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ベートーベン:創作主題による32の変奏曲 ハ短調 WoO 80

(P)アルフレッド・ブレンデル 1958年&1960年録音



Beethoven:32 Variations in C Minor, WoO 80


作品番号が与えられていないからと言ってこの作品を「軽く」見るのは誤りです

ベートーベンにとって、その生涯において常に取り組んできたジャンルはピアノソナタと弦楽四重奏、そして交響曲でした。そして、その3者の関係は、ピアノソナタで新しい一歩を踏み出し、交響曲でそれを踏み固め、最後に弦楽四重奏曲において完成させるというものでした。
つまりは、ベートーベンにおいて新しい発想の原点は常にピアノソナタだったのですが、さらに突っ込んで彼のピアノ作品を眺めてみれば、ピアノによる変奏曲はソナタ以上に実験的であったことに気づかされるのです。そして、常に実験的であった変奏曲の中でももっとも実験的だったのが1806年に作曲された「創作主題による32の変奏曲 ハ短調」でした。

不思議なことに、ベートーベンは「ミニ・ディアベリ変奏曲」とも言うべきこの野心的な作品に対して作品番号を与えていません。ということで、後世の人が作品番号がつけられていない作品(Werk ohne Opuszahl)を整理するために作られた「WoO(つまりは「Werk ohne Opuszahl」の頭文字を取っただけですね)」を使って「WoO 80」という番号が与えられています。

ちなみに、1806年という年がベートーベンにとってどのような年だったのかと言えば、ピアノソナタではワルトシュタインやアパショナータを書き上げ、交響曲で言えばエロイカと第4番を書き上げ、弦楽四重奏曲で言えばラズモフスキーを書き上げた時期であったのです。
つまりは中期の頂点に向けて駆け上がった時期であって、その流れの中においてみれば、まさにこの作品においてそれに続く新しい後期への第一歩を密やかに踏み出した作品だといえるかもしれないのです。

ベートーベンと言えば暗から明へと言うことがよく言われます。しかし、振り返ってみればハイドンの天地創造などを持ち出すまでもなく、「光あれ!」という言葉とともに暗闇から光り輝く世界に変転する音楽はすでに存在していました。しかしながら、ハイドンとベートーベンの音楽を較べてみれば、それは強い血縁関係は感じながらも、本質的な部分では異なっていることも明らかです。
では、その違いは何なんだと考えていて、そしてこの変奏曲を聴いていてふと気づかされたのは、ベートーベンにおいては暗から明へと転ずることが重要なのではなく、その転じていく過程こそが重要だったのではないかと言うことです。
そう言えば、あの運命の第3楽章から第4楽章への変転も突然引き起こされるのではなくて、第3楽章での長い長い助走を経ての結果であるがゆえに聞き手に大きな感銘を与えるのです。あの低弦楽器がうごめくような音楽が、「光あれ!」という一言でガラリと景色が変わるようなものであるならばその様な感銘は絶対に生まれないのです。

そう考えれば、中期の頂点にたどり着いたベートーベンが、その「変容」の可能性を徹底的に確かめてみようとしてこのような変奏曲に取り組んだのは当然のことだったのかも知れません。
8小節からなる「主題」は、その8小節という器の大きさを変えることなく徹底的に変容させられていきます。そして、それが第31変奏まで続き、最後の変奏だけが50小節に拡大されています。そして、その「変容」の果てに再び最初の主題が再帰するとき、それは同じ姿でいながら、あらゆる試練を経てきた事によってより高い次元へと引き上げられていることを疑うものはなくなるのです。
そして、その試みがあまりにも実験的であったがゆえに、ベートーベンは敢えて作品番号を与えることを躊躇ったのかも知れません。

とは言え、作品番号が与えられていないからと言ってこの作品を「軽く」見るのは誤りです。少なくともこの作品関してはその事は肝に銘じておきべき事でしょう。


後年のブレンデルと較べれば、はるかに勢いの良さが前に出ている

ブレンデルは1958年と1960年の二度にわたってベートーベンの「ピアノのための変奏曲」をまとめて録音してくれました。
「ピアノのための変奏曲」というのは、ベートーベンのピアノ作品の中では傍流ですから、名のあるピアニストならば取り上げても精々が「ディアベリ変奏曲」か「エロイカ変奏曲」あたりまでです。それが、若い時代の作品番号が与えられていない作品まで触手を伸ばして数多く録音してくれたというのは、「ピアノのための変奏曲」を跡づけてみたいものにとっては有り難い話です。と言うか、実は順序が逆であって、こういう録音が存在していることに気づいたので、跡づけてみる気になったのです。

それにしても、ベートーベンの変奏曲というのは子供達のピアノ発表会などでもよく演奏されるような気がするのですが、ああいうのを聴くとまるでつまらない「練習曲」のように聞こえます。ところが、そう言う作品がブレンデルのようなピアニストの手にかかると魔法の如く別の姿が立ちあらわれるのです。
そう、まさに「魔法のごとき」です。
そして、練習曲風の変奏曲を聴かされてきた頻度が高ければ高いほど、その魔法の力には魅入られるはずです。そう思えば、「練習曲風の変奏曲」を聞かされ続けた労苦も報われるというものです。

ブレンデルの録音活動は「Philips」と強く結びついているのですが、それは1970年からスタートします。
この一連の変奏曲はアメリカの新興レーベルである「Vox」で録音されたものです。調べてみると、ブレンデルの若い頃の録音の大部分はこの「Vox」で行われています。そして、この一連の変奏曲の録音の後に、ブレンデルはこのレーベルでピアノソナタを次々と録音していきます。
つまりは、ブレンデルは「Vox」にとっても重要な位置を占めるピアニストになっていくのであり、そして、その事を踏み台として「Philips」というメジャー・レーベルとの契約にたどり着くのです。

そして、この「Vox」時代の録音を若い頃から順番に聞き続けていくと、最初は一刀彫りのような荒々しさが残っていたものが、次第に丁寧に作品を彫琢していくように変化していくのが分かります。そして、その変化は「変奏曲」のようなジャンルでは、作品の構造が実によく分かるので非常に好ましく思えるのです。
おそらく、「変奏曲」という形式は知的で真面目なピアニストにとってはもっとも相性のよいジャンルなのかも知れません。とは言え、後年のブレンデルと較べれば、はるかに勢いの良さが前に出ていることも事実であり、それもまたそれで魅力的です。

それから、余談ながら、ブレンデルという人は80年代から90年代にかけては、疑いもなく時代を代表するピニストだったのですが、その名前を聞かなくなってから随分と時が経ちます。ですから、すでに鬼籍には入られたのかと思っておられる方も多いかと思うのですが、実は今も存命です。
音楽家というのは、とりわけ指揮者とピアニストは「死ぬまで現役」という人が多いのですが、ブレンデルは珍しくも77歳で現役を引退したのです。2008年12月18日のウィーン・フィルとの公演がラスト・コンサートだったそうです。
そして、その後は教育活動に力を入れることになり、今も元気にレクチャーを行っているようです。
ブレンデルのピアノの特徴を一言で言えば、徹底的に考え抜かれた解釈によって繊細極まる造形を行うことにあります。それ故に、その様な完璧性が保持できなくなった時に、潔く撤退するだけの鋭い自己批判力があったと言うことなのでしょう。
引退した後のブレンデルのレクチャーを聴いた人の話によると、90歳を目前にした今もピアノの腕前はそれほど衰えていないように感じたというのですが、それもまた気楽な聞き手ゆえに言える言葉なのでしょう。

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2019-02-10:joshua





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