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ベートーベン:ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 Op.110

(P)ヴィルヘルム・ケンプ 1964年1月26日録音



Beethoven: Piano Sonata No.31 In A Flat Major, Op.110 [1. Moderato cantabile molto espressivo]

Beethoven: Piano Sonata No.31 In A Flat Major, Op.110 [2. Allegro molto]

Beethoven: Piano Sonata No.31 In A Flat Major, Op.110 [3. Adagio ma non troppo - Fuga (Allegro ma non troppo)]


ピアノ作品の作曲には制約が多すぎる

ベートーベンのピアノ作品の最後を飾るのが一般的に「後期ソナタ」と呼ばれる3つのソナタです。


  1. ピアノソナタ第30番 ホ長調 作品109(1820年作曲)

  2. ピアノソナタ第31番 変イ長調 作品110(1821年作曲)

  3. ピアノソナタ第32番 ハ短調 作品111(1822年作曲)



最後のハ短調ソナタを作曲した後でもベートーベンには5年の歳月があったのですが、彼はピアノ作品の作曲には制約が多すぎると述べてこの分野から去ってしまいます。この言葉をどのように受け取るのかは難しいのですが、考えるきっかけとしては作品101のイ長調ソナタ(28番)と「ハンマークラヴィーア」と題された作品106の巨大なソナタ(29番)との関連性を見ればいいのかもしれません。

聞いてみれば分かるように、後期ソナタが持っているある種の幻想性に近いのはイ長調ソナタの方です。
それに対して、「ハンマークラヴィーア」の方はアダージョ楽章の深い幻想性に惑わされるのですが、音楽全体の形は「熱情」や「ワルトシュタイン」に通ずる構造を持っているように聞こえます。言葉は悪いかもしれませんが、作品101のイ長調ソナタから見れば、いささか「先祖帰り」したような作品になっています。
しかし、それは言葉をかえれば、ベートーベン自身にとって一度前に進み出した歩みを留めて過去の自分が辿ってきた道を総決算するような営みだったのかもしれないのです。そして、その総決算によってもう一度歩みを前に踏み出したのが、これらの後期ソナタだったと言えるのです。

だとすれば、いかにベートーベンといえども、3つの後期ソナタにおけるチャレンジはピアノという楽器を用いた音楽の一つの行き止まりだったはずです。
その、ある意味での「やりきった感」が「ピアノ作品の作曲には制約が多すぎる」という言葉になり、彼の創作活動の中心が弦楽四重奏曲の世界に収斂していったのでしょう。

その証拠に(と言うのもおかしないいかたですが)、これらのソナタは当時の聴衆にはなかなか受け入れられなかっただけでなく、その後1世紀にわたって広く受け入れられることはなかったのです。これらの音楽がコンサートのメインピースとなるのは20世紀になるのを待たなければならなかったのです。
そして、創作という分野においても、彼の中期の作品は多くの作曲家に影響を与えたのですが、この後期ソナタをかみ砕くことができた作曲家はほとんどいなかったのです。

その結果として、チャールズ・ローゼンはこれらの作品は「聞き手の積極的な参加」が求められる音楽だと述べています。つまりは、構造的に極めて複雑であり、ベートーベンが果敢に挑戦した実験的な営みを聞き分ける能力が聴衆にも求められるということです。
言葉をかえれば、これらの作品はその幻想的な雰囲気に浸っているだけでも十分かもしれないのですが、もう少しベートーベンのチャレンジを聞き分けることができれば、より一層、これらの作品の凄さが分かると言うことなのでしょう。

ピアノソナタ第31番 変イ長調 作品110

このソナタは後期ソナタの中では唯一華やかに最後が締めくくられます。また、その大きな盛り上がりの前に「Arioso dolente(嘆きの歌)」と指示されたこの上もなく深い感情に満ちた音楽が歌われます。ですから、この「作品110」のソナタが好きだという人は意外と多いように見受けられます。

また、このソナタは全体を通して似たような動機が何度も出てきます。冒頭の上昇して下降する音型や、音階で6度上昇して下降する音型を記憶にとどめておくと、何となく音楽全体の形が把握しやすくなるのはベートーベンらしい音楽の作り方です。

さらに特徴的なのは、それぞれの楽章の雰囲気がきっぱりと異なっていて、さらに言えば最終楽章も「嘆きの歌」の部分とそこから立ち直っていく「フーガ」の部分ではっきりと性格が分かれています。と言うことは、このソナタは4つのはっきりと性格の異なるパーツで組み上がっていると言うことになります。

第1楽章には「con amabilita(愛らしく)」と指示されています。そして、この感情は確かに楽章全体を通して貫かれています。そして、ここで提示された二つの動機がソナタ全体を構築する素材にもなっています。

第2楽章の「スケルツォ」はベートーベンが得意とした音楽表現です。当時のウィーンで流行していた歌の旋律を使って皮肉とある種の荒々しさがこの楽章を貫いています。
そして、その背景には極めて複雑なアクセントの付け方がその様な感情表現に大きな役割を果たしています。

実はこの楽章のアクセントの付け方にはいろいろと論議があるようで、少なくともそう言う配慮も無しにノッペリと演奏しているピアニストがいれば、それだけで駄目出しされても仕方がないのかもしれません。
そして、スケルツォの音楽がリタルダンドされることで複雑なリズがリセットされて「Adagio ma non troppo」と指示された最後の楽章に突入します。

ここの気分の切り替えは実に感動的ですが、この部分は「Adagio ma non troppo」と指示された「scena(シェーナ)」です。「シェーナ」とはアリアの前に歌われるドラマティックな歌のことであり、さらに「Adagio ma non troppo(ゆるやかに、しかし遅すぎないように)」と指示されているのですから、ここのテンポ設定は微妙です。さらに、この「シェーナ」は「レチタティーヴォ」に引き継がれテンポは上がっていくように指示されています。そして、この「レチタティーヴォ」が大きく盛り上がったところから急激にディミヌエンドして「Arioso dolente(嘆きの歌)」が始まります。

しかし、この「嘆きの歌」は完全なアリアにはなっていなくて、レチタティーヴォとの組み合わせでできていることはしっかりと意識する必要があるでしょう。
そして、この「嘆きの歌」のアリアがもう一度帰ってくるのですが、こここそはピアニストの腕の見せ所であり、聞き手にとってももっとも感動的な部分だと言えます。
ソフトペダルがおよそ30小節にわたって使われていて、このベールに包まれたような音色で息が詰まるような重い響きを実現できるか否かはこの作品の成否を左右するといっても過言ではないでしょう。

そして、この絶望的な状況から、ふと光が差し込むようにフーガが始まります。
ローゼン先生も指摘しているように、ここで使われているフーガの技法は使い古されたアカデミックな手法です。しかし、ベートーベンはそのような手垢にまみれた手法を使って実に感動的な音楽にしあげているのです。
ベートーベンがここで使っているのは主題の反行、拡大(遅くなる)、縮小(速くなる)だけです。

フーガの主題は上昇しているのですが反行形では当然のことながら下降します。その下降音形は嘆きをさらに深くするようです。そして、続いて主題は拡大されることでテンポは2倍遅くなるのですが、そのテンポは加速されることでで少しずつ気分が切り替わり、やがて元のテンポに戻っていくことで力が回復してきます。
そして、そこからさらにテンポが上がるにつれて主題は縮小されて盛り上がっていくのですが、そこから全てが停止したようなppの世界がやってきます。
しかし、その凍り付いた世界を打ち破るように音楽は力を取り戻し、長いクレッシェンドの末に音楽は結ばれるのです。

ローゼン先生の教えに従って概略をスケッチすればこういう感じです。


  1. 第1楽章:Moderato cantabile molto espressivo

  2. 第2楽章:Scherzo: Allegro molto

  3. 第3楽章:Adagio ma non troppo. Fuga: Allegro ma non troppo




神から与えられた恩寵がケンプというエオリアンハープを通して鳴り響く演奏

演奏家の本質的な部分を考える上で「コンプリートする人」と「コンプリートにはこだわらない人」というのは一つの指標になるはずです。
しかし、世の中は常に「例外」が存在するのであって、この二分法が全く意味をなさない演奏家というものも存在します。やはり、そう言うシンプルな「図式論」で割り切れるほど現実はシンプルではないと言うことなのでしょう。

一般的にいって「コンプリートする人」というのはその一連の演奏に一貫した「論理」みたいなものが通底しています。ですから、その論理に従って一つずつの作品と丁寧に向き合い、じっくりと時間をかけて「全集」を完成させるというのが通常のスタイルです。
例えば、ピアニストで言えばバックハウスなどはその典型だと思うのですが、彼は2回目のベートーベンの全集に10年以上の時間をかけながら結果として29番のソナタを残してこの世を去りました。
モノラル録音による1回目の全集にしても1950年から1955年までの長い時間を要しています。

つまりは、じっくりと時間をかけて一つずつの作品と向き合って丁寧に仕上げていくのがそう言うタイプの演奏家の特徴なのです。
ところが、このケンプというピアニストに関しては、そう言う「常識」が通用しないのです。

外面的に見れば、彼は疑いもなく「コンプリートする人」の部類に入ります。
何しろ、彼はモノラル録音で1回、ステレオ録音で1回の計2回もベートーベンのソナタをコンプリートしているからです。最晩年には、当時は取り上げる人もそれほど多くなかったシューベルトのソナタもほぼコンプリートしています。

さらに調べてみると、ケンプは戦時中の1940年代にもベートーベンの全曲録音に取り組んでいました。
結果としてこの全集は未完成に終わったのですが、もし完成していればシュナーベルに続くコンプリートになる予定でした。
そしてもう一つ、1961年の来日の時にNHKのラジオ放送のためにベートーベンのソナタを全曲録音しているのです。

つまりは、彼はその生涯においてベートーベンのソナタの全曲録音に4回も取り組み、その内の3回は完成させているのです。


  1. 1940年~1943年:SP録音(未完成)

  2. 1951年~1956年:モノラル録音

  3. 1961年:ラジオ放送のためのライブ録音

  4. 1964年~1965年:ステレオ録音



61年のライブ録音は10月10日,12日,14日,16日,26日,27日,30日の7日間で行われています。来日時の限られた日程の中での録音だったのでそれは仕方がないことだったのですが、それ以外のセッション録音の方はクレジットを見る限りはそれなりに時間をかけて取り組んだかのように見えます。
ですから、外見上は疑いもなく「コンプリートする人」のように見えるのです。

ところが、詳しい録音のクレジットが残っている50年代のモノラル録音と60年代のステレオ録音をさらに細かく調べてみると、一見するとそれなりに時間をかけて取り組んだように見えながら、その実態は61年のライブ録音とそれほど変わりのないことに気づくのです。
例えば50年代のモノラル録音をもう少し詳しく見てみると以下のような日程で行われています。


  1. 1951年9月20日:作品110/作品111

  2. 1951年9月21日:作品90/作品106

  3. 1951年9月22日:作品57/ 作品78/作品79

  4. 1951年9月24日:作品53/作品81a

  5. 1951年10月13日:作品7

  6. 1951年12月19日:作品2-2/作品2-3/作品10-1/作品10-2

  7. 1951年12月20日:作品14-2/作品26/作品27-1/作品10-3/作品14-1

  8. 1951年12月21日:作品28/作品31-1/作品31-2

  9. 1951年12月22日: 作品31-3

  10. 1951年9月25日&12月22日:作品49-1

  11. 1951年10月13日&12月22日:作品2-1

  12. 1951年9月25日: 作品49-2/作品54/作品101/作品109




  1. 1953年1月23日:作品13

  2. 1956年5月3&4日:作品27-2

  3. 1956年5月4&5日:作品22



つまりは1951年の9月と12月の10日ほどの間に集中して録音がされていて、落ち穂拾いのように53年と56年に3曲が録音されているのです。
録音の進め方としては61年のライブ録音の時とそれほど大差はありません。

そして、それと同じ事がステレオ録音の方に言えるのです。
煩わしくなるのでこれ以上細かいクレジットは紹介しませんが、ザックリと言って、64年の1月に29番以降の後期のソナタを4曲録音して、その後は9月の4日間で中期の9曲、11月の4日間で初期作品を中心に12曲、そして年が明けた1月の4日間で残された7曲を録音して全集を仕上げているのです。

つまりは、誤解を恐れずに言い切ってしまえば、ケンプという人は「コンプリートにこだわらない人」の感性を持って「コンプリート」しているように見えるのです。
「コンプリートにこだわらない人」の特徴は己の感性に正直だということです。

ですから、普通そう言うタイプの人は「好きになれない音楽」「共感しにくい音楽」をコンプリートするためだけに無理して録音などはしないのですが、なぜかケンプという人は己の感性に従って淡々と録音をしていくのです。
そして、時には1950年12月20日のように、この一日だけで5曲も録音を仕上げてしまったりするのです。
ちなみにその前日には4曲を仕上げていますから、この2日間だけで全体の3分の1近くを仕上げてしまったことになります。

そして、その淡々とベートーベンの音楽を鳴り響かせるケンプの姿に接していると、ブレンデルの「ケンプはエオリアンハープである」という言葉を思い出さざるを得ないのです。
おそらく、ケンプにとってベートーベンやシューベルトの音楽は、好きとか嫌いなどと言う感情レベルで判断するような音楽ではなかったのでしょう。
それはまさに神から与えられた恩寵であり、その恩寵がケンプというエオリアンハープを通して鳴り響くだけだったのかもしれません。

風が吹けば鳴り、風が吹かなければ鳴りやむ、ただそれだけのことだったのかもしれません。

例えば、8番のパセティックの冒頭、普通ならもっとガツーンと響かせるのが普通です。29番のハンマークラヴィーアにしても同様です。

ところが、ケンプはそう言う派手な振る舞いは一切しないで、ごく自然に音楽に入っていきます。そして、その後も何事もないように淡々と音楽は流れていきます。
あのハンマークラヴィーアの第3楽章にしても、もっと思い入れタップリに演奏しようと思えばできるはずですが、ケンプはそう言う聞き手の期待に肩すかしを食らわせるかのように淡々と音楽を紡いでいきます。

普通、こんな事をやっていると、面白くもおかしくもない演奏になるのが普通ですが、ところがケンプの場合は、そう言う淡々とした音楽の流れの中から何とも言えない感興がわき上がってくるから不思議です。
おそらく、その秘密は、微妙にテンポを揺らす事によって、派手さとは無縁ながら人肌の温かさに満ちた「歌」が紡がれていくことにあるようです。

パッと聞いただけでは淡々と流れているだけのように見えて、その実は裏側で徹底的に考え抜かれた「歌心」が潜んでいます。


ケンプのモノラル録音全集に対してこういう言葉を綴ったことがあるのですが、このステレオ録音に対しても全く同じ事が、いやそれ以上にその言葉はステレオ録音の方にこそ相応しいのかもしれません。

しかし、彼の録音をさらに聞き込んでいく中で気づかされたのは、彼の魂とも言うべ「微妙にテンポを揺らす事によって」紡ぎ出される「人肌の温かさに満ちた歌」は、「徹底的に考え抜かれた歌心」ではなくて、まさに彼に吹き寄せる風によって生み出され多た「歌」だったと言うことです。そして、そう言う風が鳴り響かせる「歌」に身を任していれば、音楽にとってテクニックというものはどこまで行っても「手段」にしかすぎないと言うことを再認識させられるのです。

しかしながら、その「歌」の幻想的なまでの心地よさは認めながらも、それでもベートーベンの音楽には演奏する側にとっても聞く側にとっても「傾注」が必要だという事実にも突き当たります。
そして、ケンプの演奏はその様な「論理に裏打ちされた傾注」によって構築されたベートーベンではないことは明らかなのです。ベートーベンという音楽を象るアウトラインが曖昧であり、率直に言ってぼやけていると言われても仕方がありません。つまりは「緩い」のです。

もちろん、そう言う「傾注」と「エオリアンハープ」が同居することなどはあり得ない事ははっきりしています。
そして、その事が明確であるがゆえに、まさにそこにこそケンプの演奏の魅力と限界があると言わざるを得ないのです。
そう考えれば、彼のエオリアンハープ的資質が存分に発揮されるのはベートーベンではなくてシューベルトなんだろうと思われます。

しかし、そこから先のことはシューベルトの録音を取り上げたときに、さらに突っ込んで考えてみたいと思います。

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