されたのかが分からない」という点が、この演奏の評価を大きく左右すると言うことです。
どういう事かと言えば、プリアンプのボリュームを上げれば上げるほどこの演奏が持っている「奇矯」さが際だつのです。
とりわけ、オーディオ好きの人には大音量派の人が多いので、そう言う聴き方をする人にとってはこれはかなりとんでもない演奏に聞こえます。
しかし、ある程度抑え気味にして聞いてみると、この21番の演奏も十分にモーツァルトの音楽が持っている本質を損なってはいないように聞こえます。

まあ、どちらにしても最後は聞き手それぞれが判断するしかないのでしょう。

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