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ブラームス:ピアノ協奏曲第1番 ニ短調 作品15

(P)グレン・グールド レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック 1962年4月6日録音

Leonard Bernstein Speech

Brahms:Piano Concerto No.1 in D minor Op.15 [1.Maestoso]

Brahms:Piano Concerto No.1 in D minor Op.15 [2.Adagio]

Brahms:Piano Concerto No.1 in D minor Op.15 [3.Rondo. Allegro non troppo ]

Glenn Gould Radio Interview




交響曲になりそこねた音楽?

木星は太陽になりそこねた惑星だと言われます。その言い方をまねるならば、この協奏曲は交響曲になりそこねた音楽だといえます。

諸説がありますが、この作品はピアノソナタとして着想されたと言われています。それが2台のピアノのための作品に変容し、やがてはその枠にも収まりきらずに、ブラームスはこれを素材として交響曲に仕立て上げようとします。しかし、その試みは挫折をし、結局はピアノ協奏曲という形式におさまったというのです。
実際、第1楽章などではピアノがオケと絡み合うような部分が少ないので、ピアノ伴奏付きの管弦楽曲という雰囲気です。これは、協奏曲と言えば巨匠の名人芸を見せるものと相場が決まっていただけに、当時の人にとっては違和感があったようです。
そして、形式的には古典的なたたずまいを持っていたので、新しい音楽を求める進歩的な人々からもそっぽを向かれました。

言ってみれば、流行からも見放され、新しい物好きからも相手にされずで、初演に続くライプティッヒでの演奏会では至って評判が悪かったようです。
より正確に言えば、最悪と言って良い状態だったそうです。

伝えられる話によると演奏終了後に拍手をおくった聴衆はわずか3人だったそうで、その拍手も周囲の制止でかき消されたと言うことですから、ブルックナーの3番以上の悲惨な演奏会だったようです。おまけに、その演奏会のピアニストはブラームス自身だったのですからそのショックたるや大変なものだったようです。
打ちひしがれたブラームスはその後故郷のハンブルクに引きこもってしまったのですからそのショックの大きさがうかがえます。

しかし、続くハンブルクでの演奏会ではそれなりの好評を博し、その後は演奏会を重ねるにつれて評価を高めていくことになりました。因縁のライプティッヒでも14年後に絶賛の拍手で迎えられることになったときのブラームスの胸中はいかばかりだったでしょう。

確かに、大規模なオーケストラを使った作品を書くのはこれが初めてだったので荒っぽい面が残っているのは否定できません。
1番の交響曲と比較をすれば、その違いは一目瞭然です。
しかし、そう言う若さゆえの勢いみたいなものが感じ取れるのはブラームスの中ではこの作品ぐらいだけです。
私はそう言う荒削りの勢いみたいなものは結構好きなので、ブラームスの作品の中ではかなり「お気に入り」の部類に入る作品です。


喧嘩別れしただけでも、グールドは偉かったのかもしれません。


グールドと言うだけで天まで持ち上げる人は少なくありません。確かに、彼のバッハ演奏は素晴らしいですし、同じように新ウィーン楽派のピアノ音楽も素晴らしいです。
しかし、だからといって、彼の演奏のどれもこれもが全て素晴らしいわけでないことを指摘するのは、決してグールドを貶めることにはつながりません。
そんな事はどの演奏家にも作曲家にもあてはまるごく当たり前のことだからです。

あの天才モーツァルトだって、彼が残した音楽の全てが、その天才の名に恥じないような素晴らしい音楽で埋め尽くされているわけではありません。そして、そう言う天才の名に恥じるような作品がいくつも存在しているからと言って、その事がモーツァルトの名を辱めることにならないのと同じ事です。

ところが、そう言うごく当たり前のことが分からずに、己の信奉している演奏家や作曲家に対して批判的なことを書いている文章に出会うと、瞬間的には反応してしまう人が少なくありません。
と言うことで、前置きが妙にしつこくなりましたが(^^;、ここからいささかグールドに対して批判的なことを書きますが、決してグールドのことを悪く思っているわけではないので、どうかグールド信奉者の方々も最後まで平静を保って読んでいただければ幸いです。

グールドというピアニストの最大の功績はバッハがピアノで演奏できることを証明して見せたことです。もう少し正確に書けば、ピアノを使ってもチェンバロに負けないほど見事にバッハの対位法を表現できることを証明してみせたことです。
グールドの奇蹟のような指は、バッハの何本も絡み合ったラインをくっきり浮かび出すだけでなく、そのラインの軽重を巧みに弾きわける事で、誰も聞いたことがなかったバッハの姿を示して見せました。

しかし、その事は、逆から見れば、グールドは音を縦に積み重ねて響かせることは好きではなかったということです。そして、そのような分厚い響きを素材として音楽を構築していくことには最後まで違和感を感じ続けたピアニストでした。
その事が、「自分のプログラムにはフーガの技法とトリスタンの間に1世紀分の盲点がある」とか「19世紀前半は全体が空白だ」みたいな言葉となって表れたのではないでしょうか。

しかし、そう言う思いを「モーツァルトは死ぬのが遅すぎた」とか「ベートーベンは独りよがりな作曲家の究極の歴史的例証」と言うエキセントリックな言葉で表現してしまうと、さすがに少なくない人を怒らせる結果となりました。
さらに、その返す刀で、偉大なピアノ音楽の例証としてリヒャルト・シュトラウスの初期作品(どう聞いても、とんでもなく退屈な代物)を録音してみせたことで、今度は怒りのかわりに失笑を買ったりもしたのでした。

しかし、彼がどれほどのレトリックを使って自分が嫌いな音楽を酷評しても、残念ながらその大部分は「過去の良い音楽」として世界中のコンサートホールで演奏されています。
そして、そう言う作品が世界中で演奏されている以上は、グールドであってもコンサートで取り上げないわけにはいかないのです。

彼はわずか9年でコンサートピアニストとしての稼業から足を洗っています。
彼得意の言い回しで、その理由についてあれこれ語っていますが、結局は好きでもない音楽を聴衆の前で演奏し続けるのが嫌になったということです。

録音ならば、そう言う盲点や空白の時代の作品であっても、その中から好きになれそうな作品を選び出して、その演奏の仕方をあれこれトライしてみることもできます。しかし、実際のコンサートで、同一の作品を何通りものテンポ設定で演奏してどれが一番自分にしっくり来るかを試してみるなんて事は不可能なのです。

彼はコンサートからドロップアウトする直前に、ベートーベンの2番コンチェルトを好んで取り上げていました。ベートーベンのコンチェルトのなかでは最もクオリティ的に落ちると言われる作品を積極的に取り上げていたことに、彼の屈折した思いを感じずにはおれません。
そして、そう言う屈折した思いが、バーンスタインとの間でついに一つの事件を引き起こしてしまいます。
それが、有名な1962年4月6日のコンサートにおけるバーンスタインのスピーチ事件です。

プログラムはブラームスの第1番協奏曲でした。バーンスタインはコンサートの開始に先立って、次のようにスピーチをして演奏をはじめたのです。
「それは私がこれまでに聴いたことのあるどの演奏とも全く違うもので、テンポは明らかに遅いし、ブラームスが指示した強弱から外れている部分も多々あります。実は私はグールド氏の構想に完全に賛成というわけではありません。」
後年、グールドはこの時のことを「楽屋でバーンスタインのスピーチを聴いて腹を抱えて笑った」みたいな事を語っているのですが、これもまた本質的には気弱で神経質だった男のレトリックです。

実は、バーンスタインが「テンポは明らかに遅い」と指摘したにもかかわらず、実際の録音を聞いてみるとそんな驚くほどのスローテンポにはなっていません。
ちなみに、この作品の決定盤の一つもと言われ、尚かつ同じ年に録音されたセル&カーゾン盤と比べてみると以下の通りです。

セル&カーゾン盤(第1楽章:22分12秒・第2楽章:16分1秒・第3楽章:12分)


バーンスタイン&グールド盤(第1楽章:25分48秒・第2楽章:13分45秒・第3楽章:13分48秒


多少は遅いテンポ設定で、逆にアダージョ楽章は足早に過ぎているというあたりに幾ばくかの奇矯さは感じますが、それでも全体としては常識的な範囲にとどまっています。
そして、その事を持って、この事件の背景にバーンスタインの狷介な性格を指摘する向きもあります。

しかし、問題のスピーチがあったコンサートは3日目の演奏会であり、過去2日のコンサートでは第1楽章だけで40分以上もかかるほどの超スローテンポな演奏だった事は意外なほどに知られていません。
つまり、バーンスタインが賛成しかねる構想と言ったのは、スピーチのあった日の演奏ではなくて、第1楽章だけで40分を超え、さらには作品全体で1時間を超えるような過去2日間のグールドの演奏に賛成できないと言ったのです。

つまり、バーンスタインが切れるまでは、グールドは好き勝手に演奏していたのです。しかし、バーンスタインのスピーチを「腹を抱えて笑いながら聞いていた」はずのグールドは、この日に限っては遅めであっても常識の範囲に演奏してしまっているのです。

そして、この事件は、バーンスタインとグールドによるベートーベンの協奏曲の録音を頓挫させるという余波を引き起こしてしまいました。
結果として61年の第4番の協奏曲が最後の録音となり、第5番の協奏曲が録音されることなく全集としての完成は見ずに終わることになります。

しかし、その事の埋め合わせとして、バーンスタインがゼルキンを招聘して残された5番と、さらには64年に3番の協奏曲を録音することにつながり、この二人のピアニストによる録音を聞き比べるという楽しみを与えてくれることになりました。

今の耳からバーンスタインとグールドの録音を聞き直してみれば、20代のグールドと30代から40代になろうとするバーンスタインによる若さ溢れる演奏という域を出ないように思えます。
それはそれで面白いと言えば面白いのですが、しかし、62年と64年にゼルキンをソリストとして招いた録音を聞かされると、この若い二人に足りないものが何だったのかがはっきりと分かります。

ゼルキンのピアノにあってグールドにないものは、まずは19世紀的な音楽の歌わせ方です。
そして、第2には、ピアノから生み出されるピアニシモの微妙な、そして多彩な響きです。

この二つが合わせ技となって聞くものを一番魅了するのが、例えば第5番協奏曲の第2楽章です。
こう言う歌わせ方は、バーンスタインやグールドなどの原典尊重の即物主義のなかで音楽家になった連中が最後まで身につけることが出来なかったものでした。
ゼルキンのピアノを聞いた後では、この二人がともにベートーベンの音楽が内包している歌心が十分に掴み切れていないことがはっきりと分かります。そして、ゼルキンのピアノと較べてみればグールドのピアノが紡ぎ出す響きは平板で単調ですし、それに合わせるバーンスタインは強めのアタックをつけてオケを煽り立てているだけのように聞こえます。

そして、驚くのは、ゼルキンを迎えたバーンスタインの指揮ぶりはグールドの時とは全く違うものとなっていることです。
ゼルキンのピアノに触発されたバーンスタインの指揮は完全にゼルキンに寄り添ったものとなっています。

バーンスタインはグールドとの共演では結構楽しんでいたかもしれないのですが学ぶものはほとんどなかったはずです。
しかし、ゼルキンとの共演では、それほど楽しくなかったかもしれないのですが、学ぶものは大きかったはずです。

そう言う意味では、バーンスタインという指揮者を一つの触媒として、あれこれのピアニストを聞き比べてみるのはなかなかに知的興奮を引き起こしてくれます。
同じ若手でも、行儀良くバーンスタインの指揮下に収まっていたアントルモンやグラフマン、同じ若手でも最後は喧嘩別れしたグールド、そして19世紀の余光をまとったゼルキンの偉大さ!!

そう思えば、喧嘩別れしただけでも、グールドは偉かったのかもしれません。

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