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マーラー:交響曲第7番「夜の歌」

シェルヘン指揮 ウィーン交響楽団 1950年6月22日録音



Mahler:交響曲第7番「夜の歌」「第1楽章」

Mahler:交響曲第7番「夜の歌」「第2楽章」

Mahler:交響曲第7番「夜の歌」「第3楽章」

Mahler:交響曲第7番「夜の歌」「第4楽章」

Mahler:交響曲第7番「夜の歌」「第5楽章」


マーラー作品の中では最もマイナーな作品です

マーラーの作品は分裂症的だとよく言われます。そういう分裂症的作品の中でもその症状(?)が最も重いのが7番と8番でしょう。そして、その二つを比べてみてより意味不明なのがこの7番です。

この作品は、構成としては真ん中にスケルツォ楽章を配置したシンメントリーな5楽章構成になっています。この構成はマーラーにとってはなじみの深いもので、2番「復活」と5番がこれと同じ構成を持っています。さらに、1番「巨人」も当初は「花の歌」と題された楽章が挟み込まれることでシンメントリーな構成を持っていました。
ところが、2番や5番が持っているある種の「わかりやすさ」、「明快さ」というものを7番は全く持ち合わせていません。それどころか、マーラーの全交響曲の中でも、作品全体の見通しの悪さと論理的一貫性のなさは際だっていて、まるで先の見えない曲がりくねった道をあてもなくさまようような気持ちにさせられます。

では、この作品のそのような「分かりにくさ」の要因はどこにあるのでしょうか。
まず目を付けるべきは、真ん中のスケルツォ楽章の両サイドに配置されている「夜の歌」と題された二つの楽章です。そして、この楽章にただよう雰囲気が作品全体を覆っているように感じられるので、いつの間にか作品のタイトルとしても「夜の歌」と呼ばれるようになってしまったことです。
この事はマーラー自身のあずかり知らぬ事なのですが、いつの間にか「夜の歌」というタイトルは広く世間に流布してしまいました。

問題は、この勝手に作り上げられたイメージが一人歩きをして、そのイメージで作品全体を聴き通すと最終楽章になだれ込んだとたんに何ともいえない違和感を覚えてしまうことです。確かに、先の見えない「あてのなさ」というのはこの作品の中には至るところに存在します。しかし、ここの転換点ほど「とまどい」を覚える場面はありません。
今までの夜の雰囲気が一変して、まるでやけくそのようにティンパニーが連打され、それに導かれるようにこれまたやけくそのようなファンファーレが響き渡ります。それは、陰々滅々と繰り言を繰り返していた男が突然に気がふれたようにはしゃぎだしたような雰囲気です。

しかし、そのような転換がいわゆるベートーベン的な「暗から明への転換」として理解できるのならば「とまどい」はないのですが、この場面における突然の転換はその様なベートーベン的世界とは全く異質のものです。
なぜなら、ベートーベンにしても、その後継者であるブラームスにしても、その様な劇的な転換に至るまでには、その転換が必然的であると感じられるような様々な手練手管をつくすものであって、その様な手段がつくされているからこそ聞き手である私たちはその転換を素直に、さらには感動的に受け入れることができる仕掛けになっているのです。
ところが、この作品の4楽章から最終楽章への転換にはなんの前触れもありません。
それは、まさに突然にやってきます。
ですから、その転換を「暗から明」への、または「苦悩から歓喜」へのベートーベン的転換としてとらえることはできず、喩えてみれば、寝ぼけまなこのパジャマ姿のままで真っ昼間の往来に放り出されたような居心地の悪さを覚えてしまうのです。

ところが、一部にはその様な居心地の悪さに耐えられないのか、第4楽章から最終楽章への転換を「夜(暗)の世界から昼(明)の世界への転換」であると強引に規定してしたうえで、その転換の意味が「理解」出来ないとか、「意味不明」であるとか、果ては「底の浅い出来損ない」であると断罪するムキもあります。
しかし、最初に確認したように、この作品を「夜の歌」と題したのは後世の人の勝手な行いであってマーラー自身にとってはあずかり知らぬ事です。
さらに、マーラーの世界はベートーベンの世界とは全く異質なものです。
それなのに、ベートーベン的な方法論でもってこの作品を勝手に規定して、その観点から底が浅いと批判するのは二重にこの作品を貶めるものだといわなければなりません。

おそらくこの作品は、「交響曲は世界のようでなくてはならい」と語ったマーラーの音楽感が最も顕著な形で具体化されたものだと言えます。
それは、異なった性格を持った二つのテーマを相互に対立させながら展開をしていって、最後の局面でその止揚として一段高いレベルで再現させるというようなベートーベン的方法論とは全く異なる方法論で構築された作品だということです。
では、その異なった方法論とは何か、と聞かれれば残念ながら言葉につまってしまうのですが、あえて言うならば「コラージュ的」方法論だと言えるのかもしれません。お互いにはなんの関係もないような絵や写真を同一平面上に貼り付けていくことで、結果として一つの統一した作品に仕上げていくあのやり方です。
その様にとらえれば、ギターとマンドリンが使われたひっそりとした雰囲気の夜の歌の次に、突然の馬鹿騒ぎが直結したとしてもなんの不都合もありません。重要なのはその様にして貼り付けられた全体が結果としてどのようにおさまるのかと言うことであって、その一つずつのピースの関連性やその関連性の奥に潜むテーマを問うことにはなんの意味もないということになります。

では、マーラーはいったいどのような素材をコラージュの材料として貼り付け、そして結果としてどのような作品をイメージしていたのでしょうか。残念ながらというべきか当然と言うべきか、言葉としては何一つ残されることはありませんでした。
あるのはただスコアだのみです。
ですから、私たちにとっては、音楽とのみ対峙してマーラーが提示した世界読み解いていくしかありません。
そう考えると、私が最初に「まるで先の見えない曲がりくねった道」といったのは適切な比喩ではなかったかもしれません。この作品には、もとからその様な道のようなものは存在せず、マーラーの世界を構築する様々な断面がつぎはぎされたように次から次へと展開していくだけなのかもしれません。その壮大なコラージュ作品を見終わったあとにどのような感想を抱くのかは最終的には一人一人の聞き手にゆだねられていると言うことなのでしょうか。
やはり、どう転んでも「難解」な作品だといわなければなりません。


マーラー演奏史の一里塚

50年代の初頭にシェルヘンは集中的にマーラーの作品を取り上げています。
調べてみただけでも、

9番:1950年6月19日
7番:1950年6月22日
3番:1950年10月31日
8番:1951年6月12日

とあがってきます。
彼が何故にこの時期に、このような作品を、このように集中的に取り上げたのかは、あれこれと調べてみたのですが確たる情報をつかむことは出来ませんでした。しかし、現代音楽の擁護者を自認していたシェルヘンのことだから、当時としては未だに広く認知されていない現代の音楽としてマーラーを取り上げたのだろということは想像できます。

これら一連の演奏には、歴史の中に埋もれていた作品を広く世に知らしめようと言う「アツサ」と「緊張感」が強く感じられます。
しかし、マーラー作品の分析が進み、それに対応する能力をほとんどのオケがそなえた現在から見れば、あまりにも雑で余裕のない演奏に聞こえることは否めません。そういう意味では、マーラー作品を楽しむための演奏としては現役を引退している録音であることは間違いありません。
しかし、マーラーの演奏史を振り返ってみようという奇特な人にっては、見落とすことの出来ない一里塚であることは確かです。

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