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ベートーベン:交響曲第5番 ハ短調 「運命」 作品67

マルケヴィッチ指揮 ラムルー管弦楽団 1960年10月録音

Beethoven:Symphony No.5 in C minor, Op.67 [1.Allegro Con Brio]

Beethoven:Symphony No.5 in C minor, Op.67 [2.Andante Con Moto]

Beethoven:Symphony No.5 in C minor, Op.67 [3.Allegro]

Beethoven:Symphony No.5 in C minor, Op.67 [4.Allegro]


極限まで無駄をそぎ落とした音楽

今更何も言う必要がないほどの有名な作品です。
クラシック音楽に何の興味がない人でも、この作品の冒頭を知らない人はないでしょう。

交響曲と言えば「運命」、クラシック音楽と言えば「運命」です。

この作品は第3番の交響曲「エロイカ」が完成したすぐあとに着手されています。スケッチにまでさかのぼるとエロイカの創作時期とも重なると言われます。(1803年にこの作品のスケッチと思われる物があるそうです。ちなみにエロイカは1803?4年にかけて創作されています。)

しかし、ベートーベンはこの作品の創作を一時的に中断をして第4番の交響曲を作曲しています。これには、とある伯爵未亡人との恋愛が関係していると言われています。
そして幸か不幸か、この恋愛が破局に向かう中でベートーベンはこの運命の創作活動に舞い戻ってきます。

そういう意味では、本格的に創作活動に着手されたのは1807年で、完成はその翌年ですが、全体を見渡してみると完成までにかなりの年月を要した作品だと言えます。そして、ベートーベンは決して筆の早い人ではなかったのですが、これほどまでに時間を要した作品は数えるほどです。

その理由は、この作品の特徴となっている緊密きわまる構成とその無駄のなさにあります。
エロイカと比べてみるとその違いは歴然としています。もっとも、その整理しきれない部分が渾然として存在しているところにエロイカの魅力があるのですが、運命の魅力は極限にまで整理され尽くしたところにあると言えます。
それだけに、創作には多大な苦労と時間を要したのでしょう。

それ以後の時代を眺めてみても、これほどまでに無駄の少ない作品は新ウィーン楽派と言われたベルクやウェーベルンが登場するまではちょっと思い当たりません。(多少方向性は異なるでしょうが、・・・だいぶ違うかな?)

それから、それまでの交響曲と比べると楽器が増やされている点も重要です。
その増やされた楽器は第4楽章で一気に登場して、音色においても音量においても今までにない幅の広がりをもたらして、絶大な効果をあげています。
これもまたこの作品が広く愛される一因ともなっています。


マルケヴィッチ版に込められた執念の結実

マルケヴィッチのベートーベンと言えば基本的には以下のラムルー管との録音がメインとなります。第3番「英雄」はシンフォニー・オブ・ジ・エアとの録音(MONO)が残っていて、それはそれで素晴らしい演奏なのですが、彼が己のベートーベンを問うという意気込みで取り組んだのラムルー管との録音であったことは間違いありません。


  1. 交響曲 第1番 ハ長調 作品21 1960年10月録音

  2. 交響曲 第5番 ハ短調 作品67「運命」 1959年10月録音

  3. 交響曲 第6番 ヘ長調 作品68 「田園」 1957年10月~11月録音(MONO)

  4. 交響曲 第8番 ヘ長調 作品93 1959年10月録音

  5. 交響曲 第9番 ニ短調 作品125「合唱」 1961年1月録音



当然の事ながらマルケヴィッチにしてみれば全集として完成させる意気込みだったと思いますが、そのあまりにも厳しい訓練に音を上げたラムルー管が反旗を翻して録音は頓挫してしまいました。
聞いてみればすぐに分かることですが、あの緩いことで有名だったラムルー管が別人のように引き締まっています。
それでいながら、例えば8番の第3楽章のトリオでのフレンチホルンの響きなどは、まさにフランスのオケならではの美しさにが溢れていのですから、ここまで鍛え上げたマルケヴィッチの手腕はたいしたものです。

そう言えば、フランスのオケによるベートーベンのシンフォニーというのは意外と録音が少ないです。
全集としてまとまっているものとなるとシューリヒト&パリ音楽院管弦楽団による録音くらいしか思い浮かびません。そして、あの録音もまたドイツのオケの重厚な響きによるベートーベンではなく、まるで「ステンドグラスのようなベートーヴェン」と評されたものでした。(録音は悪いですが・・・)
それだけに、この録音が頓挫してしまったことは、返す返すも残念なことでした。

さらに、この録音を紹介知るならば絶対に触れておかなければいけないのは、いわゆる「マルケヴィッチ版」と呼ばれる楽譜に関わる話です。この手の話は詳しくないので本当は避けたいのですが(^^;、この録音を紹介する上では避けて通れない話題なので簡潔にまとめておきます。

今さら確認するまでありませんが、ベートーベンの楽譜と言えば、長きにわたって19世紀半ばに編纂された旧全集版(ブライトコプフ版)が使われていました。しかし、この旧全集版にはいろいろな問題が含まれていることは周知の事実であり、それ故に多くの指揮者は自分なりに手を加えた私家版をもっているのが普通でした。

そして、マルケヴィッチもまた、そのような旧全集に含まれる様々な問題点の見直しを行った「マルケヴィッチ版」と呼ばれる楽譜を使っていたのです。しかしながら、この「マルケヴィッチ版」は、その他の指揮者が行っていたような演奏上の習慣として劇場的に継承されてきた手直しという領域をはるかに超えるもので、最終的には全3巻からなる「マルケヴィッチ版」がペータース社から出版されるに至るほどのものだったのです。

ちなみに、旧全集版に対する批判的研究をまとめる形で数多くの校訂版が出版されるようになるのは1970年代に入ってからで、その嚆矢となったのが、ペータース版と呼ばれるものでした。このペータース版は当時の東ドイツがベートーベンの「新全集」を目指す事業としてスタートさせたものでした。
そして、そのペータース社は自社の名前が付いた校訂版を出版しながら、同じような時期にマルケヴィッチによる校訂版もあわせて出版したのです。
この事実は、マルケヴィッチの仕事が、演奏上の習慣として引き継がれてきたスコアの改変などとは全くレベルの違う本格的な研究に基づくものであることを示しています。

ただし、90年代にはいるとベーレンライター版が出版されます。(^^v
この「ベーレンライター版」の影響力はよく知られてるように絶大なもので、あっという間にベートーベンと言えばベーレンライター版という流れが定着してしまいました。

そうなると、このマルケヴィッチ版に注目するような指揮者はほとんどいなくなってしまいました。
結果としてマルケヴィッチ版を使った録音というのはきわめてレアなものとなり、これからもこの版を使った演奏や録音は滅多に現れそうにもないのです。

それだけに、残りの4曲(2?4番と7番)もラムルー管との録音が残ってほしかったと、(そして、マルケヴィッチ自身もそれを強く望んでいたと思うだけに)切に思わずにはおれないのですが、それもまた死んだこの年を数えるような仕儀です。

それでは、このマルケヴィッチ版の特徴が何処にあるのでしょうか?
残念ながら、と言うべきか、当然と言うべきか(^^;、そう言うことを専門的に紹介できる資料も能力も持ち合わせていません。

ただ、このラムルー管との録音を聞いた上での感想として述べさせてもらえれば、明晰さへの強い指向です。
ただし、この指向は、マルケヴィッチという指揮者の本能でもありますから、それがマルケヴィッチ版のスコアに依存する問題なのか、指揮者マルケヴィッチの手柄なのかは区別はつきません。
しかし、このラムルー管との録音は、その様な私家版を生み出すほどの執念が結実したものであったことは疑いがありませんし、逆に言えば、そこまでの執念を込めたからこそ、ラムルー管も音を上げたと言えるのでしょう。

交響曲第5番 ハ短調 「運命」 作品67

さて、私はベートーベンの交響曲を品定めするときは、昔は第3番「エロイカ」を使っていました。分かりやすく言えば、エロイカを聞いてだめなら、その指揮者のベートーベンはだめ、後は聞くまでもないというスタンスです。
何しろ聞いてみたい音源は山ほどあって、それがベート?ベンの交響曲ともなれば未聴の山は高く積み上がっていますから、つまらぬ演奏に時間をとられている暇はないというわけです。

そして、それが何時しか品定めの曲が「エロイカ」から「田園」に変わっていきました。

これは別に大きな理由はなくて、経験の積み重ねの中で、そちらの方が品定めには相応しいと感じるようになってきたからです。
まずは、冒頭の部分でオケをどれほど伸びやかに歌わせてくれるか、管楽器の響きは美しいか、嵐の場面での迫力やいかに、そして何よりも最終楽章の牧人のテーマがどれほどしみじみと心の底から歌い出してくれるか、等です。

そして、このマルケヴィッチ&ラムルー管によるベートーベンもまた「田園」から聞いてみたのですが、これがもう、とんでもないはずれの演奏だったのです。
さらに、録音もモノラル録音ではあっても57年辺りならば極上というのが通り相場なのに、これもまた何とも冴えないものだったのです。
結論として、さすがのマルケヴィッチも、ラムルー管でベートーベンを演奏するというのはきつかったんだな・・・と言う事で、その時は田園以外の録音は聞かずに終わってしまったのでした。(^^;

省力化は大事ですが、そういう風に手間を惜しむと、時に大きな間違いを犯すと言うことを今回は教えられました。

マルケヴィッチ&ラムルー管のベートーベンは、田園だけが何故か最低の演奏と録音なのですが、それ以外に関しては、明晰さを指向するベートーベンとしては一つの頂点とも言える演奏となっているのです。確かに、「ベートーベンと言えばフルトヴェングラーが最高!」という人にとってはあまりにも軽すぎると思われるでしょう。
私もかつて、「自然は芸術を模倣する」という言葉になぞらえて「ベートーベンは今もフルトヴェングラーを模倣し続けている」と書いたことがありました。あの重厚な、物語性に満ちたベートーベンは、その方向性でのベートーベンとしては疑いもなく頂点に君臨する演奏でした。

しかし、偉大な音楽作品というものは、必ず多様なアプローチを容認するものです。
年を重ねて、フルトヴェングラー以外にもいくつもベートーベンという頂きを目指す道があると言うことはよく理解できるようになってきました。

ここで紹介した5番「運命」は、聞きようによっては響きが重くなることがないのでスケールが小さいと思われがちですが、じっくりと腰を据えて聞けば、オケは途轍もない響きを実現しているのです。それは、最終楽章で、おそらくは録音側が想定した以上の強奏によってリミッターがかかったようになっている部分があることでも分かります。

まさに、楽器を次々と重ねていくことでかつて無いほどのデュナーミクの幅を実現しようとしたベートーベンの意図が見事に実現されています。
つまりは、一つ一つの楽器はきわめて明晰に鳴り響いているのでオケ全体の響きは軽く聞こえるのですが、それでいながらその個々の楽器は完璧に鳴りきっているのでスケールは必ずしも小さくないのです。
その意味で、これこそはアポロン的表現の極値とも言えるベートーベンを実現しているのです。

マルケヴィッチ&ラムルー管によるベートーベン録音の中では、これがもっともマルケヴィッチの意図が形となったものだと思います。

この演奏を評価してください。

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2017-08-06:宗万秀和





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