クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~



AmazonでCDをさがすAmazonでクナッパーツブッシュのCDをさがす
Home|クナッパーツブッシュ|ワーグナー:「タンホイザー」序曲

ワーグナー:「タンホイザー」序曲

ハンス・クナッパーツブッシュ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 1962年11月録音



Wagner:Tannhauser Overture


Youtubeチャンネル登録

古い録音が中心ですがYoutubeでも毎日アップしていますので、是非チャンネル登録してください。
チャンネル登録って何ですか?

男の身勝手

オペラのストーリーというのは男の身勝手というものが前面に出ているものが多いのですが、その最たるものがワーグナーでしょう。そのワーグナーの中でも、とりわけ「酷い」なあ・・・!!と感心させられるのがタンホイザーです。
誰かが似たようなことを書いていたような気がするのですが、このお話を現代風に翻案してみればこんな風になります。

『都会に出て行って風俗のお店通いに狂ってしまった男とそんなアホ男を田舎でひたすら待ちわびる純情な娘、そしてそんな娘に密かに心を寄せる堅気の田舎青年・・・というのが基本的な人間関係です。

この男、一度は改心したかのように見えて田舎に戻ってきます。ところが、村の祭りで例の堅気の青年が「徳」だの「愛」だのとほざくのを聞いて心底うんざりしてしまって、「やっぱり町の風俗の姉ちゃんが一番だ!」なんどと叫んでしまいます。

驚いたのは村の衆であり、とりわけその純情娘の親や親戚から総スカンを食って再び村にはおれなくなってしまいます。
しかし、それでも世間知らずの純情娘はそのアホ男のことが忘れられず、必死で彼のことをとりなします。

仕方がないので、一族の連中は、「そんならハローワークに言ってまともな仕事について堅気の生活をするなら許してやる。(ローマ法王の許しを得るなら許してやる)」といいます。
男は仕方なくハローワークに通うのですが(ローマ巡礼)、基本的に考えが甘いので上手く職を得ることなど出来るはずもなく「世間の連中はどうせ俺のことなんか何も分かってくれないんだ!やっぱり俺には風俗の姉ちゃんが一番だ!!」と叫んで男は再び都会に出て行こうとします。

ところが、嫌と言うほど裏切り続けられたにもかかわらず、その純情娘はそれでもアホ男のことを忘れられず、最後は自分の命を投げ出して彼を救ってくれるのです。
さすがのアホ男もその娘の献身的な愛のおかげでようやくにして目覚め、おまけに、世間の人もその娘の心を思ってアホ男を許します。』

・・・という、男の身勝手を絵に描いたようなお話です。

あらためて指摘するまでもないことですが、このアホ男とは疑いもなくワーグナー自身のことです。
彼は己のアホさ加減と身勝手さを嫌と言うほど知っていました。
でも、そんなあほうな自分でもいつか命をかけてでも愛して救ってくれる純情な女性が現れることを本気で信じていたのもワーグナーという男でした。


「カルショー的哲学」からすれば不都合極まりない条件が、結果としてクナッパーツブッシュが持っている美質を最大限に引き出している

クナッパーツブッシュは1962年11月にミュンヘン・フィルを使ってワーグナーの管弦楽曲をまとめて録音しています。そして、この翌年の1月に同じ顔合わせであの有名なブルックナーの8番を録音することになるのですが、それが彼にとって最後のスタジオ録音と言うことになります。

クナッパーツブッシュと言えば「録音嫌い」と言うことが言われます。
カルショーはクナッパーツブッシュを起用してワーグナーの「指輪4部作」を録音することが宿願でした。そして、その宿願の第一歩として1957年に「ワルキューレ」の録音に取りかかるのですが、それが「第1幕」だけで頓挫してしまったことは有名な話です。

その背景には「録音」というものに対する両者の「哲学」の違いがあったことは事実です。
劇場の人であるクナッパーツブッシュにしてみれば、歌手が一カ所か二カ所音を外したくらいくらいの事は何の不都合も感じなかったはずです。
ところが、「完璧な録音」こそが「哲学」であるカルショーにしてみればそれは絶対に許せないことであって、重箱の隅をつつくように録音をチェックしては、必要があればテイク2,テイク3を要求せざるを得ないのです。

それはクナの「哲学」から考えればたまったものではないのです。

カルショーは、クナッパーツブッシュは録音のプレイバックすらも聞こうとせずにスタジオを去ったと書いています。
カルショーにしてみれば、明らかにミスがあることが分かっている録音をそのまま放置することはできないのですが、クナッパーツブッシュにして盛ればそんな事は取るに足らない些細なモンだったのです。

しかし、カルショーは己の哲学を貫きました。
カルショーがあの手この手でクナッパーツブッシュを宥めながら録音させた様子は、むずかる小さな子どもをあやすようだったと伝えられています。しかし、そんな状態で指輪の4部作を録音など出来るはずもないのであって、結果としてカルショーは会社上層部の反対を押し切って指揮者かをクナッパーツブッシュからショルティに切り替えるのです。
そして、その事は「録音」の歴史においてきわめて重要な、決定的とも言うべき分水嶺になったのでした。

しかし、面白いと思うのは、クナッパーツブッシュとは真逆だと思われるジョージ・セルもスタジオ録音というものに対する懐疑的な考えを述べているのです。セルもまた、スタジオ録音というものが音楽全体の流れを無視をした切り貼りによって表面的な完璧さを目指すだけならば、そんなものは「忌まわしいだけの行為」だと述べているのです。
ですから、この「哲学」の違いはカルショーとクナパーツブッシュという二人の問題ではなくて、「録音」と言う行為をめぐるより深刻で本質的な問題を内包していたのです。

振り返ってみれば、クナッパーツブッシュは録音という行為に対して決して否定的ではありませんでした。彼のディスコグラフィをチェックしてみれば、録音の黎明期とも言うべき1920年代から熱心に録音活動に取り組んでいるのです。
ですから、彼が「録音」という行為に対して一見すると否定的な態度を取るようになったのは、カルショーに代表されるような「新しいスタイル」にもとづく「録音」に出会い、そう言うスタイルによる「録音」に拒絶反応を起こしたものだったのです。

この「録音」というものに対する「哲学」の違いはその後も長く決着を見ることはありませんでした。
何故ならば、作り手の側からすればカルショーに代表されるような「完璧な録音」という「哲学」へと収斂していったのですが、聞き手の側からはいつまでたってもそう言う「哲学」への疑問と不満が表明され続けたからでした。

何故かと言えば、このクナッパーツブッシュによる最後のワーグナー録音を聞けば、聞き手の側からすれば「完璧な録音」だけでは実現されない「何か」があることはあまりにも明らかだからです。
例えば、この「タンホイザー」序曲を聞くだけで、その「何か」がカルショー的な「完璧」さでは捉えきれないものであることを誰もが納得するはずです。

あまりにも多くの場所で語り尽くされている録音であり、それに対して何も付け加える必要はないので素は、敢えて付け加えるとすれば、この音楽は深々と沈潜していきます。
それは、音楽に内在する感情のうねりに沿ってより深く沈み込んでいのであって、その沈潜した底から、今度はフィナーレに向かって信じられない大きさへと膨れあがっていくのです。その鮮やかな場面転換こそはクナパーツブッシュの真骨頂であり、そういう音楽を聞けば誰もが鳥肌が立つような思いにとらわれるはずです。

そして、そう言う「偉大さ」を形あるものにしたのは、おかしな言い方のなるのですがウェストミンスター・レーベルのいい加減さだったと言う事実に突き当たって困ってしまうのです。

伝えられるところでは、ウェストミンスターによるクナパーツブッシュの録音では、驚くことに、マイクセッティングの調整するら満足に出来ていない状態でクナッパーツブッシュが演奏を始めてしまったようなのです。
もしも、それがカルショーならば当然の事ながらストップをかけるのでしょう。しかし、ウェストミンスターのスタッフは「まあいいか!」みたいな感じでそのまま録音を開始したようなのです。

さらに録音に使ったミュンヘンのバイエルン・スタジオ(Bavaria Studio )もきわめてデッドな会場で、Deccaならば絶対に使わないような場所だったのです。
しかし、そう言う「カルショー的哲学」からすれば不都合極まりない条件が、結果としてクナッパーツブッシュが持っている美質を最大限に引き出してしまったのです。

しかし、こういう書き方をすると、まるで私は「カルショー的哲学」を否定しているように読めてしまうのですが、事はそれほど単純ではありません。
ただし、すでに長くなってきていますので、この62年のウェストミンスター録音を紹介しながら、そのあたりのことをじっくりと考えてみたいと思います。
[関連ページ]


この演奏を評価してください。

  1. よくないねー!(≧ヘ≦)ムス~>>>1~2
  2. いまいちだね。( ̄ー ̄)ニヤリ>>>3~4
  3. まあ。こんなもんでしょう。ハイヨ ( ^ - ^")/>>>5~6
  4. なかなかいいですねo(*^^*)oわくわく>>>7~8
  5. 最高、これぞ歴史的名演(ξ^∇^ξ) ホホホホホホホホホ>>>9~10



3684 Rating: 7.5/10 (17 votes cast)

この演奏に対するご意見や感想をおよせください。

  1. 件名は変更しないでください。
  2. お寄せいただいたご意見や感想は基本的に紹介させていただきますが、管理人の判断で紹介しないときもありますのでご理解ください
名前*
メールアドレス
件名
メッセージ*
サイト内での紹介

 

よせられたコメント

2018-09-12:secondhand lion




【リスニングルームの更新履歴】

【最近の更新(10件)】



[2018-12-10]

モーツァルト:歌劇「魔笛」序曲 K.620
カレル・アンチェル指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 1960年6録音

[2018-12-10]

ワーグナー:「神々の黄昏」より「夜明け」と「ジークフリートのラインへの旅」
ルドルフ・ケンペ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団 1956年11月30日&12月5日録音

[2018-12-09]

ビゼー:交響曲 ハ長調
エルネスト・アンセルメ指揮 スイス・ロマンド管弦楽団 1960年10月録音

[2018-12-08]

ワーグナー:「タンホイザー」序曲&第1幕より「バッカナール」「ヴェヌスベルクの音楽」
ルドルフ・ケンペ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団 1956年11月30日&12月5日録音

[2018-12-07]

コダーイ:「ハンガリー詩篇」Op.13 (Sung in English)
ゲオルク・ショルティ指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 ロンドン・フィルハーモニー合唱団 (T)ウィリアム・マクアルパイン 1954年4月~5月録音

[2018-12-06]

ヘンデル:シャコンヌ ト長調, HWV 435
(Harpsichord)カール・リヒター 1954年3月録音

[2018-12-06]

ドビュッシー:風変わりなラヴィーヌ将軍 (前奏曲集第2巻、第6曲)
ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1965年5月1日&3日録音

[2018-12-05]

ロッシーニ:「ウィリアム・テル」序曲
カレル・アンチェル指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 1960年6録音

[2018-12-04]

バッハ:ブランデンブルク協奏曲第2番 ヘ長調 BWV1047
ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮 北ドイツ放送交響楽団 1961年録音

[2018-12-03]

ベートーベン:交響曲第7番 イ長調 作品92
ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮 北ドイツ放送交響楽団 1961年4月15日録音

[2018-12-02]

ハイドン(レオポルド・ホフマン):フルート協奏曲 ニ長調 Hob.7 f-D1
(Fl)オーレル・ニコレ カール・リヒター指揮 ミュンヘン・バッハ管弦楽団 1960年~1962年録音

[2018-12-01]

チャイコフスキー:スラヴ行進曲Op.31
フリッツ・ライナー指揮 シカゴ交響楽団 1958年12月28日~29日録音

[2018-12-01]

チャイコフスキー:小行進曲[組曲第1番ニ短調 Op.43より]
フリッツ・ライナー指揮 シカゴ交響楽団 1958年12月28日~29日録音

[2018-11-30]

ブラームス:4つの厳粛な歌 Op.121
(S)キルステン・フラグスタート (P)エドウィン・マッカーサー 1956年11月22日,23日,26日&27日録音

[2018-11-30]

民謡:水夫の踊り
ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1965年5月1日&3日録音