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ベートーベン:ピアノ・ソナタ第7番 ニ長調 Op.10-3

(P)ヴィルヘルム・ケンプ 1964年11月11日録音

Beethoven: Piano Sonata No.7 In D, Op.10 No.3 [1. Presto]

Beethoven: Piano Sonata No.7 In D, Op.10 No.3 [2. Largo e mesto]

Beethoven: Piano Sonata No.7 In D, Op.10 No.3 [3. Menuetto (Allegro)]

Beethoven: Piano Sonata No.7 In D, Op.10 No.3 -[4. Rondo (Allegro)]




新しいスタイルを模索するベートーベン

"3つのピアノソナタ"としてまとめて発表されていますが、一つ一つがユニークさをもっていて、意欲満々で新しい形式を模索するベートーベンの姿を感じ取ることができます。
曲の配列は作品2の時と同じで、ここでもハ短調のソナタを1番に持ってきて、最も演奏効果の高いニ長調のソナタを最後に持ってきています。

そう言えば、チャールズ・ローゼンはこの3曲のことを「彼は情熱的な英雄気取りで1曲目をはじめ、より機知に富んだ2曲目へと続き、雄大な広がりを見せて3曲目を終えている」と述べています。

そして、この中で一番ユニークであり優れているのがピアノソナタ第7番の第2楽章です。
"ラルゴ・エ・メスト"と記されたこの楽章は、ベートーベン自身が「悲しんでいる人の心のありさまを、様々な光と影のニュアンスで描こうとした」ものだと語っています。
"メスト(悲しみ)"と記されているように、ベートーベンの初期作品の中では際だった深刻さを表出している作品です。

また、ラルゴというスタイルを独立した楽章に用いるのもこれが最後になるだけに意味深い作品だと言えます。

それ以外にも、例えば第5番のソナタの第1楽章の構築感は紛れもない「ベートーベンそのもの」を感じ取ることができますし、緩徐楽章が省かれた第6番のソナタのユニークさも際だっています。
初期のピアノソナタの傑作とも言うべき第8番「悲愴」の前に位置する作品で、見過ごされることの多い作品ですが、腰をすえてじっくりと聞いてみるとなかなかに魅力的な姿をしています。

ピアノソナタ第7番 ニ長調 作品10の3


  1. 第1楽章:Presto
    冒頭部分で提示される第1主題はフェルマータで終結して、それに続く部分とはっきり区別されます。さあ、これが第1主題で、この中の音型を使ってこのソナタ楽章は構成されますよ!と言う宣言みたいな始まりです。
    そして、実際にこの第1主題の力強さを内包した4音が果てしなく反復されていきます。その数、(数えた人によると・・・)およそ50回だそうです。

    ある人に言わせれば、全く音楽のことが分からない人に対して、ベートーベン自身が自らの作曲の仕方をレクチャーしたような音楽です。

    なお、この楽章には作曲当時のベートーベンが使用していたピアノでは出ない高音と低音が一つずつ含まれているそうです。高音は(ベートーベンのピアノ)F→(楽譜)F♯、低音は(ベートーベンのピアノ)F→(楽譜)Eとなっているそうです。
    原典原理主義のピリオド演奏を推進した人の中には、この2音を演奏することは当時の演奏の風習に反するとしてこの2音を弾かないそうです。

    エイプリルフールのギャグ話かと思ったのですが、実行している人たちは大まじめだそうです。
    イデオロギーを大まじめに追求すると、どんなお笑い芸人をも打ち負かすギャグになるのは音楽の世界でも変わりがないようです。

  2. 第2楽章:Largo e mesto
    ベートーベンはピアノソナタの緩徐楽章で「Largo」を使ったのはこれが最初にして最後です。とあるベートーベン研究家は、「ベートーベンはこの音楽でLargoの良い部分を搾り取った」と表現したそうです。

    メニューヒンはピアノを「文学的な楽器」だと表現していました。
    確かに、この音楽を聴くと、ピアノは悲しみのストーリーを物語っています。そして、物語は中間部の特徴な旋律によってむせびなきへと変わり、言葉は詩へと昇華します。

    おそらく、若き時代という但し書き抜きで「最も優れた音楽の一つ」と言い切れるでしょう。

  3. 第3楽章:Menuetto e Trio-Allegro
    悲しみの表情は、ここで一転して優しい叙情へと様変わりします。こういう感情の激しい転換はベートーベンの特長としてこの後も引き継がれていく特徴です。

  4. 第4楽章:Rondo-Allegro
    作品10の3曲の中では、このニ長調ソナタだけが4楽章構成になっています。当時の常識としてはこれが基本形であり、ハ短調ソナタはメヌエット楽章を欠き、ヘ長調ソナタでは緩徐楽章を欠いていると感じられたようです。
    その意味では、4つの楽章が揃ったこのソナタが最も正統派で演奏効果も高い音楽と受け取られたようです

    こういう4楽章構成では、前の3楽章を引き受けてまとめをつける終楽章にはロンド形式が用いられるのが一般的でした。ですから、このニ長調のソナタでもそのお約束通りにロンド形式が採用されています。
    しかし、そのロンド形式はこれに先だとソナタのロンド形式と較べるとはるかに複雑な構造を持っています。

    ロンド形式とは言うまでもなく主たる旋律が異なる旋律を挟みながら何度も繰り返される形式です。最もシンプルで古典的なのは「A(メインの旋律) - B - A - C - A - D - A ...」みたいな感じですね。
    しかし、この楽章ではロンド主題は帰ってくるたびに変奏される事で実に複雑な音楽になっています。

    また、曲の最後も音楽が少しずつ蒸発して消えていくような雰囲気を持っているので、演奏する側にとってはなかなかに難しい音楽だと言えます。



神から与えられた恩寵がケンプというエオリアンハープを通して鳴り響く演奏


演奏家の本質的な部分を考える上で「コンプリートする人」と「コンプリートにはこだわらない人」というのは一つの指標になるはずです。
しかし、世の中は常に「例外」が存在するのであって、この二分法が全く意味をなさない演奏家というものも存在します。やはり、そう言うシンプルな「図式論」で割り切れるほど現実はシンプルではないと言うことなのでしょう。

一般的にいって「コンプリートする人」というのはその一連の演奏に一貫した「論理」みたいなものが通底しています。ですから、その論理に従って一つずつの作品と丁寧に向き合い、じっくりと時間をかけて「全集」を完成させるというのが通常のスタイルです。
例えば、ピアニストで言えばバックハウスなどはその典型だと思うのですが、彼は2回目のベートーベンの全集に10年以上の時間をかけながら結果として29番のソナタを残してこの世を去りました。
モノラル録音による1回目の全集にしても1950年から1955年までの長い時間を要しています。

つまりは、じっくりと時間をかけて一つずつの作品と向き合って丁寧に仕上げていくのがそう言うタイプの演奏家の特徴なのです。
ところが、このケンプというピアニストに関しては、そう言う「常識」が通用しないのです。

外面的に見れば、彼は疑いもなく「コンプリートする人」の部類に入ります。
何しろ、彼はモノラル録音で1回、ステレオ録音で1回の計2回もベートーベンのソナタをコンプリートしているからです。最晩年には、当時は取り上げる人もそれほど多くなかったシューベルトのソナタもほぼコンプリートしています。

さらに調べてみると、ケンプは戦時中の1940年代にもベートーベンの全曲録音に取り組んでいました。
結果としてこの全集は未完成に終わったのですが、もし完成していればシュナーベルに続くコンプリートになる予定でした。
そしてもう一つ、1961年の来日の時にNHKのラジオ放送のためにベートーベンのソナタを全曲録音しているのです。

つまりは、彼はその生涯においてベートーベンのソナタの全曲録音に4回も取り組み、その内の3回は完成させているのです。


  1. 1940年~1943年:SP録音(未完成)

  2. 1951年~1956年:モノラル録音

  3. 1961年:ラジオ放送のためのライブ録音

  4. 1964年~1965年:ステレオ録音



61年のライブ録音は10月10日,12日,14日,16日,26日,27日,30日の7日間で行われています。来日時の限られた日程の中での録音だったのでそれは仕方がないことだったのですが、それ以外のセッション録音の方はクレジットを見る限りはそれなりに時間をかけて取り組んだかのように見えます。
ですから、外見上は疑いもなく「コンプリートする人」のように見えるのです。

ところが、詳しい録音のクレジットが残っている50年代のモノラル録音と60年代のステレオ録音をさらに細かく調べてみると、一見するとそれなりに時間をかけて取り組んだように見えながら、その実態は61年のライブ録音とそれほど変わりのないことに気づくのです。
例えば50年代のモノラル録音をもう少し詳しく見てみると以下のような日程で行われています。


  1. 1951年9月20日:作品110/作品111

  2. 1951年9月21日:作品90/作品106

  3. 1951年9月22日:作品57/ 作品78/作品79

  4. 1951年9月24日:作品53/作品81a

  5. 1951年10月13日:作品7

  6. 1951年12月19日:作品2-2/作品2-3/作品10-1/作品10-2

  7. 1951年12月20日:作品14-2/作品26/作品27-1/作品10-3/作品14-1

  8. 1951年12月21日:作品28/作品31-1/作品31-2

  9. 1951年12月22日: 作品31-3

  10. 1951年9月25日&12月22日:作品49-1

  11. 1951年10月13日&12月22日:作品2-1

  12. 1951年9月25日: 作品49-2/作品54/作品101/作品109




  1. 1953年1月23日:作品13

  2. 1956年5月3&4日:作品27-2

  3. 1956年5月4&5日:作品22



つまりは1951年の9月と12月の10日ほどの間に集中して録音がされていて、落ち穂拾いのように53年と56年に3曲が録音されているのです。
録音の進め方としては61年のライブ録音の時とそれほど大差はありません。

そして、それと同じ事がステレオ録音の方に言えるのです。
煩わしくなるのでこれ以上細かいクレジットは紹介しませんが、ザックリと言って、64年の1月に29番以降の後期のソナタを4曲録音して、その後は9月の4日間で中期の9曲、11月の4日間で初期作品を中心に12曲、そして年が明けた1月の4日間で残された7曲を録音して全集を仕上げているのです。

つまりは、誤解を恐れずに言い切ってしまえば、ケンプという人は「コンプリートにこだわらない人」の感性を持って「コンプリート」しているように見えるのです。
「コンプリートにこだわらない人」の特徴は己の感性に正直だということです。

ですから、普通そう言うタイプの人は「好きになれない音楽」「共感しにくい音楽」をコンプリートするためだけに無理して録音などはしないのですが、なぜかケンプという人は己の感性に従って淡々と録音をしていくのです。
そして、時には1950年12月20日のように、この一日だけで5曲も録音を仕上げてしまったりするのです。
ちなみにその前日には4曲を仕上げていますから、この2日間だけで全体の3分の1近くを仕上げてしまったことになります。

そして、その淡々とベートーベンの音楽を鳴り響かせるケンプの姿に接していると、ブレンデルの「ケンプはエオリアンハープである」という言葉を思い出さざるを得ないのです。
おそらく、ケンプにとってベートーベンやシューベルトの音楽は、好きとか嫌いなどと言う感情レベルで判断するような音楽ではなかったのでしょう。
それはまさに神から与えられた恩寵であり、その恩寵がケンプというエオリアンハープを通して鳴り響くだけだったのかもしれません。

風が吹けば鳴り、風が吹かなければ鳴りやむ、ただそれだけのことだったのかもしれません。

例えば、8番のパセティックの冒頭、普通ならもっとガツーンと響かせるのが普通です。29番のハンマークラヴィーアにしても同様です。

ところが、ケンプはそう言う派手な振る舞いは一切しないで、ごく自然に音楽に入っていきます。そして、その後も何事もないように淡々と音楽は流れていきます。
あのハンマークラヴィーアの第3楽章にしても、もっと思い入れタップリに演奏しようと思えばできるはずですが、ケンプはそう言う聞き手の期待に肩すかしを食らわせるかのように淡々と音楽を紡いでいきます。

普通、こんな事をやっていると、面白くもおかしくもない演奏になるのが普通ですが、ところがケンプの場合は、そう言う淡々とした音楽の流れの中から何とも言えない感興がわき上がってくるから不思議です。
おそらく、その秘密は、微妙にテンポを揺らす事によって、派手さとは無縁ながら人肌の温かさに満ちた「歌」が紡がれていくことにあるようです。

パッと聞いただけでは淡々と流れているだけのように見えて、その実は裏側で徹底的に考え抜かれた「歌心」が潜んでいます。


ケンプのモノラル録音全集に対してこういう言葉を綴ったことがあるのですが、このステレオ録音に対しても全く同じ事が、いやそれ以上にその言葉はステレオ録音の方にこそ相応しいのかもしれません。

しかし、彼の録音をさらに聞き込んでいく中で気づかされたのは、彼の魂とも言うべ「微妙にテンポを揺らす事によって」紡ぎ出される「人肌の温かさに満ちた歌」は、「徹底的に考え抜かれた歌心」ではなくて、まさに彼に吹き寄せる風によって生み出され多た「歌」だったと言うことです。そして、そう言う風が鳴り響かせる「歌」に身を任していれば、音楽にとってテクニックというものはどこまで行っても「手段」にしかすぎないと言うことを再認識させられるのです。

しかしながら、その「歌」の幻想的なまでの心地よさは認めながらも、それでもベートーベンの音楽には演奏する側にとっても聞く側にとっても「傾注」が必要だという事実にも突き当たります。
そして、ケンプの演奏はその様な「論理に裏打ちされた傾注」によって構築されたベートーベンではないことは明らかなのです。ベートーベンという音楽を象るアウトラインが曖昧であり、率直に言ってぼやけていると言われても仕方がありません。つまりは「緩い」のです。

もちろん、そう言う「傾注」と「エオリアンハープ」が同居することなどはあり得ない事ははっきりしています。
そして、その事が明確であるがゆえに、まさにそこにこそケンプの演奏の魅力と限界があると言わざるを得ないのです。
そう考えれば、彼のエオリアンハープ的資質が存分に発揮されるのはベートーベンではなくてシューベルトなんだろうと思われます。

しかし、そこから先のことはシューベルトの録音を取り上げたときに、さらに突っ込んで考えてみたいと思います。

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