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リスト:巡礼の年 第2年「イタリア」 S.161


(P)アルド・チッコリーニ 1954年9月13~17,27~29日録音


リストという不世出のピアニスとの有為転変が刻み込まれた音楽

リストの「巡礼の年」は、彼の20代から60代に至る音楽の遍歴が刻み込まれた作品集だと言われます。ただし、そう言われるからといって、リストがこの作品を20代から60代に至る長きにわたって書き続けたというわけではありません。
まず始めに、全体をざっと概観しておきましょう。こういう規模の大きな作品集というのは、最初に概観しておくことがとても大切です。


  1. 第1年「スイス」:1835年から36年にかけて作曲(24才~25才)→19曲からなる「旅人のアルバム」として1842年に出版→「旅人のアルバム」をもとに追加・改訂・編集を行って全9曲からなる作品集として1855年に出版

  2. 第2年「イタリア」:1838年より作曲が開始され1839年にはほぼ完成(27才~28才)→1858年に出版

  3. ヴェネツィアとナポリ(第2年補遺):1840年に作曲(29才)→1859年(48才)に2曲を改訂、1曲を追加して完成→1861年に出版

  4. 第3年:大部分の作品が1877年に作曲(65才)→1883年に出版



つまりは、20代から60代にわたって書き続けたといわれればその通りなのですが、実態としては作品の大部分は20代に書かれた作品であり、最後の「第3年」だけがポツンと離れた60代の作品なのです。しかし、その20代の作品には30代から40代のリストの手が加えられているのです。

ですから、非常にザックリとした言い方をすれば、第1年「スイス」は若きリストの清潔でスッキリとした音楽が聴けます。しかし、その事は、リストの作品に名人芸がもたらす陶酔感を期待するムキにはいささか不満が残る作品と言うことになります。
それに対して第2年「イタリア」こそは、もっともリストらしい作品集だと言えるでしょう。「ヴェネツィアとナポリ(第2年補遺)」も第2年「イタリア」と同じテイストが貫かれています。
そして、第3年は晩年のリストに特徴的な宗教的・禁欲的な雰囲気で彩られています。

と言うことで、作曲年代だけに限ってみれば大きな隔たりが存在しているのですが、音楽としてはリストという不世出のピアニスとの有為転変が刻み込まれていることには確かなのです。


巡礼の年 第2年「イタリア」

マリーとの逃避行も一段落し二人の間には3人の子供が次々と生まれることになります。その内の一人が後にワーグナーの妻となる「コジマ」でした。
そんな幸福な日々の中で二人は1837年7月から39年11月にかけてイタリアに滞在します。

当然、このイタリア滞在は先の見えない絶望的な状況の中で行われたスイスでの逃避行とは全く異なるものでした。
リストはこのイタリア滞在において、ダンテの「神曲」や、ラファエロ、ミケランジェロの絵画など様々な芸術作品に触れる機会を得ます。そして、そこから得られたインスピレーションが新しい音楽を生み出す原動力となりました。
そして、この滞在中のローマにおいてリストは史上初めてとなる一人だけの演奏家によるコンサート、つまりは「リサイタル」を行います。(1839年3月8日)
ピアノのスーパーアイドルとしてのリストの地位はここにおいて不動のものとなるのです。

しかし、困難な中でのスイスへの逃避行がマリーとリストの絆を深めたのに対して、この恵まれたイタリア滞在は次第に二人の間に不和をもたらしはじめたのは皮肉と言えば皮肉でした。


  1. 婚礼:ラファエロの「聖母の婚礼」からインスピレーションを受けて作られた作品です。後のリストを予見させるような宗教的な音楽であり、ドビュッシーの「アラベスク」を予感させる音楽とも言われます。

  2. 物思いに沈む人:「メディチ家礼拝堂」におさめられているミケランジェロの彫刻(「夜」「昼」「夕暮」「曙」)からインスピレーションを得た作品だと言われています。第1番の宗教的な清澄さとは対照的に暗鬱な音楽になっていて、そこからは明らかに「死」というもののイメージが音楽化されています。後に、管弦楽曲「3つの葬送頌歌」の「夜」と題された第2曲へ改作されたことからも「死」との関連性が強くうかがえます。

  3. サルヴァトール・ローザのカンツォネッタ:カンツォネッタとは軽い気分の小さな歌曲のことで、第2曲の重さから聞き手を解放する上でこのような音楽が必要だと考えたのかもしれません。この作品だけが、イタリア滞在の10年後に書かれた作品であり、曲集としてまとめるときに追加されました。なお、ここで掲げられているサルヴァトール・ローザの詩は、現在ではボノンチーニ作とされています。

  4. ペトラルカのソネット第47番:ペトラルカはイタリア・ルネサンスを代表する叙情詩人です。このソネットでは「恋」にとらわれた心情が歌われていて、音楽もまた切々とした歌心に満ちたものとなっています。ピアノでいかにして「歌うか」が問われる音楽です。

  5. ペトラルカのソネット第104番:「恋」に落ちた喜びと苦しみの二面性を歌った作品なので、よりドラマティックな世界がえがかれています。音楽も必然的に劇的で規模も大きなものとなっていて、技術的にも冒頭の4小節からかなり難しい作品となっているそうです。

  6. ペトラルカのソネット第123番:「恋」の甘さを歌った作品なので、ここでもまたピアノで「歌う」事が強く求められる作品です。

  7. ダンテを読んで~ソナタ風幻想曲:「ダンテ・ソナタ」とも呼ばれることがある長大にして劇的な音楽です。リストはイタリア滞在中にダンテの叙事詩「神曲」を読み、そこからインスピレーションを得て生み出された音楽です。ダンテの「神曲」は「地獄篇」「煉獄篇」「天国篇」の三部から構成されているのですが、ここで描かれたのは疑いもなく「地獄」の世界です。ピアニストにとっても演奏することが極めて困難な難曲として有名な作品です。


若き時代の刻苦精励


「リストの作品が少ない!!」とよく言われてきました。
なかには、「ショパンの作品はあんなにたくさんアップしているのに、リストの作品は本当に少ない、さては奴はリストを名人芸だけのつまらぬ音楽と誤解しているんだろう」等と言われたりもしました。

しかし、これはどこかで一度書いたような気はするのですが、リスト作品があまりアップされていないのはその様な「評価」にまつわるような難しい話ではなくて、そもそもパブリック・ドメインとして公開できる音源が少ないという極めて単純にして明解な理由に基づくものなのです。

興味のある方は調べてみれば納得していただけると思うのですが、ショパンの作品は「ピアニスト」を商売にしている音楽家ならば必ず録音しています。しかし、リストを録音している「ピアニスト」となると急に数が減ってしまいます。その背景にはリストの音楽に対する「評価」もあったのでしょうが、それよりもリストの作品をリストらしく演奏することの困難さも大きく影響していたと思われます。

そんな歴史的背景を知ってみると、50年代からリストの作品を積極的に取り上げていたチッコリーニの「やる気」には感心させられます。
彼は、リストを代表するピアノ作品である「巡礼の年」を54年と61年の2回にわたって録音しています。

チッコリーニという人は非常に息の長い演奏家でした。
2015年に89才でこの世を去るのですが、その直前まで現役のピアニストとして活動をしていました。晩年は日本とも縁が深く、毎年のように来日公演を行っていて、90才を迎える2016年にも公演が予定されていたほどです。
ピアニストには長命の人が多く、その最期まで現役として活動を続ける人は多いのですが、その少なくない部分が「誰か止める人はいないのか!」と言いたくなるような醜態をさらすことは少なくありません。しかし、チッコリーニはそう言う中にあって、疑いもなく「希有な例外」だったようです。
私は彼のコンサートに足を運んだことはないので人の受け売りの域を出ないのですが、それでも多くの人が晩年のチッコリーニの変貌ぶりに驚き、そして称賛を惜しまないのです。

若い頃のチッコリーニは一言で言えば「明晰」なピアニストでした。その事は、彼のファースト・レコーディングだったスカルラッティのソナタ集の時から明確に刻印されていました。
音色はどこまでもからりと乾いていて、一つ一つの音はまるでチェンバロのようにころころとよく転がるのです。そして、彼の名刺代わりだったサティなんかを聞くと、いつもパリッとした粋な雰囲気が漂っていました。

ただ、それはそれなりに美質としては感じながらも、時によっては、そして作品によってはもっとどろっとした「情念」みたいなものが欲しくなるときはありました。
ここで聞けるリストもまたある意味ではあっけらかんとしたクリアな響きと強固な形式感によって貫かれています。トレモロなんかも、驚くほど一音一音が明確に聞こえるので、そこからはふわっとした幻想的な感覚はほぼ皆無です。
しかし、それこそが若い時代のチッコリーニなんですね。

彼はこういう音楽を地道にやり続けることで、結果として自分の音楽の根っこと土台を強固なものにしていきました。そして、その事が年をとって衰えが出てきたときに、その衰えに相応しい音楽にチェンジする余裕を与えたのでしょう。
晩年のチッコリーニの音楽が、若い頃と較べて本当に素晴らしいものだったのかは私には分かりません。しかし、それは「醜態」でなかったことだけは確かなようですし、その「変貌」を遂げた音楽が多くの人を魅了したことも事実のようです。
しかし、晩年の彼の音楽を特徴づけるふんわりとした響きの底には、若き時代にクリアな響きを駆使したテクニックがあってこその話であることは間違いないことです。

これを若手の連中が下手に真似して得意になっていると、後で待っているのは悲惨な老後と言うことになるのでしょう。
年を経て飄々と事を成し遂げられるためには、若き時代の刻苦精励こそが必要だと言うことを、このリストの録音は教えてくれるような気がします。


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