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シューベルト:交響曲第7(8)番ロ短調 D.759「未完成」

イーゴリ・マルケヴィッチ指揮 フランス国立放送管弦楽団 1955年1月14日&18日録音



Schubert:Symphony No.8 in B minor D.759 "Unfinished" [1.Allegro moderato]

Schubert:Symphony No.8 in B minor D759 "Unfinished" [2.Andante con moto]




シューベルトが書いた音楽の中でも最も素晴らしい叙情性にあふれた音楽

この作品は1822年10月30日に作曲が開始されたと言われています。しかし、それはオーケストラの総譜として書き始めた時期であって、スケッチなどを辿ればシューベルトがこの作品に取り組みはじめたのはさらに遡ることが出来ると思われています。
そして、この作品は長きにわたって「未完成」のままに忘れ去られていたことでも有名なのですが、その事情に関してな一般的には以下のように考えられています。

1822年に書き始めた新しい交響曲は第1楽章と第2楽章、そして第3楽章は20小説まで書いた時点で放置されてしまいます。
シューベルトがその放置した交響曲を思い出したのは、グラーツの「シュタインエルマルク音楽協会」の名誉会員として迎え入れられることが決まり、その返礼としてこの未完の交響曲を完成させて送ることに決めたからです。

そして、シューベルトはこの音楽協会との間を取り持ってくれた友人(アンゼルム・ヒュッテンブレンナー)あてに、取りあえず完成している自筆譜を送付します。しかし、送られた友人は残りの2楽章の自筆譜が届くのを待つ事に決めて、その送られた自筆譜を手元に留め置くことにしたのですが、結果として残りの2楽章は届かなかったので、最初に送られた自筆譜もそのまま忘れ去られてしまうことになった、と言われています。

ただし、この友人が送られた自筆譜をそのまま手元に置いてしまったことに関しては「忘れてしまった」という公式見解以外にも、借金のカタとして留め置いたなど、様々な説が唱えられているようです。
しかし、それ以上に多くの人の興味をかき立ててきたのは、これほど素晴らしい叙情性にあふれた音楽を、どうしてシューベルトは未完成のままに放置したのかという謎です。

有名なのは映画「未完成交響楽」のキャッチコピー、「わが恋の終わらざるがごとく、この曲もまた終わらざるべし」という、シューベルトの失恋に結びつける説です。
もちろんこれは全くの作り話ですが、こんな話を作り上げてみたくなるほどにロマンティックで謎に満ちた作品です。

また、別の説として前半の2楽章があまりにも素晴らしく、さすがのシューベルトも残りの2楽章を書き得なかったと言う説もよく言われてきました。
しかし、シューベルトに匹敵する才能があって、それでそのように主張するなら分かるのですが、凡人がそんなことを勝手に言っていいのだろうかと言う「躊躇い」を感じる説ではあります。

ただし、シューベルトの研究が進んできて、彼の創作の軌跡がはっきりしてくるにつれて、1818年以降になると、彼が未完成のままに放り出す作品が増えてくることが分かってきました。
そう言うシューベルトの創作の流れを踏まえてみれば、これほど素晴らしい2つの楽章であっても、それが未完成のまま放置されるというのは決して珍しい話ではないのです。

そこには、アマチュアの作曲家からプロの作曲家へと、意識においてもスキルにおいても急激に成長をしていく苦悩と気負いがあったと思われます。
そして、この時期に彼が目指していたのは明らかにベートーベンを強く意識した「交響曲への道」であり、それを踏まえればこの2つの楽章はそう言う枠に入りきらないことは明らかだったのです。

ですから、取りあえず書き始めてみたものの、それはこの上もなく歌謡性にあふれた「シューベルト的」な音楽となっていて、それ故に自らが目指す音楽とは乖離していることが明らかとなり、結果として「興味」を失ったんだろうという、それこそ色気も素っ気もない説が意外と真実に近いのではないかと思われます。

この時期の交響曲はシューベルトの主観においては、全て習作の域を出るものではありませんでした。
彼にとっての第1番の交響曲は、現在第8(9)番と呼ばれる「ザ・グレイト」であったことは事実です。

その事を考えると、未完成と呼ばれるこの交響曲は、2楽章まで書いては見たものの、自分自身が考える交響曲のスタイルから言ってあまり上手くいったとは言えず、結果、続きを書いていく興味を失ったんだろうという説にはかなり納得がいきます。

ちなみに、この忘れ去られた2楽章が復活するのは、シューベルトがこの交響曲を書き始めてから43年後の1965年の事でした。ウ
ィーンの指揮者ヨハン・ヘルベックによってこの忘れ去られていた自筆譜が発見され、彼の指揮によって歴史的な初演が行われました。
ただ、本人が興味を失った作品でも、後世の人間にとってはかけがえのない宝物となるあたりがシューベルトの凄さではあります。
一般的には、本人は自信満々の作品であっても、そのほとんどが歴史の藻屑と消えていく過酷な現実と照らし合わせると、いつの時代も神は不公平なものだと再確認させてくれる事実ではあります。


  1. 第1楽章:アレグロ・モデラート
    冒頭8小節の低弦による主題が作品全体を支配してます。この最初の2小節のモティーフがこの楽章の主題に含まれますし、第2楽章の主題でも姿を荒らします。
    ですから、これに続く第2楽章はこの題意楽章の強大化と思うほど雰囲気が似通ってくることになります。また、この交響曲では珍しくトロンボーンが使われているのですが、その事によってここぞという場面での響きに重さが生み出されているのも特徴です。

  2. 第2楽章:アンダンテ・コン・モート
    クラリネットからオーベエへと引き継がれていく第2主題の美しさは見事です。
    とりわけ、クラリネットのソロが始まると絶妙な転調が繰り返すことによって何とも言えない中間色の世界を描き出しながら、それがオーボエに移るとピタリと安定することによって聞き手に大きな安心感を与えるやり方は見事としか言いようがありません。



シューベルトの目指した交響曲への道を実現しようとするような演奏


マルケヴィッチは、若い頃は「作曲家」として活躍し期待もされていました。
13才の時にスイス来訪中のコルトーに自作(おそらくはピアノ組曲「結婚」)を演奏して認められ、パリ留学を勧められるるのが音楽家としてのキャリアの始まりです。そして、そのパリでナディア・ブーランジェに作曲を学ぶことになるのですが、その頃から既に狷介な性格だったのか、ブーランジェの回想によると、最初の1時間が終わる頃には「生徒の半数は敬服の念を持って彼に仕え、残る半数は決して彼を許しはしなかった」そうです。

しかし、その才能は誰もが認めるところで、二十歳を迎える頃には「イーゴリ2世」とか「二人のイーゴリ」と呼ばれるようになりました。言うまでもないことですが、もう一人の「イーゴリ」は「ストラヴィンスキー」のことでした。
しかしながら、ある意味ではマルケヴィッチ以上に狷介な性格の持ち主だったストラヴィンスキーはこの呼び方を忌み嫌ったとも伝えられています。もっとも、嫌ったのはその呼び方であって、マルケヴィッチが専業の指揮者に転身した後も彼はストラヴィンスキーの作品を熱心に取り上げています。

そんなマルケヴィッチが作曲家から指揮者に転身したのは30才(1942年)の時に患った大病のためだと言われています。
果たしてそれだけが原因だったのかどうかは分かりませんが、それ以後彼はきっぱりと作曲活動からは足を洗って指揮者稼業に専念します。

もちろん、それまでも指揮活動を行っていたのですが、そのほとんどは自作が取り上げられる演奏会においての事でした。それでも20代前半にシェルヘンのもとでみっちりと指揮法を学び、戦後すぐの時期に「ザルツブルグ・モーツァルテウム音楽院」で指揮法の授業を受け持っていますから、それなりの自信もあったのでしょう。

ヨーロッパにおける指揮者というのは一般的に地方の劇場から叩き上げてくるものです。それは、フルトヴェングラーやワルターのような巨匠であっても変わることのない道筋でした。
しかし、それ以外にシュトラウスやストラヴィンスキーのように自作を中心に指揮活動をする人もいました。マルケヴィッチはこの後者のラインからスタートしてそのまま専業の指揮者になったという珍しいパターンでした。

作曲家というものは、とりわけ自作であれば、必要なことは全てスコアの中に書き込んであるという自負があるので、演奏という行為を通して余分な解釈や愛想を振りまくようなことは潔しとしないのが一般的です。ですから、シュトラウスやストラヴィンスキーなんかの指揮は、ただリズムを刻んでいるだけのように聞こえたりします。
おそらく、マルケヴィッチの音楽に愛想みたいなものが希薄なのはそう言う出自から来るのでしょう。

しかし、偉い作曲家先生が自作を指揮するというアドバンテージがあれば、そう言う愛想のなさも聴衆は我慢して受け容れるのでしょうが、元作曲家の指揮者が他人様の作品をそのようなスタンスで演奏すれば閑古鳥が鳴いてしまいます。
かといって、今さらたたき上げの指揮者のように愛想を振りまく気持ちもなければ術もないとなると、それとは異なる道を探る必要があります。

マルケヴィッチが見つけ出した別の道は、作曲家としての視点で作品を徹底的に分析して、その構造をどんな鈍な聞き手の耳にでも分かるように提示することでした。
そして、それは時には、作曲家の仕上げが不十分な部分でさえも演奏という行為を通してパリッと仕上げてしまうと言うウルトラ業にまで発展していったように思うのです。

そんなマルケヴィッチの凄業の典型の一つが、このシューベルトの初期シンフォニーではないかと思うのです。
調べてみると、マルケヴィッチはシューベルトのシンフォニーはそれほど録音していません。

そんな中で珍しくも複数回録音しているのは「交響曲第3番」です。
私の知る限りでは「ベルリンRIAS響」「ベルリンフィル」「ソヴィエト国立響」「ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管」を相手に都合4回も録音しています。歌謡性に流れがちなシューベルトのシンフォニーの中で、仕立て直しの腕前を誇示するにはこの作品が一番ピッタリだったのでしょう。
そして、1954年にベルリンフィルと録音したときに、セットのように「交響曲第4番」も録音しているのですが、ベルリンフィルの高い機能性のおかげもあって見事なまでにパリッと仕上がっています。

モノラル録音ではあるのですが楽器の分離も良くて、シューベルトが目指した交響的な構築の至らぬ部分をマルケヴィッチの棒が仕立て直していく様子が手に取るように分かります。

しかし、そう言うマルケヴィッチの手腕を恐れたのがベルリン・フィルのシェフに就任したカラヤンだったと言われています。
この手の生臭い話は真相がどこにあるのかは藪の中になってしまうことが多いのですが、事実だけを並べれば54年にはEMIとの契約が破棄されて仏パテと契約をすることになります。そして、活動の拠点もフランス国立放送管やコンセール・ラムルー管などのフランスのオケへと移行していきます。

しかしながら、それはマルケヴィッチにとっては不幸なことでした。
54年にベルリンフィルと録音した3番と4番のシンフォニーでは、マルケヴィッチの指向する音楽が見事に実現されているのに対して、55年にフランス国立放送管と録音した「未完成」ではその狙いが十全に実現できているとは言い切れないからです。もっと有り体に言えば、このフランスのオケはマルケヴィッチの指示に追随しきれていないことは明らかなのです。

こういう音楽なのですから、歌うならば歌えばいいのですが、それはマルケヴィッチの指向するところではなかったのです。
マルケヴィッチはここでも54年に録音したシューベルトのようにエッジを明確にたてて、その明瞭な輪郭線で作品を交響的に造形していこうとしているのですが、フランス国立放送管はその指示に応えきれていないのです。

そう言う意味では、この一連のシューベルトの録音は、その後のマルケヴィッチが辿らなければならなかった苦難の道を明暗二つの側面から浮かび上がらせたものだといえるのかもしれません。


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