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レスピーギ:ローマの松

ドラティ指揮 ミネアポリス交響楽団 1960年4月録音



Respighi:The Pines of Rome [1.The Pines of Villa Borghese]

Respighi:The Pines of Rome [2.Pines near a catacomb]

Respighi:The Pines of Rome [3.The Pines of the Janiculum]

Respighi:The Pines of Rome [4.The Pines of the Appian Way]


オーケストレーションの達人

レスピーギという人、オーケストレーションの達人であることは間違いはありません。
聞こえるか、聞こえないかの微妙で繊細な響きから、おそらくは管弦楽曲史上最大の「ぶっちゃきサウンド」までを含んでいます。言ってみれば、マーラーの凶暴さとドビュッシーの繊細さが一つにまとまって、そして妙に高度なレベルで完成されています。

しかし、この作品、創作された年代を眺めてみると、色々な思いがわき上がってきます。
最初に作られたのが、「ローマの噴水」で1916年、次が「ローマの松」で1924年、そして「ローマの祭り」が1928年となっています。
要は後になるほど、「ぶっちゃき度」がアップしていき、最後の「ローマの祭り」の「主顕祭」ではピークに達します。そこには、最初に作られた「ローマの噴水」の繊細さはどこにもありません。
そのあまりの下品さに、これだけは録音しなかったカラヤンですが、分かるような気がします。

そう言えば、どこかの外来オケの指揮者がこんな事を言っていましたね。
「どんなにチンタラした演奏でも、最後にドカーンとぶっ放せば、日本の聴衆はそれだけでブラボーと叫んでくれる」
しかし、これは日本だけの現象ではないようです。
どうも最後がピアニッシモで終わる曲はプログラムにはかかりにくいようです。(例えば、ブラームスの3番。3楽章はあんなに有名なのに、他の3曲と比べると取り上げられる機会が大変少ないです。これは明らかに終楽章に責任があります)

この3部作の並びを見ていると、受けるためにはこうするしかないのよ!と言いたげなレスピーギの姿が想像されてしまいます。

それから、最後に余談ですが、レスピーギはローマ帝国の熱烈な賛美者だったそうです。この作品の変な魅力は、そういう超アナクロの時代劇が、最新のSFXを駆使して繰り広げられるような不思議なギャップにあることも事実です。
ちなみに彼は自分の作品にこんな解説をつけています。

第1楽章
ボルゲーゼ荘の松の木の下で子供たちが遊んでいる。子供たちは輪になって踊り、兵隊の真似をし、行進したり、戦争ごっこをする。子供たちは、自分たちの叫び声に酔い、大空の下で駆け回り、夕暮れに帰る燕のように群をなして退散して行く。情景が突然変わる。

第2楽章
カタコンバに入る道の両側に立ち並ぶ松の木かげ。墓地の奥底から悲しげな声が上って来て、荘重な聖歌のように拡がり、やがて神秘的に消えて行く。』

第3楽章
大気(風)がゆらいで走る。ジャニコロの丘の松が、清らかな月光に浮かび上がる。ナイチンゲールが鳴く。

第4楽章:
霧に包まれたアッピア街道の朝明け。高い松並木の陰に、静かな平原の景色が見える。突如として、多数の兵士の足音の響きが、絶え間無いリズムをとって聞えて来る。古代の栄光が詩人の幻想に蘇える。
ラッパの音がとどろき、太陽の光が射すとともに、執政官の軍隊が現われ、聖なる街道を行進して、首都へ凱旋していく。


オレはホントはこういう音楽をしたいんだよ

ドラティとマーキュリーレーベルといえば真っ先に思い浮かぶのが、チャイコフスキーの序曲「1812年」です。当時、世界中で200万枚売れたという超ベストセラーであり、このレーベルの録音の素晴らしさを世に知らしめた1枚です。陸軍士官学校のカノン砲がぶっ放され、72個の鐘が壮大に鳴り響くというのがこの録音の売りなのですが、確かにその迫力たるや尋常のものではありませんでした。

しかし、そういうカノン砲や鐘の音ばかりが話題になった録音なのですが、真面目に聴き直してみると意外なほどに演奏が素晴らしいことに驚かされたものです。これほどの高解像度の録音でもほとんど破綻を感じさせないオケの力量は、偉大なるオーケストラトレーナーだったドラティによる鍛錬のたまものでした。
そして、こういう大仕掛けのもとではともすれば緩みがちになり、粗っぽくもなってしまいがちな音楽をキリリと引き締めて、この冗談のような絵巻物を最後の最後まで大真面目に演じきっていました。
おそらくは、レーベルの側からは冗談みたいな音楽を要請されたのでしょうが、その冗談みたいな要請をこなしながらも、最低限の節度は保って音楽として成り立たせているあたりにドラティの良心を感じたものです。

そして、そう言う音楽家としての良心がこのレスピーギの一連の録音には如実に表れています。

オーディオが広く普及し、その「威力」を世に知らしめるためには、レスピーギの管弦楽曲は最適のアイテムでした。とりわけ、ローマの松は極限のピアニッシモから爆発するフォルティッシモまで含んでいますから、まさにオーディマニア御用達の音楽といえました。
ドラティもまた、モノラルの時代に一度、そしてステレオ録音になってからもう一度録音を行っています。
こういう事には聡いカラヤンも58年にはステレオでローマの松を録音しています。すべての楽器が力ずくではなく、しなやかに鳴りきって、その頂点で目も眩むような大爆発を演じて見せたフィルハーモニア管との演奏は実に見事なものでした。

ところが、ドラティの方は、その爆発する部分が意外と大人しいのです。
これを残念と見る向きも多く、そして私もその一人なのですが、どうやら、ドラティという人は最期の最後で「アホ」になることが出来ない人だったようです。当然、やろうと思えばやれたはずなのですが、それをやらないところにドラティという人の本質が潜んでいるように思います。

そして、その事を裏返すと、彼が「鳥」とか「教会のステンドグラス(これはかなりローマ三部作的な音楽ですが・・・))」、「ブラジルの印象」のような、他の人がほとんど取り上げない作品で素晴らしい演奏を聴かせてくれることにつがっています。その事は、ローマ三部作に続く彼の代表作である「リュートのための古風な舞曲とアリア」でも同様です。
レスピーギといえばローマの松に代表されるブッチャキ、スペクタクルサウンドが取り柄のように思われるのですが、そして実際そうでもあるのですが、それ以外にアッピア街道の松に聞ける繊細な響きこそが彼の本領であったように思います。

バロック時代のクラブサンやリュートの音楽を下敷きにした繊細な響きを、実に美しく響かせていくドラティを聞いていると、オレはホントはこういう音楽をしたいんだよ・・・という声が聞こえてきそうです。
自慢のオーディオシステムで爆音を轟かせるのもいいのですが、そういう繊細な響きを楽しむのも悪くない話です。とりわけ、聞く機会の少ない作品でもあるので、今もって貴重な録音だと言えます。

<追記>
「鳥」や「ブラジルの印象」のような作品だと、他に比較するものがないので、ドラティの演奏を云々することが難しいのですが、「リュートのための古風な舞曲とアリア」だといくらかは比較可能です。
例えば、手もとを探してみれば、我らがOzawaが70年代に手兵のボストン響と録音した一枚が出てきました。

まず感じることは、このドラティの録音から20年近い時間が経過しているのですが、録音のクオリティはほとんど前進していないことへの驚きです。
ただし、オケの機能という点ではかなり大きな差がありますので、Ozawa盤の方が音はきらきらと輝いていて盛り上がるべきところも華やかに盛り上がります。大したものです。
そして、大したもんだと思いながらも、本質的な部分でOzawaはこの時期から、いや、もしかしたら最初の頃から何も変わっていないし、ここから前に進むことは何もなかったんだということを痛感させられました。

Ozawaは、作曲家が書き記したスコアを分析し、その分析結果をオケに的確に伝えてクリアな響きと端正な佇まいを提供することにかけては若い頃から一流でした。ここでも、その手腕は遺憾なく発揮されています。そして、聞いているときはその響きに心奪われることは否定しないのですが、何故かそれ以上のものが何も残らないのです。
こういうコンサートってありますよね。聞いているときは「うわーっ!!」となるのですが、会場を出て電車に乗って、家に帰り着く頃には素面に戻って何も残っていないみたいな、あの感じです。
確かに、作曲家が指示したスコアを緻密に分析し、その読み取った事を適切に音に変換すれば「音楽」になるという確信が彼にはあるのでしょう。
しかし、このドラティの演奏とじっくり聞き比べてみれば、このレスピーギのような音楽であっても(ごめんなさい、レスピーギさんm(_ _)m..)、それだけでは足りないことをはっきりと教えられます。

ドラティの演奏にはOzawaのようなきらきらした響きはありません。どちらかといえばその響きはくすみがちであり、盛り上がるべきところも意図的と思えるほどに控えめです。しかし、そんな響きでもって語られていく音楽の語り口は全く別物です。
何気ない一つ一つのメロディの歌いましの違いは明らかであり、ドラティの歌は間違いなくしみ込んできます。
ドラティといえばオーケストラトレーナーとしての手腕が高く評価されるのですが、それだけでこの世界で食っていけるわけがないのです。そんな手腕以前に、この男の中に19世紀から連綿と続いてきている(こういう言い方の曖昧さといい加減さは自覚はしているのですが・・・)伝統がしっかりと血肉化しているのです。
そして、それはOzawaでさえも越えられなかったという事実は、日本人としてはいささか悲しい現実であることは間違いありません。

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