ですから、オーマンディのように、演奏する側が全曲版の魅力を伝えるために、自らの判断で選曲するのは決して悪い話ではないのです。
例えば、チャイコフスキーお墨付きの「くるみ割り人形」であっても、私はいつも「花のワルツ」の後に「Pas de deux」が入っていないことが大いに不満でした。嬉しかったのは、あのムラヴィンスキーも同じ事を考えていたのか、彼が録音した「くるみ割り人形」の組曲には「Pas de deux」が追加されていました。
よって、個人的にはその一事だけでも、このオーマンディ版の方を歓迎します。
バレー音楽をクラッシックの中でどのように位置づけるのか・・・と言うのは人によるのでしょうね。バレー音楽と言うのはyungさんも指摘するように当然「(踊りの)舞台との融合によって成り立つ音楽」であり、バレー無しの音楽だけで聴くと言うのは作曲の本来の目的から外れた変則的な・・・恐らく何らかの要素の欠落した・・・状況には違いありません。
私は、バレー音楽を・・・特にチャイコフスキー・・・を愛するモノですが、それでも「白鳥の湖」の音楽をその舞台(及び物語)と切り離して聴いているか・・・と言うと(恐らく)ソウではなくて何らかの形で舞台を頭で思い浮かべ物語を追いながら聴いている。そのバレーの舞台と言うのは勿論バレリーナたちの洗練され研ぎ澄まされた”舞踏芸術”を楽しむものに違いありませんが、同時に何といっても視覚的に美しいバレリーナがいてこその舞台であり、そこには所謂”脂粉の香り”漂う艶やかさ、バレリーナに憧れる女の子たちの憧れの吐息、必ずしも”高尚”だけとも言えないスノッブも入り混じった男性ファンの熱い視線、etc. etc. の入り混じった独特の雰囲気をもったもので、それは同じクラッシックの範疇の舞台芸術であるオペラの舞台とも大きく異なるところがある。おそらくyungさんが言うバレー音楽の”薄さ”はバレーのそう言った雰囲気とも不可分なものなのだと思いますが、逆に言えばそう言ったバレーの舞台・劇場の雰囲気の薄い演奏はバレー音楽としてはその魅力が半減するようにも(私には)感じられところがあります。その意味では、オーマンディの演奏はいかにも彼らしい鮮やかなものですが、どこか物足りないところもある演奏でした(もっとも、オーマンディ自身はバレー音楽に纏わりつく”脂粉の香”など余計なものとして意図的に排除した・・・・と言うことのようにも思いますが・・・)。
ディーリアス:別れの歌(Delius:Songs of Farewell)
マルコム・サージェント指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 ロイヤル・コーラル・ソサエティ 1964年4月22日~23日録音(Sir Malcolm Sargent:Royal Philharmonic Orchestra Royal Choral Society Recorded on April 22, 1964)
エルガー:「ゲロンティアスの夢」第2部 (Elgar:The Dream Of Gerontius, Op. 38 Part2)
マルコム・サージェント指揮 ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団 (T)リチャード・ルイス (MS)マージョリー・トーマス (Br)ジョン・キャメロン ハダースフィールド合唱協会 1954年11月4日~6日録音(Sir Malcolm Sargent:Liverpool Philharmonic Orchestra (T)Richard Lewis (MS)Marjorie Thomas (Br)John Cameron Huddersfield Choral Society Recorded on November 4-6, 1954)
[2026-07-24]
エルガー:「ゲロンティアスの夢」第1部 (Elgar:The Dream Of Gerontius, Op. 38 Part1)
マルコム・サージェント指揮 ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団 (T)リチャード・ルイス (MS)マージョリー・トーマス (Br)ジョン・キャメロン ハダースフィールド合唱協会 1954年11月4日~6日録音(Sir Malcolm Sargent:Liverpool Philharmonic Orchestra (T)Richard Lewis (MS)Marjorie Thomas (Br)John Cameron Huddersfield Choral Society Recorded on November 4-6, 1954)