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ラヴェル:ボレロ

アンセルメ指揮 パリ音楽院管弦楽団 1954年9月録音



Ravel:ボレロ




変奏曲形式への挑戦

この作品が一躍有名になったのは、クロード・ルルーシュ監督の映画「愛と哀しみのボレロ」においてです。映画そのものの出来は「構え」ばかりが大きくて、肝心の中味の方はいたって「退屈」・・・という作品でしたが(^^;、ジョルジュ・ドンがラストで17分にわたって繰り広げるボレロのダンスだけは圧巻でした。
そして、これによって、一部のクラシック音楽ファンしか知らなかったボレロの認知度は一気に上がり、同時にモダン・バレエの凄さも一般に認知されました。

さて、この作品なのですが、もとはコンサート用の音楽としてではなく舞踏音楽として作曲されました。ですから、ジョルジュ・ドンの悪魔的なまでのダンスとセットで広く世に知れ渡ったのは幸運でした。なにしろ、この作品を肝心のダンスは抜きにして音楽だけで聞かせるとなると、これはもう、演奏するオケのメンバーにとってはかなりのプレッシャーとなります。
嘘かホントか知りませんが、あのウィーンフィルがスペインでの演奏旅行でこの作品を取り上げて、ものの見事にソロパートをとちってぶちこわしたそうです。スペイン人にとっては「我らが曲」と思っている作品ですから、終演後は「帰れ」コールがわき上がって大変なことになったそうです。まあ、実力低下著しい昨今のウィーンフィルだけに、十分納得のいく話です。

この作品は一見するとととてつもなく単純な構造となっていますし、じっくり見てもやはり単純です。
1. 最初から最後まで小太鼓が同じリズムをたたき続ける。
2. 最初から最後まで少しずつレッシェンドしていくのみ。
3. メロディは2つのパターンのみ

しかし、そんな「単純」さだけで一つの作品として成り立つわけがないのであって、その裏に、「変奏」という「種と仕掛け」があるのではないかとユング君は考えています。変奏曲というのは一般的にはテーマを提示して、それを様々な技巧を凝らして変形させながら、最後は一段高い次元で最初のテーマを再現させるというのが基本です。

そう言う正統的な捉え方をすれば、同じテーマが延々と繰り返されるボレロはとうていその範疇には入りません。
でも、変奏という形式を幅広くとらえれば、「音色と音量による変奏曲形式」と見れなくもありません。

と言うか、まったく同じテーマを繰り返しながら、音色と音量の変化だけで一つの作品として成立させることができるかというチャレンジの作品ではないかと思うのです。
ショスタの7番でもこれと同じ手法が用いられていますが、しかしあれは全体の一部分として機能しているのであって、あのボレロ的部分だけを取り出したのでは作品にはなりません。

人によっては、このボレロを中身のない外面的効果だけの作品だと批判する人もいます。
名前はあげませんが、とある外来オケの指揮者がスポンサーからアンコールにボレロを所望されたところ、「あんな中身のない音楽はごめんだ!」と断ったことがありました。
それを聞いた某評論家が、「何という立派な態度だ!」と絶賛をした文章をレコ芸に寄せていました。

でも、私は、この作品を変奏曲形式に対する一つのチャレンジだととらえれば実に立派な作品だと思います。
確かにベートーベンなんかとは対極に位置する作品でしょうが、物事は徹すると意外と尊敬に値します。

この上もなく明晰なラベル


以前に、ミュンシュのラベル演奏を評してこんな事を書きました。

「ミュンシュという人の最大の特徴は、複雑を極めるスコアの各パートを実にバランス良く鳴らし分けることです。・・・この国におけるクラシック音楽を支えてきた中核とも言える人々は、音楽に対して造形の確かさや響きの美しさ、明晰さだけでなく、それに加えて「人生」を担いうるだけの「ドラマ性」をプラスαとして求めてきました。・・・(しかし)、ボストン時代のミュンシュにとって、そんな「ドラマ性」など知った話ではなかったのでしょう。」

そして、結論として、「ミュンシュはドイツとフランスのDNAを持つと言われますが、こういう演奏を聴くと、彼のDNAはやはりフランスのようです。」と結んでいました。

この文章を書いたときは、私はアンセルメによるラベルを満足に聞いていなかったのです。
そして、もしもしっかりとアンセルメの演奏を聴いていたならば、決してミュンシュのDNAはフランスのものだ、などとは書かなかったはずです。

アンセルメによるボレロやラ・ヴァルスを聞くと、造形の確かさや響きの美しさに感心させられます。そして、何よりもスコアを眼前に見るがごとくの明晰さにあふれた演奏とはこういうものなのかと納得させられます。
確かにその明晰さや精緻さはデッカというレーベルの録音ポリシーに依存している部分はあるでしょう。来日時の演奏がレコードで聴ける音楽とはかけ離れていたことを持って、あれはデッカ・レコードの録音の魔術によるものだ、と言う批判もあったほどです。

しかし、この録音を通して聞ける音楽とのみ対峙すれば、音の響きと造形だけで全てを語りうると言う信念に満ちた演奏であることは確かです。
そして、こういう類の演奏と比べれば、ミュンシュの音楽というのは「ドラマ性」を削ぎ落としているどころか、聞くものにとっては実に分かりやすく、ドラマ性に満ちた音楽だった事に気づかされます。
聞く気になって耳を傾ければ、彼は一つ一つのフレーズを結構入念に表情付けをしています。そして、そうすることによって聞く人にこの音楽が持っているドラマ性を分かりやすく提示してくれている事に気づかされます。

つまりは、当時の大指揮者と言われた連中の音楽と比べれば、ミュンシュの音楽はかなり即物的に聞こえたことは事実です。しかし、アンセルメと比べれば、はるかにドラマティックな演奏に聞こえるのです。

そういう意味では、ミュンシュこそは「ドイツとフランスのDNA」を持つ指揮者であり、真にフランス的なDNAを持つのはアンセルメなのでしょう。
もちろん、どちらの方がすぐれているのか・・・と言うような類の話ではありませんが・・・。

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