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シベリウス:交響曲第2番 ニ長調 作品43

マゼール指揮 ウィーンフィル 1964年6月録音

Sibelius:Symphony No.2 in D major Op.43 [1st movement]

Sibelius:Symphony No.2 in D major Op.43 [2nd movement]

Sibelius:Symphony No.2 in D major Op.43 [3rd movement]

Sibelius:Symphony No.2 in D major Op.43 [4th movement]


シベリウスの田園交響曲?

シベリウスの作品の中ではフィンランディアと並んでもっとも有名な作品です。そして、シベリウスの田園交響曲と呼ばれることもあります。もちろん、ベートーベンの第6番を念頭に置いた比喩ですが、あちらがウィーン郊外の伸びやかな田園風景だとすれば、こちらは疑いもなく森と湖に囲まれたフィンランドの田園風景です。
さらに、この作品にはフィンランドの解放賛歌としての側面もあります。重々しい第2楽章と荒々しい第3楽章を受けた最終楽章が壮麗なフィナーレで結ばれるところが、ロシアの圧政に苦しむフィンランド民衆の解放への思いを代弁しているというもので、この解釈はシベリウスの権威と見なされていたカヤヌスが言い出したものだけに広く受け入れられました。
もっとも、シベリウス本人はその様な解釈を否定していたようです。
言うまでもないことですが、この作品の暗から明へというスタイルはベートーベン以降綿々と受け継がれてきた古典的な交響曲の常套手段ですから、シベリウスは自分の作品をフィンランドの解放というような時事的な際物としてではなく、その様な交響曲の系譜に連なるものとして受け取って欲しかったのかもしれません。
しかし、芸術というものは、それが一度生み出されて人々の中に投げ込まれれば、作曲家の思いから離れて人々が求めるような受け入れ方をされることを拒むことはできません。シベリウスの思いがどこにあろうと、カヤヌスを初めとしたフィンランドの人々がこの作品に自らの独立への思いを代弁するものとしてとらえたとしても、それを否定することはできないと思います。

この作品は第1番の初演が大成功で終わるとすぐに着手されたようですが、本格的取り組まれたのはアクセル・カルペラン男爵の尽力で実現したイタリア旅行においてでした。
この作品の中に横溢している牧歌的で伸びやかな雰囲気は、明らかにイタリアの雰囲気が色濃く反映しています。さらに、彼がイタリア滞在中にふれたこの国の文化や歴史もこの作品に多くのインスピレーションを与えたようです。よく言われるのは第2楽章の第1主題で、ここにはドンファン伝説が影響を与えていると言われています。
しかし、結局はイタリア滞在中にこの作品を完成させることができなかったシベリウスは、フィンランドに帰国したあとも精力的に作曲活動を続けて、イタリア旅行の年となった1901年の末に完成させます。
一度聞けば誰でも分かるように、この作品は極めて少ない要素で作られています。そのため、全体として非常に見通しのよいすっきりとした音楽になっているのですが、それが逆にいささか食い足りなさも感じる原因となっているようです。その昔、この作品を初めて聞いた私の友人は最終楽章を評して「何だかハリウッドの映画音楽みたい」とのたまいました。先入観のない素人の意見は意外と鋭いものです。
正直言うと、ユング君は若い頃はこの作品はとても大好きでよく聴いたものですが、最近はすっかりご無沙汰していました。やはり、食い足りないんですね。皆さんはいかがなものでしょうか?


盛り上がるべき必然性

第1番の交響曲では、その「暖色系」の響きに違和感を覚えたのですが、第2番の交響曲では作品の性格もあって、それほど強い違和感を覚えませんでした。
さらに、この交響曲の基本スタイルはベートーベン以降連綿と受け継がれてきた「暗」から「明」への転換です。され故に、数あるシベリウスの交響曲の中でも、ウィーンフィルにとってはもっとも相性の良い作品といえるでしょう。

しかし、その相性の良さに胡座をかいて、朗々と歌い上げてしまうと、今度は嘘くさくなってしまう危険性をこの作品はらんでいます。
すぐに思い浮かぶのが、カラヤンが1980年に手兵のベルリンフィルと録音したシベ2です。
特に、あの最終楽章!!

音価を思いっきり長くとって、歌い上げることが可能なところは目一杯歌い上げていました。さらには、金管群がその持てるパワーをフルに発揮してなだれ込むコーダの見事さは息を呑むばかりです。
しかし、聞き終わった後に残るのは、嘘くさい虚しさだけです。

もちろん、ここに「精神性」などと言う胡散臭いものを持ち込みたいわけではありません。しかし、この効果に次ぐ効果を狙ったような音楽作りでは、何か本質的なものが抜け落ちているような気がしたのです。

たとえば、セルの有名な70年ライブを聴くと、そのコーダへとなだれ込んでいく圧倒的な威力は同じような効果を狙っているように聞こえます。しかし、そこでは、聴き終わった後にカラヤン盤のような嘘くささは感じません。
そして、このマゼール&ウィンフィル盤も、ウィーンフィルの威力を存分に発揮した効果抜群の音楽を構成しているのですが、これもまたそれほど嘘くささは感じません。

その違いは何かと聞かれれば、セルやマゼールには盛り上がるべきところには盛り上がるべき必然性が感じられるという一点に尽きます。
それに対して、晩年のカラヤンでは盛り上がる事が自己目的化されて、全体の構成とは無縁なところで盛り上がっているように聞こえるのです。

そう思って、古いフィルハーモニア盤を聞いてみると、悲しいまでに・・・、そう言う嘘くささは感じないのです。

そう思って、もう一度このマゼールの録音を聞き返してみると、最終楽章だけでなく、それぞれの楽章で盛り上がるべきところがきちんと盛り上がるように設計され、その設計に従ってオケをコントロールしているのがよく分かります。
若い頃のマゼール、ただ者ではありません。

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