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ベートーベン:ピアノソナタ第4番 変ホ長調 作品7

(P)ヴィルヘルム・バックハウス 1966年11月録音



Beethoven: Piano Sonata No.4 In E Flat, Op.7 [1. Allegro molto e con brio]

Beethoven: Piano Sonata No.4 In E Flat, Op.7 [2. Largo, con gran espressione]

Beethoven: Piano Sonata No.4 In E Flat, Op.7 [3. Allegro]

Beethoven: Piano Sonata No.4 In E Flat, Op.7 [4. Rondo (Poco allegretto e grazioso)]


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愛する女 "Die Verliebte"

若きベートーベンの意気込みがつたわってくるような作品です。作品2の3つのピアノソナタと比べると明らかに規模の大きな作品であり、内容的にも深みを増しています。
何しろ、32曲あるすべてのソナタの中でも最も長く、さらにはもっとも難しい作品の一つになっているのです。
特に、非常に速く演奏することが要求される第1楽章(Allegro molto e con brio)には、その様な困難さが集中しています。ローゼン先生はその具体例として長い跳躍、レガートのオクターブ、きわめて速い分散オクターブ、そして異なる声部が強調されなければならないトレモロなどをあげています。

さらに、第2楽章の「Largo con gran espressione」は、響きの面でも情緒の面でもより充実したものとなっています。
ベートーベンの初期のピアノソナタはあまり聞かれることの少ない作品ですが、聞いていて一番面白いのは緩徐楽章です。順を追って、これら一連の初期ソナタを聞いていくと、その美しい緩徐楽章がより美しく、深みをましていく様子が手に取るように分かります。そして、この第4番の「Largo con gran espressione」を聞くと、作品2のソナタより一段と響きは充実して深い情緒をたたえていることが分かります。

この深い情緒は賛美歌的な歌と、オペラのレチタティーボ的な歌という矛盾する二つの要素を巧みに組み合わせたことからもたらされていて、その効果を十全に発揮するためにはきわめて表情豊かな演奏が要求されます。
ピアニストにとっては、技術的困難を乗り越えた第1楽章の後に、このような緩徐楽章が待ち受けていて、そこからこぼれて落ちるような歌心を発揮しなければいけないのです。それは明らかに、指がまわるだけではどうしようもない、もう一つの異なる難しさです。
シューベルトはこの楽章から深い感銘を受けたと伝えられているのですが、さもありなんと言う感じです。

これに続く第3楽章はメヌエットともスケルツォとも記されていません。作品2のソナタではスケルツォと記していたのですが、それはすでに述べたように基本的にはメヌエットの3部形式から離れるものではありませんでした。
当然の事ながら、その事はベートーベンも十分に理解していたでしょうから、このソナタでも曲想がどちらともつかないために、ベートーベン自身もあえて明記しなかったものと思われます。

最終楽章のロンド形式はモーツァルトのソナタにとって定番のようなフィナーレなのですが、ベートーベンもこの時期においてはその定番に従っています。しかし、中間部では明確に「歌う」事が要求されていて、明るく親しみやすいモーツァルト的なフィナーレから少しずつ離れようとしていることも伺えます。

なお、「愛する女」というのは、このソナタの発表当時につけられたニックネームみたいなもので、全体に漂う優雅な雰囲気からその様な呼び方をされたのでしょう。
最近はその規模大きさから「Grand Sonata」と呼ばれることもあるようです。


  1. 第1楽章:Allegro molto e con brio

  2. 第2楽章:Largo con gran espressione

  3. 第3楽章:Allegro

  4. 第4楽章:Rondo. Poco Allegretto e grazioso





淡々と流れ行く音楽のエネルギーの底に、何か静かな瞑想的な静けさを感じます

ネット上を散見すると、外国ではバックハウスの録音は次々とカタログから消えて過去の人になっているので、彼のことを持ち上げるのは日本だけだという論調をよく見かけます。
カタログから消えているから「過去の人」というのは明らかに短絡的に過ぎますし、それよりも自分の価値判断の根拠を他者にゆだねて平気な立ち位置には疑問を感じます。

ただし、「外国」ではこうだから「日本」もかくあるべしと言う「論」が未だに生き残っていることにはいささか軽い「感動」を覚えました。

よく知られてるいるように、バックハウスは1950年から1954年にかけてベートーベンのピアノソナタを全曲録音しています。さらに、1958年から彼の亡くなる年である1969年にかけてもう一度「ほぼ全曲」録音をしています。「ほぼ」全曲というのは、作品106の変ロ長調ソナタだけは再録音できなかったので、それだけはモノラル時代の録音で代用して「全集」としたからです。

こういう風に、50年代から60年代にかけて録音の形態がモノラルからステレオに移行したことで、レーベルの意向も働いて再録音されるケースがよくあります。
ベートーベンのピアノソナタで言えば、バックハウスと並び称されたケンプなどもモノラルとステレオで二回全集を完成させています。

そして、こういうケースの場合は、2回目のステレオ録音の方が衰えが感じられて、あまりよろしくない結果になっていることが多いです。

考えてみれば、バックハウスが2回目の録音に着手した時は既に70歳を超えていました。正確に言えば、74歳から85歳にかけて録音されたことになります。
ちなみに、モノラル録音の方も64歳から68歳にかけての録音ですから、どちらにしても脂ののりきった全盛期の録音と言うには躊躇いを感じます。

指揮者と違って自分で音を出さないといけない演奏家というのは、肉体的衰えはそのまま音楽的な衰えに結びつかざるを得ません。
自分の肉体そのものが楽器である歌手ほどには影響は深刻ではなくても、それでも筋力の衰えはピアニストにとっては無視できないハンデとなります。

バックハウスは長生きをして、最後まで現役のピアニストとして活動しました。
しかし、調べてみると、あのシュナーベルよりも3歳若いだけですし、あの伝説の指揮者であるニキシュとも共演しているのです。

それに較べれば、ケンプの2回目のステレオ録音は1964年から65年にかけて一気に為されてるのですが、その時ケンプは69歳から70歳にかけての仕事でした。
モノラル録音の方は51年から56年にかけての仕事なのですが、大部分は51年に録音されているので、実質的には55歳の時の仕事だと考えていいでしょう。

55歳!!
まさに脂ののりきった全盛期の仕事と言っていいでしょう。

その意味で言えば、バックハウスはその様な録音の恩恵にあずかるには、いささか早く生まれすぎたと言えます。(ちなみに彼はフルトヴェングラーよりも1歳年長です。)

ステレオによる録音は以下のような順番で行われています。

[1958年]

第8番 ハ短調『悲愴』/第14番 嬰ハ短調『月光』/第21番 ハ長調『ヴァルトシュタイン』/第23番 ヘ短調『熱情』

おそらくこの年の録音は、ステレオ録音による全集の開始というのではなく、レーベルの強い意向で売れ筋の有名曲をステレオで録音しましょう、みたいなノリで始まったのではないかと想像されます。まあ、何の根拠もありませんが。(^^

[1961年]

第15番 ニ長調『田園』/第26番 変ホ長調『告別』/第30番 ホ長調/第32番 ハ短調

[1963年]

第1番 ヘ短調/第5番 ハ短調/第6番 ヘ長調/第7番 ニ長調/第12番 変イ長調『葬送』/第17番 ニ短調『テンペスト』/第18番 変ホ長調/第25番 ト長調『かっこう』/第28番 イ長調/第31番 変イ長調

あまりメジャーとは言えない作品10の3曲が録音されていますので、このあたりで全集の完成を視野に入れはじめたのかもしれません。
しかし、注目すべきは、63年に録音された演奏の大部分は63年にリリースされているのに、「第25番 ト長調『かっこう』」と「第31番 変イ長調」だけは67年になってはじめてリリースされていることです。
その理由は実際に聞いてみればすぐに了解できます。演奏は不安定で指のもつれも垣間見られます。

おそらくバックハウス自身は録音をやり直したかったのだと思います。しかし、その時間と根気はバックハウスには残されていなかったと言うことなのでしょう。おそらく、最後はレーベルに押し切られて渋々リリースとなったものと思われます。

[1966年]

第4番 変ホ長調

自分の衰えを感じながらも、初期ソナタの中の異形とも言うべきこの作品だけは残したかったのかもしれません。

[1968年]

第2番 イ長調/第9番 ホ長調/第10番 ト長調/第11番 変ロ長調/第19番 ト短調/第20番 ト長調

[1969年]

第3番 ハ長調/第13番 変ホ長調『幻想曲風ソナタ』/第16番 ト長調/第22番 ヘ長調/ 第24番 嬰ヘ長調『テレーゼ』/ 第27番 ホ短調

そして、何かにせき立てられるかのように、最後の2年間に12曲もの録音が行われ、第29番 変ロ長調『ハンマークラヴィーア』だけが残されることになります。

確かチャールズ・ローゼンの言葉だと思うのですが、ベートーベンの音楽は他の作曲家と較べるとより強い傾注を要求します。そして、その様な傾注を通して読み取った音楽の形を現実の音に変換するためには確かなテクニックが絶対に必要です。
つまりは、ベートーベンだからと言って、深い精神性だけでは音楽にはならないのです。

当たり前の話ですが、心身共に脂ののりきった状態でなければ、音楽に対して一切の妥協を許さなかったベートーベンの音楽を再現することは不可能なのです。

その意味で言えば、死の直前の68年から69年にかけて行われた録音だけでなく、一番最初の58年の録音においても、明らかにバックハウスは衰えています。
さらに言えば、録音が良くなったことで内部の見通しが良くなり、バックハウスが何をやっていて、何ができていないのかもよく分かるようになってしまいました。

バックハウスは明らかに、一定のテンポを強靱に維持し続けるのが難しくなってきています。もちろん、それは「歌う」事に足下を救われていると言うのではないのですが、モノラル録音から感じられた強靱さは影を潜めています。
また、その外にも一例を挙げれば、バス声部のトリルなども随分と不明瞭になって他の声部の中に埋没しかける場面が増えてきます。
こういう部分は、ベートーベン時代のピアノであるならばそれほど困難ではないのですが、現在のコンサート・グランドではかなり難しい部分らしいです。

ちなみに、同時代のアラウの録音などではそう言う部分は見事に表現されていますし、モノラル録音のバックハウスでも同様です。
そこからは、思いはあっても思うように動かない指をもてあましながら、それでも理想の表現に到達しようとする老いたる男の執念を感じる部分でもあります。

そして、それはそれでいいし、そう言うことも含めて聞き手は享受すればいいのだと思います。

しかし、ベートーベンのもう一つの持ち味は緩徐楽章の美しさです。そして、そう言う部分になると、ステレオ録音の大らかさはプラスに働いていますし、何よりも肉体的な衰えは大きなマイナスとはなっていないように思います。
このステレオ録音に「淡々と流れ行く音楽のエネルギーの底に、何か静かな瞑想的な静けさを感じます。」という人がいるのは、その様な理由からでしょう。

それから、肉体のコンディションというのは、年を取ってからでも調子のいいときは調子がいいものです。
ですから、最晩年の録音でも早いパッセージを意外なほどクリアに乗り切っている場面もあります。そう言う場面に出会うと、なるほどバックハウス恐るべし!などと思ってしまいます。

決して「枯れた芸」などと言う安易な褒め言葉に寄りかかる人でなかったことだけは確かです。

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