クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~



AmazonでCDをさがすAmazonでグルダ(Fredrich Gulda)のCDをさがす
Home|グルダ(Fredrich Gulda)|ベートーベン:ピアノ・ソナタ第27番 ホ短調 Op.90

ベートーベン:ピアノ・ソナタ第27番 ホ短調 Op.90

(P)フリードリヒ・グルダ 1953年11月20日録音



Beethoven: Piano Sonata No.27 In E Minor, Op.90 [1. Mit Lebhaftigkeit und durchaus mit Empfindung und Ausdruck]

Beethoven: Piano Sonata No.27 In E Minor, Op.90 [2. Nicht zu geschwind und sehr singbar vorgetragen]


シューベルトやシューマンなどのロマン派に引き継がれていく音楽

ベートーベンの創作の軌跡を辿る上でピアノソナタはその里程標になるのですが、「告別ソナタ」とそれに続くこの「ホ短調のソナタ」の間には4年という小さくないブランクが存在します。
そして、このブランクはピアノソナタだけに限った話ではなくて、概ね1812年から1817年に至る5年間はベートーベンの「苦悩の時代」と言われてきました。

ベートーベンは意外なほどに慎重な男であり、大胆極まる手法で大きく一歩を踏み出した後に必ず収縮しました。その踏み出した大きな一歩の意味をもう一度過去の伝統の中で咀嚼しなおすことで、その「新しさ」を「伝統」の中にシームレスに取り込もうとしたのです。
しかし、音楽を「古典的均衡の中における美」に押し留めるのではなくて、つかまえどころのない「人間的感情の表現」を目指した「新しい道」も頂点に達してしまえば、そこでの収縮は途轍もなく大きなものにならざるを得ませんでした。

そして、その「収縮」は多くの人にとっては「沈黙」としか映らず、その「沈黙」が長く続けば「さすがのベートーベンもスランプか!」となったわけです。
しかし、皮肉なのは、創作の分野においてはその様な「沈黙」を強いられていながら、世間的には大芸術家として祭り上げられ、多くの貴族に取り囲まれる「栄光」を享受するのです。

ただし、そう言う外面的な栄光とは裏腹に、彼の私生活はこの時期は苦難の連続でした。
「不滅の恋人」との破局によって最後の結婚への望みも消えたこと、甥カールの養育権をめぐる訴訟、そして、難聴の進行によってついにはピアノの音すら聞こえなくなったことなどです。

そして、その様な苦悩の沈黙の中でポツリと生み出されたのがこのホ短調のソナタでした。
2楽章構成のこぢんまりとしたそのソナタには、中期の傑作と言われたソナタのような驀進するベートーベンの姿はどこを探しても見つけ出すことは出来ません。

ちなみに、このソナタを献呈されたリヒノフスキー侯爵とのやり取りが残されています。
それは、侯爵がこのソナタの意味をベートーベンに質問したことに対して、ベートーベンは「第1楽章は理性と感情の争い、第2楽章は恋人との会話」と笑いながら答えたというものです。

もちろん、このベートーベンの解答をまともに受け取る必要はありません。
なぜならば、その時侯爵は幸せな「2度目の結婚」を成就したばかりであり、そう言う侯爵に対するリップサービスであったことは明らかだからです。

第1楽章のソナタは実にスリムなスタイルで書かれています。

展開部は開始主題をシンプルに拡大しているだけであり、再現部も提示部と大きな変化はなく、コーダも第1主題を静かに回想しながら閉じられます。
また、調性を確立した後に、その主調による完全終止という古いスタイルもとっています。この古いスタイルは緩徐楽章ではベートーベンは好んで使っていたのですが、ソナタ形式においては次第に避けるようになっていったスタイルでした。

しかし、その様なシンプルで、スリムな形式でありながら、このソナタからは今までにない諦観と密やかさが漂っています。
そして、その様な音楽の佇まいがより明確になるのが、これに続くロンド形式による終楽章です。

ベートーベンはこのソナタにおける発想記号はドイツ語だけにしているのですが、そのロンド楽章には「Nicht zu geschwind und sehr singbar vorgetragen(速すぎないように、そして十分に歌うように演奏すること)」と記しています。
叙情的なロンド主題はとても美しく、それが何度も装飾が施されて姿を現すことで、その美しさは聞き手の耳に刻み込まれます。

この楽章はモーツァルト的ではあるのですが、そこに新しい叙情性を取り入れようとしていることは明らかであり、その意味では、シューベルトやシューマンなどのロマン派に引き継がれていく音楽だと言えます。
また、この楽章には最後の締めくくり方をどのように処理するのかという問題があり、それはピアニストにとってはかなりの難題となっています。

この最後の部分では、きわめて複雑なテンポ設定によって繊細な音楽が語られた後に、最後の小節だけが突然投げ出すようにして終わってしまうのです。

ローゼン先生は、この部分は気心の知れた仲間内で演奏するならば叙情の中のユーモアとして効果を得るだろうが、大規模なコンサートホールで演奏したときにはその効果を期待するのは難しいと述べています。
かといって、最後の部分に少しでもリタルダンドをかければ通俗的になってしまうとも注意を促しています。

些細なことかもしれませんが、あれこれの聞き比べをするときの一つのポイントだとは言えそうです。


  1. 第1楽章:Mit Lebhaftigkeit und durchaus mit Empfindung und ausdruck(速く、そして終始感情と表情をともなって) ホ短調(ソナタ形式)

  2. 第2楽章:Nicht zu geschwind und sehr singbar vorgetragen (速すぎないように、そして十分に歌うように演奏すること) ホ長調(ロンド形式)




見晴らしのいい爽快で新鮮でしかも深いベートヴェン

ブレンデルのソナタ全集を紹介したときにグルダの全集に関しても少しばかりふれました。
一般的にグルダによるベートーベンのピアノ・ソナタ全集は1967年に集中的に録音されたAmadeoでのステレオ録音と、1954年から1958年にかけてモノラル・ステレオ混在で録音されたのDecca録音の二つが知られていました。しかし、最近になってその存在が知られるようになったのがここで紹介しているた1953年から1954年にかけてウィーンのラジオ局によってスタジオ収録された全曲録音です。

この録音は、きちんとセッションを組んで以下のような順番で全曲が録音されたようです。

  1. 1953年10月8&9日録音:1番~3番

  2. 1953年10月15&16日録音:4番~7番&19番~20番

  3. 1953年10月22日録音:8番~10番

  4. 1953年10月26日録音:11番

  5. 1953年10月29日録音:12番~13番&15番

  6. 1953年11月1日録音:14番

  7. 1953年11月6日録音:16番~18番&21番

  8. 1953年11月13日録音:22番&24番~25番

  9. 1953年11月20日録音:23番&27番

  10. 1953年11月26日録音:30番~31番

  11. 1953年11月27日録音:26番&32番

  12. 1954年1月11日録音:28番~29番


グルダは年代順にベートーベンのピアノ・ソナタを全曲録音するという構想を立てていて、それを実際に行ったのは1953年のことでした。その年に、グルダはなんとオーストリアの6都市でベートーベンのピアノ・ソナタ全曲演奏会を行うことになるのですが、おそらくはその集大成として1953年10月8日から1954年1月11日にかけて、セッション録音を行ったのでしょう。

しかしながら、その全曲録音が終了した1954年からグルダはDeccaで同じような全曲録音を開始するのです。
この1953年から1954年にかけて録音を行ったウィーンのラジオ局は、当時は依然としてソ連の管理下にあったこともあってか、結局は一度も陽の目を見ることもなく「幻の録音」となってしまったようなのです。

それでは、その「幻の録音」が何故に今頃になって陽の目を見たのかと言えば、録音から50年が経過しても未発表だったのでパブリック・ドメインとなったためでしょう。そう考えてみると、著作権というのは創作者の権利を守るとともに、一定の期間を過ぎたものはパブリック・ドメインとして多くの人に共有されるようにすることには大きな意味があるといえるのです。

さて、私事ながら、ベートーベンのピアノ・ソナタ全曲の「刷り込み」はグルダのAMADEOでのステレオ録音でした。つまりは、全曲をまとめて聴いたのがその録音だったのです。
理由は簡単です。その当時、AMADEOレーベルから発売されていたこの全集が一番安かったからです。(それでも1万円ぐらいしたでしょうか。昔はホントにCDは高かった)

ただ、買ってみて少しがっかりしたことも正直に申し上げておかなければなりません。なぜなら、その当時の私の再生装置では、なぜかピアノの響きが「丸く」なってしまって、それがどうしても我慢できなかったからです。
その後、CDプレーヤーは捨ててファイル再生に(PCオーディオ)へと移行していく中で、意外としゃっきりと鳴っていることに気づかされて、そのおかげでグルダの演奏の凄さが少しは分かるようになっていったものでした。音楽家への評価と再生装置の問題は意外と深刻な問題をはらんでいるのです。

当時のHMVのキャッチコピーを見ると「録音から既に長い年月が経過していますが、その間にリリースされた全集のどれと較べても、全体のムラのない完成度や、バランスの見事さ、響きの美しさといった点で、いまだに優れた内容を誇り得る全集だと言えるでしょう。」と書いています。
CDプレーヤーでお皿を回しているときは、この「バランスの見事さ、響きの美しさ」と言う評価には全く同意できなかったです。ただし、今のシステムならば十分に納得のいくものとなっています。

そして、それとほぼ同じ事がこの若き日の録音にもいえるのです。
1953年から1954年と言えば、バックハウスやケンプが現役バリバリで活躍していた時代でした。彼らのようなドイツの巨匠によるベートーベンは、シュナーベルやフィッシャーなどから引き継がれてきたドイツ的なベートーベン像でした・・・おそらく・・・。
そして、それ故に彼らのソナタ全集は多くの聞き手から好意的に受け入れられ、その結果としてメジャーレーベルから華々しく発売されることになったのです。

そう言う巨匠達の演奏と較べれば、このグルダのベートーベンは全く異なった時代を象徴するような演奏でした。
もしもバックハウスの演奏が「絶対的」なものならば、このグルダの演奏は明らかに異質な世界観のもとに成り立っています。
全体としてみれば早めのテンポで仕上げられていて、シャープと言っていいほどに鋭敏なリズム感覚で全体が造形されています。そして、ここぞと言うところでのたたみ込むような迫力は効果満点です。この、「ここぞ!」というとところでのたたき込み方は67年のAMADEOでのステレオ録音よりもこの50年代のモノラル録音の方が顕著です。
つまりは、それだけ覇気にあふれていると言うことなのでしょう。

ですから、バックハウスのようなベートーベンを絶対視する人から見れば、この演奏を「軽い」と感じる人もいることは否定しません。
たとえば、グルダの演奏を「音楽の深さや重さを教えているものではなく、極めて口当たりの良い軽い音で、しかも気軽に聞けるように作り直している」と評価している人もいたほどでした。それは、67年の録音に対してのものでしたから、それとほぼ同じスタンスで演奏した50年代の初頭の録音ならば(それは結局は陽の目を見なかったのですが)、大部分の人がそのような「否定的」な感想を持ったのだろうと思います。

しかし、ベートーベンはいつまでもバックハウスやケンプを模倣していないと悟れば、このグルダの録音は全く新しいベートーベン像を呈示していることに気づかされます。
つまり、シュナーベルから引き継がれてきたドイツ的(何とも曖昧な言葉ですが・・・^^;)なベートーベン像だけが絶対的な「真実」ではないと悟れば、このグルダが提供するベートーベン像の新しさは逆に大きな魅力として感じ取れるはずです。何故ならば、重く暑苦しい演奏は数あれど、ここまで見晴らしのいい爽快で新鮮でしかも深いベートヴェンはこれが初めてかもしれないのです。

そう言う意味で、録音から50年が経過して、著作権の軛から解放されてこの演奏が陽の目をみることが出来たことは喜ばなければなりません。

この演奏を評価してください。

  1. よくないねー!(≧ヘ≦)ムス~>>>1~2
  2. いまいちだね。( ̄ー ̄)ニヤリ>>>3~4
  3. まあ。こんなもんでしょう。ハイヨ ( ^ - ^")/>>>5~6
  4. なかなかいいですねo(*^^*)oわくわく>>>7~8
  5. 最高、これぞ歴史的名演(ξ^∇^ξ) ホホホホホホホホホ>>>9~10



4727 Rating: 5.1/10 (21 votes cast)

  1. 件名は変更しないでください。
  2. お寄せいただいたご意見や感想は基本的に紹介させていただきますが、管理人の判断で紹介しないときもありますのでご理解ください
名前*
メールアドレス
件名
メッセージ*
サイト内での紹介

 

よせられたコメント

2021-10-07:アドラー





【リスニングルームの更新履歴】

【最近の更新(10件)】



[2024-03-27]

ベートーヴェン:劇音楽「エグモント」序曲, Op.84(Beethoven:Egmont, Op.84)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 NBC交響楽団 1939年11月18日録音(Arturo Toscanini:NBC Symphony Orchestra Recorded on November 18, 1939)

[2024-03-25]

モーツァルト:弦楽四重奏曲第2番 ニ長調 K.155/134a(Mozart:String Quartet No.2 in D major, K.155/134a)
パスカル弦楽四重奏団:1952年録音(Pascal String Quartet:Recorded on 1952)

[2024-03-23]

ベートーヴェン:ディアベリ変奏曲, Op.120(Beethoven:Variations Diabelli in C major, Op.120)
(P)ジュリアス・カッチェン 1960年録音(Julius Katchen:Recorded on 1960)

[2024-03-21]

バルトーク:弦楽四重奏曲第5番, Sz.102(Bartok:String Quartet No.5, Sz.102)
ヴェーグ弦楽四重奏団:1954年7月録音(Quatuor Vegh:Recorded on July, 1954)

[2024-03-19]

パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番 ニ長調, Op.6(Paganini:Violin Concerto No.1 in D major, Op.6)
(Vn)ジノ・フランチェスカッティ:ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1950年1月15日録音(Zino Francescatti:(Con)Eugene Ormandy The Philadelphia Orchestra January 15, 1950)

[2024-03-17]

チャイコフスキー:交響曲第2番 ハ短調 作品17 「小ロシア」(Tchaikovsky:Symphony No.2 in C minor Op.17 "Little Russian")
ディミトリ・ミトロプーロス指揮 ミネアポリス交響楽団 1946年3月10日~11日録音(Dimitris Mitropoulos:Minneapolis Symphony Orchestra Recorded on March 10-11, 1946)

[2024-03-15]

ハイドン:チェロ協奏曲第2番 ニ長調 Hob.VIIb:2(Haydn:Cello Concerto No.2 in D major, Hob.VIIb:2)
(Cello)アンドレ・ナヴァラ:ベルンハルト・パウムガルトナー指揮 ザルツブルク・モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカ 1958年録音(Andre Navarra:(Con)Bernhard Paumgartner Camerata Academica des Mozarteums Salzburg Recorded on, 1958 )

[2024-03-13]

ベートーヴェン:「レオノーレ」序曲第3番, Op.72b(Beethoven:Leonora Overture No.3 in C major, Op.72b)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 NBC交響楽団 1945年6月1日録音(Arturo Toscanini:NBC Symphony Orchestra Recorded on June 1, 1945)

[2024-03-11]

ラロ:スペイン交響曲 ニ短調, Op21(Lalo:Symphonie espagnole, for violin and orchestra in D minor, Op. 21)
(Vn)ジノ・フランチェスカッティ:ディミトリ・ミトロプーロス指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック 1957年4月22日録音(Zino Francescatti:(Con)Dimitris Mitropoulos New York Philharmonic Recorded on April 22, 1957)

[2024-03-09]

ラヴェル:「ダフニスとクロエ」第1組曲(Ravel:Daphnis et Chloe Suite No.1)
アンドレ・クリュイタンス指揮 フランス国立放送管弦楽団 1953年6月22日~23日&25日録音(Andre Cluytens:Orchestre National de l'ORTF Recorded on June 22-23&25, 1953)