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ベートーベン:弦楽四重奏曲第11番 ヘ短調 「セリオーソ」 Op.95

ブダペスト弦楽四重奏団 1941年12月5日録音



Beethoven:String Quartet No.11 in F Minor, Op. 95, "Serioso" [1.Allegro con brio]

Beethoven:String Quartet No.11 in F Minor, Op. 95, "Serioso" [2.Allegretto, ma non troppo]

Beethoven:String Quartet No.11 in F Minor, Op. 95, "Serioso" [3.Allegro assai vivace, ma serioso]

Beethoven:String Quartet No.11 in F Minor, Op. 95, "Serioso" [4.Allegretto agitato]


過渡期の2作品

この分野における「傑作の森」を代表するラズモフスキーの3曲が書かれるとベートーベンは再び沈黙します。おそらくこの時期のベートーベンというのは「出力」に次ぐ「出力」だったのでしょう。己の中にたぎる「何もの」かを次々と「音楽」という形ではき出し続けた時期だったといえます。
ですから、この「分野」においてはとりあえずラズモフスキーの3曲で全て吐き出し尽くしたという思いがあったのでしょう。

しばらくの沈黙の後に作り出された2曲は、ラズモフスキーと比べればはるかにこぢんまりとしていて、音楽の流れも肩をいからせたところは後退して自然体になっています。
しかし、後期の作品に共通する深い瞑想性を獲得するまでには至っていませんから、これを中期と後期の過渡期の作品と見るのが一般的となっています。

弦楽四重奏曲第10番 変ホ長調 OP.74「ハープ」



第1楽章の至る所であらわれるピチカートがハープの音色を連想させることからこのニックネームがつけられています。
この作品の一番の聞き所は、ラズモフスキーで行き着くところまで行き着いたテンションの高さが、一転して自然体に戻る余裕を聞き取るところにあります。ですから、ラズモフスキー第3番のぶち切れるような終結部を聞いた後にこの作品を続けて聞くと得も言われぬ「味わい」があったりします。(^^;

弦楽四重奏曲第11番 ヘ短調OP.95「セリオーソ」



第10番「ハープ」で縮小した規模は、この「セリオーソ」でさらに縮んでいきます。もうこの作品からは中期の「驀進するベートーベン」は最終楽章の終結部にわずかばかりかぎ取ることができるぐらいで、その他の部分はベートーベン自身が名付けた「セリオーソ」という名前通りにどこか「気むずかしい」表情でおおわれています。


ブダペスト弦楽四重奏団の「全体像」を愛でようと思えば古いSP盤の録音も視野に入れる必要がある

ブダペスト弦楽四重奏団が残したベートーベンの弦楽四重奏曲の録音は、クラシック音楽の20世紀の録音史に輝く金字塔であることを否定する人はいないでしょう。ただし、彼らのどの時代の録音をもって「金字塔」とするかに関しては意見が分かれるかもしれません。
一般的には、1958年から1961年にかけてステレオ録音された「全集」を持ってその業績を代表するのでしょうが、1951年から1952年にかけてモノラルで録音された全集の方を高く評価する人もいるでしょう。

確かに、この二つの録音は性質がかなり異なっています。
モノラル録音の方はカミソリのごとき切れ味でベートーベンを造形していて、そこでは「峻厳」という言葉ですらも物足りないほどの厳しさと切れ味が魅力です。それに対して、ステレオ録音の方にはそこまでの峻厳さは後退して、それよりはゆったりとした余裕を感じさせる音楽に仕上がっています。
モノラル録音を評価する人からすればそれは「緩い」と感じるでしょうし、ステレオ録音を評価する人からすれば、モノラル録音はあまりにも肩に力の入りすぎた窮屈さを感じるのかもしれません。
しかしながら、ベートーベンの音楽は様々なアプローチを許す巨大な存在であり、そう言う存在に対して異なったアプローチによって頂を目指したカルテットというのは他には思い当たりません。ですから、モノラルかステレオかなどと言う了見の狭い「価値判断」はひとまずは脇において、その様な様々なアプローチでベートーベンに迫ったブダペスト弦楽四重奏団の全体像をこそ愛でるべきなのかもしれません。

ただし、彼らがステレオによる全集を完成させた60年代というのは、ジュリアード弦楽四重奏団に代表されるような、より即物的で機能的な演奏スタイルへと変わっていった時代でした。
ですから、おかしな話なのですが、モノラル録音よりもステレオ録音の方がスタイル的には古さを感じさせ、結果としてはその「古さ」のようなものが、他に変わるもののない魅力を持った演奏になっているのです。

実は、あのステレオ録音を紹介したときには、個人的にはモノラルの方を高く評価していたので「このステレオによる録音ならば、これに変わる演奏はいくらも思い当たります。4人の奏者が対等な関係で音楽を築いていく演奏は今では常識ですし、これ以上に緊密なアンサンブルを成し遂げているカルテットはいくつも存在するでしょう」などと書いてしまいました。
率直に言って、これは己の不明を恥じねばなりません。
もちろん、この時代にファースト・ヴァイオリン主導の古いスタイルの演奏が聴けるはずもないので、ここで言っている「古さ」とはその様な類のものではありません。そうではなくて、このステレオ録音によるブダペスト四重奏団の演奏では、楽器の響きも、そして、それが描き出すラインも何処か丸みを帯びたスタイルになっているのです。
そこを、かつての私は「緩さ」と感じたのですが、考えてみればそれこそがこの「全集」が持っている「他に変わるもののない魅力」だったのです。つまりは、即物性と機能性ではこれを上回る演奏はいくらでもあるのですが、それとは違うところで彼らはもう一度ベートーベンの弦楽四重奏曲を見つめ直したのであって、その意義を正確に聞き取ることが出来ていなかったのです。

そして、そう言うブダペスト弦楽四重奏団の「全体像」を愛でようと思えば、もう一つ、1940年代の前半に録音された古いSP盤の録音も視野に入れる必要がある事にも気づかされます。
今さら言うまでもないことですが、このカルテットは1936年以降はほぼメンバーが固定しています。


  1. ファースト・ヴァイオリン:ヨーゼフ・ロイスマン(Josef Roismann):1932年 - 1967年

  2. セカンド・ヴァイオリン:アレクサンダー・シュナイダー(Alexander Schneider):1932年 - 1944年&1955年 - 1967年

  3. ヴィオラ:ボリス・クロイト(Boris Kroyt):1936年 - 1967年

  4. チェロ:ミッシャ・シュナイダー(Mischa Schneider):1930年 - 1967年



セカンド・ヴァイオリンのアレクサンダー・シュナイダーが途中で10年ほど脱けているので、モノラルの全集ではジャック・ゴロデツキーに変わっている程度でしょうか。往々にして、カルテットというのは頻繁にメンバーが替わりますから、それを縦の時系列で比較しても意味のないことが多いのですが、ブダペスト弦楽四重奏団に関しては縦の時系列で比較することに意味があるのです。

すでに、あちこちでも触れているのですが、著作権法の改訂で向こう20年にわたって新しくパブリック・ドメインとなった音源を追加することがなくなってしまったのですが、その見返りとして、今まではフォローしきれなかったこのような古い録音にも手が回るようになりました。もちろん、そんな古い録音なんか願い下げだという人もいるでしょうし、それによって愛想づかしもされるかもしれませんが、なあに、そんなことは知ったことではないのです。(^^;
どんなに古い録音でも、紹介する価値があると信じるものはどんどん紹介していくのです。

このSP盤による録音を聞いてすぐに分かることは、彼らはすでにファースト・ヴァイオリン主導の古いスタイルから抜け出していることです。そこでは、すでに4人の奏者が対等な関係で音楽を築いていくスタイルが確立されています。これは、同時代のカルテットと較べてみると画期的なことだったはずです。
しかし、モノラル録音による全集のような切れ味抜群の音楽にはなっていません。そう感じる一番の理由は、個々の楽器の響きがSP盤の時代に相応しい妖艶さも湛えているからでしょう。しかしながら、その演奏スタイルはステレオ録音の時のような丸みをおびた余裕のある造形とは異なっています。ならば、モノラル時代のスタイルに近いのかと言えば、基本的にはその通りなのですが、作品によっては何処かギクシャクとした感じがつきまとう「不思議なスタイル」なのです。具体的に言えば、歌えるべき場所、もしくは歌うべき場所が今ひとつ歌いきれていない雰囲気が拭いきれないのです。

そうなってしまった理由として、SP盤の時代によくあった「時間合わせ」という制限がよく指摘されます。リーダーのロイスマンも40年代の録音では時間あわせのために苦労したと述懐しています。
SP盤というのは片面に5分程度しか収録できませんから、その時間内におさまる小品以外はその切れ目の部分を上手く処理する必要がありました。そして、その「処理」は時には音楽的必然性よりも優先されることが多かったのです。
例えば、あるフレーズが終わったところで盤面を切り替えたいときには、そのフレーズが盤面におさまるように演奏を切り上げる必要が生じてしまうのです。SP盤時代の録音を聞いていると、時々とんでもないテンポ設定の演奏に出会うことがあって、それを爆裂演奏として珍重される方もいるのですが、種を明かせばただの時間あわせに過ぎないと言うこともよくあるのです。
言うまでもないことですが、その様な「時間合わせ」を優先すれば、音楽的には何処かギクシャクとした感じになってしまうのです。

しかしながら、例えば第6番のように、そう言う不自然さをほとんど感じない演奏もあります。この第6番のアダージョ楽章は7分近くかけて演奏しているのですが、この演奏時間はSP盤的に言えばかなり不都合な演奏時間です。50年代に入ってテープ録音によるカッティング技術が生み出されて6分を超える収録が可能になるのですが、それでもこの7分近い演奏を片面に収めるのは不可能だったはずです。そして、そのゆったりとしたアダージョは、それに続くスケルツォ楽章との兼ね合いで言えば、そのテンポ設定はどちらもピタリとツボにはまっています。
そして、終楽章は8分を超える演奏なのですが、こちらはほぼ中間部で「La Malinconia. Adagio → Allegretto quasi Allegro」と切り替わりますので、時間制限からは全く自由に演奏できていることは明らかです。

ところが、それが14番のような大曲になると、何とも言えず収まりの悪いぎこちなさを感じるのです。ただし、第6番では収録時間との兼ね合いで不都合が生じそうな歌い回しを行っている場面もありますから、ここでも同じ事がやれたのではないかとも思えるので、それは不思議と言えば不思議です。勘ぐれば、この時代の一つのチャレンジとして取り組んだ、機械的とも言えるほどの即物的な演奏に対する申し開きとして、後になってからロイスマン「時間合わせ」と言うことを持ち出したのかもしれません。

とは言え、注目すべきは、20世紀の前半において彼らがすでに後の時代の主流となる新しい演奏スタイルを身につけていて、それを意味あるものにするだけの機能性も身につけていたという事実です。
つまりは、あの恐ろしいまでの、時代の制約をはるかに超えたようなモノラル録音による「全集」は突然変異のようにあらわれたわけではなかった事を、このSP盤時代の録音は教えてくれるのです。

そして、もう一つ思い出しておきたいのは、第2次大戦下においても、アメリカは敵国ドイツの音楽を躊躇いもなく演奏し、録音していたことです。そして、国民の多くはその事に何の疑問も感じることなくレコードを購買していたのです。
その懐の広さは同時代の日本と較べてみれば、そしてユダヤ人の音楽を徹底的に排除したナチス・ドイツと較べてみても、十分に称賛に値するものです。

その様なアメリカが、今や自国第一主義を声高に叫んで懐の広さを失いつつあるのは実に残念な話です。もちろん、日本もまた同じような偏狭さにとらわれているわけですから他人のことは言えたものでもありません。
攻撃的な「偏狭」さは時には勇ましく思えるのですが、結果としてその様な勇ましさは、穏やかで理知的な「寛容」さを凌駕することは出来ないのです。

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