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シベリウス:交響曲第7番 ハ長調 op.105

アンソニー・コリンズ指揮 ロンドン交響楽団 1954年2月22〜25日録音



Sibelius:交響曲第7番 ハ長調 op.105


交響曲には内的な動機を結びつける深遠な論理が大切

マーラーとシベリウスは交響曲という形式の最後を飾る両極端な作曲家だと言えます。片方は、まさに後期ロマン派を象徴するような異常なまでに肥大化した音楽を生み出し、他方はこれまた異常なまでに凝縮した音楽を生み出しました。
この二人が出会ったときに話は交響曲という形式のそもそも論にいたり、マーラーは「交響曲は世界のようでなくてはならない」と語り、シベリウスはそれに対して「交響曲には内的な動機を結びつける深遠な論理が大切」だと語ったそうです。
なるほど、マーラーのように何でもかんでも取り込んで肥大化していくことに何の疑問も感じなければ、音楽を生み出すという行為はそれほどの苦痛を生み出さないのかもしれません。しかし、シベリウスのような立場に立つのならば、これは実にしんどい行為だろうなと同情を禁じ得ません。もちろん、マーラーの音楽を単純な足し算だと貶めるつもりはありませんが、しかしシベリウスの音楽には徹底した彫琢が必要だったことは納得がいくでしょう。
そして、こういう方向性の行き着くところは、結局はシェーンベルクやウェーベルンのような新ウィーン楽派のような音楽に向かっていくだろう事は容易に察しがつきます。とりわけ、この第7番の交響曲などはもうこれ以上「凝縮」しようがないほどに凝縮しています。
同じ事は、第4番の交響曲にも言えるかもしれません。とにかく音楽は内へ内へと向かっていき、緊張感の高まりとともに聴くものを息苦しくさえしていきます。形式的には通常の4楽章構成を持ったスタンダードな顔はしているのですが、その凝縮ぶりは7番以上かもしれません。

しかし、シベリウスにとって音楽からメロディやハーモニーが消え去るというのは到底受け入れられない事だったのでしょう。シベリウスという人の本質はフィンランドという土地に根付いた民族性にあることは間違いありませんが、それと同じほどにベートーベンやモーツァルトなどの古典的な均衡に満ちた音楽のあり方も彼にとっては本能のようなものとして存在していたはずです。
例えば、1番、2番で彼の民族性が大きく前面に出たあとには、先祖帰りのようなコンパクトな3番を生み出していますし、それと同じ事が5番と6番においても指摘できます。(そして、その先祖帰りが3番よりは6番の方が上手くいっていることは誰しもが認めるところでしょう)
そんな男にとって、無調の無機的な音楽が受け入れられるはずがありません。

しかし、彼が7番の交響曲を生み出した1920年代という時代は、まさにその様な無調の音楽が一気に広まった時代でもありました。
シェーンベルクの生み出した12音技法の最大の問題点は、そのルールに則っていれば、それほど才能のない人間でも時代の最先端を行く現代的な音楽が「書けてしまう」ところにあったんだと思います。そして、その「利点」に真っ先に気づいたのは、おそらくは才能に恵まれていない若き「作曲家」たちだったのではないでしょうか。問題の核心は「飯が食えるか否か」というせっぱ詰まったものだけに、おそらくはシェーンベルク自身も驚くほどの勢いでこの動きが作曲界全体を蔽ってしまいました。そして、その様な動きをフィンランドの片田舎から絶望的な思いで眺めていたのではないでしょうか。

この第7番の調性は「ハ長調」です!!もちろん、音楽は光と影が燦めき交錯するように様々な調を自由に行き来します。しかし、土台に据えられた礎石のようにハ長調の響きは全曲をしっかりと貫いています。
やはり、シベリウスにとってここが行き着いた先だったのでしょうか。


イギリスにおけるシベリウス

シベリウスをいち早く受け入れて、世界的な作曲家としての地位を与えたのはイギリス人です。何故か分かりませんが、イギリスは北欧の作曲家との相性がいいようで、とりわけシベリウスの受容に関しては長い歴史を持っています。
シベリウスの作品を積極的に取り上げてその評価を確かなものにしたのは、同じフィンランド人のカヤヌスです。彼はシベリウスとも深い親交があったために、長くシベリウス演奏の権威としての地位を保持していました。また、シベリウス自身もその様なカヤヌスへの感謝の気持ちとして交響詩《エン・サガ》や《ポホヨラの娘》をカヤヌスに献呈しています。
それ以後も、北欧の指揮者やオケにとってシベリウス作品は名刺代わりみたいなもので、彼らの演奏活動の重要な部分を占めていました。現在も、パーヴォ・ベルグルンドとオスモ・ヴァンスカあたりがすぐれた演奏を展開しています。
しかし、そう言う北欧系の人たちを除けば、シベリウスを積極的に取り上げてきたのはほとんどがイギリス人です。それも、ある特定の時代の特異な現象としてではなく、エイドリアン・ボールトやアンソニー・コリンズ、ビーチャムなどから始まってバルビローリ、コリン・デイヴィスという系譜をたどることができるぐらいに長い歴史を持っています。
そして、面白いのは、カラヤンやザンデルリングのようなドイツ系の指揮者がシベリウスを取り上げると非常にロマンティックに構成するのに対して、イギリスの指揮者はカヤヌス以来の流れである即物的で厳しい造形に徹していることです。そして、アンソニー・コリンズの演奏は、そう言うイギリス系の指揮者の中でも厳しさという点ではかなり右翼に位置するようです。
アンソニー・コリンズといえば、アメリカに渡って映画音楽の世界で活躍し、アカデミー賞にも3度ノミネートされた経歴を持っています。いわば、アメリカのショウビジネスの世界で生きてきた人ですから、もっと大衆受けしそうな演奏をしそうなものなのに、不思議と言えば不思議な話です。

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