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ベートーベン:交響曲第3番「エロイカ」 変ホ長調 作品55


エーリッヒ・クライバー指揮 アムステルダム・コンセルホヘボウ管弦楽団 1950年5月録音


音楽史における最大の奇跡

今日のコンサートプログラムにおいて「交響曲」というジャンルはそのもっとも重要なポジションを占めています。しかし、この音楽形式が誕生のはじめからそのような地位を占めていたわけではありません。
 浅学にして、その歴史を詳細につづる力はありませんが、ハイドンがその様式を確立し、モーツァルトがそれを受け継ぎ、ベートーベンが完成させたといって大きな間違いはないでしょう。

 特に重要なのが、この「エロイカ」と呼ばれるベートーベンの第3交響曲です。
 ハイリゲンシュタットの遺書とセットになって語られることが多い作品です。人生における危機的状況をくぐり抜けた一人の男が、そこで味わった人生の重みをすべて投げ込んだ音楽となっています。

 ハイドンからモーツァルト、そしてベートーベンの1,2番の交響曲を概観してみると、そこには着実な連続性をみることができます。たとえば、ベートーベンの第1交響曲を聞けば、それは疑いもなくモーツァルトのジュピターの後継者であることを誰もが納得できます。
 そして第2交響曲は1番をさらに発展させた立派な交響曲であることに異論はないでしょう。

 ところが、このエロイカが第2交響曲を継承させ発展させたものかと問われれば躊躇せざるを得ません。それほどまでに、この二つの間には大きな溝が横たわっています。

 エロイカにおいては、形式や様式というものは二次的な意味しか与えられていません。優先されているのは、そこで表現されるべき「人間的真実」であり、その目的のためにはいかなる表現方法も辞さないという確固たる姿勢が貫かれています。
 たとえば、第2楽章の中間部で鳴り響くトランペットの音は、当時の聴衆には何かの間違いとしか思えなかったようです。第1、第2というすばらしい「傑作」を書き上げたベートーベンが、どうして急にこんな「へんてこりんな音楽」を書いたのかと訝ったという話も伝わっています。

 それほどまでに、この作品は時代の常識を突き抜けていました。
 しかし、この飛躍によってこそ、交響曲がクラシック音楽における最も重要な音楽形式の一つとなりました。いや、それどことろか、クラシック音楽という芸術そのものを新しい時代へと飛躍させました。
 事物というものは着実な積み重ねと前進だけで壁を突破するのではなく、時にこのような劇的な飛躍によって新しい局面が切り開かれるものだという事を改めて確認させてくれます。

 その事を思えば、エロイカこそが交響曲というジャンルにおける最高の作品であり、それどころか、クラシック音楽という芸術分野における最高の作品であることをユング君は確信しています。それも、「One of the Best」ではなく、「The Best」であると確信しているユング君です。

エーリッヒの経歴など・・・


前回、エーリッヒは凄かったと書いたこともあって、少しばかり彼の経歴を調べてみました。

正直言って、エーリッヒの存在は彼の実力から考えれば不当と思えるほどに低い評価しか与えられていないように見えます。しかし、その事も彼の経歴を簡単にふりかえるだけで納得ができます。

彼が指揮者を志したのはマーラーの影響だと言われています。しかし、指揮者としてのデビューを飾ったのはマーラーの亡くなった直後の1911年ですから、この二人の間には直接の師弟関係はありません。それでも学生時代には熱心に劇場に通ってマーラーの指揮に接したと語っていますから、音楽的に深い部分では強い影響を受けたのだろうと思われます。
その後のキャリアは当時の指揮者にとっては誰も同じなのですが、地方の小さな歌劇場からスタートして少しずつステップアップをしていきます。そして、1923年にはベルリン国立歌劇場の音楽監督に就任していますから、その駆け上がる歩幅はかなり大きかったようです。
しかし、その様な順風満帆のキャリアに暗い影を落としたのはナチスの台頭でした。エーリッヒ自身はユダヤ人ではありませんでしたが、妻のルース・グッドリッジがユダヤ系のアメリカ人であったためにその迫害をおそれて南米に亡命することになります。このとき彼が亡命先にアメリカではなくなぜに南米を選んだのかは分かりませんが、その結果として戦後も含めてアメリカでの演奏活動をほとんど行いませんでした。(NBC交響楽団とはいくつかの演奏会と録音を行っていますが・・・)この事も、彼のその後の評価にマイナスとして働いたように思えます。
そして、戦後も客演活動が中心であり、ようやくにしてウィーンフィルの海外ツアーの指揮者に選ばれたり、コヴェントガーデン王立歌劇場から声がかかったりした直後に、わずか66才でこの世を去ってしまいました。

つまり、亡命以後は客演が中心だったためかまとまった録音を残さなかったこと、さらに、50年代の録音を聴き直してみると、まさにこれからと言うときにこの世を去ったと言うことが、エーリッヒの評価を不当に低く評価している要因ではないかと思います。
歴史に「もしも」はありませんが、もしエーリッヒがあと10年長生きして、然るべきポジションについてまとまった録音を残していれば、20世紀を代表する偉大な指揮者の一人として不動の地位を獲得していたでしょう。

しかし、幸いなことは著作隣接権が消滅することで、最近になって彼の録音がかなりまとまった形で日の目を見るようになってきました。おかげで、ユング君もその恩恵でエーリッヒの凄さを再認識することができたわけです。
こうなると、「著作権」って何のために存在するかが疑問に思えてきますが、そういう愚痴はしばらく脇に置いておくとして、今後は少しずつ彼に対する再評価が進んでいくだろうと思われます。
パブリック・ドメイン万歳です。

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