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WAGNER

<ドイツ:1813〜1883>

経歴


1813年5月22日、ライプチヒで生まれる。父は警察署の書記をしていたが、ワーグナーが1才にも満たないうちに亡くなり、その一年後に、母は宮廷俳優と再婚する。この新しい父は芸術的才能に恵まれた人物であり、この人物こそがワーグナーの真の父親ではないかという説もある。
 この父とも8才で死に別れたために、9才からはドレスデンの聖十字架学校で、15才からはライプチヒに戻りニコライ高校で学ぶようになる。

 1833年、20才の頃から各地で指揮活動をおこなうようになり、およそ10年間、各地を転々とする。この間、女優ミンナ・ブラーナーと結婚するが、金づかいの荒い生活はあらたまらず、借金から逃れるために、ロシア、プロイセン・パリと流浪する。
 しかし、この中にあって「リエンティ」「さまよえるオランダ人」などの作品を完成させ、ついに1842年、ドレスデンで「リエンティ」が大成功をおさめ、宮廷楽長に任命される。
 勢いにのった彼は、この地で「タンホイザー」・「ローエングリン」を完成させるが、1849年、ドレスデン革命の蜂起と失敗によって国外に逃れざるを得なくなる。
 1850年からはヴァイマル、チューリッヒ、ヴェネティアと転々としながら「ニーベルンゲンの指輪」の作曲に取り組む。そして、ようやくに許されて1860年にはドイツに帰れるようになったが、経済的理由のためからヨーロッパ各地を指揮活動で転々とする生活を強いられる。

 そういう彼に一大転機が訪れたのは、1864年、バイエルン国王ルードヴィッヒ2世による招聘である。ワーグナーを崇拝するこの国王は、ワーグナーが要求するものなら際限なくお金をつぎ込んだ。そのために、国王の側近たちとの折り合いも悪くなり、居をジュネーブに移すようになる。
 いかし、落ち着いた環境で「トリスタン」「マイスタージンガー」などを生み出し、いずれも大成功をおさめる。
 1870年には妻ミンナの死によって、リストの娘であるコジマと再婚し、さらに72年には長年の念願であった自作を上演するためだけの特別な劇場をバイロイトに建築する。
 そして、76年には、ついに完成を見た「ニーベルンゲンの指輪」4部作の初演によって、この劇場のこけら落としが行われた。
 晩年のワーグナーは主にイタリアで過ごすようになり、1882年にはパルジファルの完成と初演を行う。そして、その翌年の1883年2月3日、ヴェネティアにおいてこの世を去る。
 遺体はバイロイトに移されて、葬儀がおこなわれた。

ユング君の一言


音楽史上、一番いやな奴をあげろ、と言われればユング君はためらうことなくワーグナーをあげます。ヴィスコンティの「ルードヴィッヒ」でも、そのいやな奴ぶりは際だっていました。
 しかし、見方を変えれば、それだけワーグナーという存在が巨大だということです。

 普通の人間なら、国王から招かれれば、多少は恐縮して遠慮をするものです。
 しかし彼は、天才である自分に国王が尽くすのは当然だと言うばかりに、途方もない要求を突きつけていきます。それは、芸術家とパトロンの関係をこえたもので、その結果、バイエルン王国は滅びの道をたどるようになります。

 しかし、一つの王国を搾り取るようにして生み出されたものは、圧倒的でした。トリスタン、マイスタージンガー、指輪、そしてパルジファル。
そして、ルードヴィッヒが白鳥の騎士に憧れて作らせた白鳥城は今や最大の観光資源であり、毎夏に開かれるバイロイト音楽祭には世界中の金持ちが集います。

 歴史という長い目でバランスシートを眺めてみれば、バイエルン王国の一つぐらい安いものだったといわざるを得ません。

 また、音楽的にもワーグナーの作品は常に論議の対象でした。一世紀をこえた今も、ワーグナー派とアンチワーグナー派の論争となると、簡単に火がついて燃え上がってしまいます。時間をこえて、常にホットな問題として論議の対象になると言うことは、それだけで、好き嫌いは別として大したものだと思わざるを得ません。

 なんて書いて締めくくろうとすると、それじゃユング君は好きなの?嫌いなの?と聞かれそうです。率直に書くと、好きで、かつ嫌いです。まあ、この辺について書き始めると無茶苦茶長くなりそうですから、機会をとらえて一度はじっくりと書いてみたいとは思っています。
 でも、こういう相反した感情を一人の人間の中に引き起こしてしまうところが、ワーグナーのワーグナーたる所以ではないでしょうか。

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